【フローニンゲンからの便り】17488-17492:2025年10月7日(火)
- yoheikatowwp
- 2025年10月9日
- 読了時間: 13分

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タイトル一覧
17488 | 仏教研究と量子論哲学研究のこれから |
17489 | 今朝方の夢 |
17490 | 今朝方の夢の振り返り |
17491 | 音楽のある生活の再到来 |
17492 | スパニッシュギターを購入して |
17488. 仏教研究と量子論哲学研究のこれから
時刻は午前7時半を迎えた。この時間になってようやく辺りは随分と明るくなり、日の出を間も無く迎える。今日の気温は久しぶりに19度に到達するようだが、曇りなので暖かさは限定的なのではないかと思う。
これから仏教研究に専心し、それと並行して日々小さく量子論哲学の探究を続けていった先に何があるのだろうか。そこには目に見える形もあるのかもしれないが、目に見えない大きな貢献があって欲しいという思いがある。目には見えない広がる縁起的貢献ができたらそれで十分なのかもしれない。それら両分野のそれぞれを深く探究するだけで本来は一生涯かかる。自分はそれら双方をどこまでも深く探究し、両者を架橋させたい。架橋の接点はすでにいくつも見えている。幸いにも、それをもたらしてくれたのは先人となる哲学に造詣の深い量子物理学者たちだった。量子論の設立者の物理学者たちはとりわけ哲学的にも造詣が深く、彼らの書籍を読んでいると哲学的に啓発される。そこから時代が下ってくる中で、今手元にあるいく人かの量子物理学者はまさに意識の世界と量子の世界を架橋しようと試みている。そうした先人たちの仕事に敬意を払い、着想を得ながら、少しずつ両者の架橋の道を探り、その道を深めていきたい。そのためにもまずはそれぞれの分野に深く習熟する必要がある。今行なっているのはまさに習熟の歩みを進めることである。仏教研究に関しては、まずは日本法相宗を深く探究していく。研究の核は良遍で、彼の仕事を中心にして、彼が残した因明学(仏教論理学)を含めて広く法相宗の多様な側面を研究していく。それに加えて、華厳宗と三論宗についても理解を深めていきたい。これらの宗派に関しては、確かに華厳経に関する解説書や空に関する解説書を持ってはいるが、研究書の数としては少ない。今後は必要な研究書を買い足していき、少しずつそれらの教えについても理解を深めていく。仏教研究の息抜きとして量子論哲学の探究についてもこれから着実に進めていきたいと思う。塵も積もれば山となるという言葉にあるように、また千里の道も一歩からという言葉にあるように、日々の小さな探究の成果がいくつか自分が目指す場所に自分を連れていってくれ、さらに道なる場所に誘ってくれるだろう。フローニンゲン:2025/10/7(火)07:47
17489. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、惑星移住を計画している地球ではない惑星にいた。すでに自分は地球以外の惑星で生活をしており、その惑星にすっかり馴染んでいた。そこは地球と環境が瓜二つで、自分が住んでいる都市は東京のように高い建物がいくつも建っていた。しかし大きく違ったのは人口密で、都市が発展している割に人口はとても少なかった。日中大学時代のゼミの友人数人と街中を歩いていると、すれ違う人は1人もいないほどだった。レストランに入ると、そこではAIロボットが働いており、人間の姿はなかった。昼食を食べ終えて再び友人たちと散歩に出かけると、そう言えば「Mythos」という遥か遠くの惑星に移住する計画が近々実行されることを思い出し、その話題で盛り上がった。次の移住候補として3つほど惑星の名前が挙がっていて、自分はその中で生命が最も多様なその惑星に移住することにした。どうやら友人たちは今の惑星に留まることにしたらしく、自分は1人で遥か何億光年も離れた惑星に行くことにした。そこには不安は微塵もなく、むしろ期待しかなかった。気がつくと、自分はもう惑星Mythosにいて、その惑星を散策し始めていた。大気の様子は以前の惑星や地球とはだいぶ異なっており、生活環境は一見すると厳しそうに思えた。ところが自分の想像を超えて遥かに生命豊かであり、それは嬉しい誤算であった。確かに移住の前にこの惑星が生命豊かであることは聞いていたが、ここまで豊だとは思っていなかったのである。生命豊かとは言え、地球で見られるような生命はおらず、謎の生命ばかりで興味深かった。地球にいる生命が長大な時間をかけて進化したらこのような生命体になるのかもしれないと思えるような生命たちに溢れていてとても刺激的だった。彼らはこちらに危害を加えてくることは一切なく、全ての生命がどうやら食物連鎖なしに無限の命を体現させて調和的に生きているようだった。それは地球で生活してきたかつての経験からすると驚くべきことだった。食べる食べられる、生きる死ぬを超越した生命たちに囲まれながらの生活は、きっと自分の新たな感性・感覚を開くだろうと思った。同時にふと、調和的に生きる生命たちを眺めていると、感動の涙が込み上げてきた。そして、この惑星や他の惑星の生命がより豊かになるように、自分の財産を寄付することにした。それは自分にできる1つの貢献の形だった。フローニンゲン:2025/10/7(火)08:08
17490. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢の構造において自己はまず「地球以外の惑星にすでに適応している存在」として登場している。それは自己がこれまでの環境に縛られるのではなく、異なる次元や文脈に自在に移行できる可塑性を象徴している。環境が東京のようでありながら人口が極端に少ないという描写は、自己の内面における「喧騒と静寂の逆転」を映しているかのようだ。すなわち、表面的には文明化された高度な都市構造を保持しながらも、そこには人間的な雑多さが欠如しており、むしろ空虚さが漂っている。この静まり返った都市の中を大学時代の友人たちと歩いている自己は、過去の共同体的つながりを再現しつつも、それがすでに未来の環境では機能不全に陥っていることを悟っているのである。さらにレストランで働くのがAIロボットのみであった点は、自己の未来観の一端を示す。人間が担ってきた役割を人工知能が代替する世界は、人間の不在を露呈すると同時に、自己が「人間中心の枠組み」を超えて新しい秩序を探求しようとしていることを示す。ここでの静けさや人口の希薄さは孤独の象徴であるが、同時にそれは自己をより広大な未知へと押し出す原動力ともなっている。「Mythos」という惑星の名は象徴的であり、神話的叙述の領域へと自己が移行することを意味しているかのように思える。合理や日常の論理を超えた次元、言わば根源的物語の地平へと自己が旅立つのである。友人たちが現状に留まる一方で、自分が単独で移住を決意する構図は、発達的選択における「共同体との別離」と「独自の道の開拓」を示している。そこには一抹の不安すらなく、むしろ期待のみがあるという心理は、自己がすでに未知の変容を受け入れる態勢を整えていることを物語る。新天地で出会った生命たちは、地球の進化を遥かに超越した存在であり、食物連鎖を基盤としない調和的な共生の形を示している。これは自己がこれまでの「生存競争」「死と生の循環」といった地球的制約を乗り越え、新たな生命理解へと突入したことを表す。自己がその光景に触れて感動の涙を流すのは、単なる美観ではなく、これまでの自らの世界観を根底から更新するほどの衝撃を受けたことを意味する。涙は自己の内側における「限界の突破」を象徴し、その瞬間に自己は新しい倫理的次元へと突き抜ける。その延長で、自分は自らの財産を寄付するという決断に至る。ここでの財産は単なる物質的な所有ではなく、自己がこれまで蓄積してきた経験や知恵、さらには精神的エネルギーをも象徴している。それを未知の生命や宇宙の調和のために差し出す行為は、自己中心性を超え、全体性への奉仕に目覚めた瞬間であると言えるだろう。この「寄付」という象徴は、自己が自らの有限性を超えて、無限の生命流に自己を投げ出す意志を意味する。人生における意味として、この夢は「未知への移住」という形をとりながら、自己の発達における新たな段階への飛躍を描いている。過去の共同体や慣れ親しんだ文明世界を一度脱ぎ捨て、孤独を抱えつつも期待とともに新たな神話的領域へと足を踏み入れる姿は、人間的成長の不可避な孤独と、それを突き抜けた先にある「全生命との調和」を象徴している。自己が感動の涙を流したのは、生命の真実とは競争や死ではなく、無限に広がる共生の可能性であると悟ったからである。この夢は、自分の人生においてもまた、既存の枠組みに安住するのではなく、勇気をもって「Mythos」へと飛び立ち、未知の生命的豊饒さと調和を探求し続けよ、という深い呼びかけなのだろう。フローニンゲン:2025/10/7(火)08:14
17491. 音楽のある生活の再到来
ひょんなことからスパニッシュギターを購入した。音楽のある生活がまた戻ってきた。そのことに心から喜びを感じている。今でも書斎の2階には文化箏が立てかけられているが、箏の先生が夭逝されたことを受けて、事からずっと離れていた。そう言えば、楽器の演奏を勧めてくれたのは母と親友のメルヴィンであったことを思い出す。いや、メルヴィンに関してはこちらに学期を勧めるというよりも、いつも自分に楽器の演奏の楽しさを見せてくれているだけで、直接的な言葉を通じて楽器演奏を勧められたことはなかったように思う。今日のメルヴィンとの会話の始まりもまたいつもの日常的な光景だった。しかし、今日は最後の自分のアクションが異なっていた。いつものように5週間ごとに火曜日の午後2時に髪を切ってもらうのが習慣で、今日は雨が降っていなかったので、メルヴィンはいつものように店の外でギターの即興演奏をしていた。店の入り口に近づいてメルヴィンに話しかけたところ、すぐさま握手を交わし、笑顔で挨拶を掛け合った。今日はどのような曲を即興的に弾いていたのかと尋ねたところ、Aマイナーの曲を練習していたとのことだった。メルヴィンの店に行く時は大抵晴れのため、ギターの話で会話が始まることが多いのだが、今日はなんだか少し違った。自分の中の感覚の何かが違ったのである。ひょっとしたら、その瞬間にこれまで蓄積されていたメルヴィンから聞いたギターの話が閾値に達していたのかもしれない。自分は書くことも話すことも、とにかく即興性を愛している。決められたことを書くのでも話すのでもなく、とにかく今この瞬間のリアリティに立ち現れるものを言葉に表現していくことが好きなのだ。それは音楽に関しても同じである。もちろん箏を自分は愛していたし、決められた曲を弾くことを通じてその美しさに浸ることは大きな喜びであったが、最大の喜びは即興性にあった。その点でいくと、箏は即興的な演奏は自分には難しかった。翻って、メルヴィンはいつも決められた曲を弾くことは皆無で、太陽の光や風に吹かれながら、そして道ゆく人たちの流れに溶け込みながら、常に店の外のベンチに腰掛けて即興的にギターを弾いていた。彼のその姿をこの7年間の間に何回見てきただろうか。自分は彼の即興的に世界と踊りながらギターを演奏している姿を何度もこの目で目にしてきた。おそらくそうした体験の蓄積が臨界点を今日は越えたのだろう。このようなこともあるのだ。そこからはもうほぼずっとギターの話をしていた。散髪を終える頃、メルヴィンが街の中央にある楽器屋について言及してくれた。実はその楽器屋はフローニンゲンに来た直後から知っており、今から8年年前には店の中を外からガラス越しに眺めていた。メルヴィン曰く、もちろん物によるが、ギターは結構リーゾナブルに購入できるとのことだった。そして親切にも5週間後に店に来るまでギターを貸してくれる述べたのである。そのギターは、今から3年前にメルヴィンがメキシコで運命的な出会いを遂げて購入したもので、以降メルヴィンは夭逝した兄から譲り受けたギターとそれとを大切にしているという話をずっと聞いていただけに、そのギターを借りるのは忍びないような気がした。むしろギターを借りるまでもなく、もう自分の心はギターの購入に向かっていた。メルヴィンのおかげで音楽のある生活が戻ってきたことは嬉しい。毎日確かにずっと音楽を聞いているが、自分で演奏することは久しぶりである。今週の日曜日か来週の日曜日にメルヴィンが自宅に来てギターを教えてくれるとのことなので、それがとても楽しみであるし、ここから再び音楽のある生活が始まって自分の心がどのように変容していくのかが楽しみでしょうがない。フローニンゲン:2025/10/7(火)18:23
17492. スパニッシュギターを購入して
メルヴィンの店を出る前に、メルヴィンがメキシコ旅行の際に運命的な出会いを遂げたギターを触らせてもらい、音色を確かめた。指が弦に触れる感覚も何とも心地よく、そのギターを借りることなく、メルヴィンが勧めてくれた楽器屋に向かった。店に到着すると、人の良さそうな店員が出迎えてくれた。彼に「ギターのカタログを見せて欲しい」と述べたところ、「カタログはなく、その代わり自分は歩くカタログだよ」と笑いながら述べた。そのユーモアに惹かれながら、かれこれ彼は20年以上ギターを弾いているとのことで、初心者の自分に寄り添ってギターを一緒に選んでくれた。最初に、アコースティックギターかエレクトリックギターかを尋ねられ、その違いだけはわかったのでアコースティックギターだと述べた。そこからさらに、スパニッシュギターか西洋ギターかを尋ねられ、そこからはもう区別がつかなかったので違いを尋ねた。日本語でいうと、西洋ギターとはどうやらフォークギターのことを指しているらしく、金属製のスチール弦を使用しているという特徴がある。メルヴィンはナイロンの弦をお勧めしていたので、スパニッシュギターの中から選ぶことにした。特に初心者の場合、スチールの弦だと慣れるまで指の皮膚にタコができやすいようで、店員のヨーストもそのように述べていた。そこから彼はとても親身になって、初心者にお勧めの価格帯のスパニッシュギターを何本も取り出して、音色の違いを弾きながら聴かせてくれた。また自分でもそれぞれのギターを触らせてもらい、音色を確かめた。中国製で見た目の煌びやかなものも魅力的だったが、最終的にはスペイン産のアルハンブラというメーカーのスパニッシュギターを購入することにした。幸いにも別途ケースを購入することなく、文化箏のおよそ半分以下の値段で最初のギターを入手することができた。親身なって一緒にギターを選んでくれたヨーストに深く感謝し、お礼を述べ、店を出て再びメルヴィンの店に行って報告しに行くことにした。店のドアが開いていて、ちょうどドアの付近にメルヴィンがいたので、肩に背負ったギターケースを黙って見せたところ、メルヴィンは大層驚いて、とても嬉しそうな表情を浮かべた。ちょうどメルヴィンの知り合いのセネガル人の40代後半の男性がいて、彼もセネガルの伝統的な楽器を作ってその演奏をしているとのことで、音楽の話に花が咲いた。改めて音楽は言葉を越え、国境を越えることを実感した次第だ。店員のヨーストからもらった助言として、まずはコードを覚えて色々なリズムを習得していくことを推奨してもらった。これから毎日午後にでも時間を取ってギターの練習に励みたい。音楽を通じてここからまた自分の世界は広がっていき、世界中の様々な人と音楽を通じた良き出会いがあるような気がしている。フローニンゲン:2025/10/7(火)18:45
Today’s Letter
A sense of awe flows from the depths of myself. It is an unwavering sign that I am connected with the fathoms of reality, which grant me limitless vitality and joy. Groningen, 10/07/2025

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