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7483-7484: フローニンゲンからの便り 2021年11月14(日)



No.2933 光の風ぐるま_A Windmill of Light


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1029, Two Snakes

Two snakes become one.

The one separates into two again.

Yet, the two are different from originals.

Groningen; 10:40, 11/15/2021

No.1030, A Shining Voice

I can hear a noctilucent voice at this moment.

It is glittering uniquely.

I hope everyone’s voice can shine like that.

Groningen; 20:11, 11/15/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7483. 今朝方の印象的な2つの夢

7484. テクノロジーと神聖なるものの関係性


7483. 今朝方の印象的な2つの夢


時刻は午前6時半を迎えた。今、室内に暖房が自動で入っていて、今朝方の気温は随分と低い様子だ。


今朝方は2つほど印象に残る夢を見ていたので、それらを早速書き留めておきたい。


夢の中で私は、見慣れない島にいた。そこはトロピカルランド、あるいは冒険ランドとでも述べていいような雰囲気を持っていた。雰囲気としては明るく、それでいてその場所は何か冒険や探検のために作られているような感じもあった。


そこで私は大学時代の2人の友人と一緒に島を散策していた。私たち以外に人はあまりいないようであり、時折虫の鳴く声や小動物の鳴き声などが聞こえてきた。


しばらく歩いていると、突然道端の木陰の方から物音が聞こえてきた。見るとそこには3匹の怪獣の親子がいた。彼らは私たちを襲ってくるような様子は一切なく、とても大人しかった。そして、彼らは人間の言葉を話すことができたので、私たちは道に迷っていることを彼らに伝えた。


すると、怪獣の親子はうちに来てゆっくりするといいと述べてくれた。私たちはその申し出に甘えることにし、怪獣の親子のうちに行くことにした。


家に到着すると、それは人間が住むような家であり、しかも相当に広い立派な家だった。怪獣の母が私たちにシャワーに入るように勧めてくれ、まずは私がシャワーに入ることになった。


その際に、ふと怪獣の父と母の立ち話を聞いてしまった。なんと彼らは、私たちがシャワーに入ったら、綺麗になった体ごと私たち全員を食べてしまうつもりだったのだ。


私はそれを聞いて、シャワーに入りながら、脱出する方法を考えることにした。シャワーを浴びていると、後ろから声が聞こえた。振り向くと、怪獣の小さな娘がそこにいた。彼女はまだ小さく、人間で言うと3歳ぐらいの大きさだった。


すると、怪獣の母親もやってきて、シャワーを浴びる邪魔をしちゃダメよと娘に言った。しかし私は別に問題ないと述べ、するとどういうわけか、怪獣の母親と娘がこちらに近寄ってきて、私の体をシャワーで流してくれた。


そこからシャワーを出た時、さてどのようにここから脱出したらいいかとまだ考えがまとまっていない状況だった。そのような状況で夢の場面が変わった。


次の夢の場面では、私はある日本のプロサッカーチームの練習グラウンドの上にいた。グラウンドの芝はとても整備されていて、見ていても気持ちよかったし、その上を歩くのも気持ちよかった。


ちょうど練習が終わった後のミーティングを選手全員がグラウンドの上に座り込んで行なっていた。その時に、過去に海外クラブで活躍していたある若い選手に対して、先輩の選手がその選手の昔話をしてまず盛り上がった。


すると今度は、あるディフェンダーの選手が同じくディフェンダーの選手に対して、突然、真言宗の経典「金剛頂経」を読むといいと述べた。その場にいた全員は、突然何を言い出すのかと驚いた表情を浮かべながら笑っていた。その場にいた私も、あまりにも突然だったので思わず笑みが浮かんだ。


そこからは、またある選手が実はプロサッカー選手としてだけではなく、プロの格闘家としても仕事をしていて、そこで月収37万円を稼ぎ、またその選手の家は実家であることから、生活費がほとんどかかっていないことを他の選手は羨ましそうにしながら皮肉を述べていた。


選手たちのミーティングはとても他愛のないものだったが、楽しくそれを聞いていた。そこで夢から覚めた。フローニンゲン:2021/11/14(日)07:07


7484. テクノロジーと神聖なるものの関係性


時刻は午前10時を迎えた。日曜日の穏やかな世界が目の前に広がっている。


今日はあいにくの曇りだが、その落ち着いた佇まいに癒される。風は一切なく、世界が静止しているかのように見える。だがそこでは動的な踊りが踊られていることを感じる。


気がつくと、もう夜寝ている時に身体をかかなくなり、熟睡できるようになった。これはとても喜ばしいことである。


開業医に処方してもらったステロイドの薬のおかげで痒みを生んでいた炎症が収まったからだと思う。ここからは保湿を意識し、もう2度と炎症と痒みの負のスパイラルに入らないようにしたい。


一応念のため、昨日受け取った書類に基づき、来週の木曜日には病院の皮膚科に行く。この機会に、オランダの正規の病院がどのようなものなのか体験しておきたい。


先ほどまで、テクノロジー哲学者のギルバート·シモンドンの書籍を読んでいた。その中で、シモンドンは晩年、テクノロジーと神聖なるものの関係性について考察を深めていたことを知った。これはまさに自分の神学的研究トピックになりえるものだ。


シモンドンの考察を深めるのに寄与したのは、ルーマニアの宗教学者のミルチャ·エリアーデ、心理学者のカール·ユング、神秘主義者のマイスター·エックハルトである。彼らはいずれも幾分辺境的な学者であり、彼らのそうした点に惹かれるところがシモンドンにもあったのだろうか。


神聖なものは生成において成る、あるいは生起する。


そのようなことを考えていると、ホワイトヘッドのプロセス哲学やそれに立脚したプロセス神学の観点からテクノロジーの特性を考察していくと、どのようなことが見えてくるだろうかと考えた。ぜひともこのアプローチを採用して、テクノロジーと神聖なるものの関係を紐解いていこう。


ヨーロッパで生活をしていると、世俗空間に建設された神聖な建築物としての教会をよく目にし、その敷地内に一歩足を踏み入れると、神聖なオーラに身を包まれたかのような感覚に陥ることがある。なるほど、シモンドンの言うように、昔においてはテクノロジーと神聖なものは不可分に結びついていたのである。


精巧な技術を駆使して作られたテクノロジーの産物としての教会。そしてそこに宿っている神聖さ。そこには技術的な美と神的な美の双方が宿っている。ここでもやはり美学的なテーマが顔を覗かせている。フローニンゲン:2021/11/14(日)10:23

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