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【エディンバラ大学からの便り】19343-19346:2026年10月6日(火)

10月8日
読了時間: 10分


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タイトル一覧

19343

今日の計画

19344

今朝方の夢

19345

今朝方の夢の振り返り

19346

仏教文化人類学者のジョナサン・スペンサー教授の授業を終えて


19343. 今日の計画

                     

時刻は午前5時半を迎えた。辺りはまだ真っ暗でわからないが、誰かが門を開け、外出したようである。このような時間から働きに出かけているのか、はたまたゴミ出しに出ただけなのかはわからないが、自分と同じく早い時間帯から活動している人がいるようだ。今の気温は10度で、今日の最高気温は14度である。幸いにも今日もまた雨は降らないようなので、午前中に大学に行く際には折り畳み傘を持っていく必要はなさそうである。今日は午前9時から仏教研究手法に関するクラスがある。毎週変わる講師の話は大変興味深く、今日はエディンバラ大学、シカゴ大学、オックスフォード大学で教育を受けたジョナサン・スペンサー教授がクラスを担当する。スペンサー教授の専門は、仏教の民俗学で、これまで自分は文献読解方法を主たる研究手法としてきたこともあり、スペンサー教授の民俗学的アプローチは大変興味深い。事前に課題文献を読む中で、いくつもの質問やコメントを用意しているので、今日のクラスではそのうちのいくつかを取り上げることができたらと思う。2時間ほどのクラスを終えたら、今日もまた宗教研究プログラムのアメリカ人のウェスリーを交えて、仏教プログラムの全員で近くのカフェに行き、先週と同じく仏教・宗教談義をするかもしれない。これが毎週のグループの習慣となれば、お互いの関係性をさらに深めることができるだろう。今日も午後2時から森里先生のオフィスで面談の予約をしているので、みんなとのカフェでの談義は昼までとし、持参する昼食を神学部の食堂で摂って、食後は図書館で勉強に取り組んだり、いつものように20分ほど仮眠を取ることを考えている。図書館の2階には、とても静かなリーディングルームがあり、ここは先日受付の女性に教えてもらったとっておきの場所である。そこでクラスの振り返りをしたり、研究の続きに取り掛かったり、仮眠を取ったりしたいと思う。今日の森里先生との面談では、修士論文の研究計画について話ができたらと思う。昨日、ワードファイルの研究計画書を先生にメールで送っているので、今日はそれを元に先生からまたフィードバックを受けることができたら幸いである。エディンバラ:2026/10/6(火)05:39


19344. 今朝方の夢

                      

今朝方は夢の中で、実際に通っていた中学校の教室を思わせる空間の中にいて、宇宙論を元にした映画作品の解説を聞いていた。解説を担当していたのは、小中学校時代の野球部のある友人(YA)で、彼が監督を務めてこの作品を作り上げたようだった。彼にそのような才能があるとは知らなかったが、彼の話が面白く、同時に素朴な疑問が色々とあったので、そのうちの一つをぶつけてみた。その場には彼だけではなく、映画制作をサポートしたチームとして宇宙論の研究者と大学院生が何人もいて、彼らの専門性に自分はとても関心があった。そうしたこともあり、閃いた質問を次々とぶつけたいと思っていたのだが、一問目の素朴な質問の回答にどうやらかなり手こずっているようだった。素朴ながらも、逆にとても鋭い質問だったようで、誰もすぐさま回答できないようだった。実は質問をした自分には、自分なりの仮説と回答がすでにあり、彼らが答えに窮しているようだったので業を煮やして、自分が黒板の前に立ち、自ら解説を始めた。そもそも監督の彼の話だと、今回の作品では、銀河系を舞台にしており、そこから離れた場所に関連した地球上での活動は取り上げないと述べていたが、実際に作品で取り上げられているのはそれと矛盾していた。なので私はそこに突っ込む質問を投げかけ、彼が銀河系とかけ離れた場所と述べた箇所と実際にこれから取り上げてほしいと思う活動が行われる場所の距離を測ることを勧めた。研究者も大学院生も困った顔を浮かべていたが、両者の距離を測るというのは中学生でも思いつくことで、その計算方法も二つの地点の座標を簡単に計測できるはずなので、容易に距離が導かれると思った。勢いよくそのことを話すと、教室にいて話を聞いていた一般の学生から二つの座標を得られたので、さっと計算すると、両者が宇宙の中では驚くほど近い14,000kmという距離にあったので、監督の友人が述べていることと矛盾していると指摘した。彼はもうたじたじの状態になっていて、そこからさらに自分の方で自らの仮説を元にした解説を披露すると、宇宙論の研究者も大学院生もそれに聞き惚れていた。全ての解説を終えると、その場でアンケートが取られた。アンケートの自由記述の欄の回答が黒板に書かれ、驚いたことにその場にいた全ての人が自分の質問からの解説に褒めちぎる評価を与えてくれていて、それを知ってとても清々しい気持ちになった。


もう一つ覚えているのは、見慣れない新幹線に乗っている場面である。新幹線の中を歩いていると、その先にグリーン車があることがわかったので、自動ドアを開けてそこに行ってみると、なんとその場が飛行機の国際線のビジネスクラスのような作りになっていたので驚いた。さらに驚いたことに、そこに高校一年生の時のクラスメートの友人がいて、彼がアイマスクをして休憩しているのに気づいた。彼と再会できたことの喜びもあり、またちょっとした悪戯心から、彼の肩をチョンと叩いてその場を後にすることにした。グリーン車には機内のキッチンのような場所があり、そこで働いている女性のスタッフがいた。グリーン車を抜けると、今度は乗客のスーツケースがぎっしりと詰まった車両に遭遇し、そこには席はなく、文字通りスーツケースが山のように置かれていた。スーツケースの山の上を歩きながら、次の車両に到着すると、今度はまた穏やかな雰囲気を持つゆったりとした車両だった。今度はそこは機内のファーストクラスであるかのような広大な個室空間が広がっていて、そこに日系イタリア人の2人の男女がいて、2人が自分宛に手紙を書いているようだった。その手紙を彼らは読み上げてくれ、手紙には自分への感謝の念と、自分の持つ音楽的感性と知性の素晴らしさをこれ以上ないほどに褒め称えてくれており、それを聞いて深く感動した。エディンバラ:2026/10/6(火)06:02


19345. 今朝方の夢の振り返り

                     

今朝方の夢全体は、自分の中で「学ぶ者」と「語る者」、「旅の途中にいる者」と「すでに評価され始めている者」が入れ替わりつつある時期を象徴しているのではないかと思われる。二つの場面に共通しているのは、自分が他者から知識や価値を受け取るだけではなく、自分自身が知性や感性を差し出し、それを他者から認め返されている構造である。中学校の教室は、自分の知的形成の原点を表している可能性がある。ところが、そこで扱われているのは宇宙論という極端に大きな主題である。この組み合わせは、自分の思考が「昔の教室」という小さな器から、「宇宙」という巨大な射程へ広がっていることを映しているのかもしれない。さらに興味深いのは、専門家ではない昔の友人YAが映画監督になっている点である。これは、自分が人物や物事を肩書によって固定せず、思いがけない可能性を発見する姿勢を象徴しているとも考えられる。しかし夢の核心は、自分が専門家集団に素朴な問いを投げ、その問いが専門知を揺さぶる場面にあるように思われる。自分はすでに仮説を持っており、最終的には黒板の前に立つ。この展開は、自分の知的立場が「正しい答えを教えてもらう学生」から、「前提そのものを問い直す研究者」へ移行していることを示唆しているのではないか。14,000kmという数字も象徴的である。相手が遠いと想定していた二地点が、宇宙的尺度では驚くほど近かったという発見は、自分が一見離れている思想、分野、経験の間に隠された近接性を見つける力を表しているようにも見える。自分の研究姿勢そのものが、星座を作るように散在する点を線で結び始めているのかもしれない。後半の新幹線は、その知的変化を時間軸に置き換えた場面であるように思われる。新幹線は自分の人生が高速で次の段階へ進んでいることを示し、それぞれの車両は人生の異なる層を表しているのではないか。高校時代の友人がグリーン車で眠っているのは、過去の人間関係が消滅したのではなく、自分の旅の途中に静かに保存されていることを示しているのかもしれない。特に印象的なのは、スーツケースだけが山積みになった車両である。これは、自分がこれまで蓄積してきた経験、知識、記憶、期待が「荷物」として存在している象徴とも考えられる。自分はそれを捨てるのではなく、その上を歩いて次の車両へ進む。過去が重荷であるだけでなく、文字通り足場になっているのである。そして最後に現れるファーストクラスのような空間は、到達点というより、自分の内側に形成されつつある精神的余白を表しているのではないか。そこで音楽的感性と知性の双方が賞賛されることは重要である。夢は、自分に「知性か芸術か」を選ばせていない。むしろ両者を二つの翼のように扱っているように見える。前半では知性が、後半では感性が他者から承認される。したがってこの夢は、自分が単一の専門性へ細く収束するのではなく、研究と音楽、分析と直観を統合した独自の自己像を作り始めていることを示しているのかもしれない。夢全体を一つの比喩で表すなら、自分は「教室の黒板から宇宙へ線を引き、そのまま列車に乗って未来へ移動している」のである。そこで繰り返し与えられる称賛は、単なる自己顕示願望というより、自分の内部で育ちつつある「自分の声を信頼してよい」という感覚が、他者の声を借りて返響している可能性がある。エディンバラ:2026/10/6(火)06:16


19346. 仏教文化人類学者のジョナサン・スペンサー教授の授業を終えて 

                                         

つい先ほど、仏教文化人類学者のジョナサン・スペンサー教授の授業を終えた。スペンサー教授とは偶然建物の前でクラスの前に遭遇した。10分ほど前に神学部の講義棟に到達したところ、事前に写真で見ていた教授がカードキーの前で立ち往生しているのを見かけたのですぐさま歩み寄り、学生カードでドアの鍵を開けた。スペンサー教授曰く、エディンバラ大学で名誉教授の立場を与えてもらっているが、実際には給料をもらっているわけでもなく、また建物内にアクセスする権限もないと後ほどクラスの中で笑いながら述べていたのが印象的である。そうした出会いからクラスが始まり、今日はとりわけ仏教研究における文化人類学的アプローチ・民俗学的アプローチについて学ぶことができて大変有意義だった。クラスの中では今日もまた積極的に質問をし、3つ質問を通じて、とりわけ仏教研究において民俗学が果たす固有の価値の輪郭を掴むことができた。このコース全体の最終課題として、リサーチペーパーでは日本法相宗を取り上げ、その際に是非とも文化人類学的な観点を採用したいと思う。今日のクラスでは、チベット仏教・ネパール仏教に関心のあるキエランが10分ほどのプレゼンを担当した。クラスの中では質問する時間がなかったので、クラス終了後、課題文献で扱ったミャンマーの一風変わった葬式と同様に、チベットやネパールにおいても、仏教思想が独自の実践として形式化した具体例があるかを尋ねた。そこで改めて知ったのは、日本では神仏習合の現象があるように、チベットにおいては仏教とボン教の習合があり、ネパールにおいては仏教とヒンドゥー教の習合があり、そこからユニークな文化現象が現れていると教えてくれた。細かくは尋ねなかったが、そうした宗教的混合によって、特殊な社会実践が存在することは想像に難くなかった。今日は森里先生との面談があるので、仏教プログラムのメンバーたちと授業後のカフェに同行できなかったが、来週は同行し、クラス後の仏教談義に花を咲かせたい。ちょうどゲイブからは西田哲学について意見交換をしようとクラス後に持ちかけてくれたので、その話題について彼と話すのが楽しみであるし、彼との対話に向けて自分も色々と西田哲学について調べ、考えを巡らせるであろうから、ゲイブの存在のおかげでまた研究領域と知識が拡張しそうである。エディンバラ大学神学部の図書館:2026/10/6(火)11:23

 
 
 

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