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【エディンバラ大学からの便り】19354-19358:2026年10月8日(木)

11 分前
読了時間: 11分


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タイトル一覧

19354

動的システム理論の原理に沿って

19355

今朝方の夢

19356

今朝方の夢の振り返り

19357

筋トレをする時間帯についての再考

19358

ヴォイシングの重要性


19354. 動的システム理論の原理に沿って

                                    

時刻は午前5時半を迎えた。今の気温は4度と低く、起床した午前4時半前と同じ気温である。そのような気温の中、アパートメントのジムに行き、今日もまたSprint8のプログラムをこなした。時刻は5時前ということもあり、ジムには誰もおらず、プログラムが終了した時にも人はやって来なかったので、完全に貸切の状態であった。前回はラウンドの後半でフォームがぶれ、キツさがやってくる瞬間があったが、今日は最初のラウンドから最後のラウンドまで安定した走りができた。現在週末のゼミで学習しているように、動的システム理論の原理に合致するような現象が本当に自分の身に起こっていることに驚く。発達プロセスには絶えず揺れがあり、その揺れ幅もまた変動する。前回は下振れした形である種の一時的な退行現象が起こり、今回はそこから脱却し、来たる相転移に向けて再び安定の道を歩み始めたようだ。こうした現象は、身体的なトレーニングにのみ当てはまるのではなく、9月から始まったエディンバラ生活全般に当てはまることだろう。生活環境への適応はほぼ完了しており、エディンバラ大学での研究リズムも掴めてきている。ここからこのリズムがさらに安定し、継続的に学術的な成果を積み重ねていくことができそうだ。ジムでのトレーニングを終えて、真っ暗な夜明け前の空を眺めると、満点の星空が見えた。エディンバラに到着してすでに1ヶ月以上経つが、夜明け前に空を眺めたことは一度もなく、今日何気なく空を眺めたら星空に気づいた。こうして天からの祝福と御加護を受けながら、今日もそして明日もそれからも、自分は日々の学習と実践を大切にしながら歩みを少しずつ前に進めていく。エディンバラ:2026/10/8(木)05:53


19355. 今朝方の夢

         

今朝方は夢の中で、見慣れない建物の中の上層階のフロアにいた。そこはとても開放的なスペースを持っており、まるでラウンジのようで、幾つものソファ付きのテーブル席があった。あるテーブル席に腰掛けると、隣に見知らぬ若い女性がやって来た。どうやらそのフロアでは、見知らぬ男女がその場で出会い、会話を楽しむ機会が提供されているようだった。私は隣に座った女性とすぐさま楽しく会話を始めた。すると、見知らぬ2人の若い男性がやって来て、その女性に声をかけた。男性のうちの1人は先輩風を吹かせており、少し横柄な態度に思えた。実際のところ、彼は別に横柄な態度を直接的に示していたわけではなく、全体的な雰囲気からそのように感じたのである。後輩らしき男性がその女性に声をかけると、その女性は少し嫌そうな表情を浮かべた。後輩も後輩で、彼の方がより横柄な態度でその女性に接したのである。ここは自分から彼らに忠告をしようと思ったのだが、その瞬間に、その女性は結構気が強かったので、自分で自らの不快な感情をぶつけた。とりわけ後輩風の男性はたじろいでしまい、先輩らしき男性は謝罪の言葉を述べた。そこから彼女と私はその場をあとにすることにし、もっと落ち着いた場所で話の続きをしようと思った。ところがいつの間にか彼女は消えており、フロアを見渡すと、もう男女の全員がペアになっていて、自分と話ができる女性は1人もいないようだった。自分は別にそのことに対してあまり気にしておらず、話し相手がいないのであれば別のフロアに行くか、この建物をあとにしようと思った。エディンバラ:2026/10/8(木)06:03 


19356. 今朝方の夢の振り返り

                            

今朝方の夢は、人間関係における自由と自律性、他者への介入と信頼、そして出会いへの執着からの解放という三つの心理的主題が交差する、興味深い構造を持っているように思われる。とりわけ、出会いから葛藤、離別、そして自由な選択へと展開する物語は、自分の内面的な成熟過程を映し出しているのかもしれない。夢の舞台となった見知らぬ建物の上層階は、自分が現在到達しつつある新たな意識の地平を象徴している可能性がある。上層階という垂直的な位置は、単なる社会的地位ではなく、物事をより広い視野から眺める心理的な高度を暗示しているのであろう。開放的なラウンジは、異なる価値観や人格が交差する知的・社会的空間の比喩とも考えられる。自分はそこに所属しながらも、特定の席に永続的に留まることを求められていないのである。隣に現れた若い女性は、必ずしも恋愛的対象を意味するわけではなく、自分の内側にある感受性、対話への欲求、あるいは未知の可能性を人格化した存在なのかもしれない。自然に会話が始まったことは、自分が新しい人間関係や未知の思想に対して、以前よりも柔軟に心を開けるようになっていることを示唆しているようである。そこに割り込んできた二人の男性は、権威と序列に依存する社会的関係の象徴として解釈できそうである。興味深いのは、先輩らしき男性の横柄さが明示的な行為ではなく、自分の受け取った雰囲気によって判断されていた点である。これは、他者の振る舞いを評価する際、自分の認識そのものが現実の構成に関与していることを暗示しているのかもしれない。仏教的にいえば、対象の性質と、それに付与された解釈との境界が問われているようにも見える。さらに重要なのは、自分が女性を擁護しようとした瞬間、彼女自身が毅然とした態度で不快感を表明したことである。これは、他者を守ろうとする善意と、他者自身の主体性を尊重する姿勢との間に生じる微妙な緊張を表現しているのではないだろうか。自分が介入しなくても、相手には自ら境界線を引く力が備わっている。夢は、慈悲とは必ずしも他者に代わって行動することではなく、相手の自律性を信頼することでもあると語りかけているのかもしれない。そして、女性が突然姿を消し、周囲の男女が全員ペアになっていた結末は、夢全体の意味を反転させる重要な場面である。出会いを求める物語は、いつの間にか出会いを必要としない自由の物語へと変貌しているのである。自分は取り残されたことに焦燥感を覚えず、別の階へ移動することも、建物そのものから退出することも選択肢として受け入れていた。この態度は、関係性を拒絶する孤立ではなく、関係性に依存しない充足を象徴しているのかもしれない。建物が社会という巨大な劇場であるならば、自分はそこで与えられた役を演じ続ける必要がないことに気づき始めているのであろう。誰かと共に座ることも、一人で次の階へ向かうことも、等しく開かれた可能性なのである。今回の夢は、自分にとっての成熟とは、望むものを必ず獲得する能力ではなく、望むものが去ったあとにも、自らの歩みを自由に続けられる力であることを示唆しているのかもしれない。エディンバラ:2026/10/8(木)06:17


19357. 筋トレをする時間帯についての再考

     

昨日、筋トレをする時間帯について少し考えた。これまで何となく、筋肉をつけるなら午後や夕方の方がよいのではないか、早朝のトレーニングは効率が悪いのではないかと思っていた。しかし調べてみると、そこまで単純な話ではないことが分かった。確かに、筋力や瞬発力そのものは午後から夕方にかけて高まりやすい傾向があるという。起床直後よりも体温が上がり、筋肉や関節も動きやすく、神経系の働きも活発になっているためである。同じ重量を扱うにしても、夕方の方が身体が軽く感じられる人は多いのだろう。しかし、ここで注意しなければならないのは、「夕方の方が力を出しやすい」ということと、「夕方の方が筋肉がつきやすい」ということは同じではないという点である。筋肥大にとってより重要なのは、トレーニングの時間帯そのものよりも、適切な負荷を継続的にかけること、徐々に重量や回数を高めること、十分なタンパク質とエネルギーを摂ること、そして睡眠を確保することである。そう考えると、自分にとって早朝がもっとも継続しやすい時間なのであれば、無理に夕方へ変更する必要はないことになる。むしろ自分の場合、早朝に身体を動かすことには別の利点があるように思う。朝の静かな時間帯に筋トレを終えてしまえば、その後の研究や勉強に集中しやすくなる。身体を動かすことが一日の始動スイッチとなり、頭の中の霧が晴れていく感覚もある。筋肉だけを見るのではなく、一日全体のリズムまで含めて考えれば、早朝トレーニングには十分な意味がある。ただし、早朝は身体がまだ完全には目覚めていないので、ウォームアップはより丁寧にした方がよい。起床直後の身体は、冬の朝のエンジンのようなものである。いきなり全開にするのではなく、少しずつ温めながら回転数を上げていく必要がある。軽い運動を数分行い、その後に軽い重量から徐々に本セットへ移る方が安全である。また、空腹状態でトレーニングすると力が出にくい場合もある。自分が問題なく動けるのであれば必ずしも食事を先に取る必要はないが、筋肥大を目的とするなら、トレーニング後の朝食で十分なタンパク質を取ることは意識しておきたい。結局、「筋肉がつきやすい魔法の時間帯」を探すより、自分が長期的に続けられる時間を選ぶことの方が重要なのだと思う。身体は毎日の反復に適応していく。早朝が自分の生活に自然に組み込まれているのであれば、その時間こそ自分にとって最適なトレーニング時間なのである。エディンバラ:2026/10/8(木)07:15


19358. ヴォイシングの重要性 

                               

先日、クラシックギターの師であるブランダン・エイカー氏から、音楽表現の本質に関わる重要なメッセージを受け取った。それは、すべての音を正確に演奏できていたとしても、旋律が聴き手に届くとは限らないということである。特に複数の音を同時に奏でる場合、この問題は顕著になる。例えば、和音を一つの手の動きとして習得すると、それぞれの弦に対してほぼ均等な力を加えがちである。しかし、すべての音が同じ音量で鳴っていると、聴き手はどの音を中心に聴けばよいのか分からなくなってしまう。エイカー氏は、これを食卓で全員が同時に話している状況にたとえている。全員の言葉が存在していても、誰の話を聴けばよいのかが分からない。音楽においても同様に、すべての音が存在していることと、聴き手に意味のある旋律が伝わることは、まったく異なるのである。ここで重要なのが、ヴォイシング(voicing)、すなわち複数の声部のうち、どの声部を際立たせるかという演奏上の選択である。ギターでは、一般的に高音が目立ちやすいため、最高音が旋律を担うと考えがちである。しかし、必ずしもそうである必要はない。低音や内声を際立たせることで、それらを主役として聴かせることもできるのである。そのためには、右手の各指を独立して制御する能力が求められる。弦をより大きく変位させれば、ほかの条件が同じであれば音は大きくなり、変位を小さくすれば音は控えめになる。こうした微細な制御によって、複数の音の間に音量の階層を生み出すことができる。興味深いのは、演奏技術として習得するには時間がかかる一方で、聴覚的な違いは短時間でも理解できるという指摘である。エイカー氏は、二つの音を同時に奏でる箇所を選び、低音を強調する場合、高音を強調する場合、両者を均等に奏でる場合を比較する練習を提案している。これは、音楽表現における自分の意図を、聴覚を通じて確認する訓練であろう。指の動きを制御するだけでなく、音楽を注意深く聴き、その結果に応じて演奏を調整する。演奏と傾聴が循環することで、表現の精度が次第に高まっていくのだと思う。この教えは、今後取り組みたいバッハ風の即興演奏にも大いに関係している。複数の声部が独立しながら調和する音楽では、どの声部に注意を向け、どのような音量の関係を築くかによって、同じ音の組み合わせでも異なる音楽的表情が生まれるからである。さらに、このメッセージには、演奏技術を超えた哲学的な示唆があるように思う。それは、表現とは単に多くの要素を生み出すことではなく、それらの間に意図的な関係性を築く営みだということである。学術論文でも、すべての議論を等しく強調すれば、中心的な主張は埋もれてしまう。重要なのは、何を前面に出し、何を背景として支えるかを見極めることである。音楽も文章も、その選択によって初めて一つのまとまりを持つのであろう。今後のギター練習では、音を正しく鳴らすことだけに満足せず、一つひとつの音が全体の中でどのような役割を果たしているのかを意識したい。指先の繊細な動きと、それを導く聴覚をともに磨いていきたいと思う。旋律とは、最も高い位置にある音ではなく、演奏者が聴き手に届けようと選び取った声なのである。エディンバラ:2026/10/8(木)09:21


Today’s Letter 

I got up at 4:30 a.m. and went to my apartment building’s gym for a HIIT workout. After training, I gazed up at the beautiful starry sky before dawn. It was the first time I had seen such a magnificent sight since arriving in Edinburgh. The stars seemed to illuminate the path ahead of me, as though gently guiding me on my journey through life. Edinburgh, 10/8/2026

 
 
 

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