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【フローニンゲンからの便り】16821-16823:2025年6月13日(金)



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タイトル一覧

16821

深層意識に浸透する探究/己の鉱脈を大切に掘り続けて

16822

今朝方の夢

16823

今朝方の夢の振り返り

16821. 深層意識に浸透する探究/己の鉱脈を大切に掘り続けて


時刻は午前7時半を迎えた。昨日の朝と同様に、今日も起床直後から燦然とした朝日が輝いている。昨日はかなりハードなパーソナルトレーニングを受けたこともあってか、自然と10時間ほどの睡眠を取っており、熟睡をしていた。それくらいの十分な睡眠のおかげで心身ともに回復し、今日の活動も集中して取り組めそうである。今日は気温が上がり、今この瞬間でもすでに16度の気温があり、日中の最高気温は29度に達する予定である。明日は30度に達するようで、フローニンゲンもそろそろ夏と呼べるような時期に入って来たのかと思う。ただし、明後日からはまた20度前半の最高気温となり、穏やかな気温の日々となる。8月に入ると真夏日が数日続く日もあるかと思うが、8月を迎えるまではこのように数日だけ30度前後の日がやってくる感じだろう。昨年はそうであった。今年はどうなるか観察が楽しみである。


今日もまたライフワークとしての学術研究に専心していく。今は再び唯識に焦点を当てながら学術書を読むことに加え、広く大乗仏教全般やインド思想にまで範囲を広げて探究をしている。今のところは探究範囲を広げたとしても大乗仏教までが良いような気がしている。ここから積極的に英語で論文や学術書を執筆していこうと思っている対象は唯識思想であり、唯識思想と言ってもまずは日本法相唯識であるから、あまり関心範囲を広げてしまうと、専門性を確立しようとしている日本法相唯識に関する理解が浅くなってしまう。探索と関与の双方の塩梅を見ながら、基本的には自分の専門領域を深ぼる方向で探究を進めていき、時折探究範囲を広げていくという形が良いだろうか。探究範囲を広げていく時にも、とにかく自分が面白いと思うテーマやトピックを中心にして文献読解を進めていくことを大切にしたい。学びの根幹には常に喜びと楽しさがなければならない。それらの感情がなければ継続できないし、また広げるものも広がらず、深めるものも深まらないのだ。昨日の午後の仮眠中に漢文のビジョンが現れる体験をした。それぐらいに日々漢文文献の読解と註釈に向けた論文執筆に打ち込んでいる。どうやら深層意識にまで漢文を通じた探究が浸透し始めているようである。それはとても良い兆候だ。今日もまた良遍の『観心覚夢鈔』の見開き2ページほどの漢文をワードファイルに転写していく作業を進める。この毎日2ページの転写作業が、いつか必ず実を結ぶだろう。それがあって初めて次の翻訳と註釈のフェーズに移っていける。日々地道な探究を続けていくこと。それを大切にしたい。もう1つ自分の内側にある鉱脈を大切にしたいと思う。人は誰しも自分の鉱脈がある。それを掘り続けたから今の自分があるのだ。そしてここからも自分は己の鉱脈を掘り続けて宇宙に突き抜ける。そのような思いを持ちながら今日の探究を味わいながら楽しむ。それがいつか誰かの、そして世界の役に立つと祈念しながら。フローニンゲン:2025/6/13(金)07:55


16822. 今朝方の夢 

 

今朝方は夢の中で、前職時代の会社のメンバーと社員旅行に出掛けていた。旅先はどこかわからなかったが、日本のどこかの町であることは間違いないようだった。それを思わせたのは、神社や仏閣の存在、そして山の様子が日本のそれを思わせたからである。山の麓で一度休憩となり、そこのトイレに行った。トイレから出て来たところで、ある上司と少し会話をした。その方は途中入社で会社に入ってきており、その方も一旦この会社を離れて再び戻って来たようだった。私も一旦その会社を退職し、海外留学を挟んで再びこの会社に戻って来た。その会社の魅力についてお互いに話したところ、やはりチームのメンバーとその雰囲気だということに落ち着いた。そこから話はその方が今住んでいる場所になった。今の会社のオフィスは大阪と東京の二重拠点になっていて、それがまるで量子の重ね合わせのような状態にあり、当日になって初めてオフィスが決定するという不思議な仕組みになっていた。なので大阪か東京のどちらかに住居を構えるか、両都市に住居を持つ人もいた。しかしその方は、どういうわけか奈良を選んだとのことだった。奈良の魅力については以前自分も旅行をして知っていたこともあったが、改めてその方がどのような魅力を感じているのかを尋ねることにした。すると、概ね自分が考えている魅力と同じだった。そこで突然場面がオフィスのフロアに移った。私は再びこの会社に入社することになり、自分の席は他のメンバーと違う場所に置かれていた。机の上は閑散としており、ポツンと一台の小さなデスクトップのパソコンが置かれていた。それには布が被されていて、布を取ると、そこに現れたのはとてつも無く古い、おそらくパソコンが初めて誕生した時のパソコンだった。このようなパソコンでは仕事にならないと思い、自分が自宅で使っているノートパソコンを持参しようかと思った。すると後ろから上司や同僚に声を掛けられ、彼らが自分の再入社を祝ってくれている様子が伝手ってきて嬉しくなった。そこから自分に与えられた最初の仕事に取り掛かろうとした時に、閑散とした机の上に書類を入れるフォルダが10個ぐらい現れ、その近くに色鉛筆をそれぞれ4本ぐらい置くことをしていった。それは無意識的に行ったことで、なぜ自分がそのようなことをしたのかは定かではない。4本の色鉛筆は特定の1色に固定されていて、10個のフォルダに色を対応させていって色鉛筆を並べた。外国人の同僚がある色鉛筆を取ろうとした時に夢の場面が変わった。もう1つ覚えているのは、日本法相唯識思想に呼ばれ、探究に打ち込む自分がいた場面である。日本法相唯識思想に導かれ、探究に打ち込む自分はとても活き活きしており、生命力に満ち溢れていた。そのような活力漲る自分がいたことを覚えている。フローニンゲン:2025/6/13(金)08:16


16823. 今朝方の夢の振り返り


今朝方の夢は、かつて所属していた組織との「再会」と「再統合」を主題としながら、自己の時間軸――過去·現在·未来――を重ね合わせ、その重なりの中で新たなアイデンティティを作り変えようとする心の動きを映し出している。まず社員旅行という枠組みは、共同体に再び迎え入れられる儀礼空間の設定である。旅先が明示されないまま「日本のどこか」とされ、神社や山という象徴的風景が置かれたのは、具体的地名ではなく「日本的なるもの」――すなわち自己の精神的故郷そのもの――を舞台化し、そこでかつての仲間との縁を結び直そうとする無意識の意図を示す。「山の麓での休憩」は登拝=精神的上昇の前段階であり、トイレに入る行為は古典的には浄化と再生のイメージに重なる。排泄のプロセスを経て古い感情を洗い流し、出て来たところで上司と対話することで、外的権威との関係を改めて結び直す構図が描かれているのである。その上司もいったん退社し再入社しているという設定は、自身の離脱と帰還を鏡のように映す。互いに「一度離れて戻って来た」者同士が、会社の魅力として「チームの雰囲気」を挙げる場面は、外面的な制度や待遇ではなく、人と人との場――すなわち縁起的な繋がり――こそが帰還を促す内的磁場であったことを告げる。ここで語られる二重拠点〈大阪/東京〉は、量子の重ね合わせとして語られることで「決定済みの現実」がまだ定まらない流動状態を示し、観測=当日出社という具体的行為を介して初めて現実が確定するという比喩的構造が与えられている。夢の自我は、この不確定性を不安としてではなく「選び取れる豊かさ」として読み替えようと試みるが、上司が選んだのは第三極である奈良である。奈良は日本文化の源流へ遡る場であり、二元対立を超えた「第三の場所」あるいは中道を象徴する。古都に潜む悠久の時間が、量子揺らぎする現代都市の即時性を包摂し、自己の根を深い層に繋げ直す座標として提示されているのであるとChatGPTは述べる。場面転換後のオフィス·フロアは、再統合のプロセスが「具体的日常」へ落とし込まれる局面を示す。衆人環視の広間に置かれた自分の席が皆と離れているのは、共同体にいながら依然として「周縁」に置かれる感覚を象徴する。その机上に布を被せられたまま眠る太古のパソコンは、過去の自己概念あるいは古いスキルセットを具体物へ凝縮したモニュメントであり、布を剥ぐ行為は無意識の封印を解く儀礼である。しかし現れるのは「仕事にならないほど古い」機械であり、これは過去のままでは現在の課題に応じられないという洞察を突き付ける。自宅のノートPCを持参しようと考えるのは、外部(私生活·留学経験)で培った新しい能力を職場にインポートして補完しようとする意図の発露である。次に現れる十個のフォルダと四色の色鉛筆は、無意識が自動的に生成した「秩序化」の儀式である。十は完全性を示す数であり、四は東西南北あるいは四大元素を象徴する。固定された四色を対応づけることで、語り手は多様な案件(フォルダ)を基本的な類型(四色)へと整理し、世界を再分類し直す内的操作を行っている。同僚――しかも外国人――が色鉛筆に手を伸ばした瞬間に夢が切り替わるのは、その「類型化作業」が異文化的視点によって撹乱される可能性、すなわち自己の秩序が外部他者によって刷新され得ることを示唆している。ここには内と外、自己と他者の協働的再編が予兆として潜む。そして最後に浮上する「日本法相唯識思想の探究に没頭する自分」は、これら一連の象徴を最も深い層で統括するイメージである。唯識は「万法は識の所変」と説き、外界と心の二元を乗り越えて現象を心的構成として捉える。その枠組みは、量子重ね合わせというメタファーや、奈良という源流回帰、四色による類型化など、夢全体に散りばめられたモチーフを貫いて統合する哲学的背骨となる。唯識探究において語り手が「生命力に満ち溢れていた」という描写は、内的に立ち上がるダイナミズムが、単なる思考遊戯ではなく生動感を伴った実存的課題であることを示す。ここで夢は、外的キャリアや職場環境の問題を超えて、認識そのものの構造を改造することで真の適応力と創造性が生まれると告げるのである。総じて、この夢の構造は「回帰と刷新」「二元性の超克」「内的秩序化と外的撹乱」という三重の層を揺蕩わせながら、最終的に唯識的世界観へと収斂する円環を描く。古い職場という既知の共同体へ戻りつつも、奈良という第三極や外国人同僚の介入によって自己と世界の枠組みを再定義し、そのプロセスを通じて「すべては心の映像である」と悟る道筋が示されている。したがって、この夢は単なる懐旧でも職場復帰への不安でもなく、「認識転換を伴う再生劇」の序幕であり、自分が近未来において外的キャリアと内的精神探究を統合した新たな生き方を開くべき転換点に立っていることを告げる啓示である。フローニンゲン:2025/6/13(金)08:30


Today’s Letter

A little bird chirping soothes my mind. It feels like a remedy, but I know I must delve into the fundamental causes of my inner disturbances. Groningen, 06/13/2025

 
 
 

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