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810. 歩き続ける姿とその軌跡を見守って


昨日は午前中にネットワーク科学の専門書を読んでおり、この領域の概念や理論、そして研究方法が、人間の知性や能力の発達研究にどのように応用できるのかを考えていた。少しずつではあるが、応用の形に関する輪郭ができつつある。

今はまだそのような段階だ。しかし、ダイナミックシステムアプローチや非線形性ダイナミクスを代表とした複雑性科学が発達科学と密接に結びついたように、仮にネットワーク科学にもそのような可能性を秘めていることがより明確になれば、本格的にこの領域の専門性を高めたいきたいと思う。

本格的にというのは、この領域に関する博士号を取得することを意味しており、その選択肢が最近になって頭の中にある。ネットワーク科学の領域を牽引するアルバート・ラズロー・バラバシがプログラムに関与しているブタペストの中央ヨーロッパ大学かボストンにあるノースイースタン大学が提供している博士課程が候補である。

この道については、今はそれほど真剣に検討しているわけではないが、仮にネットワーク科学に関する博士号を取得するのであれば、世界で最初にネットワーク科学の博士課程を設立したブダペストの中央ヨーロッパ大学を私は選ぶであろう。

私はこれまでアメリカで生活をし、現在は西ヨーロッパで生活をしているため、中央ヨーロッパがどのようなものなのかを掴むために、ハンガリーという国で生活をすることの関心は高い。未だヨーロッパなるものの輪郭すらも掴めていないため、欧州により長く留まっておきたいという思いもある。

昨夜は衝動的に、自分の今後の道について、現在思い描いている歩みをノートに書き留めていた。興味深いことに、大枠はこれまでと変わらないのだが、数年前に自分が思い描いていたものと比べると、細かな点で若干の相違がある。

そして、こうした計画すらもほぼ無意味であるかのような出来事がいつも私を襲うことを知っており、実際に私が行う意思決定も、自分が思い描いていた道とは異なるものであることが多い。自分が思い描く道を歩けるかどうかに囚われることなく、私はただ今の自分が望む仕事を愚直に継続させていきたい。

その結果として、開かれるものや閉じられるものがあることは、一人の人間の人生においてごく自然なことだと思うのだ。何が開かれ、何が閉じられるのかは、今の私には見えないことである。

ただし、今の私に常に見えているのは、歩き続ける自分の姿だ。歩き続ける自分の姿とその軌跡だけを自分は見守っていたいと強く思う。2017/3/7

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