【エディンバラ大学からの便り】19311-19315:2026年9月29日(火)

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タイトル一覧
19311 | 2つのジャーナルの査読付き論文の投稿に向けて |
19312 | 今朝方の夢 |
19313 | 今朝方の夢の振り返り |
19314 | 探究仲間に恵まれて |
19315 | 森里先生からの種々の有り難い助言 |
19311. 2つのジャーナルの査読付き論文の投稿に向けて
時刻は午前6時半を迎えた。今朝は午前6時に起床するという形で随分と遅い起床となった。昨夜の睡眠時間はいつも通り、いやいつもより少し早いぐらいの午後8時45分ごろで、そこから速やかに眠りについたのだが、途中で一度も起きることなく午前6時まで熟睡していた。昨日は正午から午後4時にかけて、2人の若い知人と話をしていて、話に花が咲き、こちらも多くの刺激を受けたことが、睡眠中に咀嚼する情報量をいつもより増大させていたのかもしれない。いずれにせよ、昨日の2人との会話はとても楽しく有意義なものであったし、眠りの量も質も申し分ない形である。
いつもより遅めに起きたことに加え、今日は午前9時から仏教研究の様々なアプローチに関する授業がある。そのため自宅を早めに出発する必要があり、朝はあまりクラシックギターの練習を出来なさそうなので、午後に帰って来てからゆっくりと練習したい。とは言え、昨日通知があった日本仏教研究ジャーナル誌が査読付き論文を募集していることを知り、さらには仏教研究の大家ジェイ・ガーフィールド教授の功績に敬意を表する形での査読付き論文の募集があることを知り、どちらにも応募してみようと思う。後者は来年の1月に概要の提出をすればよく、時間的なゆとりがあるが、前者に関しては論文そのものを11月中旬に提出しなければならないようなので、期限はさほどない。今、改めて編集者のペーターセン・エスベン博士からの返信メールを見ると、11月中旬においては完成した論文ではなく、概要の詳細でも良いとのことだった。しかし、すでに良遍に関して執筆したい論文のドラフトはいくつも作っており、そのうちの一つを選ぶ形で、それを肉付けし、ブラッシュアップしていけば、11月中旬に提出できるかもしれない。ちょうど今日の午後、指導教官になっていただく予定の森里先生と話をする機会があるので、そのオフィスアワーの時間に先生に相談してみようと思う。エディンバラ大学に提出する修士論文では、註釈研究というこれまで試したことのない研究アプローチを採用しようと思っている。その練習を兼ねて、今回の日本仏教研究ジャーナルに投稿することはとても意味があることのように思う。エディンバラ:2026/9/29(火)06:48
19312. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、大学時代のゼミの友人2人(TA & YN)と見慣れない部屋にいた。彼らとは大学時代にはとても仲が良く、ゼミが終わるとその足でジムに行き、夕食を共にするような生活を2年間ほど営んでいた。そんな彼らであるはずが、どういうわけか1人の友人の機嫌が悪く、お腹が空いているからなのかと思った。かつて本人も、お腹が空いている時には機嫌が悪くなり、無口になると述べていたことを思い出した。しかし、無口と言っても限度があるだろうというほどに何も喋らず、喋らないどころか、こちらかの声掛けを常に無視するという状態だった。それに対してこちらにも苛立ちの感情が芽生え、なんとか彼の注意を引くために、彼が不在の間に届いていた重要な書類がその部屋に置かれていたのを見つけ、それらをまとめて細かく破りちぎることにした。すると、それを見ていたもう片方の友人がそれはやりすぎではないかと忠告をしたが、私はその忠告に耳を傾けず、最後まで細かく切り刻み、何らなダメ押しとして、それらを水に浸して復元不可能にしようとまで考えた。
もう一つ覚えているのは、エディンバラの風情ある街を歩いていた場面である。街並みを堪能しながら楽しく歩いていると、気づけば見慣れない建物の中にいて、そこで大きく、そして不思議な犬と出会った。その犬は人間の心の機微を掴めるだけではなく、いかなる他の生き物にも姿を変えられる性質を持っていた。形のみならず、大きさも変幻自在に変えることができ、その犬の変身をまるでショーのように楽しんでいたし、その犬も自分だけにショーを披露して楽しんでいるかのようだった。エディンバラ:2026/9/29(火)06:57
19313. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、自分の内側で起きている二つの異なる変化の仕方を、前半の「破壊」と後半の「変身」という鮮やかな対照によって映し出しているのかもしれない。前半に登場する大学時代の二人の友人は、単に過去の人物というより、自分がかつて安心して所属していた世界、すなわち友情、習慣、共同生活、若い頃の自己像などを象徴している可能性がある。ところが舞台は大学ではなく「見慣れない部屋」である。これは、過去の関係そのものを再現しているのではなく、現在の自分の心理空間へ過去の人間関係が持ち込まれていることを示しているようにも思われる。そこで最も重要なのは、友人の沈黙である。自分は最初、その不機嫌を空腹という既知の理由で理解しようとする。しかし今回は説明が通用せず、声まで無視される。これは、自分がこれまで理解できていたはずの人間や世界が、突然「読めないもの」になる不安を表しているのかもしれない。沈黙は壁のようなものであり、自分はその壁を壊すために、言葉ではなく破壊という強い行為を選ぶのである。特に「重要な書類」を細かく破る場面は象徴的である。書類とは、契約、記録、資格、約束、社会的意味など、「形として固定されたもの」の象徴とも考えられる。それを破り、さらに水に浸して復元不能にしようとする行為には、相手を困らせたい衝動以上に、「反応しない世界なら、その世界を支えている秩序そのものを消してしまいたい」という極端な力が表れている可能性がある。もう一人の友人の忠告は、自分の中の冷静な観察者、いわば暴走する馬の手綱を握ろうとする部分なのかもしれない。しかし後半では雰囲気が一変する。エディンバラの街を楽しみながら歩く自分は、過去ではなく現在の新しい人生を歩いている。そして見慣れない建物の内部で出会う巨大な犬は、前半の破壊衝動とは正反対の「変化する力」を象徴しているように見える。犬は忠誠や親しさの象徴でありながら、あらゆる生命へ姿を変え、大きさまで自由に変化する。つまり固定された形を壊す必要はなく、形そのものを柔軟に変えればよいという別の可能性を示しているのかもしれない。そう考えると、この夢全体には「切り刻む変化」から「変身する変化」への移行が描かれているようにも思われる。前半の自分は、理解不能なものに直面すると世界の紙面を破ろうとする。後半の自分は、理解不能なものを驚きながら眺め、その変化をショーとして楽しんでいる。まるで夢が、自分に「古い自分を燃やして新しくなる必要はない。水のように器に合わせて姿を変えることもできる」と語っているかのようである。そして、その不思議な犬が「自分だけ」に変身を披露している感覚は、自分自身のまだ知らない可塑性が、ようやく自分の前に姿を現し始めたことを暗示しているのかもしれない。エディンバラ:2026/9/29(火)07:09
19314. 探究仲間に恵まれて
時刻は午後3時半を迎えた。確かに朝の気温は下がってきたが、今日は晴天に恵まれ、朝の8時過ぎに自宅を出発し、大学に向かう過程のウォーキングは大変心地良かった。今日は午前9時から、アメリカ人のアビゲイル・マクベイン博士のレクチャーを受けた。エディンバラ大学に来る前からマクベイン博士の研究内容には関心を持っていたので、大変楽しみにしている授業で、その期待を裏切ることなく大変刺激の多い内容だった。先生は東アジアにおける仏教伝播を通じた文化交流に関心があり、直近では仏教のコンテクストにおける音楽伝播を研究しているとのことで、今日のレクチャーの最後にその点についてこちらの方から質問をした。今日のクラスもまた前回と同様に、自分が最初の質問を投げかけ、以降も積極的に質問やコメントをする形でクラスを盛り上げ、同時に自身も多くの知見が得られた。このコースは大学院生だけを対象にしており、修士の仏教プログラムに在籍しているイーサン、ゲイブ、ジェス、キエラン、自分だけではなく、博士課程に在籍している中国出身のイーランがいる。彼女はランカスター大学で学士・修士を取得し、博士過程もランカスター大学でスタートしたとのことだったが、指導教官が大学からいなくなってしまったとのことで、エディンバラ大学に転籍してきたとのことである。彼女の出身地は、玄奘三蔵にゆかりのある土地とのことで、その話で盛り上がり、自分の研究上古典中国語を参照するので、その読解で何か悩みがあったら遠慮くなく声をかけてほしいという優しい言葉をもらった。部屋に到着して驚いたのは、先日仏教倫理のコースで知り合ったシカゴ出身のアメリカ人のウェスリーが部屋にいたことである。ウェスリーに声をかけたところ、仏教倫理は日時の都合上履修をやめて、その代わりにこのコースを履修することにしたとのことだった。2時間のクラスは始終白熱するディスカッションで盛り上がり、その勢いで全員で近くのカフェに行って、そこからさらに1時間半ほど仏教や自分が切り出したサイケデリック体験についての話で盛り上がった。こうして素晴らしい仲間に恵まれることができて、本当に有り難さを感じている。カフェを出てから、オーストラリア人のゲイブとは神学部のキャンパス内の食堂に移動し、そこからさらに1時間ほど昼食食べながら有意義な意見交換をした。エディンバラ:2026/9/29(火)15:48
19315. 森里先生からの種々の有り難い助言
今日の出来事でもう一つ特筆するべきは、論文の指導教官候補の森里先生と面会をさせていただいたことである。かねてより今日の面談の時間がとても楽しみで、今朝の行き道にも先生と話しをしたいことを色々と考えていた。先生のオフィスに到着すると、満面の笑みで迎え入れてくださり、そこから突如として哲学・思想的な話題となり、最初から最後まで非常に示唆に富む時間であった。哲学・思想的な話題に関してここで深入りすることはせず、先生からいただいた助言で非常に印象に残っているのは、ヨーロッパの博士課程はアメリカのそれと違い、即戦力として、例えるなら大学野球からメジャーリーグのプロとして活動(活躍)することが期待されているので、修士の段階から自分の船を作る意思を持って過ごすと良いと述べてくださった。そのために、修士課程の学生だからという理由で査読付き論文の執筆や学会発表に躊躇するのではなく、むしろ提出して拒絶を喰らう経験をたくさんすることもまた良い学びであり、それに耐性をつける形で自分の研究をどんどんと深めていくことを勧めてくださった。また、非常に有り難い助言として、安易に西洋哲学と唯識思想を比較することを初期の段階から意識するのではなく、最初のうちはとことんまで唯識思想の理解を深めていくことを勧めてくださった。これは個人的に大変有り難い助言だった。査読付き論文に加えて、専門書の出版まで見据えて研究をすることも後押ししてくださった。特に良遍の思想の註釈研究は査読付き論文を超えて学術書としてまとめていくに値するとおっさっていただけて大変励みになった。こうした話の中で有り難かったのは、今回エディンバラ大学で提出する予定の修士論文は、良遍の作品の註釈論文にしようと思っていたが、それは別途独立して勧めていき、修士論文は註釈研究を進める中で出てきた問いを扱うことを勧めてくださった。個人的にはこの方向がしっくり来るような気がしている。というのも、例えばすでに良遍の作品を読む中で、良遍がどのように天台宗の一条思想と歩み寄ったのかを哲学的に論じてみたいと思っていたし、当時日本にもたらされた禅仏教を良遍がどのように思想的に評価していたのかも大変気になる。さらには、良遍は中観思想や華厳思想をどのように解釈していたのかなどにも関心があり、それだけ修士論文のテーマになるし、修士論文から派生させて幾つかの査読付き論文が執筆できそうだという考えがある。これらのアイデアを、次回の先生との面談の際にぶつけてみようと思う。また、先生からいただいた前期セメスターの過ごし方として、このセメスターは集中的に文献調査と文献読解を進めていき、執筆したとしても修士論文の目次や一章ぐらいで十分とのことだった。エディンバラ大学の文献リソースを駆使して、もう一度日本語・英語の唯識関連の論文を検索し、入手できるものは全て目を通しておこうと思う。エディンバラ:2026/9/29(火)15:59
Today’s Letter
I’m so grateful to have such wonderful cohort members in Religious Studies. All of them stimulate my curiosity and broaden my intellectual horizons. I deeply appreciate their presence, wisdom, and compassion. Edinburgh, 9/29/2026



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