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9021-9027: フローニンゲンからの便り 2022年8月31日(水)



No.3965 永劫回帰_Eternal Recurrence


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1754, Real Emancipation

Real emancipation could occur when all people liberate themselves from labor.

Full unemployment should be welcome.

Groningen; 09:08, 8/31/2022


No.1755, Contingency & Necessity

Contingency is necessary.

Necessity is contingent.

Groningen; 09:23, 8/31/2022

No.1756, Apex Animae

The spirit creates the peak of the soul.

My soul is flying around the apex.

Groningen; 11:39, 8/31/2022


No.1757, Oneness

I saw the sky.

The sky saw me.

Both became one.

Groningen; 13:10, 8/31/2022


No.1758, The Ultimate Zero Point

Everything wells up from the ultimate zero point.

It is the place for creation and infinity.

Groningen; 13:23, 8/31/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

9021. 今朝方の夢

9022. グラハム·ハーマンとラカンの書籍を読みながら

9023. 分断と同調に縁取られた社会/内面涵養の重要性

9024. 憲法に潜む宗教性の研究に向けて

9025. 頭を空っぽにする実践と時間

9026. 箏の稽古(17):Cメイジャーでの演奏を楽しんで

9027. 箏の稽古(18):学びの縁起を感じて


9021. 今朝方の夢


時刻は午前7時半を迎えた。今、穏やかな朝日が地上に降り注いでいる。今の気温は12度と低く、肌寒さを感じる。秋に入ったフローニンゲンの朝は、何か上に羽織っておかないと寒いぐらいである。


いつものように今朝方の夢を振り返り、その弾みを受けて今日の活動もまた充実したものにしたい。夢の中で私は、サッカーの大会に向けた合宿に参加していた。チームには数多くの友人がいて、彼らと合宿することはとても楽しかった。大会の初戦の相手はスペインであり、強豪と対戦できることを喜んだが、如何せん試合の開始時間が早かった。なんと、朝の3時からキックオフとのことだった。それに向けてどのタイミングで夕食を摂り、何時に寝るのかを逆算して決めなければならず、普段の生活リズムが少し崩れそうであった。それは相手も同じことなので不満を述べていても仕方なく、体調を万全にして試合に臨もうと思った。どうやら自分たちは中学生のようであり、朝3時からの試合に1年生は合宿所で待機することになった。彼らは試合に出られないので、無理に起こしてついてきてもらうのは悪いとのことから彼らは待機となった。夕食の前の時間に、応援に駆けつけてくれた同じ学年の女子たちと話をした。この大会は学校を挙げての一大イベントだったので、学年の女子全員が応援に来ていた。部屋には大会に参加する男子と応援に駆けつけてくれた女子でごった返しており、あるところで身長順に整列することになった。すると、どういうわけか自分は後ろから3番目ぐらいの身長で、このグループでは身長が高い方に属することに驚いた。そんな驚きの後、監督からメンバー発表があり、真っ先に呼ばれたのが自分の名前だった。自分は先発出場することになり、それに向けて気持ちが高まったところで夢の場面が変わった。


次の夢の場面では、バスケの地区大会に向けて実際に通っていた中学校でメンバーとたちと一緒にバスケの練習をしていた。大学時代のゼミの先輩が助っ人として加わり、戦力が大きく増した。先輩はイギリスに1年間留学していたので、その都合上、学年が1つ降りて来て、一緒にバスケができるようになったのである。先輩はバスケがとてもうまかったので、このチームにとって先輩の加入はとても有り難いことだった。しかし、先輩が加わると、副キャプテンを努めていたフォワードの友人をスタメンから外す必要があり、それは少し心が痛かった。彼にうまく説明し、納得してもらうことが自分の役割かと思った。彼に話をしてみると、意外と素直に申し出を受け入れてくれた。それはやはり先輩が明らかに頭一つ抜きん出る形でバスケがうまかったからだろう。いざ大会が始まると、先輩の加入のおかげもあり、順調に勝ち進んでいき、決勝戦では近くの強豪校と対戦した。試合はシーソーゲームで進んでいったが、タイムアウトの最中に自分は普段は見せないほどに真剣な顔でメンバー1人1人に勝つ意思を伝えていき、タイムアウト後、フィールドでは自分を信じてついてこいと大きな声で叫んでメンバーの士気を高めた。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2022/8/31(水)07:52


9022. グラハム·ハーマンとラカンの書籍を読みながら


今日も読書が順調に進んでいる。ちょうど今、3冊目の書籍を初読し始めた。その前に読んでいたグラハム·ハーマンの“Immaterialism”という書籍は大変興味深く、ブルーノ·ラトゥアーのアクターネットワーク理論と物質主義の双方に対して批判的な見解を提示し、非物質主義とオブジェクト指向存在論(object-oriented ontology)の特徴を解説している。アクターネットワーク理論と物質主義の観点で政治経済を眺めると、当然ながらそれを通じての発見はあるが、本質を見誤る危険性があるとハーマンは指摘している。本書の中に掲載されているアクターネットワーク理論の長所と短所の記述、そしてオブジェクト指向存在論の15個のルールは押さえておいて損はない。むしろそれらを押さえておくことが、社会現象を紐解く際に武器になるだろう。そんなことを思いながら初読を進めていた。


今読み進めているのはラカンの精神分析に関する本だ。ラカンの精神分析に関する本はすでにいくつか持っているが、今読み進めている“Lacan: A Beginner’s Guid”が一番読みやすい。ラカンの発見事項を網羅的にわかりやすく説明してくれていることに好感を持つ。ラカンの指摘で1つ考えさせられたのは、無意識はシニフィエを持たず、シニフィアンしかないというものだ。仮に無意識がシニフィエを持っていた場合、対象物を目にした場合に、意味が1つに固定されてしまうというラカンの指摘がある。これまで無意識の中には、シニフィアンとシニフィエの双方が満ち溢れていると思っていたが、その思い込みを改めさせてくれるような指摘である。無意識はシニフィエを持たないがゆえに、対象物を目にしたときに、コンテクストに応じて表層的な意識に様々なシニフィアンを生み出すことができるということなのだろうか。その点を含めて、考察を深めていきたいと思う。ハーマンの上記の書籍にせよ、ラカンの本書にせよ、それらは繰り返し読みたい書籍の候補になったので、優先的に再読を進める本たちが積み重なった場所に置いておきたいと思う。フローニンゲン:2022/8/31(水)09:55


9023. 分断と同調に縁取られた社会/内面涵養の重要性


先ほどから本日4冊目の書籍として、ポール·ヴィリリオの“The Administration of Fear”という書籍の初読を始めたのだが、本書を読みながら、現代は確かに分断の時代の様相を呈しているが、ヴィリリオが指摘するように、集合的に感情が同調する現象が見られ、それが集団的な狂気を生み出している側面がある。分断しているのだが極度に同調する社会において、生み出される問題はますます厄介なものとなる。分断と同調という一見すると相矛盾するものを双方含んだ存在として今の社会がある。今のところ、正の同調よりも負の同調が目立つ。正の同調を起こす手段はないものだろうか。


読書に没頭しており、気がつけば正午を目前にしている。今日は午後からジムに行ってこようと思う。次回のロビンさんとのプライベートレッスンがランク2の技の試験のため、それに向けてこれから技の精度にさらに磨きをかけていこうと思う。いつもより念入りに鏡の部屋での鍛錬に励みたいと思う。そこに置いてあるサンドバックを叩きながら技の威力についても感触を確かめたい。順番としては、まずは鏡を見ながらフォームの精度を上げていく稽古をし、そこからサンドバックを叩くことに移行していく。ランク2のワークシートを見ながら、試験で試される1つ1つの技を確認していこうと思う。ジムから帰ってきたら、夕食の準備まで箏の稽古をしたい。今はとにかく箏の技術の向上に力を入れているが、一通り奏法を身に付けたら、良き演奏者に向けては結局のところ内面の涵養が決定的に重要になることについて考えていた。内面の深さが演奏に如実に現れ、それは小手先の技術よりも遥かに重要なことなのだ。内面涵養の重要性は、何も芸術だけに限定されたことではないが、とかく楽器の演奏においてはそれが如実に現れることを肝に銘じておこう。それで言えば、武術においても内面の成熟度合いが技の表現に如実に現れる。内面と外面はこのようにして深い関係を持っている。表現活動全般において、内面をどれだけ広く深く耕すかの大切さを改めて思う次第だ。フローニンゲン:2022/8/31(水)11:58


9024. 憲法に潜む宗教性の研究に向けて


穏やかな正午の世界が広がっている。空は青く輝いていて、太陽の光もまたその輝きを顕現させている。空と太陽の輝きに呼応するかのように、そよ風も輝いている。全てが輝きに彩られた世界の中で、今このようにしてこの瞬間を味わっている。


そのような体験の最中にいると、携帯の電話が鳴り、書物が届けられた。それは日本から届けられた書籍だった。同時に郵便受けを確認すると、郵便受けに入るサイズの書籍がイギリスとドイツから届けられた。今月は250冊以上の書籍を注文したが、そのうちの大半はすでに到着し、まだ届いてないのは合計すると30冊ぐらいだろうか。今猛烈な勢いで初読を進めており、何度も繰り返し読みたいと思う書籍も随分と見つかっていることを嬉しく思う。初読を終えた書籍の中には、来年やそれ以降活躍してくれるものがたくさんある。そうした書籍を吟味して購入したのだから当たり前と言えば当たり前だが、このようにして一生涯をかけて付き合える書籍との出会いが実現されていることはまた、一生涯かけて付き合うことのできる実践や人との出会いと同じぐらいに素晴らしい。


先ほど、日本国憲法に内包する宗教性の研究に乗り出してみたいという考えが芽生えた。このところは研究テーマがとにかく思いつき、いずれもまだ着手できていない状態だが、そうしたテーマが湧き上がって来ることそのものを喜ぼう。研究もまた枯渇せずに一生涯付き合っていける素晴らしい実践領域である。日本国憲法を草案したのがGHQであるならば、そこにはアメリカに支配的な宗教観が潜んでいてもおかしくはない。同時にそれが日本の憲法であるがゆえに、日本の宗教性のようなものが潜んでいてもおかしくはない。いまだ憲法全文には目を通せていないが、憲法を宗教の観点から捉えてみるという研究には是非とも乗り出してみたいと思う。フローニンゲン:2022/8/31(水)13:46


9025. 頭を空っぽにする実践と時間


今日は晴天に恵まれ、最高気温は23度ほどになり、体感としては25度ぐらいに暖かく感じられた。ジムに行く道すがらに通ったノーダープラントソン公園では、芝生に寝っ転がっている人たちや、芝生の上にシートを敷いて談笑している人たちの姿があった。


今日もジムで爽やかな汗を流した。ジークンドーのトレーニングと自重トレーニングの際にじんわりと汗をかき、サウナでも爽快な汗をかいた。ジムの鏡のある部屋では、ランク2の技を念入りに復習していった。21個の接触法の際にはついつい手にばかり意識が向かいがちであるが、フットワークが命である。今日は足元にとりわけ意識を向け、プッシュステップを通じて接触法からのカウンターの打撃を繰り出す練習をしていった。いつもより回数を多くして、身体に正しい動きを染み込ませていった。ジムの鏡のある部屋はいつもひんやりしているが、念入りに稽古をしていると途中から汗が滲んでくる。鏡を見ながら正しい動きを定着させた後は、サンドバックを何回か叩き、再び鏡を見てトレーニングをし、再度サンドバックを叩いてみるというサイクルで1つ1つの技を稽古していった。プッシュステップのあるなしで技の威力が全く異なり、フックパンチにおいては腰の旋回力を活用することによって威力に雲泥の差が生まれる。こうした細かな発見を楽しみながらトレーニングをした後に、鏡の部屋を出て、様々な器具が置いてある広い部屋で自重トレーニングに励んだ。先日のロビンさんとのプライベートレッスンで上腕三頭筋が筋肉痛となり、それが完全には回復していない状態だったので、いつもやっている自重トレーニングのセット数を1回減らした。そこからサウナに入ってゆっくりと寛いだ。改めて、ジムで身体を動かすことやサウナに入ることの他では得難い効能を実感した。体を動かすことや、サウナで瞑想の意識状態になることは頭を空っぽにしてくれる。日々の生活において、学術探究が主にある自分にとって、頭を空っぽにする実践と時間はとても貴重である。自分にとっては、ジークンドーの鍛錬とサウナがそれに該当し、箏の演奏もまた音と一体化することを通じて頭を空っぽにしてくれる優れた実践である。


ジムからの帰り道、家の近くの元ピザ屋がカフェとしてオープンしていることに気づいた。夕方の早い時間にすでに客がいて、アルコールやソフトドリンクなどを飲んでいる人たちが結構いた。今日のフローニンゲンはいつものように平穏で深い落ち着きがあった。フローニンゲン:2022/8/31(水)16:56

9026. 箏の稽古(17):Cメイジャーでの演奏を楽しんで


時刻は午後8時を迎えた。今、夕方の穏やかな空を眺めている。日が沈む時間が早くなったが、それでもまだこの時間帯は辺りがまだ明るい。午後9時ぐらいになると随分と暗くなっているのがここ最近のフローニンゲンの夜である。


今日は夕食前に箏の稽古をした。これまではずっと平調子で演奏をしていたのだが、今日はまずCメイジャー(ハ長調)に調弦した。この調弦を行った理由としては、Cメイジャーはクラシック音楽の曲を弾くことに適しているからである。先日届けられた『はじめての文化箏』の楽譜をみながら、自分が知っているクラシックの曲を何曲か弾いてみた。すると、予想以上に最初から弾くことができ、小さな成功体験をいくつも積むことができた。さすがタイトルにあるように、初心者でも弾きやすい曲がたくさん掲載されていて、それでいて色々な奏法を学べる作りになっているので大変教育的である。演奏した曲としては、「チューリップ」「きらきら星」「さくらさくら」「故郷」「喜びの歌」「ジュピター」「カノン」「荒城の月」である。今夜はまだ時間があるので、それらの曲をもう一回一通り演奏したいと思う。それらの演奏が終わったら、本書に掲載されている演奏法上の注意を読み進めたり、奏法のコツに関する記述を読み進めていこうと思う。明日からもしばらくはCメイジャーの調で上記の曲の演奏を楽しもう。フローニンゲン:2022/8/31(水)20:27


9027. 箏の稽古(18):学びの縁起を感じて


先ほど、箏の稽古を終えた。今日は夕食前と夕食後に分けて2回練習をした。今、稽古を終えて、楽譜に掲載されている箏に関する様々な事柄に目を通しているのだが、非常に面白い。その中で、こうした解説文の内容がすっと理解できるのも、2017年以降に始めた作曲実践のおかげかと思う。実は作曲実践に並行して、音楽理論の学習を独学でかなり進めていた。欧米の音楽大学院の博士課程の音楽理論専攻の学生が読むような学術書を大量に買い込み、それを長らく読んでいたこともあって、今こうして箏の解説文に目を通していても何の抵抗もないことはとても喜ばしいことである。まさかあのときあのようにして学習していたことが今このようにして役に立つなどとは思ってもみなかったことである。そもそも自分が作曲実践を始めたのも青天の霹靂であり、まさか自分が楽器の演奏を、しかも箏なんぞを演奏することになるなんて自分でも想像できなかったことである。人生はこのようにして、自分が想像していない事柄から呼びかけられることがあるのだ。そうした呼び掛けの声を逃さずに聞き取れるかどうか。そして聞こえてきたことを掴むことができるかどうか。その大切さを今身にして感じる。音楽理論を独学で学んできたことが決して無駄ではなかったのだということ。むしろその学習のおかげで、今このようにして何の不自由もなく箏の解説文を読むことができるようになって本当に嬉しく思う。学習とは思わぬところで思わぬ形で結びつき、自分の支えと肥やしになってくれるのだ。これからも損得感情を抜きにした純粋な学びを継続していきたいと思う。それが何の役に立つかなどは一切気にする必要なく、自分が楽しいと思うことを学び続けていればいいのだ。そうすれば、いつかきっとそれは予期せぬ形で自分を助け、自分の人生を豊かにしてくれるだろう。そのようなことを考えながら、今後は楽譜の編曲技術を身につけたいと思う。例えば、クラシック曲やアニメ曲を自由自在に調弦していけるような編曲技術が欲しい。例えば、「さくら」の曲を平調子で演奏するのと、ハ長調で演奏するのとでは随分と印象が変わる。印象だけではなく、手の動かし方も変化が見られ、曲に合った調弦が存在していることがここからもわかる。今、何気なく「ハ長調」という言葉を使ったが、これまではCメイジャーという形で覚えていた。その背景には、独学で読み進めていた書籍が全て洋書だったことが関係している。ここからは日本語表記の呼び名にも慣れていきたいと思う。母と楽譜の話をしていても、「ト長調?あぁ、Gメイジャーのことね」と自分が学んだ形の呼び名に変換しなければならなかったが、これからはそうした変換作業なくすんなりと理解できるのではないかと期待する。フローニンゲン:2022/8/31(水)21:14

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