【フローニンゲンからの便り】18524-18529:2026年4月18日(土)
- 1 日前
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タイトル一覧
18524 | 初めての弦交換から |
18525 | 今朝方の夢 |
18526 | 今朝方の夢の振り返り |
18527 | Aquila 19C Alabastro Series Classicalという弦の印象 |
18528 | 様々なメーカーの弦を試すこと |
18529 | クラシックギターの弦の劣化について |
18524. 初めての弦交換から
昨日は、ただ弦を交換しただけの日ではなく、ひとつの小さな通過儀礼を経験した日であった。クラシックギターの最初の本格的な弦交換は、想像していた以上に多くのことを教えてくれた。新しい弦を張れば終わりという単純な作業ではなく、そこには素材、構造、力加減、観察、忍耐、そして楽器との対話があった。もっとも印象的だったのは、最初の6弦が切れてしまったことである。低音弦は太く頑丈そうに見えるため、どこか安心していた。しかし実際には、太いものほど油断を誘い、張力の怖さを忘れさせる。回しすぎだったのか、あるいは角度や巻き方に無理があったのかもしれない。いずれにせよ、力任せに進めればうまくいくわけではないという当然のことを、一本の弦が身体で教えてくれた。失敗は小さな破裂音とともに訪れたが、その音は叱責というより授業開始のベルのようでもあった。今回あらためて理解したのは、クラシックギターにおいて重要なのはヘッド側だけではなく、むしろブリッジ側の結び方であるという点である。糸巻きばかりに意識が向きがちだが、実際にはブリッジでいかに美しく、確実に、無理なく固定するかがチューニング安定の土台になる。表から見えにくい場所こそ全体を支えているという事実は、どこか人生にも似ている。人前で語られる成果より、目立たぬ基礎動作のほうが全体を決めることが多い。また、張りたての弦がすぐに音を下げる現象にも意味があった。最初は不安定で、何度合わせてもまたずれる。しかしそれは失敗ではなく、弦が楽器に馴染んでいく自然な過程であった。演奏し、少し下がり、また合わせ、再び弾く。その反復の中で、弦も木も少しずつ関係を結び直していく。完成は一瞬ではなく、往復運動の中で生まれる。これもまた学びであった。思えば、自分自身の成長も同じである。新しい環境へ進むとき、人は一度で調律されるわけではない。エディンバラへの移動も、研究者としての次の段階も、きっと何度も張り直し、何度も音程を確かめる過程になるのだろう。ずれたから駄目なのではない。ずれを聴き取り、微調整し続ける者が成熟していくのである。一本の6弦が切れたことは、表面的には失敗である。しかしその失敗がなければ、張力への敬意も、構造への理解も、慎重さの価値も学べなかった。昨日の弦交換は、ギターの整備であると同時に、自分の姿勢を整える時間でもあった。音楽とは、弾く前からすでに始まっているのだと感じた。フローニンゲン:2026/4/18(土)06:48
18525. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、進学塾で勤めていた時のある教え子と塾の教室で話をしていた。彼には兄がいて、兄もまた自分の教え子だった。兄は医学部に進むことを志望しており、合格に向けてすでに何浪かしており、精神が随分と弱っているようだった。残念なことに彼は引きこもりになってしまっているとのことで、弟の彼は兄に以前のように戻って欲しいと願っていると述べた。一か八かで弟の彼は兄をあるアイドルグループの握手会に誘った。すると兄は意外にもその話に乗ってきて、一緒に握手会に出かけたそうである。ずっと引きこもっていて外出を全くしていなかった彼は外に出ることによって、元気を少し取り戻したようだった。そこからは徐々に回復の兆しを見せ始め、弟の彼は兄に今度はゴルフを一緒にやってみようと勧めた。それもまた兄は話に乗ってきて、自然豊かな場所で一緒にゴルフを楽しむことを通じて、兄はほぼ完全に以前の元気な状態に戻ったそうであった。その話を聞けて私は本当に嬉しく思った。すると気づけば私は前職時代のオフィスのトイレにいた。偶然にもその兄も部門は違えど同じ会社に勤めていて、トイレで鉢合わせとなった。久しぶりの再会にお互いに喜び、彼に近況を伺った。何やら彼はその後、医学の道に進むことをやめて税理士資格を取得したとのことだった。彼が立派に活躍しているのを見て私は嬉しく思った。ふと彼の手元を見ると、先ほどまで食べていた弁当のゴミがあったので、彼からそれを回収し、自分の手元にあったゴミと一緒に捨てることにした。オフィスに戻ると、午後からは特に仕事がなく退屈だなと思っていたが、積極的にメンバーの仕事を手伝おうと思い、ある女性の上司に声をかけて手伝えることがないかと尋ねた。しかしどうやらその日は特に自分が手伝えることはないようだったので、一人静かに自分の勉強を進めておこうと思った。同時に、自分はもうこの会社を辞める決断をしていることをふと思い出し、今日が最初の出社日にしようとも考えていた。フローニンゲン:2026/4/18(土)07:06
18526. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢では、自分がまず「教える者」として過去の教室に立っていること自体が、自分の内側に今なお他者の可能性を信じ、回復を見守ろうとする部分が生きていることを示しているのかもしれない。しかも登場するのが兄弟である点は、自分の中にある二つの生の方向、すなわち高い理想を背負って傷ついた部分と、その傷をなんとか現実へ連れ戻そうとする部分との対話を象徴しているように見える。医学部志望の兄は、達成、責任、社会的成功といった「高くあらねばならない自己」の化身であり、それが浪人と消耗のなかで引きこもっているというのは、自分の中でも理想が強すぎると生命力そのものが部屋の奥へ閉じこもってしまうことを映しているのかもしれない。そこに弟が差し出したのが、勉強でも説教でもなく、アイドルの握手会や自然の中でのゴルフであった点はきわめて象徴的である。自分に必要なのは、正しさの追加ではなく、ぬくもり、身体感覚、遊び、他者との接触、そして外気に触れることなのかもしれない。握手会は文字通り「手をつなぎ直す」儀式であり、世界との接点を失った心が、まずは軽やかな情動によって社会へ復帰する入口を見つけたことを示しているようである。ゴルフはさらに、自然の広がりの中で一点を狙いながらも力みすぎない運動であり、傷ついた理想をよりしなやかな集中へ組み替える過程を表しているのかもしれない。その後の再会の場がオフィスのトイレであることも重要である。トイレは浄化と排出の場所であり、そこで兄と再会するのは、かつての重圧に縛られた自己像が、不要な執着を流した後の姿として現れたことを意味しているのかもしれない。しかも彼は医学をやめ、税理士資格を得て活躍している。これは、夢の中の自分が「一度抱いた理想を捨てることは敗北ではなく、より自分に合った秩序へ移ることでもある」と理解し始めている徴候のようである。医師から税理士への転換は、救済の形が華やかな使命から静かな整序へ移ることの象徴でもあり、自分自身もまた人生の舵を切り直すことにどこか許可を与えようとしているのかもしれない。さらに自分が彼の弁当のゴミを回収し、自分のゴミと一緒に捨てる場面は、他者の痛みや過去を受け取りつつ、自分自身の不要物とともに処理する働きを表しているようである。自分は他者を助けたいだけでなく、その行為を通じて自分の中の古い役割や疲労も片づけようとしているのかもしれない。午後の仕事の手伝いを申し出ながら、結局は自分の勉強へ戻る展開も、自分の役目が「組織に尽くし続けること」から「自分の学びと次の道を育てること」へ移行していることを告げているようである。そして会社を辞める決断をしているのに、それでも「今日が最初の出社日」であるかのように感じる逆説は、終わりがそのまま始まりでもあるという無意識の宣言なのかもしれない。この夢が人生において示している意味は、自分の歩みは一直線の成功物語ではなく、傷ついた理想を遊びと関係性と学びによって再編集し、より本来的な道へ移るための回復の物語である、ということなのかもしれない。フローニンゲン:2026/4/18(土)07:46
18527. Aquila 19C Alabastro Series Classicalという弦の印象
今回張った“Aquila 19C Alabastro Series Classical”という弦は、弦交換という作業が単なる消耗品の取り替えではなく、楽器との関係を再調整する行為であることを改めて教えてくれた。張り終えて最初に感じたのは、以前の完全なナイロン弦よりもどこか音量が控えめに思える感覚であった。しかしそれは単純に「鳴らない」という話ではなく、音の出方そのものが変わったのだろうと思う。Aquilaはイタリアの弦メーカーとして知られ、とりわけ伝統楽器やガット弦の質感を現代素材で再現する発想に強みがある。Alabastro Seriesも、一般的な量感重視の派手な音というより、自然で有機的な響き、透明感、そして歌うような中音域を重視した設計なのかもしれない。名前のAlabastroは雪花石膏や大理石を思わせ、たしかに硬質に突き抜けるというより、白く滑らかで上品な音色という印象がある。やわらかめのテンションであることも、自分の感覚と一致している。左手には優しく、押弦時の抵抗が少ない。長く弾いても身体への負担が軽く、音楽に集中しやすい。一方で、右手が以前と同じ感覚で強く当たると、弦の振幅ばかり大きくなり、思ったほど前へ飛ばない瞬間もある。ここで求められるのは力ではなく方向なのだと感じた。指でただ弾くのではなく、弦のエネルギーを表板へ流し込むように触れると、音がふっと立ち上がり、あとから柔らかく花開く。以前話題にした「どこへ音を送るか」が、まさに試されているようである。新品ゆえに、まだ本来の声ではない可能性も高い。ナイロン系の弦は張った直後、音程も落ち着かず、響きもやや散漫になりやすい。数日かけて伸びが収まり、素材が安定すると、芯と艶が少しずつ現れてくることが多いらしい。今感じている小ささも、未成熟な第一印象に過ぎないのかもしれない。それにしても興味深いのは、音量が少し控えめに感じられることで、逆に一音一音をよく聴こうとする姿勢が生まれることである。大きな声の弦は演奏者を押してくれるが、静かな弦は演奏者の耳を育てる。こちらが雑に扱えば曇り、丁寧に触れれば応えてくる。その意味で、この弦は技巧より対話を求める弦なのだろう。派手さより品位、力強さより繊細さ、即効性より熟成。今回の弦交換は、自分の演奏もまたそうあるべきではないかと静かに問いかけているように思えた。フローニンゲン:2026/4/18(土)08:16
18528. 様々なメーカーの弦を試すこと
昨日の弦交換では、新品の6弦が途中で切れるという小さな事件が起きた。あの瞬間は焦りもあったが、今朝になると不思議と前向きな気持ちになっている。午前中に街の中心部のギターショップへ行き、まずは不足した低音弦を1本購入しようと思う。同時に、せっかく店へ足を運ぶのだから、次回用に別種類の弦を眺めてみるのも良い時間になりそうである。初心者の時期ほど、弦に対して固定観念を持たないことは大切なのかもしれない。まだ自分の耳も指も成長途中であり、「この弦が正解」と早く決めすぎると、楽器との対話の幅を狭めてしまう。ある弦では音量が学べ、別の弦では音色の差異が学べ、また別の弦では左手の負担や右手の角度について学べる。弦は消耗品であると同時に、教材でもあるのだと思う。もし次に試すなら、まず定番としてD'AddarioのPro-Arte系は非常に堅実かもしれない。癖が少なく、音のバランスも良いため、自分の技術そのものを確認しやすい。何か問題が起きた時、それが弦由来なのか演奏由来なのか見えやすい安心感がある。少し明るく反応の良い音を求めるならSavarezも魅力的である。特に高音弦の輪郭が明瞭で、フレーズが立ちやすいとのことだ。音が前に出やすいため、人前で弾く機会にも向いているように思う。柔らかさや歌うような自然さを重視するなら、今回のAquila 19C Alabastro Series Classicalの方向性をさらに掘るのも面白い。自分の耳を澄ませ、繊細なタッチを育てたい時には良い先生になってくれるだろう。温かく落ち着いた伝統的な音色ならAugustineも試す価値がある。どこかクラシックギターらしい丸みがあり、長く弾いても疲れにくい音である。結局のところ、弦選びは正解探しではなく、自分の現在地を知る旅なのだろう。今日は1本の低音弦を買いに行くつもりが、もしかすると未来の音との出会いに出かけるのかもしれない。切れてしまった1本の弦さえ、新しい学びへの入口であったと思えば、昨日の失敗も十分に価値ある出来事である。フローニンゲン:2026/4/18(土)09:38
18529. クラシックギターの弦の劣化について
クラシックギターの弦は、一見すると静かに張られているだけの細い素材に見えるが、実際には常に張力、摩擦、汗、湿度、酸化、振動疲労という複数の力に晒され続けている。そのため弦の劣化とは、単に古くなることではなく、音を生み出す精密な振動体としての秩序が少しずつ崩れていく過程である。ナイロンあるいはカーボン系の高音弦は、まず表面の摩耗が起こる。左手で押弦し、右手の爪や指で何度も弾かれることで、表面に微細な傷や凹凸が生じる。すると弦全体が均一に振動しにくくなり、倍音の整った伸びが失われていく。また、張力を受け続けることで素材内部に疲労が蓄積し、弾性が低下する。新品の弦がしなやかな弓のように反応するのに対し、古い弦は疲れた枝のように反応が鈍くなるのである。低音弦では、より複雑な劣化が起こる。クラシックギターの4・5・6弦は芯線の周囲に金属の巻線が巻かれているため、汗や空気中の水分、皮脂によって金属表面が酸化しやすい。そこに汚れが入り込み、巻線の隙間へ蓄積する。さらにフレットとの接触で巻線が少しずつ潰れたり緩んだりすると、弦の質量分布が不均一になり、振動の純度が落ちる。見た目には大きな変化がなくても、内部では音響的な精度が崩れていることが多い。その結果、劣化した弦の音にはいくつかの特徴が現れる。まず高音域の輝きが減る。新品の弦が朝の光のように輪郭を持って立ち上がるのに対し、古い弦は薄曇りの窓越しの光のように霞みやすい。アタック音も鈍くなり、弾いた瞬間の「芯」が出にくくなる。とくに旋律線では、音が前に飛ばず、指先の意図より半歩遅れて出てくるような感覚になることがある。低音弦では、さらに顕著に「こもり」が生じる。必要な倍音が減り、基音ばかりが重たく残るため、響きが団子状になる。和音を鳴らしても各声部が分離せず、バッハの内声やアルペジオの流れが濁って聞こえやすい。またサステインも不安定になり、ある音はすぐ消え、別の音だけ不自然に残ることもある。これは演奏者にとって、床が微妙に傾いた部屋で歩くような不快さをもたらす。加えて、音程感にも影響する。劣化した弦はフレットごとの張力変化に素直に応じにくく、押弦時のピッチが不安定になりやすい。チューナー上は合っていても、和音にした瞬間にわずかな濁りを感じるのはこのためである。ただし、劣化した弦にも一時的な魅力はある。新品直後の鋭さが落ち着き、角が取れた柔らかな音になる時期がある。しかしその先まで使い続けると、熟成ではなく衰弱へ向かう。音楽的な温かさと、生命力を失った鈍さは別物である。したがって弦交換とは消耗品の更新ではなく、楽器の呼吸を整える行為である。最近音が前へ出ない、練習しても色彩が乏しい、低音が濁ると感じたなら、技術の問題だけでなく弦の寿命を疑う価値がある。時に演奏者が失ったと思った表現力は、指ではなく弦の中に置き去りになっているのである。フローニンゲン:2026/4/18(土)09:54
Today’s Letter
I sincerely love Groningen, my second hometown. However, it is time for me to leave. My soul has begun to yearn for an exodus. Groningen, 4/18/2026

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