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7134-7139: アートの国オランダからの便り 2021年7月12日(火)



No.2464 朝光の花束_A Bouquet of Morning Light


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.750, A premonition of Rebirth

I have a premonition that I’ll be reborn.

It will be physical, mental, and spiritual.

I can hear the sound of the fetal movement.

Groningen; 07:07, 7/12/2021

No.751, A New Metabolic System

My metabolic system circulates anew.

My body starts to transform.

The new body will embrace my spirit gently and robustly.

Groningen; 20:58, 7/12/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7134. 今朝方の夢

7135. 身体と命がコントロールされる時代の中で

7136. 肉体改造の目覚めをもたらしたものについて

7137. 今日のトレーニングに向けて/今朝方の夢の断片

7138. 象徴的貧困の社会の中で

7139. 本日のトレーニングを終えて


7134. 今朝方の夢


時刻は午前6時を迎えた。カッコウと小鳥の鳴き声に出迎えられる形で始まった新たな週の新たな日。


辺りはとても穏やかで、昨夜に雨が降った痕跡が見当たらない。ここ最近は天気予報がよく外れている。今日は昼前から小雨が降るとのことだが、それもどうなのだろうか。


世界はこうも予測不能なのだろうか。今日の天気予報さえあてにならないほどに世界は複雑なのだろうか。そうなのかもしれない。


だが、今自分がここにあるということだけは疑いようのなく確実なことのように思える。しかし、ここにあるということもまた不確実で困難なものになってしまった時代が現代である。


ここにあることを許さず、常に未来に意識を向けさせられてしまっている社会の中に私たちは生きている。例えば、今ここにあることを大切にするはずのマインドフル瞑想の実践さえ消費対象と成り果て、未来に手に入るであろう実利を追いかける対象になってしまっている。


今朝方はどのような夢を見ていただろうか。1つ言えることは、夢の中の言語は全て日本語だったということである。今朝方の夢には英語は一切出てこなかったように思う。


何か大切な話を見知らぬ人としていたように思う。今明確に思い出したのは、スペインかどこかの片田舎の町にいたことだ。そこは山岳地帯にあり、人口はとても少ない。


町にはちらほら日本人が住んでいて、その中にサッカー日本代表の期待の若手の選手がいた。彼と私は随分と歳が離れているが仲が良く、その日も山道を一緒に歩いていた。


その時に彼が、英語で書かれたジャンジャック·ルソーの書籍を私に見せ、この書籍はお勧めかどうかを聞いてきた。それはかの有名な『エミール』だったが、如何せん版が古く、書物はボロボロであり、何より文体が古風で読みにくい英語であった。


私は彼に、書物をパラパラと眺めてみた時に、もうその段階でその本が自分にとって大事な本なのか、今の自分の関心を引くものなのかがすぐにわかるのではないかと伝えた。すると彼は黙ってその本をパラパラとめくり、何か悟ったようだった。


そこから山道を一緒に降りていったところで夢の場面が変わった。この夢について思い出すと、確かに英語を話すことはなかったが、文字として英語が現れていたことが興味深い。そしてなぜルソーの『エミール』が現れたのかについても考える余地がある。


この夢以外にはどのような夢を見ていただろうか。その他にもまた見知らぬ日本人と話をしていた夢があったように思う。その時の会話相手は若い日本人女性だったように思う。


場所はどこだっただろうか。そこもまた欧州のどこかの国であった。ただし今回は山岳地帯ではなく、海辺のリゾート地だったように思う。


その女性との対話もまた重要な内容が含まれていたように思う。確か、彼女の発言か質問かの中にハッとさせられるような何かがあったのを覚えている。


その女性は飾るところのない純真さを持っており、話がしやすく好印象を持っていたことだけが感覚として残っている。フローニンゲン:2021/7/12(月)06:29


7135. 身体と命がコントロールされる時代の中で


小鳥たちの鳴き声に耳を傾けながら、引き続き日記を綴っている。そういえば、昨日両親とZoomで話をする中で、コロナウィルスのワクチンの話になった。


父は2回目の接種を終え、母は今月中に2回目の接種を終えるそうだ。自分も欧州内の旅行をそろそろ再開させようと思っており、欧州内の行き来のためにワクチンの接種をすることにし、先日1回目の接種を終えた。


父の話の中で、アメリカでは3回目のワクチンが打たれ始めたか、その検討がなされているという話があった。それは変異種にも効き目のあるワクチンとのことだった。


その話を聞いた時、変異種にも対応する強力なワクチンが開発されることが果たして私たちにとって良いことなのかと考えた。一般的かつ短絡的に考えれば良いことなのだろう。


だが、そこにはフーコーが指摘するような「生権力」的な何かが存在することを忘れてはならないように思う。ワクチンとは、端的には身体の作り替えのようなものである。


自分の中に抗体を人工的に作り上げるのだからそうした側面があり、しかもそれが国といった国家が介入してなされるところにある種の危険性を見る。国が主導になって行うワクチン接種は、端的には国家による国民の身体コントロールの側面が多分にあるように思う。


昨日、ポッドキャストの“Inside Europe”を聴いていると、ドイツは約半分ぐらいの国民が1回目のワクチン接種を終えているようだった。他国の状況がわからないのでその接種率が高いのか低いのか比べようがないが、少なくとも、ドイツ国民の半数は政府主導による生権力の影響を受け、人工的に抗体が作られたようだ。


自分も先日にワクチンの接種を受けたため、自分を超えたオランダ政府の 生権力によって自分の身体が作り変えられるということを体験したことになる。


昨夜はワクチン接種についてもう少し別のことを考えていたように思う。そもそもアメリカで行われようとしている変異種にも対応したワクチンの是非についてである。


このワクチンは、広く様々なコロナウィルスに効き目があるとのことだが、コロナに完全に疾患しなくなるということが、むしろ大切な何かを私たちから奪うのではないかと思えたのである。


コロナによって失われてしまう命があることは承知だが、私たちはこうした病気によって初めて気づかされることや学ばされることがあるように思う。ワクチンの普及を含め、それは命を大切にするというよりも、命のコントロールに過ぎないのではないかと思えてくる。


命というものが管理され、コントロール可能な対象になっている時代の中に私たちは生きている。そこでは本来有限である生がどこか無限であるかのように錯覚させるようなコントロールが行われている。


疫病から程遠くなってしまうというのは、生の有限性への目覚めの意識を妨げるものなのではないだろうか。バイオテクノロジーの発達により、生の有限性を自覚することがますます困難になり、生きる意味がますます曖昧になってしまうことを恐れる。


生きる力が喪失し、自らの身体と命までもがコントロールされている世界の中に生きているという自覚をどれほどの人が持っているのだろうか。そのような問いと昨夜向き合っていた。フローニンゲン:2021/7/12(月)06:46

7136. 肉体改造の目覚めをもたらしたものについて


なるほど、コロナのワクチンの接種を受けて数日後に、突如として肉体を作り替えようと思ってトレーニングに目覚めた意味が分かった気がする。そこには、フーコーが指摘する「生権力」によって仕立て上げられた身体からの脱却の意図があったのだ。


ワクチン接種の1度目を終えたが、今でもずっとワクチン接種には懐疑的であり、それはその効果についてではなく、それが持つ実存的な意味に関してである。また、ワクチンの接種により、自分の身体が自分のものではなくなってしまうような内在的危機感があり、それが肉体改造に自分を向かわせたのだと思う。


端的には、自らの身体を解放させること。これまでの自分の身体を作ってきた諸々の社会的影響力から身体を解き放つこと。それを意図して、これから肉体を大きく変えていこうとしているようなのだ。


それは筋肥大を意図したトレーニングのため、今のところ火曜日と金曜日の週に2回行うことを計画している。先日の金曜日が初めてのトレーニングであり、久しぶりに活性化させる部位もあったので、月曜日の今もまだ少し筋肉痛がある箇所がある。それくらいに負荷のある自重トレーニングをこれから課していく。


明日のトレーニングが大変待ち遠しい。毎回肉体の限界に挑戦しようと思う。


トレーニングの最中は、下手をすると瞑想よりも思考がクリアになるのではないかという効果を実感し、トレーニング後の土日は思考が冴えていて、読書がいつも以上に捗った。そうした効果もあるようだ。


今日か明日のどちらかに、近所のHolland & Barrettに行き、そこでホエイプロテインとヘンプパウダーを購入しようと思う。どちらもタンパク質が豊富に含まれており、これまでもヘンプパウダーは毎日摂取していたが、ホエイプロテインはこれから本格的に行うトレーニングのために購入する。


月曜日の今日は店が開くのが午後1時からとのことなので、仮に今日の午後に雨が降らなければジョギングがてら店に立ち寄ろうと思う。


昨日、バーナード·スティグラーの書籍を読みながら、リビドーについて改めて考えていた。それは生命の根幹的なエネルギーでもあるため、それをなくすことはできない。


一方で、資本主義を駆動させているのがリビドーであることを考えると、リビドーの性質を深く理解し、リビドーの使用の仕方、あるいはされ方を変容させていくことが資本主義を変容させていく際に考えなければならない1つのポイントであることについて考えていた。


リビドーを刺激し、リビドーを管理·駆動させる仕組みの中にも生権力的なものを見る。リビドーそのものが改変され、リビドーを通じて自己を解放する形ではなく、リビドーによって自己が自己ではないものに改変されていく時代。


現代というのは、目には見えない欲望や衝動といったものまで介入·管理·改変·悪用される時代なのだろう。そうした時代の悪習から人類を解放する道を今日もまた探っていく。フローニンゲン:2021/7/12(月)07:01


7137. 今日のトレーニングに向けて/今朝方の夢の断片


時刻は正午を迎えた。早朝の天気予報の情報が更新され、どうやら雨は夕方から降るらしい。そのため、午後に仮眠を取り終えたら、近所のショッピングセンターの行き、Holland & Barrettでホエイプロテインとヘンプパウダーを購入しようと思う。


過去にボルダリングをやっていた時はソイプロテインを良く飲んでいたのだが、今回は筋肥大を目的にした大きな肉体改造なので、ソイプロテインよりも吸収効率の良いホエイプロテインを用いて栄養補給を行おうと思う。


前回のトレーニングは金曜日であり、その時は初回のトレーニングだったので様子見を兼ねて、それほど激しいものにしなかった。肉体の限界まで挑戦するようなものではなかったので、土日の完全休養により、もう随分と筋肉が回復しているように思える。


その点と合わせて、明日までトレーニングが待てないほどにトレーニングを欲している身体がここにあり、その欲求に従う形で、今日の夕方にトレーニングを行おうと思う。その際には肉体の限界まで挑戦したい。


トレーニングの1時間前にホエイプロテインを摂取し、トレーニング後には速やかに夕食を摂る。その際にはいつもより多めにチーズを食べ、味噌汁にはヘンプパウダーを加えたい。


夜寝ている間の筋回復の際にもプロテインが必要とのことなので、寝る1時間前にホエイプロテインを豆乳で割った飲み物を飲もうと思う。豆乳で割ることによって吸収が緩やかになるはずだ。ここからの肉体の変化を楽しみながらトレーニングを続けていこう。


今朝方の夢の内容について少し思い出したことがある。夢の中に登場した若い日本人女性もアメリカで4年間ほど生活していたことを思い出した。


彼女は東海岸の都市を中心に生活していたという話をしてくれ、自分も4年間ほどアメリカで生活をしていたことを伝えた。その際に、引っ越しした街の順番を間違えて伝えてしまった。


サンフランシスコ、ニューヨーク、ロサンゼルスと述べたが、実際にはサンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨーク、アーバインと引っ越しを繰り返し、その訂正をすぐさま述べた。そのような夢の場面があったことを正午を過ぎた今になって思い出す。


“automobile”というのは自動車という意味だが、動き(mobile)が自動化(auto)されることの危険性について改めて考えていた。現代のテクノロジー蔓延社会に生きていると、行動や身体動作の自動的な方向付けがなされ、それに気づかないと自らの身体の喪失を招いてしまう。


身体をコントロールしているのは自分ではなくて、テクノロジーなのかもしれないという状態が頻繁に見られ、ここからさらにテクノロジーが発展していくと、ますますその傾向は強まるのではないかという危惧がある。


テクノロジーの探究を通じて、生権力が顕在化している現象に対する感覚が鋭敏になり、それが影響して、今回肉体改造を始めることになったというつながりは必ずある。自らの身体を取り戻すこと。それをここから本格的に行っていく。フローニンゲン:2021/7/12(月)12:24


7138. 象徴的貧困の社会の中で


時刻は午後4時半に近づきつつある。まだ天気は持っていて、午後に近所のHolland & Barrettに立ち寄ってオーガニックのホエイプロテインとヘンププロテインを購入した。そして、トレーニングの1時間前に当たる30分前にホエイプロテインを飲んだ。


30分後から始めるトレーニングが待ち遠しい。そのトレーニングでは肉体の限界にまで挑戦しようと思う。


今日もまたマネー神学とテクノロジー哲学に関する書物を集中的に読んでいた。マラルメが述べたように、本質的な意味において読むことは書くことなのだろう。


スティグラーが指摘する象徴的貧困が蔓延る現代社会においては、本来象徴機能によって内面生活を豊かにしていくべきところが、その機能が企業のマーケティングなどによって搾取され、象徴機能によって私たちの内面世界はますます貧しくなっている。


象徴機能の復活の鍵を握るのはアートの世界だろうか。スティグラーもそこに解決の糸口を見出し、テクノロジーとアートの融合に活路を切り開こうとした形跡が見える。


自分がある時突然に創作活動を始めたのはきっと、象徴的貧困が拡大する社会的な傾向に対抗するためだったのかもしれない。今も日々創作活動を継続しているのは、自分の象徴世界を守り、それを豊かにするためなのだろう。


ここからは、その実践を継続しながらも、社会の象徴的貧困現象に対して策を講じていこうと思う。貧困とは何も経済的なものだけではなく、現代社会には様々な種類の貧困で溢れかえっていることを忘れてはならない。


質的飛躍を促すのではなく、量的飛躍による中毒や退行·停滞を助長するもので溢れるこの現代社会。豊かな発達促進型社会ではなく、貧困な発達阻害社会の只中を私たちは生きているという自覚が果たしてどれだけの人にあるのだろうか。


同じ問題意識を持つ仲間は少ないかもしれない。そして同じ問題意識を共有して探究と実践を共にする仲間は少ないかもしれない。そうであったとしても、少数の同志と共に進んでいくことが大切だ。


昨夜、ニミ·ワリボコのマネー神学に関する書籍の再読を終えた。自分が立脚する学問領域に対して批判的な目を向けられるかが真の学者か否かの分水嶺なのではないかと思うが、経済学者のアマルティア·センが指摘しているように、経済学の世界においては経済学の下僕として、経済学の前提条件を批判的に検証することができない経済学者が多い。


彼らは経済学の規範的な側面について触れることなく——そもそもそうした側面を対象化できる知性がないのだろう——、抽象的な経済理論をかざしながら、人間の具体的な行動や具体的な経済現象を蔑ろにしている。


上述のスティグラーの指摘と合わせて考えてみると、現代社会においては、何も一般人の知性が劣化しているだけではなく、学問に従事する学者の知性もまた劣化しているのかもしれない。そしてこれはひょっとすると、人類史を通じて顕現し続けていた問題なのかもしれないとも思う。


人類はずっと愚鈍であり、これからもずっと愚鈍であり続けるしかないということに向き合いながら種々の事柄に従事するということが賢明なのだろうか。フローニンゲン:2021/7/12(月)16:35


7139. 本日のトレーニングを終えて


時刻は午後7時半を迎えた。夕食前に1時間弱の時間を使ってトレーニングをした。時間としては30分から40分ぐらいを想定していたのだが、インターバルを設けながらトレーニングに没頭していると、気がつくと60分ほどが過ぎていた。


無心でトレーニングをしていると、時間感覚が消失し、あっという間に時間が経つ。身体トレーニングは意識の鍛錬にも繋がっているようである。


普段は確かに探究活動や創作活動に没頭しているが、それはやはり知的な没頭であり、肉体を動かしながら肉体を通じて没入状態に参入するのとではやはり性質が異なる。


身体に負荷をかけてトレーニングをすることによって、血流の流れが良くなり、それは明日以降の探究·創作活動にも良い影響を及ぼすだろう。


これまでずっとバランスボールを座り続けており、また買い物に出かける際にはジョギングを行っていたこともあり、下半身はずっと鍛えられている。一連のトレーニング動画を見ながらトレーニングをしているのだが、下半身系のものはそれほど苦ではない。


問題は上半身を鍛えるトレーニングである。正直なところ、今の自分の上半身は相当に痩せこけていて、非常に貧弱に見える。


一応バランスボールに座ることによって腹筋が鍛えられており、さらには朝夕のヨガによって体自体は非常に引き締まっているのだが、如何せん肉がないのだ。今回はそうした身体を改造するべく、筋肥大を意図したトレーニングと食事を本格的に始めることにした。


トレーニング動画において、上半身を鍛えるものが相当にきつい。特に腕を鍛えるものをしばらく行っていると、腕がパンパンになる。その様子は、以前ボルダリングを始めた時のようである。


ここから中3日ほど休息期間を設け、次回のトレーニングは金曜日である。今日の感覚だと、インターバルを入れて60分があっという間だったので、75分間トレーニング時間を設けたい。


また、今日は夜の入浴前に、もう一度上半身を鍛えるトレーニングをしたいと思う。胸や腕の上腕二頭筋、上腕三頭筋を鍛えるトレーニングを再度行い、そこで再びプロテインを飲みたいと思う。その際には豆乳でそれを割り、寝ている間の筋力の回復にタンパク質を充当するためにゆっくりと吸収するように工夫する。


トレーニングが習慣化するまでは、トレーニング日記を綴っていくのもいいかもしれない。毎回のトレーニングで何を意識し、何を発見したのかを含めて、色々と記録しておこう。フローニンゲン:2021/7/12(月)16:35

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