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379. エゴン・ブランスウィックの「心理学的生態学」に関する所感


ようやくフローニンゲンの街の天候パターンを掴み始めたと言えそうである。この街に到着した当初は、天気予報では降水確率が低いにも関わらず、雨に見舞われることが多々あったため、つくづく天気というのは予測の難しいダイナミックシステムだと頭を悩ませていた。

単純に降水確率では割り切れないような複雑な確率的現象が天候には含まれているのだとつくづく思わされていた。そうした複雑な確率的側面を持つフローニンゲンの天候に対して、徐々に順応している自分がいるのは確かである。

具体的には、これまでは天気予報を信じることなく、常に折りたたみ傘を携帯して外出していた。しかし最近は、天気予報を参照した後に、今この瞬間の空気の匂いを含めた天候の雰囲気を手掛かりとして折りたたみ傘を持っていくのかどうかを判断している。

天気予報と目の前の雲の色や形だけを判断材料にすると、これまで散々と裏切られきたため、環境から抽出できる情報をより広く取り入れることによって意思決定の判断をしてみると、その予測精度が格段に向上したのである。ここから、私という人間は複雑な確率的環境世界の中に組み込まれていたとしても、環境に適応し、環境から学ぶことによって、複雑な確率に押し潰されることなく生きることができているのではないか、と思った。

そもそもこんなことを考えるきっかけになったのが、昨日読んでいた論文の中で何気なく言及されていたエゴン・ブランスウィックという心理学者の思想である。昨日初めて私は、元カリフォルニア大学バークレー校教授エゴン・ブランスウィック(1903-1955)というハンガリー人の心理学者の思想に触れることになった。

ブランスウィックは、心理学の歴史において、人間は環境に対して積極的に適応しながら思考や行動を変化させていく、という「機能主義」の考え方に多大な影響を与えた心理学者として知られている。特にブランスウィックが提唱した「確率論的機能主義(probabilistic functionalism)」は注目に値する。

ブランスウィックは、自身が31歳の時に提唱したこの思想を生涯をかけて深めていったと言っても過言ではない。この思想の核には、当時の心理学の主流的な考えを批判し、知性を発揮する主体そのものの特性のみならず、主体が置かれている環境の特性についても焦点を当てるべきである、という考え方がある。

この思想を基にした確率論的機能主義とは、主体が関与する環境は常に変動するものであり、その変動の中に物理的な法則性がいかに見出されようとも、確率的な不安定さを環境は常に内包している、という考え方である。偶然ながら、ブランスウィックと同時代に生きていたジェームズ・ギブソンの生態心理学も環境特性に着目するという性質上、両者の発想は非常に似ているかもしれない。

ギブソンの生態心理学でキーワードとなるのは「アフォーダンス」と呼ばれるものであり、私たちは環境からのフィードバックに基づいて自身の行動を決定していく、とみなされている。このアフォーダンスの考え方と似ているのがブランスウィックが提唱した「生態学的妥当性(ecological validity)」と呼ばれるものである。

私はこの概念をてっきり、心理統計学の分野で習った言葉として捉えており、研究過程における実験設定が実際の環境設定に適合している度合いだと思っていた。しかし、ブランスウィックの論文を読むと、少し意味が異なることに気づいた。

簡単に述べると、生態学的妥当性とは、外部環境からのフィードバック情報と知覚の間にある相関関係の度合い、と捉えていいだろう。例えば、スーパーで売られている桃は外見の色からその完熟度合いを知覚することができる。

この場合、生態学的妥当性は1となる。なぜなら、桃の完熟度合いは見た目の色と強い相関関係があるからである。一方、桃の上にラベルが貼られており、そのラベルが完熟度合いと何ら関係しないものであれば、その生態学的妥当性は0となる。

ギブソンは「生態心理学(ecological psychology)」を提唱し、ブランスウィックは「心理学的生態学(psychological ecology)」という発想を同じくする学問領域を打ち立てていることが面白い。どちらも共に、有機体と環境を切り離すのではなく、それらの相互関係を絶えず意識し、特に環境からの働きかけの性質を探究していったという共通点がある。

二人の発想は、ダイナミックシステム理論を活用した発達科学の研究に多大な影響を与えていると思わされた。

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