【エディンバラ大学からの便り】19364-19367:2026年10月10日(土)

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タイトル一覧
19364 | 順調に進む研究活動 |
19365 | 今朝方の夢 |
19366 | 今朝方の夢の振り返り |
19367 | ジュリオ・サグレラスの教則本とバッハの『ゴルトベルク変奏曲』の難易度から |
19364. 順調に進む研究活動
時刻は午前7時を迎えた。今、ようやく辺りが少しずつ明るくなって来ている。今朝はゆったりと午前5時半に起床し、そこからアパートメントのジムに行った。今日もまた誰もおらず、最初から最後まで貸切の状態でSprint8のプログラムを楽しむことができた。新たなトレーニングレベルでの身体的な適応も進んでおり、進歩を実感しているが、もうしばらくは現状のレベルにとどまることになるだろう。今日は午後に第204回のゼミナールのクラスがある。今日のトピックは、「発達の変動をどのように測定するか」というものだ。クラスに向けて、課題文献の予習をしておきたい。それに加えて、来週の火曜日の仏教研究手法のコースを担当するバングラデシュ人のウパリ・スラマン博士から昨日送ってもらった2つの翻訳文章に目を通しておきたい。火曜日の課題文献はすでに初読を済ませているが、それらの翻訳はまだ未読なので、今日中に初読をし、自分なりの考えや質問をまとめておく。昨日は仏教倫理のコースの最初のエッセイ課題の1つ目のドラフトを完成させた。字数としてはわずか500字の制限のものだが、逆にその少ない字数制限が難しさを生んでおり、重要な論点に絞り、それを深めていくような形で執筆をしていった。おそらく今回の試みで形式に慣れたと思うので、ここから隔週で提出していく残り3回のショートエッセイの課題についても早めにドラフトを完成させておきたいと思う。それともう一つ、昨日ようやくJapanese Religionsのジャーナルに投稿する予定の論文の構想が固まった。昨日の午前中に、執筆に必要な全ての論文をエディンバラ大学の図書館の協力によって入手することができ、それをもってしてどのような構成で、どの論文を引用しながら何をどこまで議論していくのかのアウトラインを決めていった。ここで一度、AIの力を借りて、査読者としてその構成案にコメントをもらい、そのフィードバックを受けて実際の執筆を進めていきたいと思う。ここまで構成案が練られていれば、迷子になることなく、勢いを持って執筆をしていけると思われる。今回の査読付き論文を通じて、エディンバラ大学の図書館をどのように活用し、ILLサービスなどの活用方法もわかったので、文献入手についてはもう困ることはなさそうである。そして、構成案を練って執筆に向けて準備をするということも習慣化すれば、今後もコンスタントに論文を執筆していけそうだ。それだけ日本法相唯識に関しては書きたいことが山ほどある。エディンバラ:2026/10/10(土)07:12
19365. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、小中高時代のある友達(AF)が見慣れない山奥の2つの神社で神主になっていた。2つの神社のうちの片方を彼に案内してもらうことになり、神社の境内の入り口で、彼がお清めのマントラを唱えてくれ、自分もそれを復唱することにした。それで心身が清められ、晴れて境内に足を踏み入れると、その瞬間に何か神聖かつ爽やかなエネルギーが流れてくるのを感じた。すると場面が切り替わり、自分と同世代でかつてサッカー日本代表で活躍していたある選手と話をする機会があった。その選手がある代表戦の試合を語り始めた途端、タイムスリップし、実際に自分はそのスタジアムの実況席にいた。代表チームは見事な連携を見せており、間接フリーキックのサインプレーは相手を欺く見事なもので、それが見事にはまり、彼がゴール前に抜け出して見事にゴール左隅にゴールを決めた。試合後、そのゴールについて詳細な解説を彼から聞くことができ、改めて今の代表チームは技術に加えて知性も高度に備えていることがわかった。
次に覚えているのは、立派な温泉宿に両親と宿泊している場面である。温泉を堪能した後、食事の時間となり、各部屋には雰囲気の良い囲炉裏があり、父が地元の野菜をこれまた地元の味噌で和える鍋料理を作ってくれ、それが大変美味だった。最後の方ではゴマとチーズを和えることにしたところ、それがまた大変美味だった。すると不思議なことに、そこに栄養士の専門家の中年男性が現れ、その方から先ほどの自分の食材の組み合わせについて意見を求めた。それらはどれも素晴らしい組み合わせだったようで、道理で味もよく、そして食べた瞬間に身体の調子が整い、エネルギーが満ちてくる感覚があったことが頷けた。エディンバラ:2026/10/10(土)07:32
19366. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、一見すると神社、サッカー、温泉宿という異なる三つの場面から構成されているが、その深層には「浄化・協働・統合」という一貫した発達過程が流れているように思われる。自分が新たな知的・精神的成熟の段階へ移行するにあたり、精神、知性、身体という三つの次元を再調律しようとしている夢なのかもしれない。冒頭の山奥にある二つの神社は、自分の内面に存在する、まだ十分に探索されていない精神的領域を象徴しているのではないだろうか。興味深いのは、神主が幼少期からの友人である点である。これは、未知の精神世界へ進むための案内人が、実は遠い過去の自分自身の中に存在していることを暗示しているのかもしれない。二つの神社は、過去から受け継いだ精神的基盤と、これから形成される新たな精神的世界という二重の可能性を表しているとも考えられる。境内でマントラを復唱する行為は、単なる儀礼ではなく、日常的な意識から深い精神的集中へ移行する通過儀礼であろう。境内に踏み入れた瞬間に感じた爽やかなエネルギーは、自分が研究対象として探究している宗教的世界を、概念的理解から身体的実感へと転換しようとする内面的欲求の表れかもしれない。知識という地図を携えるだけでなく、その土地に実際に足を踏み入れるような変化である。続くサッカーの場面では、精神的浄化から知的協働へと主題が移行する。間接フリーキックの巧妙な連携は、個々の能力を超えた集合的知性の象徴と解釈できるだろう。自分が実況席にいることも重要である。自分は競技者ではなく、複雑な出来事の構造を読み解く観察者として存在しているのである。これは、学術研究において個々の思想や資料の関係を俯瞰し、表面的には見えない論理的連関を発見しようとする姿勢に通じるのかもしれない。さらに、選手の語りによって過去の試合へ移動し、その後に本人から戦術的解説を受ける展開は、歴史研究の方法そのものを思わせる。自分は過去の出来事を再構成し、当事者の論理を理解し、そこから新たな意味を発見しようとしているのであろう。最後の温泉宿は、それまでの精神的・知的活動を身体へと着地させる場所と考えられる。父が地元の食材で料理する光景は、自分を支えてきた家族的基盤と文化的土壌の再発見を意味するのかもしれない。味噌、野菜、ゴマ、チーズという異なる食材の調和は、異質な思想をそれぞれの特性を損なわずに統合する営みの比喩にもなる。これは、自分が取り組む法相唯識と他宗派の思想的融和という研究課題にも響き合うだろう。栄養士の登場は、直感的に感じた調和を専門的知識によって検証する働きを象徴しているのかもしれない。美味しさという経験的確信と、栄養学的説明という理性的理解が重なるのである。三つの場面を貫くのは、自分が神聖なものを感じ、知的構造を理解し、身体的な充足を経験するという流れである。神社では清められ、競技場では洞察を得て、囲炉裏では養われる。今回の夢は、自分にとって成熟とは知識を蓄積するだけではなく、精神と知性と身体が一つの交響曲として響き合うことなのだと、象徴的に語りかけているのかもしれない。エディンバラ:2026/10/10(土)07:46
19367. ジュリオ・サグレラスの教則本とバッハの『ゴルトベルク変奏曲』の難易度から
昨日ふと、毎日取り組んでいるジュリオ・サグレラスの教則本を眺めていたところ、難易度の表示が目に入った。第一巻から第三巻までは「難易度2~3(全6段階)」、第四巻から第六巻までは「難易度4~5(全6段階)」となっている。これまでは巻数に従って少しずつ難しくなる教材として弾いていたが、この数字を見ると、自分がクラシックギターという長い登山道のどのあたりを歩いているのかが、少し可視化されたように感じた。ショット・ミュージックの難易度は六段階で、1が「非常に易しい」、2が「易しい」、3が「中程度」、4が「やや難しい」、5が「難しい」、6が「非常に難しい」と考えればよい。したがって、第一~第三巻の2~3は、単なる初心者用というより、基礎を固めながら中級へ移行していく領域である。一方、第四~第六巻の4~5になると、中級後半から上級へと橋を渡り始める段階になる。ここで注意したいのは、この「6段階」が英国王立音楽検定などの「グレード6」と同じ意味ではなく、出版社独自の難易度表示であるという点である。こう考えると、サグレラスを毎日練習する意味も少し違って見えてくる。前半では右手と左手の基本動作、声部の独立、和音、分散和音などを身体に染み込ませることが中心となり、後半ではそれらを同時に扱う能力が求められるようになる。教則本というより、巻を進めるにつれて「練習曲」と「演奏曲」の境界が少しずつ曖昧になっていくのである。では、そのさらに上にある難易度6とはどのような世界なのだろう。これは単に速く指を動かせるということではなく、複雑な多声部を保ちながら、それぞれの声部を歌わせ、大きな位置移動や難しい運指、音色の変化まで同時に処理し、それでも演奏が自然に聞こえる段階であると思われる。例えばブリテンの『ノクターナル』、ヒナステラの『ギター・ソナタ』、ロドリーゴの『祈りと踊り』、あるいはバッハの『シャコンヌ』の高度なギター編曲などは、その頂上付近を想像する目安になるだろう。そこでは、技術を見せることよりも、技術そのものが透明になり、その奥から音楽が現れることが求められる。そして興味深いのが、以前購入を検討したヨージェフ・エトヴェシュ編曲によるバッハの『ゴルトベルク変奏曲』である。この全曲版はショット・ミュージックでは「難しい」、すなわち六段階では概ね難易度5に位置づけられている。とはいえ、全30変奏を一台のギターで演奏する約80ページの大作であり、すべての変奏が同じ難しさというわけではない。多声部を維持しながら高速の音型を処理する箇所などは、実際の演奏感覚として難易度6に近づく部分もありそうである。そう考えると、サグレラスの第四~第六巻は、自分にとって『ゴルトベルク変奏曲』へ向かう長い助走路になり得る。今すぐ山頂へ急ぐ必要はない。毎日の練習の中で、運指、声部、和声、音色を一つずつ身体に沈めていけば、今は遠くに霞んでいる『ゴルトベルク変奏曲』も、いつか「難曲」ではなく、自分の言葉で語る「音楽」として見えてくるのかもしれない。エディンバラ:2026/10/10(土)19:02
Today’s Letter
Today passed like a beautiful piece of music. Day by day, my life is becoming more musical. The more I deepen my musicality, the more I experience everyday life as music. 2026/10/10(土)Edinburgh, 10/10/2026



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