【フローニンゲンからの便り】18089-18094:2026年1月24日(土)
- yoheikatowwp
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タイトル一覧
18089 | pやaの指を使ったクロマティックスケール練習 |
18090 | 今朝方の夢 |
18091 | 今朝方の夢の振り返り |
18092 | ライフワークとしての仏教研究 |
18093 | 観照の場としてのクラシックギターの演奏 |
18094 | ロンドン大学SOASから合格通知を受けて |
18089. pやaの指を使ったクロマティックスケール練習
時刻は午前5時半を迎えようとしている。積もりに積もった大雪は、一度気温が上がって全て溶けたが、ここ何日間かはまた氷点下の日が続いている。今の気温はマイナス3度で、今日の最高気温はマイナス1度までしか上がらない。今年の冬は例年に比べて厳しい。厳しい冬の先に待っている生命力に溢れる春を楽しみにしている。
クロマティックスケールの練習において、左手の指の独立性や均等性に意識を向けることは一般的であるが、同時に右手の運指をiとmのみならず、pやaにまで拡張することは、技術的成熟の観点から極めて重要なのではないかと思う。第一に、右手全体の機能的均衡が促進されるだろう。多くの奏者は旋律処理をi–mに依存しがちであるが、pやaを意図的に組み込むことで、母指の独立性およびa指の安定性が飛躍的に向上するのではないかと思う。とりわけa指は解剖学的に独立性が低く、薬指との連動が強いため、日常的に使用しなければ神経系の分化が進まない。クロマティックという機械的反復構造の中でaを参加させることは、神経回路の再配線を促す訓練となる。第二に、音色のコントロール能力が拡張されるだろう。pは弦に対する接触角度と質量が他指と異なるため、音の重心が変化する。一方、aは弦を浅く捉えやすく、繊細で明るい音色を作りやすい。クロマティックをp–i–m–aあるいはp–a–m–iといった配列で練習すると、各指の音色差を均質化する能力が養われるだけでなく、意図的に差異を設計する感覚も育つ。結果として、旋律と伴奏を同一運動体系の中で分離統御する能力が高まることが期待される。第三に、リズム安定性とポリフォニー処理能力が向上するのではないかと思う。母指を拍の基盤に置きつつ、他指でクロマティックを展開する練習は、低音の持続と上声部の流動を同時に制御する能力を鍛える。これは実際のレパートリー、特にバロック作品やロマン派作品において不可欠である。単純なスケール練習が、構造的多声処理の準備訓練へと変化するのである。第四に、疲労分散と持久力の向上が挙げられる。i–mのみで長時間練習すると特定筋群に負荷が集中するが、pやaを分散的に用いることで筋活動の偏りが減少する。これは長時間演奏時のパフォーマンス安定性にも寄与する。最後に重要なのは、心理的効果である。使用頻度の低い指をあえて投入することは、快適領域からの意図的離脱を意味する。この過程は、運動制御の精度を高めるだけでなく、演奏における選択肢の幅を拡張する。結果として、どの指でも同質の音価を生み出せるという身体的確信が形成されることが期待される。したがって、クロマティックスケールを右手全指で運用することは、単なるバリエーションではなく、音色設計、独立性、持久力、ポリフォニー処理能力を統合的に高める高度な基礎訓練であると言えるだろう。基礎練習を「指の配列訓練」から「右手機能の総合開発」へと昇格させる鍵が、pとaの積極的導入にある。早速今日から試してみよう。フローニンゲン:2026/1/24(土)05:29
18090. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、実際に通っていた中学校のグラウンドにいた。より厳密には、テニスコートに近いサッカーゴールの前にいて、そこで小中高時代のある親友(NK)と一緒にリフティングの練習をしていた。一つのボールを交互にリフティングをして相手に渡すということに興じていると、彼の方が技能が高いことを感じ始め、少しコツを教えてもらうことにした。どちらもボールコントロールには秀でていたが、実際にリフティングをしてみると、感覚的に微細な差異を感じるものである。その差異を埋め、さらにボールコントロールに磨きをかける上で、彼から技術的な感覚を教えてもらうことは有意義であった。近くにやって来た数人の男女の友人たちは、おそらく私たち二人の技術的な差異についてはわかっていなかったのではないかと思う。リフティングの練習を終えて教室に戻ろうとすると、ある女性友達(EN)が話があるとのことで、周りに人がいないところで話すことにした。場所としては体育館の裏がちょうど日が当たって気持ち良さそうに思えたので、そこにいって話を聞くことにした。いざその場所で彼女の話を聞こうとすると場面が変わった。
そこからも少しばかり夢が展開していたが、その夢については記憶になく、最後に現れた場面だけを覚えている。それは、今大活躍している一流のメジャーリーガーを輩出したあるプロ野球チームの練習に関する場面である。そのチームの練習は最先端の技術を取り入れるだけではなく、かなり地味な分析も行なっており、それが逆に緻密で驚かされた。バッティングに関して言えば、ヒットやホームランが出た背景にある理由を多角的に実に細かく分析しており、今メジャーリーグで活躍するある選手もその分析をもとに練習したことによってあれだけの活躍を見せているのだと思った。分析官は何人も存在しており、それぞれが異なる専門性を持っていて、それぞれの専門性を持ち寄る形で包括的な分析が実現されていた。一流のバッターは、それらの多角的な分析の結果を最大限活かしながら、同時に分析を超えて、感性を磨くということを怠っていないようだった。その点に感銘を受けながら練習風景を観察していた。フローニンゲン:2026/1/24(土)05:38
18091. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、自分の成長過程における「技能の精緻化」と「自己超克」の運動を象徴している可能性が高いであろう。中学校のグラウンドという舞台は、人格形成の原点、すなわち基礎が築かれた場所への回帰を示しているように思われる。しかもサッカーゴール前、テニスコート近辺という曖昧な境界領域に立っている点は、自分が複数の領域を横断しながら能力を磨いてきたこと、あるいは今まさに領域横断的な統合を志向していることの暗示かもしれない。親友NKとのリフティングは、競争というよりも共創の構図を帯びているようである。一つのボールを交互に扱うという形式は、技能が孤立的に成立するのではなく、他者との往還の中で洗練されることを示唆している可能性がある。表面的には両者ともに高い技能を持ちながら、実際にプレイしてみると微細な差異が立ち現れるという感覚は、自分がすでに高水準に到達している領域においても、なお感覚的な精度の差が存在することへの気づきを象徴しているのかもしれない。そしてその差異を埋めるために素直に教えを請う姿勢は、自己完結ではなく、常に上位の洗練を志向する態度を表しているようである。周囲の友人たちがその差異に気づいていないかもしれないという感覚は、熟達の世界が外部からは見えにくいことを示しているのではないか。高度な領域における差は、しばしばミリ単位、秒単位、感覚単位であり、大衆的評価の視野には入らない。その中で自分は、他者に理解されるか否かとは無関係に、より精妙な世界を志向している姿勢を持っているのかもしれない。女性友達ENとの対話場面は、技能の世界から内面的対話への移行を象徴している可能性がある。体育館の裏、日当たりの良い場所という設定は、表舞台から一歩退いたところで、自分の内的動機や感情と向き合う必要性を示唆しているようにも思われる。しかしその場面が展開せずに切り替わる点は、内面の問いがまだ明確な言語化に至っていないことを暗示しているのかもしれない。そして最後に現れるプロ野球チームの緻密な分析風景は、前半のリフティングと強く呼応しているようである。才能や感性だけでなく、地味で多角的な分析を徹底する姿勢、複数の専門家がそれぞれの知を持ち寄る構造は、熟達が偶然ではなく体系的努力の積み重ねによって形成されることを象徴している可能性が高い。一流の打者が分析を最大限活かしつつ、それを超えて感性を磨くという姿は、理性と直観の統合というテーマを浮かび上がらせているようである。この夢全体は、自分がこれから進むべき道が「感覚の精緻化」と「分析の徹底」、そして「他者との協働」によって形作られるべきであることを示しているのかもしれない。原点に立ち返りつつ、微差を恐れず、地道な積み重ねを怠らない姿勢こそが、人生における真の飛躍を可能にするという含意を持っている可能性があるであろう。フローニンゲン:2026/1/24(土)07:05
18092. ライフワークとしての仏教研究
仏教研究という学問領域は、単なる文献解釈や歴史的事実の整理にとどまらず、認識論・存在論・倫理・実践論にまで及ぶ総合的思索を含む。そのため、研究者自身の精神的成熟が一定程度求められる分野であると言えるだろう。とりわけ唯識や中観のような高度に抽象的かつ実践的含意を持つ思想体系を扱う場合、理論的理解と内面的統合の双方が研究の質に影響を与える可能性が高い。この意味で、仏教研究は年齢を重ねることで深化し得る分野であり、若さの瞬発力よりも熟成された思索が価値を持つ領域であると考えられる。この特徴は、欧米大学における終身在職権(tenure)制度との親和性を持つ。欧米、とりわけ英国や米国の研究大学では、一定期間の業績審査を経て終身ポジションを得ると、長期的かつ安定的に研究を継続できる制度的枠組みが整えられている。テニュアの目的は、研究者を短期的評価圧力から解放し、長期的視野に立つ基礎研究や理論的深化を可能にする点にある。仏教研究のように、原典読解、語学習得、思想史的比較、哲学的再構成などに長い時間を要する分野にとって、この制度は極めて合理的である。さらに、仏教研究はライフワーク化しやすい性質を持つ。テキストの精読は年齢とともに解像度を増し、思想の内在的理解は人生経験と交錯しながら深化する可能性がある。欧米の大学制度においては、研究テーマを長期にわたり継続できる自由が比較的保障されているため、若手期に形成した専門領域を数十年単位で発展させることが制度的に可能である。これは短期契約中心の研究環境とは本質的に異なる。ただし現実には、欧米でもテニュア獲得は競争的であり、安定的地位に到達するまでの数年間は業績圧力が高い。したがって、一生研究に従事できるという可能性は制度的に存在するが、それは一定の学術的卓越性と国際的発信力を前提とする。逆に言えば、仏教研究が精神的成熟を要する学問であることは、テニュア取得後の長期的研究生活において強みとなり得る。総じて、仏教研究は時間と成熟を資源として活用できる学問であり、欧米大学の終身在職権制度はその性質と構造的に整合していると言えるだろう。短期成果よりも持続的深化を重視する点で、両者は制度的にも思想的にも相補的関係にある。フローニンゲン:2026/1/24(土)07:26
18093. 観照の場としてのクラシックギターの演奏
仏教においては、一切法が縁起によって成立し、そのまま真如を開示する契機となり得ると考えられる。すなわち、特定の対象が特別なのではなく、対象への向き合い方が転換したとき、そこに真理が顕れるのである。この観点からすれば、クラシックギターの演奏もまた、単なる技巧の営為を超えて、真理に触れる実践へと変容し得る。第一に必要なのは、音を「所有物」として扱わない姿勢である。音は自分が作り出しているように見えて、実際には弦の張力、木材の共鳴、空気振動、聴衆の耳、時間的持続といった無数の条件の交差として現れる。一本の音が鳴る瞬間に、縁起の構造が露わになっている。演奏中にこの相互依存性を体感できるとき、音は主体の成果物ではなく、関係性の顕現として経験される可能性がある。第二に、反復練習の中で無常を観察することである。同じフレーズを毎日弾いても、完全に同一の音は二度と生じない。指の微細な角度、湿度、心身状態が変われば、音色は必ず変容する。この差異を嫌うのではなく、差異そのものを観察対象とするならば、無常の理解は抽象概念ではなく身体的事実となる。音の生起と消滅を丁寧に見届ける姿勢は、そのまま観の実践となり得る。第三に、自我の投影を減じることである。「良く弾きたい」「評価されたい」という意識が強まるほど、演奏は緊張し、音は硬直する。逆に、音がただ流れることを許容し、指が自然に動く過程を信頼するとき、主体と客体の境界が緩む経験が生じることがある。この状態は、自己と音とが分離していない感覚に近い。そこでは演奏者が音を支配するのではなく、音の流れに参与しているという感覚が現れる可能性がある。第四に、沈黙を聴くことである。音と音の間の静寂は、単なる空白ではなく、次の音を成立させる条件である。沈黙があるからこそ音は意味を持つ。この相補関係を体感することは、有と無の相即を理解する契機となるだろう。総じて、クラシックギターを通じて真理に触れるとは、技巧の極致を目指すことではなく、音の生起・持続・消滅を通して縁起・無常・無我を身体的に体験することだと言えそうだ。一本の弦の振動の中に世界全体の構造を見出すことができるとき、演奏は芸術行為であると同時に観照の場となる。そのとき、ギターは単なる楽器ではなく、存在の在り方を映す鏡となる可能性がある。フローニンゲン:2026/1/24(土)09:41
18094. ロンドン大学SOASから合格通知を受けて
今日はゼミナールがある日なので、珍しく午前中の段階でメールを確認した。すると、ロンドン大学SOASからメールがあった。メールを開いてみると、すでに出願の合否が出たとのことだった。SOASの出願を完了させたのは、昨年の12/21だったので、わずか一ヶ月ほどで速やかに結果が出たことに驚いた。メールのURLからオンラインアプリケーションの画面にログインすると、“Unconditional offer”と書かれていた。これまでアメリカとオランダの大学院に出願した際には、条件付き・条件なしの正式合格の区別がなかったので、一瞬合否のどちらなのか迷ったが、無事に正式に合格したことを知った。それを受けて、大変安堵した。まだエディンバラ大学とオックスフォード大学からの結果を受けていないが、この三校はどこであっても進学したいと思っていたので、一つに合格すれば御の字であった。これにて今年の夏からイギリスでの生活を始めることが決まった。オランダでの10年間の生活は、これ以上にないほどに充実したものであり、これまでの人生の中でアメリカの最初の二年間と同じぐらいに一番密度が濃かったと思われる。オランダでの10年間の地道な探究生活が実り、こうして無事に合格通知を得ることができて大変嬉しい。SOASの仏教プログラムのディレクターのルシア・ドルチェ教授がきっと良き計らいをしてくださったのだと思う。志望動機書にはドルチェ教授と面会をし、そこでのやり取りについても言及していたことが熱意を伝えることにつながり、そして自分が欧米の仏教研究コミュニティの中で、「日本法相唯識研究」という分野を設立することに意欲的であることもアピールポイントになったのだと思われる。ロンドンは確かに生活費は高いが、オックスフォードはロンドンに次ぐ物価の高い街として知られており、エディンバラが若干抑えめなぐらいで、生活費は結局どこの都市でもあまり変わらない。学費に関しては随分と異なり、明日にはSOASとエディンバラ大学の奨学金の出願をしようと思っている。オックスフォード大学に関しては、自動的に奨学金の審査にかかるらしく、別途申請する必要はなかった。これは経済状況や年齢を問わず、実力のある志願者には等しく機会のあるものなので、とても有り難いことである。エディンバラ大学とオックスフォード大学からの結果はおそらく3月の中旬には出るだろう。SOASから合格通知を得たことで、それらの大学からの連絡を安心して待つことができる。結果が今から楽しみである。フローニンゲン:2026/1/24(土)10:10
Today’s Letter
A sense of gratitude consistently guides my life with grace. The quality of my life will continue to deepen as long as I cultivate appreciation. Groningen, 1/24/2026

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