【フローニンゲンからの便り】18672-18676:2026年5月12日(火)
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タイトル一覧
18672 | 広大な自由のための基礎 |
18673 | 今朝方の夢 |
18674 | 今朝方の夢の振り返り |
18675 | 朝のスクワットジャンプ |
18676 | アムステルダムでビザ申請に必要な生体認証を終えて |
18672. 広大な自由のための基礎
時刻は午前5時を迎えた。今日は英国ビザの申請手続きのためにアムステルダムに行く。出発までちょうど3時間ほどあるので、早朝のギター練習に力を入れたい。最近、自分の中で、クラシックギターの練習に対する感覚が少し変わってきている。以前は曲を弾くことそのものに意識が向かいやすかった。しかし今はむしろ、曲以前の「身体の基礎工事」をしている感覚が強い。まるでバスケットボール選手が、試合形式より先に、延々とドリブルやボールハンドリング、レイアップ、フォームシュートを反復するように、自分も右手と左手の運指を徹底的に磨こうとしている。一見すると地味な練習である。同じ動きの反復。単純なアルペジオ。ゆっくりしたスラー。左手の独立運動。右手の接触角度の調整。しかし、その単純さの中に、演奏全体の根が潜んでいるように感じる。大木は枝葉によって立っているのではなく、地下に広がる見えない根によって支えられている。基礎練習とは、その見えない根を育てる作業なのだろう。特に最近感じるのは、自由は反復の果てにしか現れないということである。初心者の段階では、自由とは「好きに弾くこと」だと思いがちである。しかし実際には、身体が十分に訓練されていない状態では、自由に見えているものの多くが単なる偶然や癖に過ぎない。指が思った場所へ行かない以上、本当の意味での自由は存在しない。だからこそ、基礎練習とは拘束ではなく、むしろ未来の自由の準備なのかもしれない。左手の運指を繰り返し鍛えることで、複雑なコード進行に出会っても身体が怯まなくなる。右手の独立性を高めていけば、複数声部を扱う際にも音の交通整理が自然に行えるようになる。そして、おそらく最も面白いのは、即興に対する影響である。即興とは、頭で考えてから動くものではなく、身体そのものが「次の可能性」を感じ取る現象なのだろう。ジャズ奏者が瞬時にフレーズを紡げるのも、長年の基礎訓練によって、指が思考の速度に追いついているからである。逆に言えば、基礎が不足していると、想像力が生まれても身体がそれを実現できない。まるで翼はあるのに筋力が足りず飛べない鳥のようである。最近は、基礎練習そのものが少し瞑想に近づいている感覚もある。単純な反復を続けていると、自分の身体の微細な癖や緊張が浮かび上がってくる。右手のわずかな力み。左手の不要な圧力。焦り。先へ進みたい欲求。そうしたものが、静かな水面に浮かぶ塵のように見えてくる。そして、一つひとつ取り除いていくうちに、音だけではなく、自分自身の感覚まで整理されていく。おそらく、優れた演奏者とは、単に速く指が動く人ではない。何千回もの基礎反復を通して、身体の中に「秩序だった自由」を育てた人なのだろう。今の地味な運指練習も、未来の演奏を形づくる地下水脈なのかもしれない。フローニンゲン:2026/5/12(火)05:21
18673. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、見慣れない広い教室にいた。そこで急遽、エディンバラ大学のある教授からの依頼を受けて、別の女性教授の代わりにプレゼンをすることになった。プレゼン内容はその女性教授の研究についてであり、自分の専門分野と完全に重なるわけではなかったが、扱う内容がトランスヒューマニズムのものだったので、それは一応自分の研究範囲のものではあったために引き受けることにした。依頼をした教授と事前に打ち合わせをした際に、その女性教授が事前に作った資料をもとに簡単にプレゼンの方向性を伝えた。自分としては、込み入った数式に触れることはせず、トランスヒューマニズムとは何で、この研究の背景と意義は何かを丁寧に説明していこうと思った。プレゼンを自分に依頼した教授は最初、自分が数式に触れないことに怪訝な表情を浮かべていた。というのも、確かにその女性教授の研究では数式がカギとなるからである。しかし自分の説明はより聴衆に寄り添うものになっており、自分の事前説明を聞いた教授は感動した表情を浮かべ、その方向性でいこうと励ましてくれた。いざ会場でプレゼンを始めようとすると、中学校時代にお世話になっていた数学の先生が先に説明をしており、先生と同時にプレゼンをすることになった。普通に説明をしていると先生と話が被ってしまい、大変聞きにくくなってしまうと思ったので、うまく先生の発話のリズムを掴み、先生の発話と自分の発話が重ならないようにさせるように意識することにした。それもある種のシンクロ現象であった。ローニンゲン:2026/5/12(火)05:32
18674. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、自分がいよいよ「学ぶ者」から「媒介する者」へと移行しつつあることを象徴しているように思われる。見慣れない広い教室は、これから入っていくエディンバラ大学という新しい知的空間であり、同時に、自分の内面にまだ十分には馴染んでいない広大な学問的舞台でもあるのだろう。そこでは、すでに完成された知識を受け取るだけではなく、他者の研究を引き受け、自分の言葉で聴衆に届ける役割が求められているようである。女性教授の代わりにプレゼンをするという構図は、自分がまだ完全には所有していない知の領域を、一時的に預かることを示しているのかもしれない。それは借り物の衣装を着て舞台に立つようなものである。しかし夢の中の自分は、その衣装をそのまま着るのではなく、自分の身体に合うように仕立て直そうとしている。トランスヒューマニズムという主題は、人間の限界を超えようとする思想であり、この夢では、自分自身がこれまでの専門領域、言語能力、発表能力、学問的自己像を超えていこうとする衝動を映しているようである。数式に触れないという判断は重要である。数式は専門性、厳密性、抽象性、そして学問的権威の象徴であろう。依頼した教授が最初に怪訝な表情を浮かべたのは、自分の中にある「本当に専門的に見えるためには、難解なものを正面から扱わなければならない」という内的な審判者の姿であると考えられる。しかし自分は、数式そのものではなく、研究の背景と意義を聴衆に伝えようとする。これは、知識を塔の上に置くのではなく、橋として架ける姿勢である。プレゼンを依頼した教授が最終的に感動するのは、自分の強みが単なる専門知識の提示ではなく、複雑なものを人間の理解へと翻訳する力にあることを、無意識が承認しているからではないかと思われる。そこに中学校時代の数学の先生が現れることも示唆的である。数学の先生は、自分の知的形成の原点にある「基礎」「論理」「訓練」の象徴であるように見える。エディンバラ大学の教授が未来の学問的権威であるなら、中学校の数学教師は過去の学びの根である。夢の会場では、未来と過去が同時に語り始める。これは、自分の現在の発表が、過去に受けた教育と未来に担う学問的責任のあいだで成立していることを示しているのだろう。ただし、二人が同時に話せば音がぶつかる。ここで自分は相手を押しのけるのではなく、先生の発話のリズムを聴き取り、自分の言葉をその隙間に置こうとする。これは非常に重要である。自分の知性が、独唱ではなく合奏として成熟しつつあることを示しているようである。学問とは、ただ自分の声を響かせることではなく、先行する声、教師の声、伝統の声、他者の研究の声を聴きながら、そのあいだに自分の音を差し込む技法なのだろう。クラシックギターで複数声部を弾くとき、一つの声部を鳴らしながら別の声部を乱さずに進める必要があるように、この夢の自分は知的ポリフォニーを学んでいるのである。シンクロ現象という感覚は、自分が外的な偶然と内的な準備の一致を感じ始めていることを表しているのかもしれない。エディンバラ、トランスヒューマニズム、数学教師、聴衆への配慮という要素はばらばらに見えるが、夢の中では一つの譜面に収まっている。そこでは、自分が「難解な知をわかりやすくする者」として立ち上がる姿が描かれているようである。人生における意味としては、自分はこれから、権威ある知をただ模倣するのではなく、過去の学びと未来の研究を響き合わせ、複雑な思想を人間的に伝える通訳者としての役割を深めていく段階に入っているのだろう。フローニンゲン:2026/5/12(火)06:39
18675. 朝のスクワットジャンプ
ここ最近、朝の習慣としてスクワットジャンプを取り入れている。続けているうちに、これは単なる筋トレではなく、「身体を起動する儀式」に近いのではないかと思い始めている。朝の身体は、まるで冬のエンジンのようである。頭は起きているつもりでも、神経や筋肉はまだ静かな眠りの中にいる。そこへスクワットジャンプを入れると、一気に全身へ火が入る感覚がある。ただ歩くのとは違う。ジャンプという動作は、身体に「瞬時に力を解放せよ」と要求する。そのため、脳から筋肉への神経回路が一斉に目を覚ますような感覚がある。特に面白いのは、ジャンプ後の集中力である。数回飛ぶだけでも、頭の中の霧が晴れる。まるで池の水面に石を投げ込むと波紋が広がるように、停滞していた身体感覚に振動が走るのである。コーヒーによる覚醒が上から照明を当てるような明るさだとすれば、スクワットジャンプは身体の奥から火種を起こすような覚醒に近い。また、ジャンプにはどこか「反重力」の感覚がある。普段、人間の身体は重力に従って地面へ留まり続けている。しかしジャンプとは、その重力へ一瞬だけ逆らう動作である。朝にそれを行うと、「今日も停滞せずに動き出す」という身体的宣言をしているような気持ちになる。さらに興味深いのは、スクワットジャンプが単なる脚力だけではなく、神経系の訓練でもあるという点である。着地の際には、膝、足首、体幹が瞬時に協調しなければならない。つまり身体全体で「秩序だった反発」を生み出しているのである。この感覚は、最近のギター練習とも少し似ている気がする。力任せではなく、必要最小限の力で、全身の協調を生み出していく感覚である。もちろん、やりすぎると膝や腰への負担もあるだろう。だから最近は、高く跳ぶことよりも、「静かに着地すること」を意識している。猫のように軽やかに着地できると、身体全体の連動がうまくいっている感じがする。逆にドスンと音が鳴ると、まだ余計な力みが残っていることに気づかされる。朝の数回のジャンプだけで人生が変わるわけではない。しかし、小さな爆発的動作を毎日繰り返すことは、少しずつ身体に「生きる勢い」を思い出させるのかもしれない。現代人の生活は、椅子と画面によって静止しやすい。だからこそ、自分の脚で地面を押し返し、一瞬でも宙へ浮かび上がる行為には、思っている以上に深い意味があるような気がしている。ローニンゲン:2026/5/12(火)07:27
18676. アムステルダムでビザ申請に必要な生体認証を終えて
時刻は正午を迎えた。今、アムステルダム南駅に到着したフローニンゲン行きの列車の中にいる。今朝は午前4時半に起床し、午前5時に外に出ていつものようにHIITを行い、冷水シャワーを浴び、そこからクラシックギターの練習に集中していた。午前8時過ぎにアムステルダムの英国ビザセンターに向かった。当初の予定では、指紋・顔・パスポートの登録を正午に行う予定だったが、施設に早く到着し、そのまま手続きを行なってもらうことができた。センターのある建物はとても綺麗で、最寄駅からも道はわかりやすく、歩いてすぐだったので助かった。到着後、一連の流れはとてもスムーズであっという間に必要な登録が完了した。担当してくれた女性曰く、ここから15日ほどで正式に英国ビザが発行されるとのことである。すでに必要な情報はオンライン上で申請しており、今回の生体認証が最後のピースだったので、無事に必要な手続きが終わって一安心である。もちろん真に安心できるのはビザが無事に発行されてからだが、あまり心配はいらないだろう。フローニンゲン中央駅からアムステルダム南駅まではちょうど2時間の距離で、往復4時間ある。行きは朝の時間ということもあり、集中力高く執筆作業に取り掛かることができた。現在、知人の鈴木規夫さんと共著を執筆している最中であり、息の間に随分と執筆が捗った。ここから帰りの列車の中でも旺盛に執筆を続けたい。途中で少しばかり仮眠を取る予定だが、そのおかげでまた脳がリフレッシュされて、かなりのところまで本日中に書き進めることができるのではないかと思う。普段はこうして列車に乗って遠くまで出かけるときは、中央駅のカフェでコーヒーを購入するのだが、今日は自宅で挽いた豆のコーヒーを魔法瓶に入れて持ってきた。やはり自分で選び、自分の手で淹れたコーヒーは自分の口に合う。今後もできるだけ自分で淹れたコーヒーを持参する形で外に出かけたいものだ。フローニンゲンに向かう列車の中:2026/5/12(火)12:14
Today’s Letter
Morning sunlight gives me hope and vitality. I bathe in it every morning. That’s why I always feel passionate and energetic. Groningen, 5/12/2026

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