top of page

7436-7437: フローニンゲンからの便り 2021年10月24(日)

更新日:2021年10月27日



No.2848 夕方の光の王_A King of the Evening Light


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.991, The World

The world is standing still.

It is always so.

The world is beyond time and space.

So am I because I’m a part of the world.

Groningen; 09:16, 10/24/2021


No.992, A Sacred Precinct

I’m dwelling in a sacred precinct within which something transcendental can be felt.

I’m a dweller in such a place in this world.

Groningen; 11:05, 10/24/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7436. 今朝方の夢/ベルリン旅行の旅程を立て終えて

7437. ベートーヴェンの音楽より/無意識としての神


7436. 今朝方の夢/ベルリン旅行の旅程を立て終えて


時刻は午前8時半を迎えた。日曜日の穏やかな朝の世界が広がっている。


今日の最高気温は13度、最低気温は4度ということなので肌寒いのだが、今日は1日を通して晴れるようなので何よりである。晴れ渡る朝空を眺めながら、今朝方の夢について振り返っている。


今朝方の夢の主題は世直しだったように思う。自分が世直しに向けて仲間を集めていて、彼らに自分の考えを伝えるということを行っていた。


その際に、屋外で演説のようなものを行っていた。その演説に参加していた人の数はそれほど多くないが、彼らから輪が広がることによって大きな運動になっていくことを願って演説をしていた。そのような夢を見ていた。


それ以外に何か思い出すことはあるだろうか。そう言えば、夢の中で実際に通っていた中学校にいた場面があった。夢の中で私は、学校の教室にいて、ちょうど休み時間だったから隣の席に座っていた女性友達と話をしていた。


しばらく彼女と話をしていると、教室の後ろの扉から何か声が聞こえてきた。声の主は野球部に所属している友人(MS)であり、私のことを呼んでいるようだった。


しかしその呼び方がどこか私をからかっているかのようであった。名前を直接呼ぶのではなく、私の特徴を替え歌にして私を教室の外に呼び出そうとしているようだった。


自分をからかうような替え歌だとわかっていたが、意外とそれが面白く感じ、しばらくそれを聞いていて、曲の最後の方で廊下に出た。すると彼はさっと自分の教室に戻ってしまった。そこで夢の場面が変わった。


その他にも、小中高時代の親友(SI)と学校の外で話をしている場面があった。おそらくそれは下校途中だったのではないかと思う。外はまだ秋の昼のような太陽の光が降り注いでいて、温かさがあった。そんな雰囲気の中、私たちは近い将来の話をしていたように思う。


断片的ではあるが、今朝方の夢をいくつか思い出すことができた。これらの夢が示唆していることについてはまたぼんやりとでも良いので考えを巡らせてみよう。


数日前にふと、ベルリンに行ってみようと思い、昨日と一昨日に旅程を立てた。先日は旧西ドイツの首都であるボンに訪れ、それが導き手となったのか、今度は現在のドイツの首都であるベルリンに行ってみたいという気持ちを引き起こした。


ベルリンで足を運んでみたい場所を調べてみると、美術館や博物館が目白押しであることに驚いた。実際のところベルリンは、芸術のみならず、学問や政治においても重要な役割を果たしている場所だ。


ベルリンがドイツの首都であることは知っていたが、実際に調べてみて初めてわかることが多々あった。旅行を前提に調べてみると、その場所に自分が興味関心を持っているため、色々と頭に入ってきやすい。調べてみて初めてわかったことがあるのと同じく、実際にそこに足を運んで初めてわかることもあるだろう。


ベルリンの美術館や博物館の中で行きたいところだけ絞ってみたものの、結局10箇所ほどあった。また、世界最高のオーケストラと称されるベルリン·フィルハーモニー管弦楽団の演奏もせっかくなので聞いてみたいと思う。


美術館や博物館巡り、そして音楽鑑賞を合わせると、少なくとも6泊7日ぐらいの旅になりそうだ。ホテルの候補も決まっているので、今日あたりにでも予約をしてしまおうかと思う。この間のボンとトリアーの旅をきっかけに、また旅に向かうエネルギーのようなものが生まれてきていることを実感する。フローニンゲン:2021/10/24(日)09:03


7437. ベートーヴェンの音楽より/無意識としての神


時刻は午後3時を迎えた。今日は本当に良い天気だ。確かに気温は低いが、雲ひとつない空から太陽の優しい光が地上に降り注いでいる。


先ほど、ボンで訪れたベートーヴェン·ハウスで購入した文献を読んでいた。それを読みながらふと、何かが喪失することによって初めて開かれるものがあることについて考えていた。


ベートーヴェンがハイリゲンシュタットの遺書において難聴を告白し、そこから彼は聴覚をほぼ失った。それは地上における音を聴こえなくさせたが、その代わりにそれはベートーヴェンに天上の音を聴こえさせるように導いた。


ベートーヴェンが没して200年近く経ったが、今なお彼の音楽が愛され続けていることの一つに、人知を超越した天上世界の音を彼が具現化させているからではないかと思えてくる。ベートーヴェンの音楽が持つ普遍性はそのあたりに秘密があるのかもしれない。


科学では解釈·説明することのできない意味への衝動が哲学への衝動であるというアルフレッド·ノース·ホワイトヘッドの指摘を思い出す。自分もまさにそのような衝動に導かれて発達科学の世界から思想的な世界に戻ってきた。


発達科学の世界に入る前にも思想的な側面から人間の発達を探究していたことを思うと、発達科学を挟んで自分の中で何かしらの発達が起こったことが見て取れる。旅と同じく、離陸を経験し、新たな地に着陸してきたのだ。


ここからの人間発達探究は、これまでとは違ったものになるに違いない。神学的な観点から人間発達を探究することがそれを示している。


ニーチェは「神は死んだ」という言葉を残したことで有名だが、実はその言葉の後に、「そして神は無意識となった」という言葉がある。現代において、神話的な神は死に、それに代わる形でマネーやテクノロジーが無意識としての神として君臨している。


その神性を神学を通じて探究していくこと。それによって人々の救済と解放を実現していくこと。それを行うために「実践神学(practical theology)」とでも呼べるような形で神学を探究していく。


それでは今から来月のベルリン旅行に向けて各種予約をしておきたい。最初にホテルを予約しよう。


今回も電車でベルリンまで行こうと思ったが、フローニンゲンからドイツのリアーまでバスで行かないといけないのが面倒なので、今回は飛行機を使うことにした。航空券のチケットの予約も今日中にしておきたい。ベルリンの旅もまた新たな刺激となり、それが変化の触媒の役割を果たしてくれるだろう。フローニンゲン:2021/10/24(日)15:22

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page