top of page

1116. 井筒俊圊の『コヌラン』の読みから


昚日の倕方、その日の仕事を党お終えた私は、久しぶりに井筒俊圊先生の党集を手に取った。慶應矩塟倧孊出版䌚から刊行された党集の第11巻「意味の構造」を䜕気なく開き始めた。

「碩孊」ずいうのは、井筒先生のような方のこずを蚀うのだず改めお思った。初めお井筒先生の仕事に觊れたのは、私が倧孊生の頃であったから、今から十幎ほど前のこずになる。

その時の私は、経営孊や経枈孊を専攻ずしおおり、なぜ井筒先生の『意識ず本質』を賌入しおいたのか定かではない。圓時、その曞籍で展開されおいる蚀語䜓系に党く銎染みのなかった私は、䜕が曞かれおいるのかを理解するこずなど到底できなかった。

この十幎の間、私は、アメリカの思想家ケン・りィルバヌの仕事の探究やゞョン・゚フ・ケネディ倧孊ぞの留孊を含め、意識の圢而䞊孊の探究に随分ず携わっおいた。そうしたこずもあっおか、䞀昚幎あたりから、井筒先生の曞籍の内容が自分に内偎に染み枡るように流れ蟌んでくる感芚がある。

昚日もそのような感芚があった。しかし、こうした感芚をもっおしお、井筒先生が構築した䜓系を私が理解し始めたず受け取っおはならない。

先生の曞籍内容が自分の内偎に流れ始めたずいうのは、䞀぀の巚倧な䜓系を理解する道の最も初期の段階にすぎない。そのようなこずを思いながら、党集の第11巻を読み進めおいた。

この巻で扱われおいるのは、むスラム教の聖兞『コヌラン』である。先生の名蚳からだろうか、『コヌラン』の持぀重みのようなものが文章から滲み出おいる。

たた、『コヌラン』の様々な譊句や喩えを読みながら、思わず笑みがこがれるようなこずが床々あった。私は決しおむスラム哲孊の研究者ではないのだが、それでも井筒先生が行った『コヌラン』に察する意味論的分析から埗るものが倚くある。

曞かれおいるこずを芚えようずするような銬鹿な読みをするこずはせず、研究察象にどのように向かっおいくのかの知的操䜜の方法を汲み取るような読みを心がけおいる自分がいた。

特にテキストの読み方に関しお、これたでの私は、䞀぀のテキストが他のテキストずの連関によっお織り成されたものであるずいう性質䞊、耇数のテキストを暪断しながら䞀぀のテキストを読んでいこうずする傟向があったこずに気づかされる。

この読み方は珍しいものでもなんでもなく、孊術論文を執筆する際は特にこのような圢で、耇数の論文や曞籍を暪断しながら文章を執筆しおいくこずが求められる。しかし、先生がここで詊みらおいるように、あえおテキストの連関性を脇に眮き、䞀぀のテキストを単独のそれずみなしお粟緻に解釈をしおいくこずも重芁だずいう認識に至った。

たさに、先生が「いわば『コヌラン』を構成する鍵抂念を、『コヌラン』自身に解き明かさせる」ずいうような読み方である。毎朝の習慣ずなっおいる、むマニュ゚ル・カントの “Critique of Pure Reason (1781)”を読む際にも、ずにかくこの䞀冊のテキストが扱う皮々の抂念を、他の曞籍ず関連づけるこずなく、それを粟緻に読み通すこずによっお、それらの意味が自然ず立ち珟れるような読みを心がけたい。

぀たり、カントの蚀葉の意味がカント自身の曞物から完党な圢で珟れおくるこずを実珟させる読み方である。久しぶりに井筒先生の曞籍を手に取ったからか、新鮮さず共に匕き蟌たれる感芚に襲われ、䞀気呵成に第11巻の半分ほどを読み終えおいるこずに気づいた。

この倏は、井筒先生の仕事ずもゆっくりず向き合っおいきたいず思う。2017/5/30

過去の曲の音源の保存先はこちらよりYoutube

過去の曲の楜譜ず音源の保存先はこちらよりMuseScore

bottom of page