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【エディンバラ大学からの便り】19368-19371:2026年10月11日(日)

10月13日
読了時間: 8分


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タイトル一覧

19368

今日の計画

19369

今朝方の夢

19370

今朝方の夢の振り返り

19371

即興演奏における自由と制約の創造的関係


19368. 今日の計画 

               

時刻は間も無く午前6時を迎えようとしている。自室でのHIITのトレーニングを終え、冷水シャワーを浴びて一息ついている。辺りはまだ真っ暗で、換気のため窓を開けているのだが、外はとても静かで小鳥の鳴き声が聞こえてくる。新鮮な空気に加えて、こうして小鳥の鳴き声が自室に入ってくることは嬉しい限りである。ここ最近は、エディンバラ大学でのコースワークとコースワーク外で進めている査読付き論文の執筆のリズムがとても良い。両者の塩梅を掴むことができており、お互いが良い影響を与え合っているのがわかる。以前にも言及したように、何の目的もなしに文献に目を通しているだけだと理解が深まらない。実際に論文の執筆という実践がそこに加わると、理解は驚くほど深まる。やはりアウトプットを意識するのとしないのとでは、学習効果に雲泥の差があることがここからもわかる。今日もまた時間があるので、11月中旬に提出予定の論文の執筆を前に進めていきたい。それに並行して、DHBRでの連載記事にも着手できたらと思う。こうした形で午前中を生産的に過ごし、午後には近所のTESCOで食料品を購入したい。その前に、今日はスーパーの近くのドラッグストアに立ち寄り、糸巻き型のフロスとスティック型のフロスを購入しておこうと思う。これまではずっとスティック型のものを使っていたが、それだけでは落としにくい奥歯の汚れを綺麗にするために糸巻き型のフロスも購入予定だ。買い物から戻ってきたら、今日はいよいよ、ブランダン・エイカー氏のクラシックギターの即興演奏コースの最後のライブセッションがある。最後のセッションに向けてすでに質問事項は用意してあり、その他に追加の質問事項がないかを確認しておきたい。エディンバラ:2026/10/11(日)06:03


19369. 今朝方の夢 

                     

今朝方の夢は非常に断片的だった。断片のピースの中に、次のような場面があった。その場面では、サッカー日本代表候補に入ったわずか15歳の選手とグラウンドで一緒にサッカーの練習をする機会があった。私以外にももう2人ほどその場にいて、私たちは全員サッカー日本代表だった。最年少の彼とは年齢の差を気にしない形で和気藹々と話をしながら練習していた。最初の練習では、リフティングの技術を競う課題に取り組んでいて、その最年少の彼が私たちよりも遥か先のレベルの課題をクリアしたので、全員でそれを褒めた。その課題では、ボールをタッチする箇所と順番が事前に決まっていて、まるで円周率を覚えるかのように、大量の記憶が必要だった。そうした膨大な記憶をどのように行なったのかがとても気になったので、彼にその工夫を尋ねてみたところ、彼は非常に見事な工夫をして膨大な量の記憶をしていたことがわかった。それに対して私たちは感嘆の声を漏らした。彼はサッカーの才能があるだけではなく、広く学習全般に才能があることがそこからわかり、彼のここからの将来が楽しみだった。彼は性格的にも素直で、人懐っこく、そうした性格であればきっとどの国に行っても活躍し、重宝される選手になるだろうと思った。彼の将来がとても楽しみで、自分の気持ちは高揚していた。そのような場面があった。エディンバラ:2026/10/11(日)06:26


19370. 今朝方の夢の振り返り

                                        

今朝方の夢は、自分の内面における世代交代と、才能に対する価値観の成熟、そして未来の可能性との出会いを象徴しているのかもしれない。断片的な夢の中で、この場面だけが鮮明な感情を伴って残ったことにも意味があるように思われる。夢全体が砕けた鏡であるなら、この場面は、その破片の一つに未来の光が差し込んだ瞬間なのであろう。サッカー日本代表という舞台は、自分が長年培ってきた能力を、より大きな共同体の中で発揮したいという願望を表しているのかもしれない。代表選手であることは、単に卓越した個人であることを意味しない。共通の目的に向かって異なる才能が協働することを意味する。自分が15歳の少年と対等に交流していたことは、年齢や経験による序列を超え、能力と人格そのものを尊重する姿勢の象徴であろう。とりわけ興味深いのは、少年が圧倒的な技術を示したとき、自分が嫉妬や敗北感ではなく、純粋な感嘆を覚えたことである。この感情は、自分の中で競争の論理が学習の論理へと転換しつつあることを示唆しているのかもしれない。他者の卓越性は、自分の価値を脅かす影ではなく、未知の世界を照らす灯火なのである。少年の成功を喜ぶ自分の姿には、優れた学習者であると同時に、他者の成長を喜べる教育者としての成熟が映し出されているようにも思われる。リフティングの課題が円周率の暗記に似ていたことも象徴的である。サッカーという身体的な営みが、膨大な記憶と精密な順序を要求する知的活動へと変貌している。これは、自分が取り組む学術研究と音楽演奏の共通構造を暗示しているのかもしれない。無数の知識や動作は、単なる断片の集積ではなく、適切な秩序を与えられることで一つの旋律になる。少年の記憶術に強い関心を示したことは、自分が成果そのもの以上に、卓越性を生み出す学習の仕組みを探究しようとしていることの表れであろう。また、15歳という若さは、実在する他者だけでなく、自分自身の中で新たに誕生しつつある可能性を擬人化したものとも考えられる。長年の経験を持ちながら、新しい学問領域では再び初心者となる。そのような自分の内側に、年齢を持たない若い学習者が息づいているのかもしれない。少年の驚異的な才能は、自分の未来にまだ開かれている成長の余地を映す鏡なのであろう。少年が将来どの国でも活躍できると感じたことは、現在の異文化環境での生活とも響き合っているように思われる。ここで重視されたのは技術だけでなく、素直さや人懐っこさであった。知性がどれほど優れていても、人間的な開放性がなければ、その可能性は閉じた器にとどまる。逆に、他者から学ぶ柔軟性があれば、才能は国境を越えて育つのであろう。この夢の核心は、少年の才能そのものではなく、その未来を喜ぶ自分の心にあるのかもしれない。自分は夢の中で、才能を所有することよりも、才能が花開く世界に立ち会うことに幸福を見いだしていた。そこには、人生を自分一代の達成としてではなく、可能性が次々と受け継がれていく長い河として捉え始めた精神の姿が表れているのであろう。エディンバラ:2026/10/11(日)07:08


19371. 即興演奏における自由と制約の創造的関係 

                           

先週の日曜日に行われた前回のブランダン・エイカー氏のライブセッションでは、即興演奏の自由とは、何の制約も持たずに弾くことではなく、自分で選んだ制約の中で可能性を広げることなのだと改めて感じた。なかでも印象に残ったのは、短いフレーズを二度繰り返して長いフレーズで結ぶ「短・短・長」という構成も、絶対的な規則ではないという指摘である。「長・長・短」でもよいし、同じ発想を三度提示して四度目に変化させてもよい。型は想像力を縛る檻ではなく、音楽を組み立てるための足場なのである。和声については、即興演奏の発展を四つの段階で考える説明が興味深かった。同じコード進行を反復する段階から、異なるセクションに別の進行を与え、さらに平行長調と短調の間で調の中心を移し、最後には遠隔調への転調へと進む。まずは一つの調で使える七つのダイアトニック・コードを把握し、既存の進行に一つだけ新しい和音を加える。慣れた技法はそのままに、変数を少しずつ増やすという方法は、技術の習得全般にも通じると思った。自分が以前から気にしていた、ギターで弾きにくい調での即興についても、明確な答えが示された。嬰ハ短調や嬰ヘ長調では開放弦が使いにくく、左手がセーハに拘束されやすい。そこで、六弦や五弦を根音とするメジャー・マイナーの可動式コードフォームを覚え、形ごと移動させるのである。ただし、調を自由に選べるなら、わざわざ楽器の特性に逆らう必要はない。難しいことを選ぶのが高度な音楽なのではなく、響きの美しさを引き出す選択こそ大切なのだろう。さらに魅力的だったのは、十度の重音に開放弦のドローンを重ねる技法である。主音か属音を鳴らし続け、その上や下で音が動くと、単純な仕掛けから豊かな残響が生まれる。時にはドローンと動く声部が不協和を起こすが、そこを通過して解決してもよいし、あえて響きを楽しんでもよい。ハ長調で高音のミをドローンにするとイ短調の気配が生じる、という参加者の発見も面白かった。理論を理解していても、実際の耳が教えてくれることは尽きない。十度の運指を覚えるには、形の反復に加え、全音・半音の配列や調号を意識することが役立つという。CAGEDのような音階ポジションの体系は単旋律の即興に有用でも、複数の声部を同時に扱うクラシックギターには和声の理解が不可欠だという説明にも納得した。旋律で同じ音を繰り返す場合も、強弱の方向性があれば音楽は前進する。そしてテンポは、最初の試行で成功できる速さを自分で決めればよい。今回のセッションから受け取った最も大きな示唆は、即興の自由は無限の選択肢を一度に抱えることではない、ということである。二つか三つの要素に絞り、そこから音楽を育てていく。和声の語彙には一定の限界があっても、アルペジオ、重音、ドローン、旋律の反復を組み合わせる音の質感には、ほとんど尽きることのない可能性がある。これからは難しさを追い求めるより、一つひとつの響きを聴きながら、自分にしかできない変化を探っていきたい。エディンバラ:2026/10/11(日)10:20


Today’s Letter 

Creative improvisation emerges from constraints. Constraints are not limitations but gateways to infinite possibilities. My improvisation will continue to evolve and someday soar into the universe. Edinburgh, 10/11/2026

 
 
 

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