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【フローニンゲンからの便り】18063-18067:2026年1月19日(月)



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タイトル一覧

18063

和音をイメージしてから鳴らす訓練

18064

今朝方の夢

18065

今朝方の夢の振り返り

18066

スローモーション練習からの気づき

18067

アルペジオ練習の工夫

18063. 和音をイメージしてから鳴らす訓練

            

楽譜上に和音が現れるたびに、即座に指板を見るのではなく、まずその和音の形と指板上の位置を一瞬心の中で描いてから音を鳴らすという練習法を極力採用している。それは、クラシックギターの演奏を単なる反射的運動から、意識的で統合的な行為へと変容させる効能を持つと考えられる。この工夫の核心は、目で探してから押さえるという外部依存のプロセスを、内的に把握してから身体を動かすという内在的プロセスへと反転させる点にある。まず、この練習は指板認知を根本から変える可能性がある。指板を視覚的に追いかける癖が強い場合、和音はその都度「個別の配置」として処理され、文脈から切り離された点の集合になりやすい。しかし、和音の形と位置を事前に想像する習慣が定着すると、指板は断片的な点の集まりではなく、構造を持った空間として内在化されていくだろう。和音は「そこに行けばあるもの」ではなく、「すでに心の中にあるもの」として扱われ始めるのである。また、この一瞬の想像は、時間的な余白を演奏の中に生み出す。急いで指板を確認し、慌てて指を置くとき、意識は常に次の音に追われ、現在の音に留まることが難しくなる。それに対して、和音を思い描くという短い内的操作を挟むことで、意識は未来へ飛ぶ前に一度静止する。その静止点から身体が動き出すとき、演奏はより落ち着きと必然性を帯びたものになると推測される。さらに重要なのは、この方法が左手と右手、そして聴覚を一つのイメージに統合する点である。和音を想像する際、単に指の配置だけでなく、その響きや重心、音程間の関係までもが同時に喚起されるようになると、音は押さえた結果として鳴るものから、鳴ることが分かっていて実現されるものへと変わるだろう。この状態では、ミスが起きたとしても、それは偶発的な失敗ではなく、イメージと実際のズレとして把握され、修正の質も深まる可能性がある。加えて、この練習は演奏を瞑想的な営みへと近づける。想像してから鳴らすという順序は、行為の前に必ず気づきが介在する構造を作り出す。これは無意識的な反射を減らし、いま何をしているのかを明晰に保つ訓練でもある。結果として、指板を見る頻度が自然に減り、視線や注意が音そのもの、あるいは全身の感覚へと開かれていくことが期待される。このように、和音を内的に描いてから音を出す練習は、暗譜力や安定性を高める技法にとどまらず、思考・身体・聴覚を同時に鍛える総合的な修行となり得る。演奏は次第に「探しながら進む旅」ではなく、「分かっている道を静かに歩む行為」へと変わり、音楽そのものがより深い必然性と集中を帯びて立ち現れてくるのではないかと期待する。フローニンゲン:2026/1/19(月)06:05


18064. 今朝方の夢 

           

今朝方は夢の中で、見慣れない駅にいた。ちょうど電車が駅に到着し、電車を降りて改札口に向かうと、そこでは空港のセキュリティチェックのようなことが行われていた。設備もまさに空港にあるそれであり、入念な身体検査が行われた。特にボディスキャンに関しては、角度を変えて二回ほどスキャンを通過しなければならず、非常に厳重だった。それを晴れて通過したら、今度は書類審査が待っていた。事前に申請したビザの書類が検査され、書類に不備があったらその場で修正しなければいけなかった。書類審査の結果を待っている間に、先ほどのボディスキャンの際に身長・体重も測定され、その結果を渡された。それを見ると、どうやらそれは単位は日本のものではなくイギリスのものだった。イギリスにおける長さと重さの単位に精通していないので、結局自分の身長と体重の正確な数値はわからなかったが、別にそれらがわからなくても問題ないと思った。書類審査の結果が返ってくると、自分は修正は必要なかったが、ビザの申請費用が21万円ほどと高額であることに驚いた。しかし、近くにいた小中高時代の友人(AF)に尋ねると、彼の職業の場合、申請費用は200万円ほどとのことで、その価格に驚かされた。それは何らかのイギリスの国策の影響のようだった。書類に不備があった人をサポートしていたのは前職時代の女性の上司で、その方が数多くの書類不備者の支援をどんどんと行なっている姿には頭が下がる思いであった。自分は特に役に立てるとは思わなかったが、一応その方に話しかけると、やって来た新人の女性の出来が悪く、一人で仕事をこなさないといけないことを幾分嘆いていた。フローニンゲン:2026/1/19(月)06:15


18065. 今朝方の夢の振り返り

            

今朝方の夢は、自分が人生のある重要な通過点に立っている状態を象徴している可能性が高いと思われる。見慣れない駅は、これまで慣れ親しんできた生活世界や役割からすでに降り立ってしまったこと、すなわち過去の延長線上ではない地点に自分が立っていることを示唆しているように思われる。電車を降りた直後に待っていたのが空港のセキュリティチェックに酷似した検査であったことから、この通過点は単なる移動ではなく、「選別」や「通過資格」が問われる段階である可能性がある。身体検査が極めて厳重で、角度を変えて二度もボディスキャンを通過しなければならなかった点は、表面的な準備や形式だけでなく、自分の存在そのもの、つまり生き方・価値観・覚悟といった根源的な部分まで見られている感覚を反映しているのではないかと思われる。書類審査が続いたことは、これまで自分が積み重ねてきた経歴、選択、言葉による説明可能性が試されていることの象徴である可能性がある。事前に申請したビザに不備がなかった点は、少なくとも現時点までの準備や判断が致命的に間違ってはいないという、内的な確信や安堵を表しているように感じられる。一方で、申請費用が高額であったことは、この先に進むために必要なコストが、金銭的なものに限らず、時間、労力、孤独、あるいは安定を手放すことなど、決して小さくない犠牲を伴うことを示唆しているのかもしれない。身長や体重がイギリスの単位で示され、自分には正確な数値が分からなかったが、それでも問題ないと感じた点は非常に象徴的である。これは、自分がこれまで慣れ親しんだ評価軸や物差しが通用しない世界に入ろうとしていること、そしてその中で他者基準の数値や比較に強く執着しなくなりつつある状態を示している可能性がある。分からなくても構わない、という感覚は、不確実性を引き受ける態度や、完全な理解や保証を求めずに進もうとする成熟を表しているようにも思われる。友人AFとの対比は、同じ制度の下でも立場や職業によって負担が大きく異なる現実を示しつつ、自分が置かれている状況を相対化する視点を象徴しているように感じられる。国策という言葉が暗示するのは、個人の努力だけではどうにもならない大きな構造の存在であり、その中に自分も他者も組み込まれているという感覚である可能性がある。前職時代の上司が多くの人を支援している姿は、自分がかつていた世界の価値、すなわち他者を支え、現場を回し続ける献身的な役割を象徴しているように思われる。その姿に頭が下がる思いを抱きつつも、自分自身はそこで役に立てないと感じている点は、すでにその役割から心理的に距離を取り、新たな段階へと移行しつつあることを示しているのではないかと思われる。新人の出来が悪く、一人で抱え込まざるを得ないという上司の嘆きは、旧来のシステムが疲弊し、個人の献身に依存している現実への無言の違和感として、自分の内面に残っている可能性がある。総じてこの夢は、自分がこれまでの役割や評価軸を降り、新しい世界へ向かう「通過儀礼」の途上にあることを象徴しているように思われる。厳しい検査や高いコスト、不確実な基準を前にしながらも、それを当然のものとして受け止め、必要以上に恐れていない点に、この移行を引き受ける内的準備がすでに進んでいる兆しが感じられる。人生における意味としては、安心や分かりやすさを手放し、測れないものを抱えたまま前に進む段階に入っていることを、この夢は静かに告げているのではないかと推量される。フローニンゲン:2026/1/19(月)08:34


18066. スローモーション練習からの気づき 

                                   

クラシックギターの練習において、意図的にスローモーションで丁寧な演奏を毎日積み重ねていると、ある時点で速度を特別に追求した覚えがないにもかかわらず、自然にテンポが上がっていることに気づく。この現象は偶然ではなく、身体と神経系の学習原理に深く根ざした必然的な帰結であると考えられる。まず、極端に遅いテンポで演奏するという行為は、運動の「解像度」を最大化する働きを持つ。速い演奏では一瞬で通り過ぎてしまう指の準備、接触、離脱の各局面が、スローでは明確に意識化される。その結果、余分な力、無意識の緊張、不要な回り道の動きが可視化され、身体はより合理的な運動経路を学習する。これは「速さを練習している」のではなく、「無駄のない動きを徹底的に洗練している」状態である。この過程で重要なのは、筋力が増しているわけではないという点である。スロープレイによって起きている変化の中心は、筋肉ではなく神経系にある。神経は、正確で再現性の高い運動パターンを繰り返し経験することで、その経路を強化し、信号伝達を効率化していく。結果として、同じ動作を行うために必要なエネルギーと指令時間が短縮され、速度は「足すもの」ではなく「削ぎ落とした結果として現れるもの」になる。また、スローモーション練習は心理的側面にも大きく作用する。速く弾こうとするときに生じがちな焦りや恐れ、失敗への先取り的反応は、演奏全体を硬直させる原因となる。一方、遅いテンポでは、常に時間的余白があり、音と音の間に呼吸が戻ってくる。その状態で形成された運動記憶は、スピードが上がっても緊張を伴いにくく、結果として速くても落ち着いた演奏が可能になると言われている。さらに、スロー練習は音のイメージと身体動作の結びつきを強化する。遅く弾くことで、一音一音が明確な内的イメージとして先行し、「この音が鳴る」と分かった上で指が動く回路が育つ。速度が上がった際も、この先行イメージが圧縮された形で維持されるため、演奏は崩れにくい。ここで生じるスピードは、衝動的な加速ではなく、見通しのある運動の自然な展開である。このように、スローモーションでの丁寧な反復は、速さを直接鍛える練習ではない。しかし、動作の純度、神経の効率、心理的安定、音の予見性といった基礎条件を同時に成熟させる。その成熟が一定の閾値を越えたとき、速度は意識の表舞台に立つことなく、静かに、しかし確実についてくるはずだ。スピードとは、追い求めた先にある成果ではなく、深く整えられた演奏が自然に放つ副産物なのである。フローニンゲン:2026/1/19(月)09:23


18067. アルペジオ練習の工夫

   

マウロ・ジュリアーニのアルペジオ練習において、負荷量を意図的に下げ、同時に身体感覚へと深く染み込ませていくために、Cメイジャーの和音形のみに絞って練習するという方法は、きわめて理にかなったアプローチであると言えるのではないかと思う。その理由は、技術的・神経的・発達的な三つの観点から説明できる。まず技術的観点から見ると、Cメイジャーはクラシックギターにおける最も基本的で、構造が明瞭な和音である。左手は開放弦を多く含み、不要な緊張が生じにくい。一方で右手は、i・m・aの運動を安定した弦配置の中で反復できるため、アルペジオそのものの質に意識を集中しやすい。和声や運指の選択肢を最小限に抑えることで、「音型を処理する脳の負荷」が減り、その分だけタッチ、角度、タイミングといった微細な感覚に注意を向ける余地が生まれるのである。次に神経的観点である。アルペジオ練習の本質は、指を速く動かすことではなく、同じ運動パターンを、過不足なく、再現可能な形で身体に刻み込むことにある。Cメイジャーという固定された和音形を用いることで、右手の運動と左手の支点関係が安定し、神経系は変化への対応ではなく感覚の精緻化に資源を割くことができる。これは、動作を条件反射的に自動化するための最短経路であり、結果としてテンポを上げた際にも崩れにくい土台を形成する。さらに重要なのは、身体感覚への沈殿という観点である。負荷を下げた練習とは、単に楽をすることではない。むしろ、感じ取る解像度を上げるための意図的な制限である。Cメイジャーの形だけに絞ることで、右手の各指が弦に触れる瞬間の抵抗、離弦の方向、音が立ち上がるまでの微細な時間差などが、より鮮明に知覚されるようになる。これらは理屈として理解するものではなく、反復の中で「そうなっている」と身体が知る領域である。この方法はまた、練習者の心理状態にも大きく影響する。和音進行を追いかけたり、移動の正確さに気を取られたりする必要がないため、評価的な思考が静まり、注意は現在の動作そのものに留まりやすくなる。結果として、練習は作業ではなく、観察に近い質を帯びる。これは、ジュリアーニのアルペジオを単なる指の訓練ではなく、身体と音の関係性を再調律する行為へと変えるだろう。もちろん、最終的には他の調や和音形にも展開していく必要がある。しかし、その前段階としてCメイジャーに徹底的に留まることは、決して遠回りではない。むしろ、すべての調に共通する「アルペジオの核」を抽出し、身体化するための最短距離であると考えられる。総じて言えば、マウロ・ジュリアーニのアルペジオをCメイジャーの和音形だけで練習するという選択は、負荷を下げるためではなく、深度を上げるための戦略である。その練習は、やがて他の調や複雑な楽曲においても、揺るぎない安定感として立ち現れてくるはずである。フローニンゲン:2026/1/19(月)14:06

 
 
 

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