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【フローニンゲンからの便り】19104-19106:2026年8月9日(日)

  • 1 日前
  • 読了時間: 8分


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タイトル一覧

19104

サグレラスの教則本の第三巻に進むタイミング

19105

今朝方の夢

19106

今朝方の夢の振り返り

19104. サグレラスの教則本の第三巻に進むタイミング 

                 

最近、サグレラスの教則本の第二巻についても、ゆっくりではあるがすでに音を出せるようになってきた。まだ第一巻のような滑らかさはない。しかし、譜面を見てもまったく手が動かないという段階ではなく、一つ一つ確認しながらであれば音楽として形にすることができる。この状態まで来たこと自体、10ヶ月ほどの学習の蓄積が確実に身体へ浸透している証拠なのだと思う。では、いつ第三巻へ進むのがよいのだろうか。今のところ、第二巻を完全に仕上げてから第三巻へ進む必要はないように思える。むしろ、自分の場合は第二巻の7、8割程度の曲について、ゆっくりでも大きく止まらず最後まで音を追えるようになった頃に、第三巻を少し覗いてみるのがよいのではないかと思う。重要なのは、完成ではなく余裕なのだろう。第二巻を弾いている最中に、すべての注意力が左手の位置や右手の指使いだけに奪われているのであれば、まだ第二巻の世界に身体を馴染ませる時間が必要である。しかし、音を出すことそのものから少し注意を離し、音色やフレーズ、声部のつながりに耳を向けられるようになってきたなら、次の段階へ片足を置いてもよい時期なのだと思う。これは学校の進級とは少し違う。第二巻を卒業しなければ第三巻へ入れないわけではない。むしろ螺旋階段のように、第一巻、第二巻、第三巻を少しずつ往復しながら高度を上げていく方が、楽器の学習には自然なのだと思う。第三巻の曲に触れてみることで、第二巻で何を身につける必要があるのかが逆照射されることもあるはずである。そして第三巻で難しさを感じた後に第二巻へ戻れば、それまで難しく感じていた箇所が少し平易に感じられるかもしれない。したがって、自分にとって最適なのは「第二巻が終わった日」を待つことではなく、「第二巻が未知の領域ではなくなった時」を見極めることなのだと思う。今すでに音を出せているということは、その入口にはかなり近づいている。おそらく今後数ヶ月は、第一巻を滑らかに保ち、第二巻を主戦場として育てながら、第三巻を少量だけ先取りする形がよいのだろう。練習時間の大部分は第二巻に置きつつ、ときどき第三巻を一曲だけ譜読みしてみる。その曲が極端に苦痛ではなく、「難しいけれど面白い」と感じられるのであれば、それこそが進み時のかなり信頼できる合図なのだと思う。振り返れば、10ヶ月前には一冊目すら未知の世界だった。それが今では第一巻が滑らかになり、第二巻からも音楽を取り出せるようになった。第三巻は遠くにある次の山というより、すでに歩いている道の少し先に見え始めた風景なのだろう。焦って到達する必要はない。ただ、第二巻に根を張りながら、ときどき第三巻へ枝を伸ばしてみる。そのくらいの進み方が、現在の自分には最も自然なのだと思う。フローニンゲン:2026/8/9(日)06:38


19105. 今朝方の夢

                  

今朝方は夢の中で、近未来的な大阪の街で入学することになった高校のオリエンテーションを受けることになっていた。高校で手続きを済ませると、自分がまだ教科書を買っていないことに気づき、小中高時代のある友人(SS)にどこで教科書が買えるのかを尋ねた。すると彼がスマホを取り出して、地図上でその場所を示してくれた。南大阪にある「オリンピアン」という厳つい名前のドーム型の大きな会場で販売されているとのことだった。そこまで行くのに列車の乗り換えが何回かあり、路線は複雑だったが、今日はこの後に時間があるので、観光がてらそこに行ってみることにした。気がつくと、もうすでに教科書を全て入手しており、新入生だけが集まる教室の中にいた。私の列の最後尾の席には、サッカー日本代表のある選手が座っていて、彼と同じクラスであることを喜んだ。というのも彼と私は友人関係だったからである。教室に先生がやって来ると、先生は自分がかつて通っていた高校の一年生の時の担任だった。少し威圧的な先生ではあるが、真っ直ぐな心を持っている先生で、私たち1人1人に簡単な自己紹介をすることを促した。自己紹介のお題は、「受け取った教科書に対する最初の印象」だった。名前やどの中学校出身かを言うことは一切なく、教科書に対する印象だけを述べることが要求されたのである。最初に指名されたのは、そのサッカー選手の友人だった。彼は驚いたことに、すでに教科書の全てに目を通していて、見事な感想を述べた。私は彼が全ての教科書に目を通していたことを嬉しく思い、彼とであれば学習上においても仲間になれそうだと思った。その次に自己紹介をしたのは、彼の右隣の席に座っていた少し暗めの女子で、彼女は最初ずっと黙っていた。全員が静かに見守っていると、口を開いて教科書に対する第一印象を語った。その内容が思いの外面白く、その場にいた全員が爆笑した。次に私が自己紹介をすることになった。クラスにはなぜか歴史上の偉人である大久保利通がいて、彼は同級生ではないが、彼にプレゼンするかのように教科書の内容を伝えると、彼は大きく感銘を受け、自分を国の重要な仕事に就けることを確約した。先生も教室にいたクラスメートも、自分の説明には深く感銘を受けているようで、その反応は嬉しく思ったが、学校のレベルに若干疑問を抱いと言うのが正直なところである。フローニンゲン:2026/8/9(日)06:51


19106. 今朝方の夢の振り返り

                                       

今朝方の夢は、自分が「もう一度学生になる」ことで、過去の学びを反復するのではなく、これからの知的生活そのものを別の次元で組み直そうとしていることを象徴しているのではないかと思われる。舞台が現在の大阪ではなく近未来的な大阪である点も重要である。大阪は現実的で雑多な都市でありながら、夢の中では未来都市へと変貌している。これは、自分のこれまでの経験を材料にしながら、まだ存在していない学びの都市を内面に建設し始めている姿なのかもしれない。高校への入学は、単なる回帰ではなく、基礎から学び直す意志を示しているように見える。大学や大学院ではなく高校であることには、知識を高度化する前に、読む、考える、説明するという学習の根幹へ戻る意味があるのだろう。教科書をまだ持っていないことに気づき、複雑な路線を乗り継いで南大阪の「オリンピアン」へ向かおうとする場面は、これから必要となる知識が、目の前に整然と置かれているのではなく、自分で地図を読み、経路を選び、取りに行かなければならないことを示しているようである。「オリンピアン」という名は、知的探究が競技のような鍛錬性を持ち始めていることの象徴にも見える。学問の教科書は、本棚の商品ではなく、競技場で受け取る装備になっているのである。ところが気づけば、教科書はすでに手元にある。この場面転換は興味深い。自分は準備不足を心配している一方で、無意識の側では必要な材料はすでにかなり揃っていると感じているのかもしれない。問題は「持っているか」ではなく、「どう読むか」「何を語れるか」へ移っているのである。サッカー日本代表の友人は、単なる有名人ではなく、身体性、判断力、実践知を備えた分身のような存在だと考えられる。彼が全教科書を読み終えていたことは、自分の中の実践的な部分が、知的探究に追いつこうとしている姿なのかもしれない。頭で考える自分と、瞬間的に判断し行動する自分が、同じ教室で学び始めているのである。それは二つの川が一本の河口へ向かって合流するような統合の兆しである。担任が高校一年時の教師であることも象徴的である。やや威圧的だが真っ直ぐな教師は、自分の中に残る規律や厳格さを表しているのだろう。しかし今回、その教師が求めた自己紹介は、名前でも出身校でもなく、教科書への第一印象である。ここには肩書や経歴ではなく、対象をどう見るかによって自分を示せという要請がある。自分が何者であるかは、履歴ではなく、世界にどう意味を与えるかによって決まる段階へ移りつつあるのかもしれない。暗い印象の女子が沈黙の後に笑いを生む場面は、自分がまだ十分に言語化していない陰の部分に、思いがけない創造性が潜んでいることを示唆しているようである。沈黙は欠如ではなく、地下水脈のようなものであり、十分に待てば場全体を潤す言葉として湧き出すのである。そして大久保利通の登場は、この夢を個人的学習の物語から社会的使命の物語へ一気に広げている。大久保は国家制度を組み替えた人物であり、彼に教科書を説明して評価される場面は、自分が知識を理解するだけでなく、それを社会の仕組みや人々の実践へ翻訳したいという欲求を象徴しているのかもしれない。国の重要な仕事を約束されることは、権力願望そのものというより、学びが公共的役割へ接続される予感として読む方が自然である。ただし最後に、自分が学校のレベルへ疑問を抱く点がこの夢の核心であるように思われる。称賛されることは嬉しいが、称賛が大きすぎる場所では、自分が本当に鍛えられるのかという疑念が生じているのである。夢は自分に、評価される場所よりも、まだ自分の説明が簡単には通用せず、さらに考え直させられる場所を求めよと促しているのかもしれない。今回の高校は到着地点ではなく、次の知的競技場へ向かうためのスタート地点なのである。フローニンゲン:2026/8/9(日)07:48


Today’s Letter 

Continuous practice never betrays my efforts. It certainly bears fruit. I feel that I have steadily improved my guitar skills. Groningen, 8/9/2026

 
 
 

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