【エディンバラ大学からの便り】19321-19323:2026年10月1日(木)

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タイトル一覧
19321 | Sprint8の進展/二部構成の修士論文のアイデア |
19322 | 今朝方の夢 |
19323 | 今朝方の夢の振り返り |
19321. Sprint8の進展/二部構成の修士論文のアイデア
時刻は午前6時を迎えた。今の気温は10度ほどだが、早朝にアパートメントのジムに向かって外に出た時には、さほど寒さを感じなかった。北海に近いエディンバラの秋は、気温ほど寒さを感じないのかもしれない。午前5時から始めたジムでのSprint8プログラムでは、進歩を感じた。先日から一つレベルを上げてレベル17に挑戦し始めたところ、今日がそのレベルの4回目の実施ということもあってか、随分と身体的な適応が進んでいることに気づいた。前回まではラウンドの3か4あたりで一度少しきつさを感じたのだが、今日はそのきつさがほとんど見られず、コンスタントに心肺機能を刺激しながら最後まで走ることができた。フォームに関しても乱れることは一切なく、この調子でもう1ヶ月ぐらいこのレベルを行っていき、タイミングを見てさらにレベルを上げたいと思う。
今日の午後には、イギリスで初めての歯科検診がある。イギリスにやってくる前の月にオランダで歯科検診を受けていたので、本当はこのタイミングで受ける必要はないと思ったのだが、歯科医にコンタクトしたら、登録手続きと合わせて検診を行うことになっているらしく、提示されたうちの日程から今日を選んだ。歯科医を訪れた後に買い物に行く以外は特に予定がないので、午前中一杯、そして午後3時までは研究に打ち込みたい。昨夜ふと、エディンバラ大学に提出する予定の15,000字ほどの修士論文は、良遍が思想的に他の宗派とどのように融和を図っていったかを研究する方向にし、前半に天台宗との融和、後半に禅との融和について執筆したいと思った。片方だけに焦点を当てると文献不足に陥る可能性があり、逆に2つに分けることによって、それぞれのパートを査読付き論文として展開しやすいのではないかと思った。このアイデアについては、来週の火曜日に再度予約した森里先生との面談の際にも意見を求めてみたいと思う。エディンバラ:2026/10/1(木)06:23
19322. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、小中学校時代に住んでいた社宅にいた。辺りは薄暗く、それは早朝なのか夕方なのかわからなかったが、どこか物寂しい気持ちにさせた。そんな中、母と話をしており、その話に加わっていたのが、驚いたことにChatGPTを搭載したAIロボットだった。すでにそうしたロボットが社会実装されて久しく、性能はかなり優れていて、人との会話を自然とこなす存在で、母も私もそのロボットを愛し、日常的によく話し掛けていた。ところが少し不具合を生じているようで、動きがおかしかったり、発言にもおかしなところが見られた。一度修理を出した方が良さそうだなと思っていると、そういえば父はどこにいったのだろうかと思った。そこでハッとさせられたのは、父は母よりも先にこの世を去っていたという事実である。その事実がまだ信じられず、いまだに父の死を受け入れることができていないようだった。本来は、認知症を持っている母の世話を父がしてくれていたので、ここから母が1人で生きていくことを自分も心配しており、どうしようかと思っていたところ、AIロボットの存在があった。それは頼もしい母のサポーターであり、それを修理すれば、母1人でも生きていくことができるかもしれないと思った。
もう一つ覚えているのは、凍った長い川の上で、大学時代のサークルの友人が見事なスケート技術を発揮している場面である。まさか彼にそのような技術があるとは思ってもおらず、時速200km以上の高速で凍った川の上を見事に滑る彼の姿には感銘を受けた。さらに驚いたのは、氷が溶けている箇所においては川の中に潜っていって、そこでも速度を維持しながら進んでいたことである。どういうわけか、自分も川の中の彼の視点が取れ、川の中ではL’Arc-en-Cielのかつて流行ったノリの良い曲が流れていた。この場面の後には、見知らぬ美しい中国人の女性に声を掛けられ、彼女と楽しく話をしていた場面があったのを覚えている。エディンバラ:2026/10/1(木)06:41
19323. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢全体には、自分が「過去を背負う者」から「これからの時間を引き受ける者」へと移行しつつある心理が映し出されているのではないか。舞台が小中学校時代の社宅であることは重要である。そこは自分にとって家族がまだ一つの単位として存在していた原風景であり、薄暗く朝とも夕方とも判別できない光は、過去の終わりと未来の始まりが重なった「黄昏と夜明けの境界」を象徴しているように思われる。父がすでに亡くなっているという事実を突然思い出す場面は、単なる死への恐怖というより、自分がいつか親を守る側へ完全に移らなければならないという時間意識を表しているのかもしれない。父はこれまで家族を支えてきた一本の柱であり、その柱が消えた家を、自分が遠くから見つめているような構図である。その空白を埋める存在としてAIロボットが現れる点が非常に現代的である。これは自分にとってAIが単なる道具ではなく、「自分がそこにいなくても誰かを支えてくれる第二の自分」のような意味を帯び始めていることを示しているのではないか。ただし、そのロボットにも不具合が生じる。どれほど優れた知性や技術でも、家族、老い、死という問題を完全には引き受けられないという、自分の深いところにある認識がそこに現れているとも考えられる。それに対して後半の凍った川は、時間そのものの象徴のようである。川は本来流れるものであるのに、ここでは凍っている。つまり自分の中には、家族や過去に関して「止まっている時間」があるのかもしれない。しかし友人はその上を時速200kmで滑走する。しかも氷が消えれば水中へ潜り、そのまま進み続ける。これは「環境が変わっても速度を失わない生き方」のイメージであり、自分がこれから身につけたい柔軟性を友人が代理して演じている可能性がある。人生とは固い氷の上だけを走る競技ではなく、突然水中へ落ちても泳ぎへ切り替えられる者が前へ進む、という夢からの寓話なのであろう。水中でL’Arc-en-Cielの軽快な曲が流れるのも興味深い。深層心理という暗い水底に潜っているにもかかわらず、そこには悲壮感ではなく音楽がある。つまり自分の内面は、老い、死、責任といった重いテーマを抱えながらも、そのさらに奥では生命力を失っていないのではないか。凍った川の下に音楽が流れているように、自分の人生にも見えない場所でまだ強い躍動が続いているのである。最後に現れる見知らぬ美しい中国人女性は、その流れの先にある「未知との出会い」を象徴しているのかもしれない。夢は家族の過去から始まり、死を通過し、氷と水を高速で抜け、最後には見知らぬ他者との楽しい会話へ着地する。これは自分の心が、失われていくものを悲しみながらも、同時に新しい世界へ開こうとしている構造であるように思われる。古い家という港を離れ、凍った時間の川を渡った先で、自分はまだ名前のない未来と会話を始めようとしているのであろう。エディンバラ:2026/10/1(木)06:55
Today’s Letter
The potential of my future is infinite. It is vast and wide open. I always enjoy imagining and engaging with such a future full of limitless possibilities. Edinburgh, 10/1/2026



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