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7803-7808: フローニンゲンからの便り 2022年2月4日(金)



No.3245 クンダリーニの杖_Kundalini Caduceus


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1205, Religious Study

Systema has a root of the Russian Orthodox Church.

Jeet Kune Do has a root of Taoism (Daoism).

Japanese ancient martial arts have a root of Shinto and Zen Buddhism.

All of the religious thoughts capture my interest.

Groningen; 10:25, 2/4/2022


No.1206, Anything and Nothing

I’m a cloud, a rain, and a sky.

I’m anything and nothing, too.

Groningen; 16:12, 2/4/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7803. 今朝方の夢

7804. 意思を感じる訓練/意味と機能の再検証訓練

7805. 躾と皮膚感覚を通じたコミュニケーションに関する考察

7806. イスラムのマーシャルアーツ/騎士道と武士道

7807. 鍵盤の数と背骨の数

7808. ジークンドートレーニング36:円運動の気づき


7803. 今朝方の夢


時刻は午前7時を迎えた。今、辺りは真っ暗だが、朝の静けさを感じる。


今日は午後からジムに行こうと思っているが、天気予報を見てその判断をしたい。雨と風が強いようだとジムは明日に回した方がいいかもしれない。


今朝方は1つ印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、見慣れない街を彷徨い歩き、ある中華料理屋に入った。ちょうど時刻は昼時で、お腹も空いていたので、その店で何か食事をしたいと思ったのである。


店に入ってみると、中はまだ満席ではなく、1人なら十分入れると思った。ところが、後ろから数人の客がやって来て、私の方が先に来たにもかかわらず、店員は彼らを優先して席に案内したのである。


一旦どんな人たちがやって来たのかと思って彼らの顔を見ると、高校時代の友人たちだった。彼らは全員高校から一緒になったメンバーで、高校時代はよく話をしていた。


どうやら彼らは特権的な力を使ったようであり、彼らが優先して席に通してもらうだけでなく、私を追い出す力も持っていたようだった。彼らがなぜ自分にそのようなことをするのか不明だった。その理不尽さに、私の内側からは怒りのような感情が芽生えていた。


彼らのうちの1人が私の癇に障ることを述べた時、私の堪忍袋の尾が切れ、彼に殴りかかった。そして、彼の横にいた友人も私をからかうようなことを述べていたので、合わせてその彼も殴り飛ばした。


すると、2人は悶絶し、その場に倒れ込み、店の2階へと消えて行った。私はもう昼食をその店で食べる気にならず、店を後にすることにした。


すると気がつけば、私の体は自宅の風呂場にいた。先ほどの2人の友人とはまた違う高校時代の2人の友人が私の家に宿泊していて、今から3人で風呂に入ることになっていた。


浴槽の中には良い香りのするバスタブレットが入っていて、浴槽の水はエメラルドグリーンをしていた。すると、2人の友人は体を洗わずに浴槽の中に飛び込み、寛ぎ始めたのである。


私は、浴槽に入る前には体を洗って欲しかったのだが、もう後の祭りであり、私は自分の体をお湯で流した後、浴槽に入った。彼らが体も洗わずに入った浴槽は少し汚いように思えてしまったが、それを気にしていないふりをしながら浴槽に入った。


2人は先に浴槽から上がり、彼らが上がったことを確認して、私は浴槽に浮かんだ汚れをすくって外に出していこうと思った。だが幸いにも、浴槽はさほど汚れていなかった。それを見て、彼らの体は意外に綺麗だったのだと思った。


浴槽から上がると、母が凄い剣幕で私の方にやって来た。何やら先ほど警察から連絡があったそうであり、私が中華料理屋で2人の友人に暴行を加えた件についての連絡とのことだった。


母はなぜそのようなことをしたのかを私に問いただして来たが、それに対して私は事情を説明するよりも、今度また同じことがあったら、さらに激しく暴行を加えてやるということを述べた。その瞬間、自分の右手の拳に痛みが感じられ、どうやら彼らを殴った右手の拳の骨にダメージがあるようだった。そこで目が覚めた。


目覚めた瞬間、夢の中と同じく、自分の右手の拳を開閉してみた。すると、夢の中で感じられたような痛みはなく、少しホッとした。フローニンゲン:2022/2/4(木)07:24


7804. 意思を感じる訓練/意味と機能の再検証訓練


早朝と同様に穏やかな雰囲気が辺りを優しく包んでいる。先ほど、朝の日課である呼吸法のエクササイズと動的ストレッチを行なった。


ここ最近は肋骨の可動領域がうんと広がり、呼吸が以前よりもさらに深くなっただけではなく、歩行運動の際にも全身が連動するような感覚を生み出す原動力になっている。


昨夜、言葉を先行させるのではなく、映像的イメージと感覚を先行させる形でマーシャルアーツの鍛錬をしていこうと改めて思った。それに加えて、視覚は騙されやすいので、視覚に頼りすぎることなく、対峙する相手の意思を感じ取る訓練をしていこうと思った。


このときにも、思考を用いて相手の意思を汲み取ろうとしてはならない。それをしてしまうと、動作が遅くなってしまう。またそもそも、思考に頼っていては相手の意思などほとんど汲み取れないだろう。なので相手の意思を感じることが重要になる。


意識を同調させ、思考を排除し、相手の意思を感じていく鍛錬を積み重ねていく。そうした鍛錬は、日常のコミュニケーションにおいても可能であるし、それはコミュニケーションの質を高めてくれることにもつながるだろう。


ジークンドーは、中国表記では「截拳道」となる。まさに相手の拳を断つ道なのだ。より本質的には、自分の拳さえ絶っていくことがジークンドーの境地なのだろう。


ジークンドーの名前の由来である相手の攻撃を遮るということに関しても、相手の意思をどれだけ感じ、攻撃を遮るよりも先に意思を遮ることができるかが鍵を握るように思う。こちらの思考を媒介させず、できるだけ意識空間をクリアにして、目の前の相手の意思を汲み取る練習を日頃の対人コミュニケーションにおいて実践していこう。


「水月移写」の実現に向かって、まずは自分の心を穏やかかつ混じり気のないものにしていくことを心掛けよう。これは日常の心掛けで実践をいくらでも積み重ねることができる。


それに加えて、昨夜ふと、身の回りにあるものを護身上の武器としてどのように活用できるかを考える癖をつけておこうということも思った。これは想像性と創造性を働かせた遊びの側面もあり、これまである物体に対して付与していた意味を再度問い直し、違った意味を付与する訓練にもなる。


それによって、これまで自分が気づけていなかったようなことに気付けることが日常より起こりやすくなってくるのではないかと思う。目の前の物が持つ意味と機能を再検証してみる実践も、何気なく日々行なっていこう。フローニンゲン:2022/2/4(木)08:30


7805. 躾と皮膚感覚を通じたコミュニケーションに関する考察


時刻は午前11時に近づいて来ている。今、強風が辺りを駆け抜けている。ここのところは風が強い日が多い。確かに毎年、寒い季節において風が強くなるような日があったように思うので、今はそのようなサイクルに入っているのかもしれない。


午前中の身体操作の鍛錬をしながらふと、躾というものについて考えていた。躾はよく教育の現場で議論されるが、「躾」という言葉が本来、身を美しくさせ、身を美しく使うという意味であることを考えれば、現代日本人の大半は躾がなされていないのではないかと思う。


身体を美しくし——化粧などによって外面的に取り繕うのではなく、骨や筋を堅牢かつ柔軟にし——、身体を美しく使えるようなるためのマーシャルアーツの鍛錬が果たす役割は大きい。身体の美しさを喪失した現代において、ここにもマーシャルアーツの現代的な意義と価値がある。自分の身体を美しくし、美しく使えるようになっていくための躾を、マーシャルアーツの鍛錬を通じて施していこう。


現代においては躾の喪失のみならず、皮膚感覚の喪失も話題によく挙がる。皮膚感覚の喪失によって、すれ違うコミュニケーションや噛み合わないコミュニケーションが生まれているのはよく目にするものだ。同時に私たち自身がそれを文字通り身をもって経験していることだろう。


マーシャルアーツにおいては接触法の鍛錬を伴うものが多く、それは皮膚感覚を養う上で優れているのではないかと思う。そもそも現代社会においては、人と皮膚と皮膚を合わせたコミュニケーションをするような機会が激減しており、なお一層のこと皮膚感覚を通じたコミュニケーションが難しくなっているのではないかと思う。


システマにおいても肌と肌を触れ合わせる形での鍛錬を大切にしているし、ジークンドーの源流にある詠春拳もまた相手との接触ありきで技が展開されていく。こうした鍛錬を積めば積むほどに、皮膚感覚を涵養することに繋がり、それがコミュニケーション上にも活きてくるのではないかと思う。むしろそれを活かさなければ、マーシャルアーツの本質を体現した在り方や生き方にならないのではないかと思う。


躾と皮膚感覚について考えた後に、改めて非接触状態における意思疎通についても考えていた。マーシャルアーツ的な応用でいけば、相手の意思を読み取るということになるが、これは非常に奥深く、相手と対峙している状態で自分や相手が筋肉に力を入れると、その電気信号が相手に伝わってしまうのだ。


相手の攻撃を未然に防ぐためには、相手が発する電気信号を汲み取る必要があり、逆にこちらが相手に攻撃を加える際には、筋肉から電気信号を伝えない形での動作が必要になる。


後者について言えば、その前提条件として筋肉がリラックスして緩んでおくことが必要になる。また、力の発動も筋肉を通じてではなく、骨をうまく活用していくことが重要になる。そのようなことを考えさせられる午前中のトレーニングだった。フローニンゲン:2022/2/4(木)11:04


7806. イスラムのマーシャルアーツ/騎士道と武士道


現在、システマとジークンドーの実践を中心にしながら、マーシャルアーツの学術的研究においては、関心が広がる一方である。ただし、その関心には1つの中心点のようなものがあり、その中心点を起点にして同心円状に関心の輪が広がっているように思う。それは湖面に投げ込まれた石の波紋がどこまでも波及していくかのような感覚である。


新たに閃いた研究テーマについて少し整理をしておきたい。昨夜改めて思ったのは、システマの背後にあるロシア正教、ジークンドーの背後にある道教、日本の古武術の背後にある神道と禅仏教の思想を、マーシャルアーツという切り口で比較研究していくというものだ。


そこから、イスラム世界に関心が伸びていき、イスラムのマーシャルアーツについて調べてみたところ、イスラムの思想に影響を受けたマーシャルアーツとしてはシラットがある。シラットは東南アジアで普及している伝統的なマーシャルアーツであることを知っていたが、その背後にイスラムの思想があるところにまでは考えが及んでいなかった。


しかし、シラットが普及しているマレーシアやインドネシアをはじめとして、それらの国々がイスラム教に強く立脚していることを冷静になって考えてみると、それほど驚くことではないことがわかる。


元々自分は、イスラムの神秘主義者のルーミーの詩と思想に感銘を受けていて、イスラムへの関心は以前からあった。今、その関心がマーシャルアーツという切り口からより強いものになって来ている。


イスラムのマーシャルアーツの背後にある思想も神学大学院で研究したいと思う。ぜひともアラブ語の原著の文献を当たりたく、そうなってくると古典アラビア語を学ぶ必要があるだろう。今、古典アラビア語の学習に向けても意欲が高まっている。


イスラム圏は現代社会においても何かと話題に挙がり、社会的にも重要な意味を持っているため、マーシャルアーツという観点からイスラムの思想に迫っていくことも研究対象にしてみよう。


少し調べてみたところ、 “Shadows of the Prophet: Martial Arts and Sufi Mysticism”という学術書は大変興味深い内容を持っているので、近々書籍の一括注文をする際には、ぜひこの書籍も注文しよう。


最後に、ジークンドーにはフェンシングの要素が盛り込まれていて、そこから欧州騎士道精神に関心が向かった。そして、それを武士道と比較してみるという観点も生まれた。


騎士道と武士道の背後にある霊性思想について関心がある。そして、その現代的な意義について考察したいという思いもある。


世界の国の中には文字通りの戦争状態にある国もまだまだ残っているが、政治経済的な戦争であれば、戦争に巻き込まれていない国はないというぐらいにこの世界は、グローバル規模での戦争状態に恒常的に晒されていると言えるかもしれない。そんな状態はやはり知性を持った人間として野蛮な状態であり、狂気の沙汰に思える。


戦争なき世界の実現に向けて、世界各国のマーシャルアーツの背後にある宗教·神秘思想を理解することは非常に重要な意味を持つのではないかと思う。そのような思いでこれからの学術的探究に従事していく。フローニンゲン:2022/2/4(木)11:18


7807. 鍵盤の数と背骨の数


時刻は午後12時半を迎えた。幸にもまだ雨は降っておらず、風もそれほど強くないようなので、予定通り、今日もまたジムに行きたいと思う。


昨夜、ロビンさんから返信があり、今後のプライベートレッスンは平日の夜ではなく、できるだけ土日の午後3時ぐらいから行ってくれるようになった。その時間帯の方が自分にとっては有り難い。今後は、毎回の練習が終わるたびに、次のトレーニングのスケジュール調整を早めにしておこうと思う。


先ほど、今後の作曲の学習と実践はバッハに絞っていくことに舵を切ろうと思った。この考えそのものは数日前に脳裏によぎっていたのだが、実際にそちらの方向に舵を切ろうと思ったのは先ほどのことだった。バッハの曲を参考に、現代の時代精神や日本人としての和の感覚を徐々に体現させていくことができればと思う。


そこから、鍵盤の黒鍵は5つ、白鍵は7つであることと背骨とを関連づけて考えていた。背骨の上部から頸椎(けいつい)、胸椎、腰椎があるのが、上部の頸椎は7個、中部の胸椎は12個、下部の腰椎は5個ある。これは鍵盤の数に対応していることがわかった。5、7、12というのはまさに鍵盤の数と呼応しているのだ。


そこから、例えば5つの黒鍵で奏でられる音のそれぞれが5つのそれぞれの腰椎に対してどのように響くのかを探究してみるのも面白いと思った。白鍵と頸椎の関係についても同様であり、12音と12個の胸椎との関係についても探究しがいがある。


ここ最近は24本の背骨が活き活きと動き始めているのを実感し、それが音楽的な洞察をもたらしたのだと思う。背骨の活性化をさらに進めていけば、12個の音のそれぞれが、どのように頸椎、胸椎、腰椎に働きかけるのかが見えてくるかもしれない。そうすれば、1つ1つの骨を活性化させる音楽を作ることも不可能ではないのかもしれないという希望が出てくる。


さらに人間の人体と言語について意識を向けてみると、手足の指も5本あり、日本語における「あいうえお」も5つの音を持っている。それらも背骨と関係しているのではないだろうか。


今、その点について少し調べてみたところ、やはり関係があるらしい。例えば、5つの腰椎ごとに、前後左右、ねじりの動きが関係しているし、日本語の言葉の音とも関係しているようだ。


前後左右、ねじりの動きのそれぞれを行いやすくする母音があることは興味深い。これも発声に伴う背骨の動きと関係しているのだろう。


まずは腰椎の位置を正確に把握し、1つ1つの腰椎に対応した動きを意識して鍛錬してみようと思う。これに付随して、上記のように、バッハの曲に焦点を当てながら、背骨と音との関係についても探究をしていこう。


マーシャルアーツと創作活動がこのようなつながりを見せてくるとは思ってみなかったことであり、嬉しい限りだ。フローニンゲン:2022/2/4(木)12:46


7808. ジークンドートレーニング36:円運動の気づき


時刻は午後5時を迎えた。先ほどジムと買い物から帰って来たのだが、ジムの行き道は強風と雨が凄まじかった。実際には雨はさほどではなかったが、とにかく風が強かった。折り畳み傘が何度もひっくり返ってしまうほどであった。


ジムに到着すると、エリーザという若い受け付けの女性が笑顔で話しかけてくれ、外の風の強さを含め、少し雑談をした。彼女とゆっくり話すのは今回が初めてであり、彼女はこのジムでHIIT(ハイ·インテンシティ·インターバル·トレーニング)のインストラクターをしているとのことだ。


このジムで働き始めて2年ほどとのことであり、今はヨガにも関心を持っていて、これから少しキャリア転換をするかもしれないという話をしていた。エリーザにマーシャルアーツに関心がないかと尋ねてみたところ、少し関心があるとのことだったので、今度また機会を見つけてシステマのトレーニングにでも誘ってみようと思う。


今は少しでもトレーニングパートナーが欲しいところである。自分のエゴでトレーニングパートナーになってもらおうとするのではなく、あくまでも相手に関心があった場合に限る。


さて、今日のジークンドーのトレーニングについて、1つ重要な発見をした。タンサオによる防御の際に、これまでは少し直線的に手を上げていたのだが、それを円運動のような形で手を上げてみると、直線的な動きより早く感じられたのである。これは大変興味深い。


というのも、2点間の最短距離は本来直線の形になるはずなのだが、タンサオのような動きの場合、円を描くように手を出した方が早く感じられたのである。なるほど、腕には関節があり、それをタンサオのような動きをする際には直線だとぎこちなく、円運動だと滑らかに腕が動かせるのだろう。それが動作の速さにつながっていたのである。


今日のトレーニングでは、太極拳のようにゆっくりとした動作を通じて、呼吸と共にエネルギーを通す形で1つ1つのジークンドーの動きを行っていった。ジークンドーやシステマのトレーニングを核としながらも、太極拳やダンスの実践もそれらのトレーニングに活きてくるのではないかという考えがある。


とりあえず関心を太極拳やダンスにも向けてみよう。太極拳についても何か良いDVDを探してみよう。


ダンスに関しては、理想はシュタイナーが考案したオイリュトミーを習うことであり、フローニンゲンにそれを習える場所が1箇所ある。まずはそれを体験してみてみるのも良いだろう。それ以外にもダンスには様々なジャンルがあるので、マーシャルアーツの鍛錬に有益そうなものを見つけてみたい。フローニンゲン:2022/2/4(木)17:14

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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