【フローニンゲンからの便り】19015-19018:2026年7月16日(木)
- 7月18日
- 読了時間: 9分

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タイトル一覧
19015 | 優しい夏の朝に |
19016 | 今朝方の夢 |
19017 | 今朝方の夢の振り返り |
19018 | 2500冊ほどの学術書を再読し終えて/バスさんとの話から |
19015. 優しい夏の朝に
時刻は午前6時を迎えた。今の気温は17度と涼しく、窓を開けて冷たい空気を部屋の中に取り入れている。先々週ぐらいに真夏日を数日体験したが、それ以降はまた涼しい日々が続いている。今日の最高気温は24度に到達するようだが、来週からは20度前後のさらに涼しく快適な日々となるようだ。エディンバラはフローニンゲンよりもさらに涼しいので、夏は大変過ごしやすいだろう。ここのところは、夏休みのような平穏な雰囲気がフローニンゲンの街を包んでいる。時間はゆっくりと流れ、初夏の日差しは依然として優しい。風も爽やかで何よりである。隣人のエヴァは2人の娘を連れて故郷のチェコに滞在しており、旦那の元考古学者のアーノルトはイタリアに発掘に出かけているとのことである。以前アーノルトから、かつて北アフリカ辺りを発掘調査していたときに、そこで仏像を発掘したらしく、仏教がそうした地域まで伝播していたことを驚いた。
ここ最近は、インドネシア音楽をよく聴いている。ガムランの音楽をしばらく聴いた後、インドネシアのピアノ音楽に耳を傾けている。あるプレイリストには、長調の和音が美しく響く曲が多く、今のオランダの夏の雰囲気に合致している。インドネシアはかつてのオランダの植民地であったことをふと思い出す。また、中学校3年生の時に両親と一緒にインドネシアのバリ島に旅行に出かけ、そこで生のガムランを聴き、ケチャの踊りを鑑賞したことを今でも覚えている。そうした体験は、今の自分の肥やしに間違いなくなっている。ここからもまた良質な体験を積んでいき、それを経験に昇華させていきたい。エディンバラを含めた英国での生活は、きっと豊かな体験をもたらしてくれるだろう。あとはそれを自分がどれだけ味わい、体験を深めていけるかだ。その時にはまた日記の力がカギを握るだろう。日記を真剣に執筆することを継続させていく。自分の言葉で日記を綴り、日記の執筆を通じて感性を磨き、それを即興演奏に活かしたい。内面風景がさらに豊かになっていく体験を積みながら、そうした内面風景を日記と即興演奏で表現していく。自分の内側に秘められた魔神的な力。かつてはそれが暴走しがちであったが、今は平穏な創造的天使が懐胎したかのような感覚がある。取り憑かれていたおどろおどろしいものが落ち、穏やかな自己がいる。それは平静に創造を続けていくだろう。フローニンゲン:2026/7/16(木)06:17
19016. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、京都と奈良が融合した町にいた。そこで小中学校時代の3人ほどの女性友達たちと一緒に観光を楽しんでいた。正倉院に眠る財宝がとても気になり、それを見たいと思ったが、それらは一般には公開されていないようだった。ある特別の期間だけそれが公開されることもあるようで、今の時期は非公開の状態だった。なので一旦それを諦め、その代わりに彼女たちと一緒に美味しい料理やスイーツを食べ歩くことにした。楽しい話に花を咲かせながら、いくつか美味しいものを食べているととても幸せな気持ちになった。そうしていると、気がつくと立派な寺にいた。その寺の大きな部屋には、30体ぐらいの巨大な人形が置いてあった。それらは全て日本の偉人を人形の形にしたものであり、楠木正成など、3人ほどの人形だけが黒く、そして他よりも立派な作りをしていた。それら3体の人形は異彩を放っていた。小中学校時代のある男友達が部屋の奥から外へ出ようとしたところ、部屋の対極線にいた中年男性が突然拳銃の銃口を彼の方に向けて発砲した。幸いにも彼は外に出た瞬間だったので、弾は彼に当たらずに済んだ。すぐさまその男性は近くにいた別の男性に取り押さえられた。私はなぜ友人の彼が命を狙われたのかよくわからなかったが、彼の安否を確認しに彼の後を追った。彼は遠くまで走って移動していたようで、自分も走って彼に追いついた。彼はかすり傷ひとつなく無事であり、彼自身もなぜ狙われたのかわからないようだったが、公にあることを発言したことが、一部の人の癪に触ったのかも知れないと述べた。いずれにせよ、彼が無事で何よりであった。フローニンゲン:2026/7/16(木)06:30
19017. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、自分の内部に蓄積されてきた過去の記憶、文化的遺産、そして現在の生の喜びが、一つの町の中で交差する構造を持っているように思われる。京都と奈良が融合した町は、単なる観光地ではなく、自分の精神史を圧縮した古都のような場所なのではないか。そこには、長い時間をかけて受け継がれた知恵と、まだ言葉になっていない感情が、寺院や宝物の姿を借りて眠っているのかもしれない。正倉院の財宝を見たいにもかかわらず、今は公開されていないという場面は、自分の内面に価値ある何かが存在しながらも、現段階ではまだ直接触れることができない状態を示しているように見える。財宝は、過去から受け継いだ象徴的記憶、幼少期から蓄えられた感受性、あるいは今後の研究や創作の核になる資質を表しているのかもしれない。それが特別な時期にしか開かれないという設定は、内面の真実には季節があり、力ずくで開けるのではなく、成熟の時を待つ必要があることを暗示しているのではないか。心の蔵は金庫というよりも、一定の温度に達した時だけ芽吹く種子のようなものである。そこで自分は、財宝への執着をいったん手放し、古い友人たちと食事やスイーツを楽しんでいる。この転換は重要である。深遠な知識や霊的価値だけを追い求めるのではなく、日常的な喜びや他者との親密な交流こそが、閉ざされた宝庫へ至る迂回路になっている可能性がある。甘味や会話は、精神の乾いた土に水を注ぐ雨のような役割を果たし、自分を現在の生命へと引き戻しているのかもしれない。やがて立派な寺に移動し、巨大な偉人の人形が並ぶ場面は、自分の内面に形成された歴史的理想像や権威の体系を表しているように思われる。三十体ほどの人形は、多数の価値観や先人たちの声が、自分の精神空間に同居していることの象徴かもしれない。中でも黒く、ひときわ立派な三体は、単純な光の英雄ではなく、犠牲、忠義、敗北、死といった影を背負う人物像を示しているのではないか。楠木正成のような存在は、正しさのために孤立する者の元型であり、自分の中にも、周囲の理解を超えて信念を貫こうとする部分があることを映している可能性がある。その直後に起こる銃撃は、言葉を発することの危険性を示す劇的な場面である。小中学校時代の男友達は、自分の素朴で率直な一面、あるいは社会的圧力を恐れず発言する人格部分を代行しているのかもしれない。彼が部屋の外へ出る瞬間に撃たれることは、古い価値体系の内部から新しい空間へ移ろうとする時、抑圧的な力が最後の一撃を放つ構図にも見える。銃弾は肉体を傷つけるものというより、評判、批判、誤解、排斥といった社会的暴力の比喩なのではないか。しかし友人は無傷で逃れ、自分は彼を追って走る。この追走は、自分が危険にさらされた率直さや良心を見捨てず、その安否を確認しようとする働きを示しているように思われる。遠くまで走った末に彼へ追いつくことは、自分の中の勇気が一時的に先へ逃れたとしても、最終的には再び統合できることを暗示しているのかもしれない。この夢全体は、隠された宝を無理に暴くよりも、親しい関係と日々の喜びを通じて心を育て、必要な時には言葉の危険を引き受けながら、自分の内なる誠実さを守ることの大切さを示しているのではないか。フローニンゲン:2026/7/16(木)07:25
19018. 2500冊ほどの学術書を再読し終えて/バスさんとの話から
昨日までの約2ヶ月弱の時間をかけて、毎日少しずつ書籍の断捨離を進めていった。昨日ようやくそれが完了した。合計で2500冊ほどの学術書をざっと再読していき、この2ヶ月弱でそれら全てに目を通したことによって、これまでの探究の歩みを振り返ることができたし、それらの書籍で印を入れていた重要な箇所の知識を再確認できたことは収穫であった。何より、それら2500冊ほどの書籍を手放す意思を持てたことが自分にとっては重要だった。知識を獲得し、叡智に向かおうとすることに明け暮れた15年は、これからの人生の肥やしになるだろう。それを支えてくれた書籍たちをここで手放すことによって、自分の存在はさらに透明なものとなり、ここからまた本当に必要な知識と叡智が育っていくに違いない。必要なスペースに必要な水と養分が自然と流れ込んでくるような予感がある。幸いにもエディンバラに向かうまでに1ヶ月半ほどの時間がある。ここからは、エディンバラに持っていく予定の厳選した150冊の書籍の中で、今再読しておきたいものを優先的に読み返していく。エディンバラでの研究は仏教に焦点を当てるため、今は量子論哲学などの書籍を読み返すのが賢明だろう。また、仏教研究と言えども範囲が広いので、エディンバラで行う唯識以外の華厳教や法華経を中心とした解説書を読み返すことは有益だろう。ここからも関心を深め、関心を広げていくという幅と深さの双方を大切にしたい。
昨日、家のオーナーのペイトラさんのお兄さんのバスさんに、マラルメ、ディラン・トマス、シュルレアリスムの詩集を含め8冊を買い取ってもらった。そのお礼に足立美術館で購入したクリアファイルと、伊勢神宮で購入したしおりを贈呈した。何やら息子さんが今1ヶ月ほど日本に滞在しているとのことだったので、足立美術館と伊勢神宮を息子さんに勧める旨の言葉を残した。バスさんは、大学時代にオランダ文学を専攻しており、詩に関心を持っている。そんなバスさんと自宅の一階でしばらく雑談を楽しんでいた。その中で、オランダでも俳句はよく知られているという話や、自分がいつかライデン大学で教鞭を執りたいという話をした。ライデン大学には日本研究学科があり、バスさん曰く、ライデン図書館には日本の貴重な古文書が保存されているそうで、かつてそれを見て感動したという話をしてくれた。ここから英国を含め、おそらくまだいくつかの拠点で研究生活をしながら、いつかオランダのライデンに戻ってくることができたらと思う。自分が人生を終える地はライデンかもしれない。フローニンゲン:2026/7/16(木)07:53
Today’s Letter
The serenity and peacefulness of the Netherlands have shaped my life over the past ten years. Although I will soon leave the country, everything it has given me will remain a treasure forever. Groningen, 7/16/2026


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