【フローニンゲンからの便り】17187-17190:2025年8月12日(火)
- yoheikatowwp
- 2025年8月14日
- 読了時間: 12分

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タイトル一覧
17187 | 現在の英語力を見つめ直す最良の機会としてのIELTS |
17188 | 今朝方の夢 |
17189 | 今朝方の夢の振り返り |
17190 | 量子現実と唯識 |
17187. 現在の英語力を見つめ直す最良の機会としてのIELTS
時刻は午前7時を迎えた。今日は空が少し曇っている。雲の隙間から少しだけ朝日が見える。今の気温は16度で曇っている状態だが、午後から晴れとなり、気温は29度まで上がるらしい。今日は久しぶりの夏日である。明日は朝から快晴に恵まれ、最高気温は32度に到達し、真夏日となる。翌日の木曜日も今日と同じく29度に達するようだが、そこからはまた涼しくなる。10日間の天気予報を見ていても、どうやら今日から数日間が最後の夏日となるようだ。
昨日は午後にオンラインミーティングがあったため、ジムに行くことはせず、自宅でトレーニングをした。それでも十分に代謝が上がっており、今朝方は寝ている時に少し寝汗をかいていたほどである。大臀筋や大胸筋などの大きな筋肉を重点的に鍛えたことによって、そうした代謝の上昇が起こっていたように思う。昨日はその他に、ある知人の方が執筆している書籍の監修者としての理論解説の文章を執筆していた。毎月1章ずつ完成した原稿を送ってもらい、それに対して数千字ほどの解説を加えている。今のところ当初の計画通りに順調に書籍の執筆が進んでおり、年明けの早いタイミングで出版できるのではないかと思う。この書籍に加えて、共著書籍が1冊、そして翻訳書が1冊年内に刊行される予定である。一旦自分の方で原稿の執筆は終え、今は共著者の方や編集者の方のレビューが終わるのを待っている段階である。もしかしたらもう1冊ほど翻訳書の執筆を手がけるかもしれず、それについては出版社からの連絡を待っている状態だ。いつでも執筆が始められるように、できるだけ予定を空けておくようにしている。こうした形で書籍を執筆するという充実した時間を過ごしていることに加えて、目下、IELTSの試験対策に注力している。試験自体は来月の中旬だが、今回は2年前の試験結果を上回りたいと思っている。前回は初めての本番ということもあって、自宅で模擬試験を何度も解いていたが、それは基本的に公式ガイドブックの紙ベースのもので、実際に試験会場のコンピューターを前にしてコンピューターベースのものを解くのは少し勝手が違った。また、2年前はCaht GPTが発達しておらず、スピーキングやライティング対策において誰からもフィードバックを受けることのない我流の対策を行なっており、それによってそれらのアウトプット科目の点数も限定的だった。リスニングセクションでは随分とミスを犯し、結果としてオーバーオールスコアは8.0止まりだった。今回は、アウトプット科目を少なくとも前回よりも0.5上げ、リスニングもミスをできるだけ減らして可能な限り満点を目指していきたいと思う。そうすれば、オーバーオールスコアで8.5を取得でき、CEFRのC2という最高レベルに到達できるのではないかと思う。IELTSの対策も実際の試験もゲームのようであり、今は毎日ゲームを遊んでいる感じで楽しく勉強ができている。今回の試験対策を通じて、とりわけ自分のスピーキングやライティングを見つめ直す機会になっているのは大変有り難く、仮に2年後以降にさらに修士課程や博士課程に進学する際には、試験を受け直し、その時にまた自分の英語力を見つめ直すことができたらと思う。IETLSはそうした最良の機会を提供してくれる。フローニンゲン:2025/8/12(火)07:18
17188. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で空を飛んでいる場面があった。気づいたら自分は雲の上にいて、雨雲のような分厚い雲とオゾン層との間のエリアを平泳ぎの姿勢で飛んでいた。実際に平泳ぎで泳ぐよりもゆっくりと手足をかいていくだけで十分で、ゆったりとした気分で飛行を楽しんでいた。しかしふと、人間の中でなぜ自分だけが空を飛ぶ能力があるのだろうと不思議に思った。他の人間は全員地上にいて生活をしているのに、なぜ自分だけがこうも楽しみながら空を飛べる能力があるのだろうかと疑問に思ったのである。雨雲の下では車が走る音が絶えず聞こえており、下には町があることを常に確認していた。自分の目的地も町の自宅にあったから、車の音を頼りに空を飛ぶことは重要であった。だだっ広い空の中に、自分だけが1人ポツンと存在していることもまた不思議であり、ひょっとしたら自分と同じように空を飛ぶ能力を持っている人がいないだろうか、あるいは何らかの地球外生命体が同じく空を飛んでいないだろうかと関心を持った。というのも、自分以外にも何者かが空にいるような気配があったのである。しかし、視界に映る限り人は存在していなかった。私は一旦高度を下げて、下の町がどのような場所なのかを確認しようと思った。高度を下げてみると、それはどことなくロンドンに似ている街だった。街のある建物まで高度を下げると、自分が突然幼少期に見ていたアニメの主人公になった。その主人公は誰からも愛されていて、建物の中のオフィスで他のキャラクター達から歓待された。私とその主人公は一心同体で、彼らの歓待をとても嬉しく思い、学術書が無数に積み重ねられているオフィスの部屋を飛んで回って、再び窓から外に出て飛び立った。そこからは自分はそのアニメのテーマソングないしはエンディングの歌を大きな声で歌いながら、またオゾン層と雨雲の間を飛ぶことにした。そこでも引き続き地上にある車の音が聞こえていて、それを目印(耳印)にして目的地に向かった。ところが途中で車の音が聞こえなくなり、異変を感じたので高度を下げて雲の下に降りていくことにした。するとそこは無人島であり、私は無人島の中にある大きな湖の一角に着立した。するとその瞬間に、私の横には見知らぬ男性がいて、どうやら彼と私は同じく不時着したようだった。湖の向こう岸には何やら見慣れない人たちが数人いて、最初は原住民かと思ったが、モビルスーツのようなものを着ており、どうやら彼らは島を探索し、この島を搾取しようとしている人たちだと思った。すると彼らは私たちの存在に気づき、彼らのうちの2名が泳いでこちらに向かって来た。私たちはすぐに逃げようとしたが、体力の限界で飛ぶ能力を失っており、泳いで逃げることにした。湖の真ん中あたりに不思議な建物が立っており、幸いにもそこに身を隠すことができた。その建物の中には、同じく逃げてきた男女が数人いて、彼らと一緒に完全にこの島から脱出するためには、全員が飛行能力を身につける必要があった。私は彼らに飛行能力を指導することにし、まずは場を和ませるために、そして彼らは私が空を飛べるということを信じていなかったので、わざと飛べない人間のふりをしながら、細い平行台から飛び降りて、足をばたつかせながら宙で静止した。そうした静止が空中で行えるのは、飛べることの第一歩であり、みんなそれに気づいて目を丸くして驚いていた。そこからはきちんとした形で彼らに空を飛ぶ能力の指導をすることにした。フローニンゲン:2025/8/12(火)07:37
17189. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は「上昇の個人的恍惚」から「共同の覚醒」への移行過程を、雲とオゾン層の間という境界空間で描いた自己物語である。平泳ぎの姿勢で空を進むという逆説は、推進力を自然に任せる生の技法を示す。水中の泳法を空に転用している点は、情動の海と理性の空の統合を象徴し、努力の力学が「力むのではなく調律すること」へ転回していることを物語る。雨雲の下から絶えず聞こえる車の音は、地上世界との細い絆であり、耳を羅針盤とする帰巣本能である。高みの孤独と下界の生活感覚の併置は、卓越の歓びと所属への渇望の同時進行を示す。「なぜ自分だけが空を飛べるのか」という問いは、才能の疎外感と同類探しの衝動であり、空に他者や地球外的存在を無意識に探る所作は、同高度の仲間を求める直観の発露である。高度を下げると現れたロンドン風の街は、文化資本と学知の象徴としての都市像である。学術書が積まれたオフィスで幼少期のアニメ主人公と一心同体になる変身は、子ども時代の理想自我と成熟した研究者的自己の結節であり、他者からの歓待は外的承認の獲得を示す。室内を飛び回って再び外へ出る動線は、内的世界での自在さが外的実践へ拡張するリハーサルである。テーマソングを歌いながら飛ぶ場面は、外界の車の音という他律的指標が消えても、自作の物語と声という内的拍子が航法になることを示す。すなわち指標の主権が外から内へ移る転換点である。ところが車の音が消え、無人島へ不時着する展開は、外的参照系を失った後に訪れる非社交的孤域への沈降である。湖中央の奇妙な建物は、心的曼荼羅の中枢=避難の聖域であり、そこに逃げ込む人々は多様なサブパーソナリティ、あるいは同道の仲間像である。モビルスーツを着た来訪者は、内界の資源を効率と搾取の論理で測るテクノクラート的傾向の擬人化であり、島=内的自然を植民地化しようとする衝動である。体力の限界で飛行不能となる挿話は、個人の超越だけに依存した戦略の限界を告げる。ここで「全員が飛行能力を得なければ脱出できない」という条件が提示されることの意味は、救済がもはや個人技ではなく、内的共同体と現実の共同体の双方での能力共有に懸かるという倫理的宣言である。自分が飛行教師となり、わざと飛べないふりをして信頼を醸成し、細い平行台からの宙の静止を第一歩として見せる場面は、指導者性の成熟を示す。平行台は二極間の均衡の象徴であり、宙での静止は「落下と上昇のはざまに住む」止観の技法である。このデモは、壮大な離陸よりもまず微細な滞空を体得せよという教示であり、境界でとどまる力が境界を越える力に先行するという洞察である。夢全体は、孤高の飛翔者から場づくりの触媒へ、耳で地上を確かめる者から声で道を拓く者へ、搾取の論理に晒される島から護られた聖域を共同で運営する島へと、役割の重心が移るプロセスを語る。覚醒後の課題は、外的ノイズに頼らず内的テーマを拍子木としつつ、疲弊で翼を失わぬ節度を保ち、内外の仲間に「滞空」という最小単位の自由を伝播させることである。そうしてはじめて、この島からの出立は個の脱出ではなく、共同の離陸となるのである。フローニンゲン:2025/8/12(火)07:55
17190. 量子現実と唯識
量子現実(quantum reality)とは、量子力学が明らかにするミクロ世界の在り方を指す概念であり、それは古典物理学的な実在観とは根本的に異なる性質を持っている。量子現実の最も顕著な特徴は、まず第一に「重ね合わせ(superposition)」である。これは、ある粒子が複数の状態を同時に取ることができるという現象であり、観測されるまでその状態は確定しない。また、「非局所性(non-locality)」と呼ばれる特徴も重要であり、これは空間的に離れた粒子同士が瞬時に相関を持つ、いわゆる「量子もつれ(entanglement)」に関連している。さらに、「観測問題」として知られる問題系も量子現実の核心にある。すなわち、観測という行為が量子的状態を決定づけるという点で、観測者と対象との間に明確な境界が存在しない。これらの性質に共通するのは、「現象は本質的に確率的であり、観測行為なしには確定的な現実は存在しない」という非決定論的世界観である。このような量子現実の性質は、仏教の唯識思想と驚くほどの共鳴を見せる。唯識とは、すべての現象は「識」、すなわち意識の変化によって生起するという哲学であり、外界の客観的実在性を否定し、主観的認識の構造を分析することで真理に迫ろうとする体系である。量子現実における「観測が現実を決定する」という命題は、唯識が説く「万法唯識」、すなわちあらゆる現象は識の現れにすぎないという教義と極めて近似している。外界が意識とは無関係に存在するという実在論的世界観は、量子力学によって根底から揺らぎ、代わって「観測者の参与によって世界が構成される」という相互依存的世界観が前景化する。唯識においては、私たちが経験する現象界は「遍計所執性(虚構的な投影)」であり、それは個々の識の業(行為と習慣)によって構成される幻想的な世界にすぎない。これに対して、量子現実もまた、粒子の性質が観測されるまで不確定であることを示しており、「独立した世界」が先に存在するという前提を否定している。唯識ではこのような虚構性を乗り越えるために、「依他起性(縁起的現象)」を観察し、その本質にある「円成実性(真実の相)」を見極めることが求められる。これは、量子的な揺らぎや不確定性の背後にある「意識の構造」を照らし出そうとする行為に他ならない。また、量子もつれの非局所性は、唯識が説く「識の連続的相互依存性」とも深く関係している。唯識では八識が説かれるが、その中でも阿頼耶識は、すべての経験の根底にある深層的意識として機能し、個々の現象はこの識の波動によって生起されると考える。つまり、一見別々に見える事象も、実は深層的な識の場において連関しているという見方がされている。これは、量子的非局所性が示す「空間を超えたつながり」と重ね合わせて理解できる。両者に共通するのは、「世界は離散的かつ個別的な存在の集まりではなく、全体的な相関の網の目として現れている」という構造的認識である。さらに、量子現実は「確率的決定」と「波動関数の収縮」という二重性によって特徴づけられる。これは、観測以前の状態が「可能性の束」であることを意味しており、仏教の縁起観における「未然性(potentiality)」と合致する。つまり、すべての現象は「条件が整えば現れるが、独立しては存在しない」という縁起の理が、量子論の確率的性質によって科学的に裏付けられていると解釈することが可能である。結論として、量子現実が明らかにする世界観は、唯識思想の中心的命題——意識が世界を構成し、現象は観察と認識によって成り立つ——という立場と極めて整合的である。量子力学が「客観世界の終焉」を告げたことは、古代仏教が長らく主張してきた「無自性・縁起・唯識」の三位一体的教えを現代的に再発見させる契機となっている。科学と仏教哲学はもはや対立するものではなく、「現象の背後にある構造と認識の共鳴」を通じて、統合的な宇宙観を築きうる段階にあると言えるだろう。フローニンゲン:2025/8/12(火)09:32
Today’s Letter
Quantum reality profoundly resonates with the worldview of Yogācāra. Both reveal the fundamental nature of reality and show us how we can transcend the mundane world. Groningen, 08/12/2025

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