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228. 訪問者


あれよあれよという間に渡欧の日までいよいよ一ヶ月を切った。昨日ようやく航空券を確保し、成田からフランクフルトを経由してアムステルダムへ飛び、そこからフローニンゲンへ向かうことになった。

住居に関してもようやく目処がつき、安堵感を覚えている。しかし、航空券の確保にせよ、住居の決定にせよ、やはり無意識のどこかでそれらを避けようとする自分がいたのは間違いなさそうなのだ。

重い腰を上げて決定した住居は、フローニンゲンの街の中心部にある高さ100メートルのマルティニ塔を眺めることのできる場所にある。マルティニ塔は13世紀にその原型が建設され、1482年の改築以降、今の姿を保持している。

中世から現在まで変わらずに佇んでいるこの建物を毎日眺めながら大学院に通うことになる。そのため、不変的なマルティニ塔は、それが不変的なものであるがゆえに、フローニンゲンでの私の変容を知らせる一里塚になるだろうと思っている。

マルティニ塔の近くを通った時に気付いたのだが、どうも私は鐘の音に掴まれる傾向にあるようだ。マルティニ塔が時折発するカリヨンの音に私は捕まってしまうのだ。この複数の鐘の音は、自分の内側の何かを安らかにする働きがあるらしい。

今回の住居もまた非常に落ち着いた空間であり、自分の仕事により一層打ち込めそうな予感がしている。マルティニ塔、美術館、緑豊かな公園、街の市場、そして中央駅が近いことは偶然であった。

今年の年初にフローニンゲンを訪れた時、オランダで最も壮麗な駅舎を目指して建設されたフローニンゲン中央駅の存在感は、当時の自分にとってとても希薄であったと記憶している。中央駅の存在が私にとって希薄であったというよりも、私が無意識的にこの駅舎を遠ざけていたような気もするのだ。

というのも、私はいつもルネサンス期の建造物や絵画が醸し出すあの圧倒的な何かに飲み込まれそうになり、この駅舎はまさにルネサンス様式の建物なのだ。ルネサンス期の建物は、人間と音楽的世界が調和した不思議な空間を醸し出している。

人間と音楽的世界が調和した空間が自分に与える影響についても見えそうで見えてこない。その一方で、あと少し、あと一歩で見えてきそうな内的感覚がある。ほとんどそれを掴みかけていると言っても過言ではないかもしれない。

それは米国在住時代から折を見て自分にやって来る感覚であり、自己の物語性と虚飾性と不滅性の全てを包括的に覚知してしまうという感覚なのだ。これは間違い無く特殊な意識状態の下に引き起こされる内的感覚であり、その感覚の永続時間は数分に満たない。

時間としては非常に短い感覚なのだが、最初にこの感覚に覆われた時は大いに当惑した。自分はこの世界にいなかったのだという気づきと、自分はこの世界に最初からずっといたのだという気づきが同時に襲来する感覚と表現したらいいだろうか。

最初の体験以降、この感覚に見舞われるたびに、事後的にその感覚に対する振り返りを継続させてきた。そうした継続的な振り返りのおかげか、この感覚の正体が少しずつ明らかになり、自分にとっては何ら異質なものではなくなりつつある。

当時は、この感覚を超越的な視点から自らを眺めるという性質上、メタ認知の極致のようなものとして捉えていた。しかし、その射程と深さは、一般的にメタ認知と呼ばれているものの範疇を遥かに凌駕するため、メタ認知の極致という表現も適切ではない。

認知するものとされるものは間違い無く一つの世界に溶解し、気づくものと気づかれるものが一つになっている感覚なのだ。そのため、この感覚の中において世界を眺める自己は存在しておらず、メタ認知を発動させようとする者もいないのだ。

意識の形而上学における「非二元の意識状態」とはこうした感覚を生み出す意識状態のことを言うのであろうか。頻繁に訪れるようになってきているこの不可思議な感覚をより丹念に観察してみたいと思った次第である。観察の前に引っ越しの準備が先だろう。

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