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【フローニンゲンからの便り】19067-19070:2026年7月30日(木)

  • 45 分前
  • 読了時間: 9分


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タイトル一覧

19067

パソコンのキーボードとギターの指板

19068

今朝方の夢

19069

今朝方の夢の振り返り

19070

スケール練習とソルフェージュの統合


19067. パソコンのキーボードとギターの指板

           

昨日、クラシックギターの指板を覚えることは、パソコンのキーボードを覚えることに似ているのではないかと考えていた。キーボードも、最初から各文字の位置を暗記しようとして身につけたわけではない。書きたい文章があり、そのために何度も指を動かしているうちに、いつの間にか「考えてから押す」のではなく、「言葉を思い浮かべると指が動く」状態へ移っていった。指板の把握も、おそらく同じように、場所の暗記だけでは完成しないのだろう。ギターでも、何弦何フレットが何の音かを表にして覚えることはできる。しかし、それだけでは地図を眺めているにすぎない。実際に曲を弾き、音階をたどり、和音の構成音を探し、同じ旋律を別のポジションで弾いてみることで、指板は少しずつ「知識」から「使える空間」へ変わっていくのだと思う。キーボードのキーが文字の一覧ではなく、思考を外へ送り出す通路になったように、指板上の音も、やがて音楽的な意図へ直接つながる通路になるのだろう。ただし、両者には違いもある。キーボードでは、ある文字は基本的に一つの場所にある。一方、ギターでは同じ音が複数の弦とフレットに存在する。そのため、指板の記憶には、単なる位置の記憶だけでなく、音色、運指、前後のつながりまで含まれる。たとえば同じミでも、開放弦で弾くのか、別の弦の高いポジションで弾くのかによって、響きも次の動きも変わる。つまり指板とは、文字盤というより、同じ言葉を異なる声色で語れる劇場に近いのかもしれない。この点を考えると、指板把握のためには「覚える練習」と「使う練習」の両方が必要であると感じた。音名を即答する練習は、キーボードでいうキーの位置確認にあたる。しかし、本当に身につけるためには、その音を曲、スケール、アルペジオ、和声の中で何度も使わなければならない。特に、弾く前に音名を思い浮かべること、譜面を見ながらポジションの選択理由を考えること、同じフレーズを別の場所で試すことが大切なのだろう。そうすれば、指板の各地点が孤立した住所ではなく、互いにつながった街路として見えてくるはずである。ブラインドタッチを身につけたとき、自分は指の位置そのものを常に意識していたわけではない。むしろ伝えたい内容へ集中しているうちに、身体が配置を引き受けてくれた。ギターでも最終的には、音名やフレット番号を逐一計算せず、思い描いた響きへ自然に手が向かう状態が理想なのだと思う。ただし、その無意識は、何も考えずに反復した結果ではなく、音を意識した反復が沈殿してできるものなのだろう。これからは指板を試験範囲のように覚えるのではなく、毎日の音楽表現の中で使い込んでいきたい。文章を書き続けた結果としてキーボードが透明になったように、音楽を考え、歌い、探し続けた先で、指板もまた透明になっていくだろう。そのとき自分はフレットを探すのではなく、響きの行き先を選んでいるはずである。フローニンゲン:2026/7/30(木)06:21


19068. 今朝方の夢

                 

今朝方は夢の中で、見慣れない部屋の中で小中学校時代のある女性友達(AS)と話をしていた。しばらく彼女と話をしていると、自分の内側にいる守護霊のような存在が現れてきて、そこからはそれと話をすることになった。それは自分の内側にまだ眠っている力がたくさんあると伝えてくれ、それを引き出す手伝いをしてくれた。それ曰く、すでにそれらの能力のうちのいくつかを目覚めさせておいたと述べたが、その瞬間には実感は湧かず、必要な状況で自然と発揮されるのだろうと思った。この歳になっても、まだまだ自分の内側に秘められた能力があることに驚く。それらを発見する楽しさと開発する喜び、そして何より、それを使って世のため人のために生きれることに大きな意義を感じていた。


次に覚えているのは、地元の海辺を豚にした場面だった。砂浜に巨大な液晶ディスプレイが設置され、そこで往年のサッカー日本代表の試合の名場面が流れていた。ちょうど自分の近くに、まさに今目の前に流れている試合に出場していたかつての代表選手たちがいて、私は彼らと知り合いだったので、彼らと楽しく会話を始めた。ディスプレイに映っている試合についてあれこれ質問するのは野暮のように思えたので、何気ない話をしてまず盛り上がった。そこからは、私たちはこれから社会に対してどう関わり合って生きていくのかという真面目なテーマで話し始めた。フローニンゲン:2026/7/30(木)06:32


19069. 今朝方の夢の振り返り

                  

今朝方の夢は、自分の内奥に蓄えられてきた潜在力が、過去の人間関係と社会的使命を媒介として表面化し始めていることを象徴しているのかもしれない。最初の見慣れない部屋は、まだ十分に探索されていない心の一室を表しているように思われる。そこに小中学校時代の友人ASが現れたのは、現在の肩書や専門性が形成される以前の、より素朴で無防備な自分へ戻る必要性を示しているのだろう。古い友人は、過去そのものというより、長い年月の下に埋もれながらも消えていない原初的な感受性の案内人なのである。その対話の途中で守護霊のような存在が現れたことは、外部の権威に答えを求める段階から、自分の内部にある深い知性へ耳を澄ませる段階へ移行しつつあることを示しているのかもしれない。それは超自然的な存在というより、これまでの学習、経験、身体感覚、直観が地下水脈のように合流して生まれた、内なる教師の象徴だと考えられる。能力のいくつかはすでに目覚めているが、まだ実感がないという展開も重要である。芽は地上に出る前から土の中で根を張っている。自分の変化も同様に、意識が認識するより先に深層で進行しており、必要な状況が訪れたとき、準備されていた力が自然に立ち上がるのだろう。さらに、自分がその力を自己顕示のためではなく、世のため人のために用いたいと感じていた点には、潜在能力の開花と倫理的責任が一体化し始めている様子が表れているように思われる。力は宝石ではなく種子であり、所有するだけでは意味を持たない。誰かの苦悩を照らし、社会に新しい理解をもたらして初めて、その価値が現実化するのである。この夢は、自分の人生後半が能力の収集ではなく、能力の還元へ向かう可能性を告げているのかもしれない。次の海辺の場面は、個人的な内面世界から公共的な世界への移行を象徴しているようである。海は無意識や集合的記憶、砂浜はそれが日常意識と接する境界を表すのだろう。そこに設置された巨大な液晶ディスプレイは、過去の栄光や共同体の記憶を映す現代的な祭壇のようである。往年の日本代表の名場面は、すでに完了した功績を示す一方、その試合に出ていた選手たちが現在の自分の近くにいることは、伝説として眺めていた存在が、今や同じ地平で未来を語る仲間へ変わったことを示しているのかもしれない。自分が試合の細部を質問せず、まず何気ない会話を選んだことには、相手を過去の実績だけで固定せず、現在を生きる一人の人間として尊重する成熟が表れているように思われる。やがて話題が社会との関わりへ移ったのは、栄光を回顧する時間から、経験を社会へ返す時間への転換を意味するのだろう。前半の守護霊と後半の元代表選手たちは、一見異なる存在でありながら、ともに眠っている力を公共的使命へ接続する案内役なのである。夢全体は、自分の内なる可能性と過去の達成が二本の川として合流し、これから社会へ注ぐ大きな流れになろうとしていることを示しているのかもしれない。フローニンゲン:2026/7/30(木)07:24


19070. スケール練習とソルフェージュの統合

                                     

ふと、スケール練習とソルフェージュを別々の訓練として扱う必要はないのではないかと思った。これまでスケールというと、左手の運指を整え、右手の交互運指を安定させ、一定のテンポで音を並べる練習として捉えがちだった。しかし、それだけでは指が音階の上を走っていても、耳と意識が後ろから追いかけている状態になりやすい。そこで、音を弾く前に歌い、歌った音を指板上で探し、実際に鳴った音と内側で想像した音を照合することが大切なのだと思う。例えば、今日はハ長調のスケールを練習すると決めたら、最初からギターを弾かず、まずドから高いドまでをゆっくり声に出して歌ってみる。声量や歌の上手さは重要ではなく、次の音がどちらへ進み、どれほど離れているかを感じることが目的である。その後、一音ずつ「ド、レ、ミ」と歌ってから同じ音をギターで鳴らす。声が音の設計図となり、指はその設計図を指板上に建てていく職人になる。こうすると、指板は無数のフレットが並ぶ格子ではなく、耳で思い描いた音へ通じる地図へ変わっていく。次には、音名だけでなく、主音からの度数を意識して歌う方法も試したい。ドを一度、レを二度、ミを三度として、各音が調の中でどのような役割を持つかを感じながら弾くのである。七度には主音へ進みたがる緊張があり、四度には三度へ落ち着こうとする傾きがある。そうした音の重力を声で確かめてから弾けば、スケールは均質な階段ではなく、傾斜や踊り場を持つ立体的な道になるだろう。上行形だけでなく、途中の音から始めることも有意義である。例えばミから歌い始めて高いミまで上がり、そこから下降する。あるいは、ギターで一音を鳴らした後、その次の音を弾かずに先に歌って当てる。さらに、一音飛ばしでド・ミ・ソ・シと歌いながら弾けば、三度音程と和音の骨格も身体に入ってくる。スケール練習の中に、音程練習やアルペジオの聴き取りまで自然に織り込めるのである。リズムも加えたい。最初は全音符のように一音を長く保ち、響きが消えるまで聴く。次に四分音符、付点、三連符などへ変え、同じ音階を異なるリズムで歌ってから弾く。メトロノームに合わせる際にも、機械の拍へ指を押し込むのではなく、まず声で拍の流れを作り、その流れの中に音を置くようにしたい。音程とリズムの両方を内側で準備できれば、演奏は反射的な運動から、意図を伴う発話へ近づいていくはずである。最後には、短い即興を加えるのもよいだろう。その日に練習したスケールの音だけを使い、二小節ほどの旋律を先に歌い、それをギターで再現する。すぐに再現できなくても構わない。声と指の間にある距離を発見すること自体が練習だからである。ソルフェージュとスケールを組み合わせるとは、耳を教師にし、声を橋にし、指を最後の表現者にすることなのだと思う。やがて、指が先に動くのではなく、内側で生まれた音楽に指が静かに従うようになる。そのときスケールは、技術を磨くための体操ではなく、音楽そのものを語るための語彙へ変わっていくのだろう。フローニンゲン:2026/7/30(木)07:59


Today’s Letter 

Developing a strong sense of rhythm is crucial for musicians. Learning to feel the pulse is the first step. I’ll continue refining my sense of rhythm through my daily routines. Groningen, 7/30/2026

 
 
 

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