top of page

7361-7362: ボン旅行記 2021年9月27日(月)



No.2745 宇宙空間の聖杯_A Holy Grail in Outer Space


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.935, Creative Narratives

I had a dream about creative narratives this morning.

The misery and poverty of narratives are rampant in this modern world.

How can we revive our narratives?

We have to think about it.

Otherwise, our humanity will degenerate more severely.

Bonn; 05:59, 9/27/2021

No.936, Creativity & Soul

Great creativity dwells in a vigorous soul.

Both can enjoy dancing together.

Bonn; 22:23, 9/27/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7361.【ボン旅行記】ボン大学との縁/今朝方の夢

7362.【ボン旅行記】ベートーヴェン・ハウスを訪れて


7361.【ボン旅行記】ボン大学との縁/今朝方の夢


時刻は午前5時半を迎えた。ボン滞在の2日目の朝を迎えた。今日が実質上ボンを観光する最初の日となる。


今日は正午前にベートーヴェン博物館に行く。その前か後に道中にあるボン大学に足を運んでみたい。


いつものことながら訪れた街についてその歴史を含めてあれこれ調べていると、父が大学時代にお世話になっていた刑法学の泰斗福田平(ふくだたいら:1923-2019)先生がボン大学に留学していたことを知った。


ボン大学はホテルから目と鼻の先のところにあり、ちょうど今日、ベートーヴェン博物館に足を運ぶ際に大学を見学しようと思っていたところだったのだ。こうした偶然は、旅が持つ不思議な力がもたらしたものなのではないかと思う。それに対して畏怖の念を持つ。


私は福田先生が生きていらっしゃるときに一度も会ったことはないのだが、先生は父の結婚式に出席してくださったということで、父の話を通じて、親近感を先生に対して持っていた。先生が留学していたボン大学がどのような雰囲気なのか。今日はそれを感じることもまた楽しみである。


今日はベートーヴェン博物館以外に訪れる場所はない。というのも、大抵の美術館や博物館が月曜日に閉まっているからだ。ボンの観光はゆっくりとスタートさせて行こうと思う。


ホテルのレストランの朝食は午前6時から摂れるということなので、水とコーヒーだけをまずもらいに、もうしばらくしたらレストランに立ち寄ろうと思う。実際に朝食を食べるのは午前8時半か9時頃にする。


朝食を食べてから部屋でゆっくりとする時間があり、ホテルからベートーヴェン博物館までは歩いて10分ほどしかないので、外出まで自分の取り組みに従事しよう。作曲実践をしたり、ゲームの動作確認を行なっていく。


今朝方は起床直前に夢の断片を知覚していた。それはナラティブに関するものだった。特に創造的なナラティブとは何かをテーマにして、私は何か重要な洞察を得ているようだった。


世の中にはたくさんのナラティブで溢れており、認識論的な観点からすると、世界はナラティブで構築されていると言っても過言ではない。だが、溢れるナラティブの中で、真に意味のある創造的なナラティブが非常に少ないことを憂いている自分がいて、それがなぜかについて説明している自分がいた。


ある2人のビジネスパーソンを例に取り、彼らのナラティブの陳腐さを指摘し、企業社会全般に蔓延するナラティブの貧困化現象について問題提起している自分がいた。その際に、創造的なナラティブの特性と、そうしたナラティブを生み出す方法に関して天啓のような洞察を得たところで夢から覚めた。


夢の中で主題になっていた創造性。今日はベートーヴェン博物館を訪れるのだが、音楽的な創造性に溢れていたベートーヴェンは、ナラティブが貧困化する現代社会に生きていたら何を感じ、どのようなことを述べたであろうか。そして、こんな世界の中でどのような曲を作ったのだろうか。


本日のベートーヴェン博物館の訪問は、それについて何かヒントが得られるかもしれない。ボン:2021/9/27(月)05:51


7362.【ボン旅行記】ベートーヴェン・ハウスを訪れて


時刻は午後4時を迎えた。ボンの初日の観光を終え、先ほどホテルに戻ってきた。


今日はボンを訪れた最大の目的であるベートーヴェン・ハウス(ベートーヴェンの生家かつ記念館)に足を運んだ。端的には、やはりここに来て良かったと思う。


音楽創作に関する様々な刺激を存分に得ることができ、この上ない満足感を得させてもらった。博物館そのものはこじんまりとしているが、十分に見応えがあった。


最近の美術館や博物館ではスマホからオーディオアプリをダウンロードするサービスがあったり、最新テクノロジーを通じたインタラクティブな展示があったりするのだが、ベートーヴェン博物館もそうであった。オーディオアプリは活用しなかったのだが、ベートーヴェンの作曲プロセスを8つのステップに分けて解説したドキュメンタリー風の解説動画はとても面白く、椅子に腰掛けて最初から最後まで釘付けになって見ていた。


今から4年前にウィーンを訪れた際に、ベートーヴェンが長らく過ごしたこの地にある記念館は全て足を運んだのだが、「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれた記念館の記憶がふと蘇ってきた。


今回訪れた博物館の展示品の中に、耳が聞こえなくなってしまったベートーヴェンが他者とコミュニケーションするために使っていたノートがとても印象に残っている。


音楽家であるベートーヴェンにとって、自身の仕事道具とでも言っていいはずの耳が聞こえなくなってしまったことは、精神的かつ実存的な危機をベートーヴェンにもたらしていたことがわかる。しかし、ベートーヴェンはそうした危機を乗り越え、苦難を突き破る形で爆発的な創造性を発揮したことがとても興味深い。


フランスの思想家のシモン·ワイルはかつて、人間が真理に至る道として、美に加えて不幸を挙げたが、まさにベートーヴェンの人生にはその双方が存在していたのだろう。


絶えず日常にあった音楽という美と、聴覚を失うという最大の不幸。それによってベートーヴェンは音楽的な真理に加え、まるで人間やこの世の真理に目覚めたかのような曲を晩年に作り上げていった。


その他にも印象に残っているのは、卒業はしていないが、ベートーヴェンが聴講生として1789年にボン大学の哲学科に入学していたことである。音楽科ではなく、哲学を学んでいた点が興味深く、ベートーヴェンの音楽の思想的な深さはこうしたところに由来があるのだろう。


ベートーヴェンはゲーテやシラーの詩にも関心を示していたことは有名であり、『バガヴァッド·ギーター』などのインド哲学にも関心を持っていたことは注目に値する。


帰り際、ミュージアムショップで、ちょうど今月末まで開催されているベートーヴェンから影響を受けた作曲家たちの軌跡を辿るエキシビションに関する資料集と3冊ほどベートーヴェンの曲の楽譜を購入した。ベートーヴェンのピアノソナタ全集や変奏曲集はすでに持っていたが、ピアノ協奏曲や交響曲のピアノアレンジの楽譜があったので、それらを含めて3冊ほど楽譜を購入した。


旅行中は曲の原型モデルを作る予定はなかったが、せっかくなのでこの楽譜を参考にして曲の原型モデルを作り、作曲実践を楽しみしたいと思う。


今日はベートーヴェンから大いなる刺激と啓発を受けることができ、とても充実した1日だった。ボン:2021/9/27(月)16:41

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page