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【フローニンゲンからの便り】19100-19103:2026年8月8日(土)

  • 11 時間前
  • 読了時間: 10分


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タイトル一覧

19100

古書店の店主のセオさんの訪問より

19101

今朝方の夢

19102

今朝方の夢の振り返り

19103

クラシック・ギターを始めてから10ヶ月経って

19100. 古書店の店主のセオさんの訪問より  

           

時刻は午前6時を迎えた。今、うっすらとした朝焼けのもと、数羽の小鳥が清澄な鳴き声を上げている。今の気温は12度とかなり肌寒く、今朝方起床した時に、日の出の時間がピークの時よりも随分と遅くなっていることを実感した。目覚めた時には辺りがまだ随分と暗く、そこから歯磨きをして、少し明るくなり始めた時に外に出てHIITを行った。心拍数を大きく上げるトレーニングをしても、汗をかくことは全くなく、フローニンゲンは秋の入り口の手前にいるようだ。来週の半ばに30度近くに到達する夏日があるが、週末は19度までしか最高気温が上がらないことを見ると、秋の訪れを感じざるを得ない。こうして自分は、フローニンゲンで過ごす最後の夏を満喫し、秋を感じながら新天地に向かう。


昨日、この10年間お世話になっていた街の中心部にあるAntiquariaat Isisという古書店の店主のセオさんに自宅まで来ていただき、書籍の売却に向けた選別を行なっていただいた。自分の手持ちの洋書のうち、2,500冊ほどを引き取ってもらいたいと思っていたのだが、さすがに量が多く、一回の訪問では全ての作業が完了しなかった。セオさんはすでに70歳を迎えているが、元気溌剌としており、聡明さを持ち合わせている。そんなセオさんと、古書店の時と同じように、結構雑談をしていた。セオさんがせっせと1階で選別作業に従事しているのを邪魔しないようにしていたが、水を持って行ったり、トイレに行ったりするタイミングで話をしたところ、話好きのセオさんのお喋りが止まらず、それが作業の進展に影響を与えたこともあるだろう。とはいえ、お互いに話をするのは好きなので、次回もまた少々雑談をしながら、次回で作業が完了したらと思う。セオさんとの話の中で、セオさんの口から、ケン・ウィルバー、ルドルフ・スタイナー、ヘレナ・ブラヴァツキー、シュリ・オーロビンド、ビョンチョル・ハン、フロムやアドルノなどのフランクフルト学派の名称が出た時には、さすが本好きかつ古書店の店主として長く仕事をされておられるだけあると実感した。無数の書籍に触れてきて、様々な蔵書家から書籍を譲り受け続けているセオさんから、自分のコレクションを褒めてもらった時には純粋に有り難さを感じ、そんなセオさんに書籍を渡せることを嬉しく思った。セオさんは笑いながら、「このコレクションをヨウヘイの遺産として受け取らせてもらうよ」と述べたのは印象的だった。ここのところは書籍の寄贈者が連続しているらしく、91歳の言語学者から6,000から8,000冊の書籍を昨日譲り受け、先週は数学者からかなりの書籍を受け取っていたそうだ。そんなセオさんは音楽好きでもあり、10年前に古書店を訪れた際に、店内でかかっているクラシック音楽の選曲が素晴らしいとセオさんに伝えたところ、Spotifyのプレイリストだと教えてもらい、それをきっかけにSpotifyを契約し、自分の音楽人生が豊かになったとセオさんに改めて昨日お礼を述べた。セオさんの店では残念ながら日本語の書籍を取り扱ってはないが、同僚の別の店の店主が日本語の書籍を引き取ってくれる可能性があるとのことで、手持ちのかなり希少なハードカバーを含めた500冊ほどの和書をまた誰か必要な人のところに送り出すことができたら幸いである。フローニンゲン:2026/8/8(土)06:32


19101. 今朝方の夢


今朝方は夢の中で、ひょんなことから国を挙げて金融リテラシーを高めるプログラムを作るプロジェクトに任命された。自分はそれをかなり前向きな気持ちで受け止めており、確かに金融は自分の専門領域ではなかったが、知性の発達という自らの専門領域と絡めれば、どのようなリテラシーに関してもそれを伸ばすためのプログラムを策定できると思った。依頼をしてきた国側もその点を汲み取っているようだった。


次に覚えているのは、父と早起きについて意見交換している場面である。父は朝の3時か遅くとも4時には起床しているようであり、そのメリットをいろいろと教えてくれた。一番はやはり、朝に十分な時間を確保することができ、その時間に好きなことに没頭できることだと父は述べた。私もかつては早朝3時に起床することがあり、本当にそれを実感していた。その時もそうだったが、目覚ましを一切使わず、身体が欲するだけの睡眠時間をいつも確保するようにしており、ここ最近は午前5時ぐらいに目覚めることが多い。たまに午前7時近くまで寝ていることがあるが、基本的に午前5時台に起床すれば、午前中はかなり有意義に使える。父との対話は、改めて自らの睡眠について考える良いきっかけになった。

最後に覚えているのは、今のオランダの自宅を舞台にした場面である。家のオーナーのペイトラさんと庭先で話をした後に家に戻ると、玄関の扉がうまく閉まらないことに気づいた。どうやら誰かが扉の張り替えをしたようで、新しい鍵が鍵穴にうまく刺さらないだけではなく、そもそも扉の建て付けがイマイチのようだった。そしたら目の前に便利屋の背の高い中年のオランダ人男性がいて、彼が速やかに修理を始めてくれた。私も修理を手伝い、2人で特殊な液体とバーナーを使って、留め具を止める作業を行なった。フローニンゲン:2026/8/8(土)06:58


19102. 今朝方の夢の振り返り

              

今朝方の夢は、外へ向かって拡張する知性と、内側の生活基盤を整える働きが同時に進んでいることを示しているのではないかと思われる。冒頭の「国を挙げて金融リテラシーを高める」という巨大な仕事は、一見すると自分の専門外の領域である。しかし夢の中の自分は、それを未知の分野として恐れるのではなく、自らが培ってきた「知性の発達」という枠組みを応用すれば扱えると考えている。ここには、専門性を狭い箱の中に閉じ込める段階から、それを異なる領域へ移植する段階への移行が表れているのかもしれない。自分の知性が一本の樹ではなく、別の土地にも根を張れる菌糸のようなものとして感じられ始めている可能性がある。しかも依頼主体が個人や企業ではなく「国」である点は象徴的である。国とは、多数の人間を包む大きなシステムである。したがってこの場面は、自分の関心が個人の成長だけでなく、教育、組織、社会のようなより大きな単位へ広がろうとしていることを映しているのではないか。金融そのものが重要なのではなく、「複雑な現実を理解し、自律的に判断できる人をどう育てるか」という問いが、夢の中で金融という衣服をまとって現れたようにも思える。続く父との早起きの対話は、この外向きの拡張に対して、生活の根を確認する場面であるように見える。朝3時、4時という時間は、社会がまだ完全に動き出す前の静寂の領域である。その時間を確保することは、他者の要求が入り込む前に、自分自身の生命の流れへ戻ることを意味しているのかもしれない。父はここで、単なる助言者というより、自分の内部にある「時間を守る原理」を人格化して登場している可能性がある。夢は、より大きな仕事を担うほど、時間管理を厳しくするのではなく、身体の自然なリズムに耳を澄ませる必要があると語っているのではないか。早起きとは時計に勝つことではなく、一日の源流に先に触れることなのであろう。最後の玄関の扉は、この夢全体を締めくくる重要な象徴だと思われる。玄関は「内」と「外」の境界であり、古い生活から新しい生活へ移る際の関所のような場所である。その扉が新しく張り替えられているにもかかわらず、鍵が合わず、建て付けも悪いというのは、外形的には新しい段階への準備が進んでいても、まだ細部の調整が終わっていないことを示しているのかもしれない。新しい鍵が古い身体感覚や習慣にまだ馴染んでいない、と読むこともできる。興味深いのは、そこで自分が修理を他者に任せきらず、便利屋と共に作業していることである。しかも液体とバーナーを用いて留め具を固定する。液体は柔軟性や浸透を、火は変容や決断を象徴している可能性がある。柔らかく適応する力と、熱を加えて形を決める力。その二つを組み合わせることで、境界がようやく安定するのである。夢全体を一本の物語として見るなら、自分はいま「より大きな世界へ出る準備」と「そのための生活基盤の再調整」を同時に進めているのではないかと思われる。国家規模の仕事は地平の拡大、早朝は生命の源流、玄関は移行の境界を示す。三つの場面はばらばらではなく、帆を広げること、風向きを読むこと、船体の継ぎ目を補修することが同時に起きているような構造を持つ。遠くへ航海するためには、大きな帆だけでは足りない。静かな朝と、きちんと閉まる扉もまた必要なのである。フローニンゲン:2026/8/8(土)07:40


19103. クラシック・ギターを始めてから10ヶ月経って

                  

クラシック・ギターを始めてから、気がつけば10ヶ月ほどが経った。最近はジュリオ・サグレラスの教則本第1巻に収められている練習曲を、以前よりもずっと滑らかに演奏できるようになってきた。そして第2巻についても、まだ一曲一曲を完全に自分のものにしたわけではないものの、少しずつ手に馴染み、演奏が定着してきている感覚がある。10ヶ月という時間を考えると、この進み方には特に無理はないように思う。むしろ大切なのは、何巻まで到達したかという数字よりも、第1巻の曲が時間を経て滑らかになってきたという事実である。ギターの学習では、新しい曲を次々と弾けるようになること以上に、一度学んだ曲が身体の奥へ沈んでいくことの方が重要なのだと思う。最初の頃は、左手の運指、右手の指使い、譜読み、音の長さなど、一つ一つを意識しなければ演奏できなかった。それが繰り返しているうちに、少しずつ意識の負担が減っていく。頭で一音ずつ命令しなくても、指が音楽の流れを覚え始める。その変化こそ、技術が単なる知識から身体知へ変わり始めた証拠なのだろう。第1巻を完全に終えてから第2巻へ進むのではなく、第1巻を磨きながら第2巻にも触れている現在の状態も悪くないと思う。むしろ、螺旋階段を上るような学習になっている。第2巻で少し高度な課題に触れることで、第1巻の曲に戻ったとき、それまで難しかった箇所が急に簡単に感じられることがある。逆に第1巻を丁寧に弾き直すことが、第2巻で必要になる基礎を補強してくれる。この往復運動が、演奏技術の土台を厚くしているのだと思う。特に自分が良い兆候だと思うのは、「ちゃんとした進歩を感じている」という感覚である。もちろん主観だけで技術水準を判断することはできないが、以前ぎこちなかった曲が滑らかになり、以前考えながら動かしていた指が自然に動くようになっているのであれば、それはかなり明確な成長である。楽器学習では、成長は毎日一定の速度で進むわけではない。しばらく何も変わっていないように感じた後、ある日突然、曲が簡単になっていることに気づく。その意味では、植物の成長に少し似ている。毎日眺めていると変化は見えないが、数ヶ月前の姿と比べれば、確実に枝葉が増えている。10ヶ月で第1巻がかなり滑らかになり、第2巻が定着し始めているのであれば、今は速度を上げることより、この感覚を大切にした方がよさそうだ。第3巻へ急ぐ必要もない。第1巻を音楽として楽しめるところまで磨きながら、第2巻で少し背伸びをする。このくらいの距離感が、長く続けるにはちょうどよいのだと思う。振り返ってみれば、10ヶ月前には存在していなかった技術が、今では確かに自分の指の中にある。そう考えると、この10ヶ月はかなり豊かな蓄積だったのではないか。焦らず続けていけば、1年後には今難しく感じている曲も、現在の第1巻のように自然なものへ変わっている気がする。フローニンゲン:2026/8/8(土)09:51


Today’s Letter 

Numerous doors are always open before me. They represent my possibilities. I look forward to opening new doors, while also trusting that wonderful doors may unexpectedly open on their own. Groningen, 8/8/2026

 

 
 
 

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