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9798-9801: フローニンゲンからの便り 2023年1月24日(火)



No.4419 光のダイヤモンド_A Diamond of Light


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.2146, Human Nature

Where is our human nature heading?

The omega point is obscure.

It can be nowhere and limitless.

Groningen; 08:35, 1/24/2023


No.2147, Before a Rest

Before taking a nap, my soul completely relaxes at this moment.

During a nap, my soul would be able to relax more as it dissolves into the present moment.

Groningen; 12:59, 1/24/2023


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本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9798. 風土と自己の密接なつながりを感じて

9799. 筋肉の深層的な発達を実感して/今朝方の夢

9800. 今朝方の夢の続き

9801. 今日の批判的実在論の講座を振り返って


9798. 風土と自己の密接なつながりを感じて


時刻は午前7時を迎えた。辺りはいつものように真っ暗である。毎日このような記述をしているように思うが、この記述がいつか変わる日が来る。季節は着実に進行していて、どこかのタイミングでこの時間帯はもう日が昇っている日が来る。その日を迎えるまで同様のことを自分は書き続けるだろう。それによって、この時間帯にすでに明るくなっている世界と遭遇した時の感動はひとしおであり、その景色に感謝するだろう。


今の気温は3度だが、ここから気温は1度まで下がり、日中の最高気温は2度とのことである。今夜はマイナス2度まで気温が下がるようだ。気温は低いが晴れであることは嬉しい。このように気温について書き留めることも毎日よく行っているように思う。こうした些細なことも記録しようとしている自分について眺めてみると、それは単に気温を記録しているというよりも、外部環境と自分の距離を測っているかのようなのだ。あるいは、外面世界と内面世界の相互依存関係をつぶさに観察しようとする自己の衝動のようなものなのかもしれない。肉体を持つ自分にとって一番身近な外部環境はまさに目の前の世界であり、その世界の気温がいかほどか、天気はどうなのかということが、自分の内面世界に大きな影響を与えている。気候は風土を形作り、風土は文化を形作る。そして文化はそこにいる人の思考や行動に大きな影響を与える。毎日気温や天気について書き留めながら、自分はこの街の風土を感じ取ろうとしているようなのだ。そして自分がどれだけその風土と一致しているのか、あるいはどれだけ影響を受けているのかを探ろうとしているのである。7年間、ほぼ毎日同じような記述をしながらようやくそのようなことに気づいた次第である。それは薄々は気づいていながらも、明確な言葉になったのは今日が初めてである。また、そのような気づきを書き留めておきたいと思ったのも今日が初めてである。こうした現象が起こるまでに7年間の歳月が必要だったことを興味深く思う。それだけの長さが必要だった気づきは何の変哲もないものかもしれないが、自分にとっては大きな意味を持つ。言葉が立ち現れたことによって、自分の中でその気づきは体現されていき、風土と自己との密接な関係を体験を通じて感じることができたのだから。


さて、今日は午前中に批判的実在論の講座の第3回目のクラスがある。この講座は全4回のものなので、すでに折り返しを迎え、今日からは後半戦である。これまでのところ、毎回のクラスは洞察に満ち満ちており、今日のクラスもまた意義深いものになることを期待する。今日はバスカーが霊的転回を遂げた後の思想区分であるメタリアリティーについて学ぶ。今日のクラスが終わったら、振り返りの音声ファイルをいつものように作成し、そこから近所のスーパーに買い物に出かけようと思う。ここ最近は寒さが厳しが、それでも気分転換と散歩を兼ねて、できるだけ毎日外に出るようにしている。近所のスーパーに買い物に行くだけでも十分であり、人々の姿を見ることもどこか癒しをもたらしてくれることに気づく。社会的なつながりを感じることはとても大事だ。フローニンゲン:2023/1/24(火)07:23


9799. 筋肉の深層的な発達を実感して/今朝方の夢


時刻は午前7時半を迎え、暗闇の中で静かにまた日記を綴っている。昨日はジムで筋力トレーニングをしたのだが、結局結構身体を追い込む形でトレーニングをしていた。ところが翌日の今日はほとんど筋肉痛がなく、昨日のトレーニングの追い込みが足りなかったのかと思ったが、セット数を増やし、4セット後には筋疲労を感じていたので、正しく刺激を入れることができていたはずである。トレーニング後にしっかり栄養を補給し、ゆっくり入浴して十分に睡眠を取ったことによって筋肉がかなり回復したのだろうか。もう1つ考えられる理由として、ここまで地道に筋力トレーニングを続けていったことによって、筋肉の強度が一段階上がり、回復能力も増したのかもしれない。いずれにせよ、この様子であれば木曜日のトレーニングはまたさらに追い込んで鍛えることができそうだ。


今朝方は印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、見知らぬ小柄な女性が運転する車の後部座席に座っていた。どうやらその女性は知人のようであり、結構親しくしているようだった。後部座席に座る私の左隣には、小中高時代の友人(YK)がいて、3人で色々と話をしながら目的地に向かっていた。運転してくれている女性の方は、この間免許を取ったばかりなので、車には初心者マークが付けられていた。しかし、先日免許を取ったとは思えないほどにすでに運転に慣れていて、高速を快調に運転している姿はとても頼もしかった。その方曰く、この間は少し速度を出し過ぎてしまい、警察に止められたと笑いながら話してくれた。その話を受けて、隣に座っていた友人がふと、「そう言えば、最近は運転免許にランク制が導入されたんですよね?」と述べた。私はそんな制度が導入されたことを知らず、それに驚いた。「そうなのよ~」と運転席に座っている女性は述べ、そこから運転免許のランク制の話になった。文字通り、運転の上手い人、何も違反のない人がどんどんランクが上に上がっていける仕組みになっているらしく、しかし別にランクが上になったからといって特に何のメリットもないようだった。単なる自己満足の仕組みに勝つ、他者との比較によって優越感を感じるための仕組みのようだった。そう思うとなんだか残念な制度であり、それは悪しきランク付だと私は思ったので、その制度をまさに質的階層構造を扱う発達心理学の観点から批判した。2人は私の説明に聞き入っていて、全て話をし終える頃に目的地に到着した。目的地に到着して車から降りると、運転してくれていた女性の身長がとんでもなく小さいことがわかって驚いた。80cmから100cmほどの身長しかなく、それでどうやって運転していたのかとても気になった。だがそれについて尋ねるのは野暮かと思ったので、尋ねることはせず、おそらく高さ調節をする特殊な器具でも使っていたのだろうと思った。その女性の格好はとてもお洒落で、背負っている小さなカバンがとても可愛らしかった。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/1/24(火)07:50


9800. 今朝方の夢の続き


時刻は午前8時半を迎えた。辺りはまだ少し薄暗い。空にはうっすらと雲がかかっていることがそのようにさせているのかもしれない。いずれにせよ、今日も太陽の姿をどこかの時間帯で拝むことができるだろうから、それを楽しみに待ちたい。


この日記を書き終えたら、批判的実在論の講座のクラスまでは読書に時間を充てたい。今日からは再びゾルタン·イストヴァンの書籍を読み進めていく。昨日にフランシス·フクヤマのポストヒューマニズム批判の書籍を読み、その前日にはマイケル·サンデルのトランスヒューマニズムに対する建設的な議論が展開された書籍を読み進めていたので、イトヴァンの書籍をこれから読み進めるときには彼らの意見をもとにしてまた新たな目でトランスヒューマニズムを見ることができるだろう。このようにして、様々な著者の見解に触れながら、徐々に自分なりのトランスヒューマニズム思想を醸成していく。


先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、もう1つ印象的な夢を見ていたことを思い出した。夢の中で私は、ある外国の海沿いの家に住むことになった。そこは別荘のような豪華な邸宅で、すでに日本人の中年のある学者の方が住んでいた。どうやら家があまりにも広すぎることを理由にして、半分をシェアしてもらえるようになった。私はその学者の方と知人関係にあり、時折会ってアイデア交換をしていたのだが、向こうが私のことを気に入ってくれ、一緒に住めばより頻繁にアイデア交換ができるだろうとのことだった。私はしばらくその国で生活することになっているので、その申し出はとても有り難く、早速家に向かった。そこは岬の上に建てられていて、家は本当に立派で驚いた。外見は落ち着いたヨーロッパ風の家なのだが、中はハイテクかつモダンな作りになっていて、生活するのに全く不便はないと思った。一番嬉しかったのは、自分専用の庭がついていて、そこの土は砂浜になっていて、研究の気晴らしがいつでもそこで行えることだった。庭には石でできた立派なテーブルと椅子もあり、そこで勉強することもできた。何よりもその土地は気候が良いこともあって、毎日太陽の光をそこで浴びられると思うと幸せな気持ちになってきた。実際に朝の時間帯にこのようにして朝日を浴びてみると、幸福感が滲み出てきた。しばらく庭で寛いだ後、共有の大きなキッチンスペースに向かった。するとそこに一緒に住むことになった知人の学者の方がいて、笑顔でこちらに話しかけてくれ、早速研究の話になった。その方は先日、ノーベル賞受賞者の科学者数人の前でプレゼンを行い、その発表内容について自分にも共有してくれた。発表内容について意見を求められたので自分の意見を伝えると、その方は嬉しそうに笑って、さらに説明を続けてくれた。話がひと段落したところで、今からそのノーベル賞受賞者の科学者たちと懇親会をすることになっているとのことで、自分もそこに同席させてもらえることになった。引っ越し早々から嬉しいイベントが起きたことに感謝をし、身支度をして出発しようと思ったが、その時間がないほどにその方がすぐに出発しようとしていたので、懇親会という場だが、別に今着ているパジャマのような格好でもいいかと思った。その格好のまま家を出発したところで夢から覚めた。フローニンゲン:2023/1/24(火)08:52


9801. 今日の批判的実在論の講座を振り返って


つい先ほど、気分転換がてら近所のスーパーに買い物に行ってきた。その前には、今日の批判的実在論の講座の振り返りの音声ファイルを作成していて、気がつけば45分間ほど話をしていた。買い物に道中は軽くジョギングをしていたのでそれが良い運動になった。昨日は筋力トレーニングの日で結構体を追い込んでいたつもりだが、筋肉の疲労がほとんどなく、それは回復がうまくいっていると取るべきか、もっと追い込むべきだったと取るべきか悩ましいところである。確かに昨日のトレーニングの段階においては、各セットの最後にはそれ以上体が動かせないところの一歩手前ぐらいまで動かしていたので、これはトレーニング後の栄養補給と休息の質の高さを認めるべきだろうか。いずれにせよ、木曜日はさらに時間をかけてトレーニングをする日なので、その時にはさらに筋肉に負荷をかけていければと思う。


今日のクラスを改めて振り返ると、今日は批判的実在論の最後の発達フェーズのメタリアリティを扱うものであった。これは実在(the real)そのものを俯瞰的にみるという意味でメタであり、同時にバスカーの霊的転回を受けて、霊性学的な意味がそこに色濃く現れている。端的には、非二元を扱うという意味合いでのメタリアリティがある。今日のクラスも、メタリアリティに触れる形で進行していったのではないかと思う。バスカーが述べるように、メタリアリティも非二元も何か特殊で高度なものなのでは決してなく、日常生活の全ての瞬間にそれは常に顕現しているものなのだ。単に私たちがそれらとつながる方法を知らないだけであり、忘れているだけなのだ。即興性や創造性を働かせているときには、私たちは絶えずメタリアリティや非二元を感じているのである。


今日のクラスではその他に、ストラクチャーとメカニズムの違いが話題になった。実際に、90分のクラスのうち、大半の時間がこの話題で占められるほどに盛り上がった。受講生の皆さんの話を聞いていると、それぞれにそれらの言葉の意味合いが違っていて、今日は皆さんのそれらの言葉に対する意味の汲み取りの違いを洗い出した上で、お互いにより一歩進んだ理解を得る形でクラスが進んでいったのではないかと思う。ストラクチャーとメカニズムの違いや関係性について、自分自身も今日のクラスがなければ気づけない観点がたくさんあったので、今日のクラスの有意義さを改めて実感する。それではこれから夕食の準備の時間まで再び読書に取り掛かろうと思う。フローニンゲン:2023/1/24(火)16:25

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