【フローニンゲンからの便り】19056-19058:2026年7月27日(月)
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タイトル一覧
19056 | 涼しい夏/着実に進む良遍研究 |
19057 | 今朝方の夢 |
19058 | 今朝方の夢の振り返り |
19056. 涼しい夏/着実に進む良遍研究
時刻は午前7時を迎えた。新たな週の始まりを、朝日が祝福している。昨日は断続的に雨が降ったが、晴れ間が開かれている時間帯もあった。昨日は総じて涼しく、今日もまた最高気温が20度までしか上がらないので涼しく感じられるだろう。ただし、明後日と明明後日に関しては真夏日となるようで、気温は30度まで上がる。そこからまた20度前半台の涼しい日々が続くようである。8月間近となっているが、ここまでのところ大変過ごしやすい夏で助かる。フローニンゲンで過ごす最後の夏がこうして穏やかなものであることは、この土地からの最後の贈り物のように感じられる。引越しに向けての準備はもう山場を超えており、あとは直前になって最終的に梱包するものを段ボールに入れるだけである。こうして着々とエディンバラに行く準備が整いながら、同時にこの町で過ごした10年間で得られた堆積した経験を振り返っている。
引っ越しの準備と並行して、この2ヶ月間ぐらい、地道に良遍の思想の註釈研究を進めていた。すでに10本ほどの査読付き論文として寄稿できるぐらいのドラフトが完成している。もちろんまだ註釈部分が未完成なのだが、翻訳部分に関しては完了している。現在は、『真心要決』の翻訳を進めていて、第一巻が今日完成する。そこからは第二巻、第三巻と翻訳を進めていこう。この調子だと、エディンバラに行く前にそれらは完成し、『應理大乗伝通要録』の翻訳まで完成することができたら、入手した良遍の漢文文献の全ての翻訳作業を終えたことになる。これはエディンバラ大学に行ってからの研究のみならず、エディンバラ大学を卒業してからの研究にもつながる大事な準備研究である。毎日無理をせず、しかし着実にコツコツと翻訳作業を進めて来て本当に良かったと思う。全ての翻訳が完成したら、同様に、毎日コツコツと註釈を進めていきたい。こうして気づいたら研究論文が完成していたという状態が生まれてくるだろう。フローニンゲン:2026/7/27(月)07:18
19057. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、実際に通っていた中学校の体育館にいた。そこでは、複数の市の中学校から選抜された選手たちが集まる形でバスケの練習が行われていた。私もその選抜チームに選ばれ、まずは一学年上の先輩たちの練習を見学していた。近所の別の中学校のバスケが頭抜けて上手い先輩がスリーポイントシュートを打つ練習をしていたので、それを2人の友人(YU & HS)と一緒に眺めていた。先輩のシュートはほぼ常に決まり、その上手さに見惚れていると、角度のないところからのシュートが決まると、ボールが不思議と反対側の壁にぶつかり、また先輩の手元に戻って来ていた。それはまるで、寄せては返す海の波のように見えた。自分はその現象を体験したことはなかったのだが、隣に座っていた友人の1人がそれを体験したことがあると述べたので驚いた。彼が「あるよ」と、その体験をしたことを述べたとき、私は思わず、「最近お漏らしをしたことがあるか?と尋ねたんじゃないんだぞ」と揶揄いながら述べた。その返しにもう片方の友人は爆笑していた。そうした冗談を述べていると、自分たちの学年の練習の番となったので、気合を入れて練習を始めることにした。早速紅白戦となり、白熱した試合が展開された。すると驚いたことに、ステージ側とは反対側のゴール裏に広大な観客席が広がっていて、そこに自分たちの学校だけではなく、他校の女子生徒たちがたくさん見学に来ていた。女子たちの視線を浴びながら、紅白戦はさらに盛り上がりを見せたのだが、終盤ではなぜかステージの上の狭いスペースだけを使って試合が行われた。監督の意図としては、狭いスペースでのチームの連動した動き方の確認をしたいのだろうと思った。練習試合が終わって、他校の知り合いの生徒と一緒に片付けを始めていると、彼がクラシックギターの弦の話をし始めた。彼もクラシックギターの演奏をしているらしく、自分がどの弦を使っているのか気になったようだった。彼はオランダ製の弦は存在するのかを私に尋ねてきたが、自分の知る限りはオランダ製の弦は存在しないと思うと伝えた。オランダは総じて高い製造技術を持っているが、オランダでは弦を作っていないだろうと考えていた。フローニンゲン:2026/7/27(月)07:36
19058. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、自分の内側で長く育ててきた複数の能力が、いよいよ一つの競技場へ集められつつあることを示しているのかもしれない。実際に通っていた中学校の体育館は、現在の自分を形成した初期の精神的な訓練場であり、そこに複数の市から選抜された選手が集まる構図は、過去の経験、現在の研究、音楽実践、身体感覚といった異なる領域が、より高い水準で統合されようとしている状態を象徴しているように思われる。一学年上の先輩を見学している場面には、自分が次の段階へ進む直前に、すでにその境地を体現している存在から学ぼうとする姿勢が映っているのだろう。ほとんど外れないスリーポイントシュートは、遠い位置からでも核心へ届く精度の比喩である。角度のない場所から放たれたボールが壁を経て手元へ戻る現象は、熟達した行為が直線的に消費されず、世界を一周して再び行為者を養う循環を示しているのかもしれない。それは夢の中で海の波に見えたように、努力と成果、発信と回収、学習と創造が呼吸のように往復する状態である。自分はまだ未経験だと感じている一方、友人がすでに体験したと語る場面は、自分の身近な部分が実はその可能性を知っていることを示唆しているようにも見える。そこでお漏らしの冗談が挟まるのは興味深い。高度な熟達の神秘が語られた直後に幼児的な失敗のイメージが現れることで、夢は崇高さを過度に神聖化しないよう均衡を取っているのだろう。自分の精神には、深刻さを笑いによって緩める弁が備わっており、それが緊張を抜き、次の実践へ入るための柔軟性を生んでいるのかもしれない。紅白戦は、観察者から実践者への移行を表しているように思われる。広大な観客席と他校の女子生徒の視線は、社会的評価、他者からの承認、あるいは自分の表現が外部へ開かれていく予感を象徴しているのだろう。視線を浴びて試合が盛り上がるのは、他者の期待が自分の力を引き出す一方、自己演出への誘惑も高めることを示しているのかもしれない。しかし終盤、試合の舞台は広いコートから狭いステージへ移る。これは成長の核心が華やかな広がりではなく、制約の中で他者と連動する精密さにあるという示唆であろう。広い世界で目立つ力より、狭い空間で呼吸を合わせる力が問われているのである。最後に片付けの場面でクラシックギターの弦が話題になるのは、競争の夢が音楽的な共鳴へ着地したことを意味しているのかもしれない。バスケットボールの連携と弦の振動は、どちらも張力を適切に保つことで美しい動きや音を生む。オランダ製の弦が存在しないという認識は、10年間を過ごした土地が高度な技術を持ちながらも、自分の次の音色を直接生み出す場所ではないという感覚を映している可能性がある。オランダは自分という楽器を精密に調整した工房であったが、これから張られる弦は別の土地、別の学問、別の生活から選ばれるのだろう。この夢全体は、自分が見学の席を立ち、観客の視線を越え、限られた空間で仲間と連動しながら、新たな音を響かせる段階へ移ろうとしていることを告げる前奏曲なのかもしれない。フローニンゲン:2026/7/27(月)16:26
Today’s Letter
We often reify things and superimpose an essence onto them. This reification and superimposition are fundamental causes of our suffering and obstacles to enlightenment. Groningen, 7/27/2026


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