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【フローニンゲンからの便り】18186-18188:2026年2月10日(火)

  • 13 時間前
  • 読了時間: 8分


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タイトル一覧

18186

ポール・ヴィリリオの速度学を通じた発達倫理

18187

今朝方の夢

18188

今朝方の夢の振り返り

18186. ポール・ヴィリリオの速度学を通じた発達倫理 

                                   

ポール・ヴィリリオの思想、とりわけ「速度(dromology)」と「事故(accident)」の概念は、人間発達に関する実践を倫理的に再点検するための、きわめて鋭利な視座を提供する。まず、ポール・ヴィリリオの中心的な主張は、近代以降の文明は「空間」ではなく「速度」によって組織されてきたという点にある。技術革新とは、何か新しいものを生み出すこと以前に、「到達までの時間を短縮すること」であり、速度の増大こそが権力・支配・効率の本質である。ここでヴィリリオが強調するのは、速度が増せば増すほど、人間の知覚・判断・倫理が追いつかなくなるという逆説である。彼にとって技術の進歩は常に「事故」を内包する。飛行機を発明することは、同時に飛行機事故を発明することであり、通信を高速化することは、誤情報やパニックの瞬時拡散を発明することでもある。この洞察を人間発達の実践に重ねると、重要な警告が浮かび上がる。現代の発達支援は、「どれだけ早く」「どれだけ高次へ」という速度の論理に、知らず知らずのうちに絡め取られている。成人発達理論、リーダーシップ開発、自己成長プログラムは、本来は意味生成や関係性の再編を扱うにもかかわらず、「短期間での変容」「加速された成熟」「ブレイクスルー」といった語彙で語られがちである。ヴィリリオの視点から見れば、これは発達を「速度化」することであり、同時に発達の「事故」を発明していることになる。ここでいう発達の事故とは、単なる失敗や停滞ではない。より深刻なのは、発達が「起きたように見える」状態である。すなわち、抽象語彙やメタ認知的言語を高速で習得し、それを流暢に語れるようになる一方で、具体的な判断、情動調整、関係的応答が追いつかないという乖離である。ヴィリリオ的に言えば、認知の「リアルタイム化」が進みすぎ、身体・感情・関係という層が置き去りにされる。このとき人は、発達しているのではなく、「発達しているように同期させられている」にすぎない。人間発達の実践における第一の注意点は、速度そのものを価値中立な変数として扱わないことである。速さは常に権力と結びつき、比較と序列を生む。ヴィリリオが指摘したように、速度は勝者と敗者を一瞬で分け、遅れた者を「見えなく」する。発達支援において速度を称揚すると、「ついてこられない人」は未熟なのではなく、単に異なる時間リズムを生きているだけであるにもかかわらず、周縁化される。倫理的実践とは、発達のリズムが複数存在することを前提に設計することである。第二の注意点は、発達を可視化・即時化しすぎないことである。ヴィリリオは、リアルタイム映像や即時通信が、出来事の「熟成」や「反芻」を不可能にすると批判した。発達においても同様で、測定結果やフィードバックを即座に提示し、すぐに意味づけてしまうと、本人が混乱や違和感を抱えたまま滞在する時間が奪われる。意味生成には遅延が必要であり、その遅延こそが統合を可能にする。発達支援者は「すぐに言語化しない勇気」「すぐに結論を出さない設計」を持つ必要がある。第三に重要なのは、事故を前提に設計するという倫理である。ヴィリリオは、事故は例外ではなく、システムに内在する必然だと考えた。同様に、発達支援においても、混乱、退行、抵抗、誤解は避けるべき失敗ではなく、構造的に起こりうる「発達の事故」である。倫理的な実践とは、それを個人の弱さとして処理するのではなく、起こりうるものとして支援設計に組み込むことである。加速された介入ほど事故は大きくなるという前提に立てば、「ゆっくり進めること」は安全対策でもある。最後に、ヴィリリオの思想は、人間発達を「進歩の物語」から解放する。彼にとって近代の最大の幻想は、「速くなれば良くなる」という信念であった。発達実践においても同様である。高次段階、成熟、統合といった言葉が、速度の物語と結びついた瞬間に、発達は人間を支えるものから、人間を追い立てるものへと変質する。発達の倫理とは、成長を止めることではなく、成長を人間の時間に引き戻すことである。要するに、ヴィリリオと人間発達を結びつける最大の教訓は明確である。発達を速める技術を導入するたびに、どのような発達の事故を同時に発明しているのかを問い続けよ、ということである。その問いを手放さないことこそが、現代における人間発達実践の最も重要な倫理的注意点だと言えるだろう。フローニンゲン:2026/2/10(火)06:35


18187. 今朝方の夢

    

今朝方は夢の中で、小説を執筆していた。その小説の中では、二人の同じ世代の男女がパラレルワールドを生きており、最後に一つの世界で出会うという物語が展開されていた。私はそれを執筆している人間でありながらも、小説の世界の中にまるでいるかのような感覚を常に持っていて、臨場感高く二人の動向を眺めていた。最後に二人が一つの世界で出会う瞬間は大きな感動が押し寄せ、二人は一つになってどこか別の世界に消えていった。

もう一つ覚えているのは、小中高時代のある友人(SS)と一緒に部屋でRPGゲームを楽しんでいた場面である。そこは彼の家のリビングのようでもあったし、母方の祖母のリビングでもあるかのようでもあった。いずれにせよ、彼と知恵を出し合って物語を進めていると、後ろのテーブルに彼の父親と妹が座ってゲームの様子を眺めていた。二人は特に口出しをすることはなく、静かに様子を眺めていた。ゲームをしながらふと左の方を眺めると、彼にあげた三冊の和書の専門書が目に留まった。それは唯識関係の書籍であり、貴重な書籍でもあった。自分はすでにそれらを何度も読み込んで、それらが必要ないと判断したために彼にあげたのだが、改めてそれらの書籍を手元に持って来てパラパラと眺めてみると、今の自分にとってもまだまだたくさんの学びがあるようだった。彼にそれらの書籍を返してくれとは言えず、貸して欲しいとなら言ってもいいように思えたので、後からお願いしようと思った。


そう言えば、これらの夢以外にも、クラシックギターの練習を一人で行なっている場面があったのを思い出した。そこでは突然指が自由自在に動くようになる自分がいることに驚いた。もちろんまだその度合い精度を高めていくことはできると思われたが、昨日とはまるっきり違う指の動きになっていることに驚き、感動した。人間発達というのはこうしたことが起こるからとても面白い。そのようなことを改めて思った。フローニンゲン:2026/2/10(火)06:52


18188. 今朝方の夢の振り返り 

       

今朝方の夢全体は、自分の人生が「複数の世界線を統合しつつある過程」にあることを象徴しているように思われる。小説を書いている自分は、物語の創造者であると同時に、その世界の内部に入り込み、登場人物の運命を臨場感高く体験していたのであるから、ここには「観察者」と「参加者」の二重性が示されているのではないかと推測される。二人の男女がパラレルワールドを生き、最後に一つの世界で出会い、さらにどこか別の世界へと消えていくという展開は、自分の内面に存在する複数の側面――理知と情動、研究者としての自分と創作者としての自分、過去と未来――が、いま統合へ向かっている過程を象徴している可能性がある。出会いの瞬間に押し寄せた感動は、統合が単なる論理的整合ではなく、存在全体を震わせる出来事であることを示唆しているように思われる。友人SSとRPGを楽しむ場面は、人生そのものを共同的な「物語構築」として捉えている心の働きを映しているのかもしれない。彼の家と祖母の家が重なっている空間は、過去の記憶と現在の関係性が溶け合っている象徴であり、時間が線形ではなく層状に存在している感覚を示しているようである。後方で静かに見守る父親と妹の姿は、評価や干渉をせずに見守る「目撃者」の原型を表している可能性がある。これは唯識的に言えば、末那識が執着する主体性とは異なる、より静かな観照の位相を暗示しているのかもしれない。三冊の唯識の専門書が目に留まり、かつては不要と判断したはずの書物に再び学びの可能性を感じる場面は、自分の成長が直線的ではなく、螺旋的であることを示唆しているようである。すでに読み尽くしたと思った教えが、成熟した現在の自分にとって新たな深みを持ち始めているという感覚は、理解が単なる情報の蓄積ではなく、存在の変容に依存していることを象徴しているのではないか。返してほしいとは言えず、貸してほしいなら言えるという逡巡は、過去の自分の決断を否定せずに、それを再統合しようとする姿勢を示しているように思われる。クラシックギターの場面で、突然指が自由に動き出す驚きは、ダイナミックスキル理論でいうところの相転移的飛躍を思わせる。昨日まで届かなかった指が届くようになる瞬間は、量的練習の背後で進行していた質的再編成が、ある閾値を超えて顕在化した徴候であろう。発達とは、連続の中に不連続が潜んでいる現象であり、この夢はその歓びを身体レベルで再確認しているのかもしれない。総じてこの夢は、分岐していた世界が統合へ向かい、手放したものが再び回帰し、鍛錬がある日突然形を取るという「統合と回帰と飛躍」の三重構造を示しているように思われる。人生における意味は、おそらく、ばらばらに見えていた経験や学びや才能が、ある時点で一つの物語へと編み直され、その物語がさらに新たな世界へと自分を導いていくという確信を深めることにあるのではないかと考えられる。フローニンゲン:2026/2/10(火)09:27

 
 
 
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