【フローニンゲンからの便り】19053-19055:2026年7月26日(日)
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タイトル一覧
19053 | リアリティの根源についての中観思想の洞察 |
19054 | 今朝方の夢 |
19055 | 今朝方の夢の振り返り |
19053. リアリティの根源についての中観思想の洞察
昨日改めて、リアリティの根源について、仏教、とりわけ中観仏教がなぜこれほど深い洞察を持つように見えるのかを考えていた。これまで読んできた多くの哲学思想では、世界の根底にあるものを、物質か意識かのどちらかとして説明しようとする傾向が強い。物理主義は物質を、観念論は意識を、二元論はその双方を根本に置く。立場は異なっていても、世界を成立させる究極的な何かがあるという前提は共有されているように思える。中立一元論や過程哲学は、この二者択一を超えようとしている。根源的な実在は物質でも意識でもなく、中立的な何かである、あるいは固定した実体ではなく生成や出来事であると考える。しかし、そこでもなお、中立的実在、経験、過程、関係などが、新たな究極的基礎として置かれることがある。物質や意識を退けても、その空席に別の根本概念を座らせてしまうのである。それに対して中観仏教は、究極的な基礎を何にするかではなく、そもそも世界の背後に自立した基礎を求める思考そのものを問い直す。あらゆる現象は条件によって成立し、それ自体の側に独立した本質を持たない。これが縁起であり、空である。しかし、空もまた、世界の奥にある神秘的な実体ではない。空とは、自性がないという現象のあり方を示す言葉であり、空そのものさえ固定化してはならない。この徹底性に仏教の深さがあるのだと思う。物質が根源ではない、意識が根源ではない、第三の中立的な何かが根源なのでもない。さらに、関係や生成を根源と呼ぶことにも慎重である。縁起とは、宇宙の背後にあって世界を動かす力ではなく、物事がどのように成立しているかを示す表現だからである。また、仏教は世界の構造だけでなく、なぜ自分たちが根源的実体を求めるのかまで分析する。変化する現象の中に、不変の物、自己、本質、究極原因を投影し、それを掴むことで安心しようとする心の働きがある。唯識は、物質か意識かという対立そのものが、主体と対象を分ける認識作用の中で構成されている可能性を示す。中観が存在の自性を解体し、唯識がその存在を捉える心の構造を解明することで、世界と認識の双方が同時に問い直される。もちろん、自然現象の予測や脳機能の説明では、現代科学の方がはるかに精密である。しかし、最後の実体を置かず、認識主体を議論の外に残さず、さらに自らの最終概念まで空じるという点では、中観の洞察は今なお際立っている。哲学が世界の根底には何があるのかと問い続けるのに対し、仏教は、なぜ根底には必ず何かがなければならないと思うのかと問い返す。仏教の深さは、究極の答えを一つ発見したことではなく、答えを実体として所有しようとする心の働きまで見抜いたことにあるのかもしれない。フローニンゲン:2026/7/26(日)07:00
19054. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、今は亡き母方の祖母が住むマンションに向かっていた。夏の暑い夕方にマンションに向かっていたのだが、その翌日は成田空港から海外旅行に行くことになっていて、なぜかワイシャツを着ていた。マンションの近くの交差点を渡っているときにふと足元を見ると、いつも旅行の際に履いているスウェードの靴ではなく、ランニングシューズを履いていることに気づき、旅行中の服装に合わないと思った。なので自宅に引き返して靴を変えてこようと思ったが、自宅まで1時間ぐらいの距離なので、もうこの靴のまま旅行してしまおうと思った。すると、不思議と靴について気にならなくなり、無事にマンションに到着した。エレベーターに乗って祖母が住む階に向かおうとしたところ、2つのエレベーターのうち、左側にはすでに数人の人が乗り込んでいたので、誰も乗っていない右側のエレベーターに乗ることにした。エレベーターに乗った瞬間に、背の高い中年男性が乗り込んできた。その男性はとても気さくで、エレベーターが動き出してすぐに自分に話しかけて来た。雑談を少ししていると、エレベーターの速度が猛烈に速くなり、ふと押しボタンを見ると、このエレベーターは祖母が住む部屋の階まで到達しないことがわかった。4階までしか到達しないはずなのだが、エレベーターはぐんぐんと速度を上げて、4階よりも遥かに高い場所まで辿り着いた。しかし表示は4階となっており、私はそこで降りることにした。ちょうど左側のエレベーターもその階に止まっていたので、中に乗っている人に上に行くかを確認して乗り込んだ。こちらのエレベーターは先ほどのものとは違って、遥かに広く、速度も通常だったので、安心して乗ることができた。途中の階で、小中高時代の3人の女性友達が乗って来て、彼女たちの身長が伸びていることに驚いた。自分と同じぐらいか、自分よりも高くなっている友人もいて、それに驚きながら少し雑談をした。話をしていると、祖母の部屋のある階を通り過ぎていたので、12階で降りることにし、階段を使って7階まで降りていくことにした。そこで初めて気づいたのだが、今そのマンションでは、レオナルド・ダ・ヴィンチの特別展示がなされており、共有スペースのみならず、階段にも作品が展示されていたので、それを眺めながら階段を降りた。11階には広い共有スペースがあり、そこで2人の投資家の男性がある暗号資産の話をしているのが聞こえた。それは自分が長らく所持しているものであり、なんとその暗号資産の価格が一気に高騰したらしかった。すると不思議なことに、自分の脳内にその暗号資産のリアルタイムのチャートが現れ、大きな乱高下をしながらも、1単位あたり300円の価格をつけていて、300倍ぐらいの高騰だったので驚いた。それくらいの価格をつけたのであれば、一部を売却しておこうと思ったが、今すぐにそれはできなかったので、祖母の家に到着して、落ち着いたタイミングでそれを行おうと思った。そのようなことを考えていると、ちょうどその階では、共有スペースで合唱や楽器のコンクールが行われていた。小学生や中学生と思われる国籍様々な子どもがいて、少し彼らの発表を聞いてから移動しようと思った。フローニンゲン:2026/7/26(日)07:18
19055. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、過去の根へ帰ろうとする力と、未知の世界へ旅立とうとする力が、一本の垂直軸の上で交差した夢であるように思われる。亡き祖母のマンションは、単なる懐旧の場所ではなく、自分の生命を背後から支えてきた母系的な記憶の貯蔵庫を象徴しているのかもしれない。翌日に成田空港から海外へ向かうという設定は、現実の移住や研究上の転機を反映しつつ、古い自己から新しい自己への出国審査を意味しているようにも見える。ワイシャツは社会的役割や知的使命への正装であり、ランニングシューズは、洗練よりも移動能力を優先する現在の自分を表しているのではないか。服装に合わないと感じながらも履き替えに戻らなかった場面は、理想的な準備が整うまで出発を延期するのではなく、今ある身体と能力のまま旅を続ける決意の芽生えを示しているように思われる。靴への違和感が消えたのは、外見上の統一よりも、前へ進めることの方が重要だと無意識が判断したためかもしれない。二つのエレベーターは、発達の二種類の経路を示しているようである。右側の高速エレベーターは、孤独で急激な精神的上昇や、直観による飛躍の比喩ではないか。気さくな中年男性は、その危険な加速に同伴する案内人であり、未知の成熟した男性性を表している可能性がある。しかし表示は四階のまま、実際には遥か上まで上昇している。これは、内的成長が外的な尺度では正確に測れず、自分でも現在地を把握できていない状態を示しているのかもしれない。一方、広い左側のエレベーターは、他者と共有される通常速度の成長である。そこで再会した女性友達の身長が伸びていたことは、過去の記憶の中で固定されていた他者が、自分の内面で新たな大きさを獲得したことを意味するように思われる。彼女たちは、自分が長く脇に置いてきた感受性、親密さ、受容性の成長した姿なのかもしれない。祖母の階を通り過ぎたのは、上昇そのものに気を取られ、帰るべき精神的故郷を一時的に見失ったことを暗示しているようである。12階から7階へ階段で降りる場面は重要である。夢は自分に、上へ行くだけでは祖母の部屋へ到達できず、一段ずつ下降する必要があると告げているのではないか。しかも階段にはダ・ヴィンチの作品が並んでいる。下降は失敗ではなく、芸術、科学、身体、発明を統合する創造的巡礼なのである。ダ・ヴィンチは、専門分化を超えて世界を観察した人物であり、仏教研究、意識研究、音楽、身体実践を統合しようとする自分の未来像を映す鏡なのかもしれない。暗号資産の300倍の高騰は、長期間保持してきた可能性や信念が、突然巨大な価値を帯びることへの期待を象徴しているように見える。ただし夢の自分は直ちに売却せず、祖母の家に着いてから判断しようとする。これは、利益や成果を確定する前に、自分の根源的価値観へ帰る必要があるという無意識の慎重さであろう。乱高下するチャートは、価値が数値によって激しく揺れる世界そのものであり、祖母の部屋は、その波に飲まれない内的な港なのである。最後に現れた多国籍の子どもたちの合唱と演奏は、未来の共同体の予告であるように思われる。祖母という祖先の記憶、ダ・ヴィンチという普遍的創造性、暗号資産という未来の価値、子どもたちの音楽という新しい生命が、一つのマンションに同居している。自分は今、過去を捨てて海外へ向かうのではなく、祖先から受け取ったものを携え、異文化の中で新しい響きへ変換しようとしているのかもしれない。この夢のマンションは、人生の各階に時間が展示された巨大な楽器であり、自分はその内部を上下しながら、まだ聞いたことのない自分自身の和音を探しているのではないだろうか。フローニンゲン:2026/7/26(日)08:06
Today’s Letter
Reality, including myself, is like a dream or a mirage. Since realizing this, I have gradually begun to live more fully while letting go of my attachments. Groningen, 7/26/2026


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