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【フローニンゲンからの便り】18068-18071:2026年1月20日(火)



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タイトル一覧

18068

位置で決まる音の本質

18069

今朝方の夢

18070

今朝方の夢の振り返り

18071

演奏技術の向上における統制係数と定向進化の原理

18068. 位置で決まる音の本質   

   

ブランダン・エイカー氏が、クラシックギター演奏における音の本質が「力」ではなく「位置」によって決まるという事実を極めて明晰に言語化していた。この言葉が重要なのは、単なる左手のフォームの注意喚起にとどまらず、練習観そのものを根底から修正する含意を持っている点にある。まず、「どれほど洗練された右手であっても、左手のポジションが悪ければ補えない」という指摘は、音の生成が左右の手の協働によって初めて成立することを改めて突きつけている。アルペジオやトレモロの粒立ち、音色のコントロールといった右手技術がいかに高度であっても、左手が弦の振動を適切に解放していなければ、その努力は根本から損なわれてしまう。音は右手で「作る」ものだと誤解されがちだが、実際には左手が「響く条件」を整えているのである。エイカー氏が述べるように、フレット上で明瞭で共鳴のある音が出るポイントは驚くほど狭い。弦長が決定されるのは金属フレットの位置であり、指はそのすぐ直後、いわばフレットに「寄り添う」位置に置かれることで、最小限の力で確実に弦を押さえることができる。この配置によって、弦は無駄な減衰を受けず、自然な振動を保つ。逆に、指がフレットから遠ざかるほど、弦は中途半端に押さえられ、振動が不安定になる。ここで多くの演奏者が陥るのが、「強く押さえれば解決する」という誤った補償行動である。フレットから離れた位置に指を置いたまま力を加えると、一時的にはビリつきが消えたように感じられるかもしれない。しかしそれは、問題を解決しているのではなく、力で覆い隠しているにすぎない。その結果、左手には不要な緊張が蓄積し、音程の微妙な不安定さや、長時間演奏における疲労、さらには速度や表現の限界へとつながっていく。エイカー氏が「ビリつきや鈍さを感じたとき、力を増やす衝動に抗いなさい」と述べるのは、この悪循環を断ち切るためである。音が濁ったときにすべきことは、筋力を追加することではなく、位置を数ミリ単位で修正し、むしろ圧力を減らすことである。その過程で、弦が「自然に鳴る最小限の力点」を身体が学習していく。この感覚は理屈で覚えるものではなく、繰り返しの中で神経系に沈殿していくものである。「クリーンな音は努力の産物ではなく、正確さの結果である」という最後の一文は、練習全体への態度を象徴している。ここで言う正確さとは、音程やリズムだけではなく、身体の配置、接触点、圧の方向と量といった、極めて微細な要素の一致である。正確な位置に指が置かれたとき、音は「出そうとしなくても出る」。その状態こそが、効率的で持続可能な演奏の基盤となる。この助言は、クラシックギターを「頑張って鳴らす楽器」から、「正しく触れれば自然に響く楽器」へと認識し直す契機を与えるものであると言えるだろう。ブランダン・エイカー氏が強調しているのは、力を抜くことそのものではなく、正確さが結果として無駄な力を不要にするという逆説的な真理なのである。フローニンゲン:2026/1/20(火)05:49


18069. 今朝方の夢  

                              

今朝方は夢の中で、非常に有名なバスケ漫画の主人公たちが全国大会を戦っている様子を眺めていた。彼らは無事に初戦を勝利し、二回戦へと進んだ。そこでぶつかったのが、ここ数年連覇をしている絶対的な王者だった。そうした強豪相手にも選手たちは気後れすることは全くなく、むしろ堂々としており、非常に頼もしく思えた。いざその強豪相手に試合が始まってみると、自分は最初コートを俯瞰するような視点として存在していた。観客席に自分の肉体があったわけではなく、常にコートを俯瞰して移動するような形で試合を観戦していたのである。そこから気づくと、自分はコートに立っている選手の視点として存在していた。そこでは選手の息遣いや声が聞こえ、非常に臨場感ある形で試合を観戦することができた。そこからさらに自分の視点は変化を見せた。最終的には主人公の肉体の中に自分の視点が入り込み、彼の視点を通じて試合に参加していたのである。彼が決める豪快なダンクは、肉体に興奮と爽快感をもたらした。自分が彼に乗り移ったからなのか、彼のジャンプ力はまるで宙を浮くぐらいの高さになり、通常ではあり得ないダンクシュートを決めることができるようになった。今朝方はそのような夢を見ていた。今朝方は珍しく、おそらくこれだけしか夢を見ていない。他に夢を見ていた映像記憶が全く残っていないので、今朝方はこの一つの夢だけを自分に見せる何らかの働きが背後にあったのだろう。フローニンゲン:2026/1/20(火)06:21


18070. 今朝方の夢の振り返り

                              

今朝方の夢は、物語世界としては非常に有名なバスケ漫画を舞台にしながらも、実際には「力量の差」「視点の深化」「自己同一化の拡張」という三層構造を象徴している可能性があると考えられる。全国大会という舞台は、日常的な努力や準備を越えた場、すなわち自分の人生において「本気で試される局面」を象徴しているように思われる。初戦を勝ち抜き、連覇中の絶対王者と対峙する構図は、これまで積み上げてきたものが、いよいよ最上位の基準で問われる段階に入っていることを示唆しているのかもしれない。興味深いのは、強豪を前にして選手たちが気後れせず、むしろ堂々としていた点である。これは、自分の中に「もう恐れなくてよい」という確信が芽生えつつあることの反映である可能性がある。過去であれば圧倒的な存在として映った相手が、今や同じ土俵で向き合える対象として認識されているのであろう。さらに重要なのは、視点の変化である。最初はコート全体を俯瞰する非身体的な視点として存在していた点は、思考的・分析的に状況を眺める態度を象徴しているように思われる。次に選手の視点へと移行し、息遣いや声を感じる段階は、理屈ではなく体感として物事に関わり始めている状態を示している可能性がある。そして最終的に主人公の肉体そのものに入り込み、ダンクを決めるに至る過程は、「理解する自分」から「行為する自分」への決定的な移行を象徴していると考えられる。通常ではあり得ない跳躍力や宙に浮くような感覚は、現実の制限条件を一時的に超えた心理的解放、あるいは潜在能力の解禁を暗示しているのかもしれない。自分が主人公に乗り移ったことで能力が拡張されたという感覚は、外在的な理想像を眺める段階を越え、それを自分の内部に統合し始めている兆しとも読める。この夢が他の夢を伴わず、強い印象として単独で残っている点は、現在の人生において極めて重要なテーマが一つ浮上していることを示している可能性がある。すなわち、もはや観客でも解説者でもなく、自分自身が主役として跳ぶ段階に入ったという無意識からのメッセージである。人生における意味としては、長く準備してきた領域で、恐れを超えて身体ごと飛び込む覚悟が整いつつあること、その瞬間が近づいていることを示唆する夢であるように思われる。フローニンゲン:2026/1/20(火)08:04


18071. 演奏技術の向上における統制係数と定向進化の原理 

                 

クラシックギターの演奏技術の向上は、単なる「指が速く動くようになる」「難曲が弾けるようになる」という量的成長ではなく、発達理論の観点から見れば、ボールドウィンのいう「統制係数(coefficient of control)」の上昇と、ワーナーのいう「定向進化の原理(orthogenetic principle)」に沿った構造的進化の過程そのものであると言えるのではないかと思う。まずボールドウィンの統制係数とは、行為や反応がどのレベルの心的構造によって制御されているか、すなわち制御の中心がどれほど高次に位置しているかを示す概念である。これをクラシックギターに当てはめると、初心者の演奏は、反射的・局所的な制御に強く依存している。例えば、右手の一音一音を当てること自体に意識が占拠され、左手の押弦、姿勢、音色、フレージングは互いに干渉し合い、結果として演奏は不安定になる。この段階では、演奏行為は低次の感覚運動レベルで制御されており、統制係数は低い。しかし継続的な練習を通じて、個々の運動要素が自動化されていくと、制御の中心は徐々に上位へ移行する。右手の基本運動が安定すると、演奏者は音色やアーティキュレーションに注意を向けられるようになり、さらに進むとフレーズ全体の方向性、和声的緊張、楽曲構造そのものを見渡しながら演奏を調整できるようになる。このとき、指そのものはもはや主役ではなく、高次の音楽的構造が低次の運動を統制する。ここに統制係数の上昇が明確に見て取れる。一方、ワーナーの定向進化の原理は、発達が「未分化 → 分化 → 階層的統合」という一定の方向性をもって進行することを示す。クラシックギターの技術習得も、まさにこの軌道を辿る。初期段階では、音、リズム、運指、姿勢、音楽表現が未分化なまま一塊として経験される。次の段階で、右手技術、左手技術、リズム感、音色操作などが個別に分化し、練習項目として切り出される。しかし発達は分化で終わらない。成熟した演奏では、分化した要素が再び統合され、しかも対等に並ぶのではなく、音楽的意図や構造理解が上位に位置し、それが下位の技術要素を統御する階層構造が成立する。重要なのは、この進化が偶然的でも恣意的でもない点である。初心者がいきなり高度な音楽表現を統御できないのは、単なる経験不足ではなく、構造的に不可避だからである。ワーナーのいう定向進化とは、まさにこの「通過せざるをえない構造的順序」を指している。クラシックギターの上達においても、分化を飛ばして統合に到達することはできず、統合は常に、より高次の制御中心の確立を伴う。したがって、クラシックギターの演奏技術の向上とは、定向的に階層化が進み、その過程で統制係数が上昇していく発達プロセスであると言える。速さや難易度はその結果にすぎず、本質は「どのレベルの構造が演奏全体を支配しているか」にある。この視点に立つと、練習とは単なる反復ではなく、制御の中心を一段上へ引き上げるための発達的営みであることが理解される。クラシックギターの熟達とは、技術の集合ではなく、統制と統合の構造が洗練されていく過程そのものなのである。フローニンゲン:2026/1/20(火)09:31


Today’s Letter

My whole being is like water flowing naturally. This feeling may be one of the most essential qualities of life. With it, my life flows in a harmonious way. Groningen, 1/20/2026

 
 
 

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