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7176-7177: フローニンゲンからの便り 2021年7月23日(土)



No.2515 伝言_A Message


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.773, Language as the House of Being

Freely expressing my own words heals my psyche.

It also has a transformative effect.

As Heidegger pointed out, language is the house of being.

Groningen; 06:57, 7/23/2021


No.774, Linguistic Slavery

Language is an indispensable tool for our life.

Yet, if we lose sight of the non-linguistic nature of our psyche, we would immediately fall into slavery of language.

Most modern people are such a slave.

Groningen; 20:52, 7/23/2021


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本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7176. デンボスの旅の計画/今朝方の夢

7177. 今日のトレーニングを終えて/適応教育への憂い


7176. デンボスの旅の計画/今朝方の夢


時刻は午前6時半を迎えた。今、空にはうっすらとした雲がかかっていて、朝日の姿を拝むことができない。今日はどうやら1日を通して曇りになるようだ。夕方に晴れマークが出ているところを見ると、夕日であれば拝むことができるかもしれない。


昨日、デンボスの街について色々と調べていた。この街にはヒエロニムス·ボス美術館を含め、随分と美術館が多いことがわかり、観光するのであれば一泊した方がいいかもしれないと思った。


フローニンゲンからの道のりとして、ズヴォレで乗り換え、ユトレヒトに行き、そこからデンボスに到着できる。3時間ほどの移動時間である。


経由地を考えてみると、ユトレヒト州のアーメルスフォールトのモンドリアン美術館に立ち寄ってもいいように思えた。来週は天気が悪いようであるから、再来週あたりにデンボスの旅を計画しよう。


今朝方は1つ印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、どこか神聖な空間にいた。それは現実世界の場所ではないように思う。


天上界の街。そう形容するのがふさわしい雰囲気を持っていた。街全体が幻想的なうっすらとした光に包まれていて、私はその街を散策していた。


しばらく歩いていると、静かな対話空間にやって来た。人々がそこに集い、思い思いに対話をするための場所である。そこで偶然ながら母に出会った。


母との話の中で、超越的なものとそうではないものを混同しないようにすることの注意点を話し合っていたのを覚えている。その話題を持ちかけたのは私ではなく母であり、母からそのような話題を持ちかけられるとは思ってもみなかったことである。しかし、そうした話題を母と話せたことが自分としては嬉しかった。


それ以外の夢の場面を思い出そうとしている。そう言えば、小さなホテルの一室で愛犬と戯れていた場面があったように思う。


そのホテルの部屋は互いの部屋を行き来できるようになっていて、両隣に両親が宿泊していた。私は父の部屋につながる扉を開け、愛犬を父の部屋に送ろうと思った。


愛犬は尻尾を振りながら嬉しそうに父が寝ているベッドの方に向かっていった。そのような夢の場面があった。


ウィンタースウェイクの日帰り旅行が良い気分転換となり、今日もまた探究活動に集中して取り組むことができるだろう。自分の探究テーマをゆっくりと深めていくこと。今日もそれを意識して探究活動に取り組む。


そして今日はトレーニングの日だ。今日も午後から、肉体の限界までトレーニングで追い込んでいこうと思う。フローニンゲン:2021/7/23(金)06:54


7177. 今日のトレーニングを終えて/適応教育への憂い


時刻は午後7時半を迎えようとしている。今日は1日を通して曇りがちであり、肌寒さもあった。涼しさのおかげで今日のトレーニングではほとんど汗をかかなかった。


1時間弱のトレーニングの最後の最後に汗が滲むぐらいであり、それぐらいに今日の気温は低かった。トレーニングをする身としては、こうした気温は歓迎するべきであり、特に夏場の今の時期においてこうした涼しさは有り難い。


今日のトレーニングでは、いつもとメニューを少し変えてみた。いつもは腕と胸から鍛え始めるのだが、そこの筋肉がまださほどないため、その箇所を集中的にトレーニングしてしまうと、後から行う他の上半身の部位のトレーニングに支障をきたしてしまうことが前回のトレーニングよりわかった。


そうしたこともあり、今日は背筋を鍛えてから下半身のトレーニングをし、そこから腹筋を鍛えて腕と胸のトレーニングに移った。その後、再度下半身を鍛えた後に最後にまた腕と胸のトレーニングを行なった。


夕食前にも改めて腕と胸の筋肉を鍛えようとしたのだが、午後のトレーニングで随分と追い込んでいたため、夕食前のトレーニングは軽いものとなった。しかし、そこからわかったのは、午後のトレーニングできちんと腕と胸に効かせるトレーニングを行えていたということである。


ここからまた中3日空けて、次回もまた楽しみながらトレーニングに励みたい。肉体改造トレーニングが加わったことによって、日々の生活にメリハリが付き、それが探究活動と創作活動に非常に良い影響を及ぼしていることがわかる。改めてグロスボディを鍛錬することの重要さを実感する。


現在、ここ数ヶ月間毎月大量に購入した書籍の再読や再々読が終わりに差し掛かっていて、次回の一括注文のタイミングがやって来ていることを感じる。


今日はシンメルの書籍や新フロイト派に関する書籍を読み進めていた。さらには、一般向けてのマネーの解説書についても読み進めていた。これはDK出版から出版されている図解入りの非常にわかりやすいものである。


明日からは再びマネー神学に関する書籍や、マネーの存在論的性質に焦点を当てた書籍を読んでいこうと思う。また、メラニー·クラインの精神分析学を基にした文明批判の書物にも目を通していく。


午後に読書を行っている際に考えていたことを思い出す。歪んだ現実世界に適応させるのが教育の目的では決してなく、健全な成熟に向けた後押しをしていくのが教育の重要な目的のはずだが、どうしてこうも適応教育ばかりが蔓延っているのだろうか。


人間というのは外的世界に無理に適応させられればさせられるだけ、固有性も創造性も喪失していく。当然ながら社会で生きていくための道徳意識や倫理観を養うことは非常に重要なのだが、それと社会に束縛・適応させる形で教育を行うというのは話が違うように思える。


現代のエリートは、ある意味適応教育の成功者であり、別の見方で言えば、非常に限定的な知性を歪な形で育んだ人間たちなのだろう。仮に自分に子供がいて、日本で展開されている適応教育にうまく順応してしまうのであれば、自分の子供をひどく心配したであろう。そのようなことを思う。フローニンゲン:2021/7/23(金)19:33

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