【フローニンゲンからの便り】19097-19099:2026年8月7日(金)
- 3 日前
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タイトル一覧
19097 | 複雑さの錯覚 |
19098 | 今朝方の夢 |
19099 | 今朝方の夢の振り返り |
19097. 複雑さの錯覚
今朝は、ブランダン・エイカー氏の助言を読みながら、クラシックギターが生み出す「複雑さの錯覚」について考えていた。流れるようなアルペジオの上で旋律が歌い、低音が静かに進み、内声まで動いているように聴こえると、ついその背後には非常に複雑な仕組みがあると思ってしまう。しかし、実際には一つひとつの材料は驚くほど単純なのかもしれない。たとえば、同じ和音を一度に鳴らせば、ただの響きとして聴こえる。ところが、その構成音を右手の一定の型で順番に弾くと、和音はたちまち時間の中を歩き始める。さらに左手の指を一本だけ外し、また戻すと、そのわずかな変化が旋律になる。和声はほとんど変わっておらず、右手も同じ動きを繰り返している。それでも耳には、幾つもの声部が精巧に絡み合う豊かな音楽として届く。まるで、数本の細い糸が織り合わされることで、一枚の複雑な模様の布になるようである。この考え方は、難しい曲に向き合う時ほど大切になると思った。譜面が黒く見えると、自分は一音一音を別々の命令として受け取りやすい。ここではこの指、次は別の弦、その次にはポジション移動、と細部だけを追いかけるうちに、曲全体が巨大な迷路に見えてくる。しかし、本当は50個の独立した問題が並んでいるのではなく、三つほどの小さな仕組みが重なっているだけかもしれない。右手の反復、動かない和声音、そこから浮かび上がる一つの旋律。その骨組みが見えれば、迷路だと思っていたものが、実は同じ階段を形を変えながら上っている構造だと気づける。今日の練習では、難しい小節に出会ったら、すぐに指を速く動かそうとするのではなく、まず音楽を層に分けて眺めてみたい。何が繰り返されているのか。どの音が和音を支えているのか。どの声だけが動いているのか。音域が変わっただけで、同じ型が別の場所に現れてはいないか。そう問いかけるだけで、譜面の表情はかなり変わるはずである。何より心に残ったのは、美しさは複雑な一つの発想から生まれるのではなく、単純な複数の発想が協力することで生まれるという点である。和音、反復、旋律、音域、装飾。それぞれは小さくても、関係の結び方によって音楽は広大になる。これは演奏だけでなく、即興や作曲にも通じるだろう。新しい音楽を作ろうとして、最初から奇抜で難しいものを探す必要はない。むしろ、単純な素材を丁寧に選び、それらが互いにどう支え合うかを聴くことの方が重要なのだと思う。結局のところ、目標は全ての音を間違えずに並べることではない。それらの音が、なぜそこにあり、どのような役割を担い、何と結びついているのかを理解することである。理解された音は、単なる作業ではなくなる。自分の中で意味を持ち、互いに呼吸し始める。複雑に見える音楽を、単純な関係の集まりとして見抜くこと。その眼差しが育てば、難曲への恐れも少しずつ薄れ、譜面の奥にある秩序と親しさが見えてくるのではないか。フローニンゲン:2026/8/7(金)06:40
19098. 今朝方の夢
今朝方の夢の世界は比較的穏やかだったように思う。鮮明に覚えている場面は少ないが、それでも確かに夢を見ていたことは確かなので、断片的な夢の風景を書き留めておきたい。
夢の中で私は、エストニアと思われる国のある町にいた。街中はとても発展していて、他の先進国の主要都市と機能面で引けを取らないどころか、それ以上に利便性があるように思えた。また、街の綺麗さも先進国の主要都市のそれを上回っている感じがした。そのような街を気分良く歩いていると、空を飛んで上空から眺めてみたいと思うようになった。その想いに忠実となり、宙に浮いて、空を飛びながら街を眺めることを楽しんだ。
次に覚えているのは、街の古書店に学術書を500冊ずつ売却する場面である。一括で全ての書籍を売却したいと当初思っていたが、それだと数が多すぎるので、何回かに分けて売却することになった。店主と相談したところ、500冊ぐらいがちょうどいい単位だろうということで合意し、500冊ずつ書籍を売却していくと、徐々に部屋から書籍が消えていくことに不思議な感覚を味わった。そこにあったのは、一挙な喪失感ではなく、段階的な喪失感であった。それが段階的であったがゆえに咀嚼もしやすく、むしろ少しずつ部屋から書籍が消えていくことによって、自分の内側でも記憶や知識、そして思い出の整理が段階的になされていくかのようであった。フローニンゲン:2026/8/7(金)06:47
19099. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、自分が長く住み慣れた世界から次の世界へ移る直前に、外的な環境と内的な蓄積の双方を静かに整理していることを象徴しているのかもしれない。夢の舞台がエストニアと思われる国であったことは興味深い。そこは自分にとって完全な未知ではないが、日常的に暮らす場所でもない。そのような「近さと遠さの中間」に位置する土地は、現在の自分が立っている移行空間そのものを表している可能性がある。古い生活圏を離れながら、まだ新しい生活圏には完全に入っていない。その中間地点に、整然として清潔で、高度に機能する都市が現れたのではないだろうか。街が既存の先進都市以上に便利で美しく感じられたことは、未知の未来に対する不安よりも、むしろ期待の方が深層では優勢になっていることを示しているように思われる。夢の都市は、これから築かれていく生活や研究環境の予告模型のようなものであり、自分の意識がすでに次の秩序を先取りして描いているのかもしれない。現在の自分にとって未来は、暗い森というより、まだ歩いたことのない洗練された街路として現れているのである。そこで空を飛ぶ場面は、さらに重要であるように思われる。地上を歩く視点は、日々の予定、手続き、所有物、具体的な作業に拘束された視点である。それに対して上空へ浮かび上がることは、自分が現在の人生をより高い高度から眺め直そうとしていることの象徴かもしれない。地上では一つ一つの出来事が大きく見えるが、空から見れば道路も建物も一つの配置として見えてくる。つまり自分は今、個別の出来事に没入するだけでなく、それらを人生全体の地図の中へ配置し直す力を獲得しつつあるのではないだろうか。空を飛ぶ自分は、人生という譜面を一音ずつ追う演奏者であると同時に、曲全体の構造を見渡す作曲者にもなり始めているように思われる。後半の古書店は、その俯瞰を現実的な手放しへと変換する場所であろう。学術書は単なる物ではなく、自分が費やしてきた時間、思考、関心、探究の軌跡を物質化したものである。それを500冊ずつ売却することは、過去の知的自己を否定することではなく、外部に蓄積していた知を内側へ回収する儀式のように見える。一挙に手放さず、一定単位で区切る点も象徴的である。変化には適切な粒度があり、大きすぎる変化は喪失としてしか経験できないが、咀嚼可能な単位に分ければ、それは統合へ変わるのかもしれない。部屋から本が減るにつれて記憶や知識まで整理されていく感覚は、自分が「所有している知」から「身についている知」へ移行していることを示唆しているように思われる。本棚は外付けの記憶装置であり、それが空いていくことは、記憶が消えるというより、必要なものだけが身体と意識の内部に沈殿していく過程なのではないだろうか。まるで大量の鉱石を運び続ける段階を終え、そこから精錬された金属だけを持って次の土地へ向かうようである。この夢全体には、激しい断絶ではなく、静かな離脱の知性が流れているように思われる。飛翔によって未来を俯瞰し、売却によって過去を整理する。その二つの運動が交差するところに、現在の自分が立っているのかもしれない。何かを捨てて軽くなるというより、すでに内面化されたものを確認しながら、次の高度へ上がる準備をしている夢だったのではないだろうか。フローニンゲン:2026/8/7(金)07:44
Today’s Letter
I cannot suppress the passion emerging from the depths of my psyche. Zest is the fundamental fuel for my creativity. Groningen, 8/7/2026



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