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【フローニンゲンからの便り】19059-19061:2026年7月28日(火)

  • 11 時間前
  • 読了時間: 7分


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タイトル一覧

19059

考古学者の隣人アーノルトと話をして/これからも変わらずに

19060

今朝方の夢

19061

今朝方の夢の振り返り


19059. 考古学者の隣人アーノルトと話をして/これからも変わらずに   


時刻は午前6時半を迎えた。昨日と同様に、今朝もまた優しげな朝日が顔を覗かせている。気温は15度と低いが、今日は26度まで気温が上がるようなので、午前中は長袖長ズボンを履いていても、午後からは半袖半ズボンで過ごせるだろう。明日と明後日は突発的に真夏日となるが、引き続き過ごしやすい夏であってほしい。


昨日、同じ敷地内の家に住むアーノルトと話をした。彼は妻のエヴァの故郷であるチェコに娘さん2人と共に滞在し、そこから彼だけはイタリアに出かけ、考古学の発掘調査に出かけていたらしい。アーノルトは考古学者で、普段は専業主婦をしているが、こうした長期休暇の際には発掘調査に出かけており、今回は1週間ほどの調査で、重要な発見物があったそうだ。嬉しそうに語るアーノルトの話に好奇心が掻き立てられ、発掘したものに関する写真を見せてもらった。彼が普段調査しているのは、キッチンなどの人が日常生活を営んでいた場所を中心にしているらしく、墓場は避けているらしいが、これまで何度か人骨を発見したことがあるそうだ。毎回の発掘調査は複数の大学の連携プロジェクトで、発掘調査ごとにレポートや論文を書いているとのことである。夏と冬にそれぞれ1週間か2週間ぐらい考古学者としての仕事に従事し、それ以外の期間は専業主婦として仕事をしているアーノルトの生き方はとても優雅である。毎日夕方には晩御飯を作り、その前後で2人のまだ小さい娘さんと遊んだりしている。とても良いエネルギーを持つ家族が身近にいると、こちらも幸福な気持ちになってくるから不思議である。さて、今日からは良遍の真心要決の第二巻の翻訳に入っていく。エディンバラ大学の実際の学期が始まるのは、9月の中旬なので、本当にそれまでに手持ちの良遍の全ての文献の翻訳は完了するだろう。それが終わったら、じっくりと註釈をしていくことを日々続けていく。とにかく毎日の継続である。それが自分を遥か彼方まで運んでいく唯一の方法である。そうしてこれまで生きてきた。これからもその生き方に変わりはない。フローニンゲン:2026/7/28(火)06:50


19060. 今朝方の夢 

           

今朝方は夢の中で、見知らぬ山間の研修施設の中にいた。そこで私は大学時代のゼミの友人を含め、数人の人たちとワークショップに参加していた。実は自分は、昨年も一昨年もそのワークショップに参加している常連で、主催者と仲が良く、研修中は他のメンバーを導くような雰囲気作りを自然と行っていた。午前中の研修が終わり、昼食の時間となったので、各自昼食を食べに出かけていくことになった。自分は山の麓のレストラン街にある中華料理屋に行こうと思った。そこのラーメンがとても美味しいということを話すと、すぐさま2人ほど女性が一緒に行きたいと述べた。結局、ゼミの友人も含め、グループでその店を訪れることになり、そこで美味いラーメンを食べて英気を養い、午後からの研修もまた楽しみたいと思った。


次に覚えているのは、実際に通っていた高校の教室にいた場面である。高校一年生の時に使っていた一階の教室で自学自習をしていると、前の席のあるクラスメートの男子がそれを邪魔してきた。彼はちょくちょく自分に絡んでくることがあり、普段は別に気にしていなかったのだが、しつこい行動に怒りが爆発し、気がつけば彼をボコボコにしていた。殴る蹴るに加えて、頭蓋骨を粉砕するかのように頭を廊下の地面に叩きつけることなども行っていて、彼はすでに言葉を出せない瀕死の状態になっていた。それを見て我に返り、気持ちの動揺は一切なく、むしろ平穏な気持ちに包まれながら再び教室に戻った。こうして自分の勉強を邪魔する存在がいることを考えると、やはり高校を辞めることが最も賢明に思われた。そもそも自分の学びは制度に閉じ込められるようなものではなく、もっと自由にスケール大きく行うべきものであるという認識から、早々と高校を退学しようと決意した。フローニンゲン:2026/7/28(火)07:12


19061. 今朝方の夢の振り返り


今朝方の夢は、自分の学びが「共同体を導く段階」と「制度を破壊して離脱する段階」の二つに分裂しながら、次の生の形式を探していることを象徴しているのかもしれない。前半の山間の研修施設は、日常世界から切り離された精神的な高地であり、自分が長年培ってきた知識や経験を再編成するための仮設の寺院のような場所と思われる。昨年も一昨年も参加している常連であり、主催者とも親しいという設定は、自分がもはや単なる受講者ではなく、場の文化を支える半ば無意識の案内人へ移行していることを示している可能性がある。自分は前に立って命令するのではなく、空気を整えることで人を導いている。この姿は、知識を所有する教師というより、他者の学びが発芽する温度を調節する庭師に近いのであろう。山の麓へ昼食を取りに下りる動きは、高度な思索から身体的な栄養へ戻る下降運動を表しているのかもしれない。ラーメンは、異なる具材や味が一つの丼の中で溶け合う食べ物であり、自分が研究、教育、音楽、身体感覚、人間関係といった複数の領域を一つの生へ統合しようとしていることの比喩とも考えられる。自分が美味しい店を紹介すると人々が自然に同行する場面は、自分の選択が他者を惹きつける磁場を帯び始めていることを暗示しているのかもしれない。ここでは導くことと楽しむことが対立しておらず、学びは食事のように滋養を与え、共同体は午後の活動へ向けて呼吸を整える一つの身体となっている。それに対して後半の高校は、自分を過去の制度的学習へ引き戻す地下室のような場所であると思われる。しかも高校一年生の一階の教室であることは、学びの原点であると同時に、まだ上階へ進む前の低い位置に再配置されたことを示すのかもしれない。自学自習を邪魔する男子生徒は、現実の人物そのものというより、自分の集中を細かく侵食する古い規範、雑音、幼い対人関係、あるいは内面化された同調圧力を人格化した存在である可能性が高い。自分の怒りが突然凄惨な暴力へ転じたのは、長く抑制されてきた離脱の衝動が、夢の中で火山の噴火のように極端な映像を取ったためかもしれない。とりわけ頭蓋骨を砕くほど頭を地面へ叩きつける行為は、相手の身体を傷つけたい願望というより、自分の学びを妨げる古い思考様式そのものを根元から破砕したい欲求を象徴していると思われる。頭は規則、判断、常識の容器であり、それを廊下で破壊する場面は、教室と教室をつなぐ制度の通路上で、従来の知性の殻を壊す儀式のようにも見える。行為の後に動揺ではなく平穏が訪れるのは、自分の深層ではすでに古い制度からの離脱が完了しており、夢がその決断に追いつくために過激な終止符を打ったからかもしれない。高校を辞めようと決意する結末は、学びそのものの放棄ではなく、学びを囲う柵からの脱出を表しているのであろう。前半では自分が成熟した共同体の中で他者を導き、後半では未成熟な制度の中で妨害される。この対照は、自分が今後どの場所に身を置くべきかを鮮明にしている可能性がある。すなわち、自分は既成の階段を一段ずつ上るより、自ら山道を切り開き、その途中に人々が集える小屋を建てるような学び方へ向かっているのかもしれない。この夢は、破壊衝動を現実の攻撃へ向けるのではなく、古い枠組みを解体し、より自由で大きな知的共同体を創造する力へ変換せよという、深層からの荒々しい招待状なのであろう。フローニンゲン:2026/7/28(火)08:25


Today’s Letter 

The more I notice habitual reification, the more liberated I feel. Becoming aware of unconscious reification is key to emancipation. Groningen, 7/28/2026

 
 
 

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