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7123-7127: アートの国オランダからの便り 2021年7月9日(土)



No.2459 夜夢へ_Toward a Night Dream


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.742, Transhumans

The human race has always transcended itself through the history.

Yet, the next transcendent would be a huge leap.

Transhumans may not be regarded as humans anymore.

Or they may not regard us as humans.

Groningen; 06:48, 7/9/2021


No.743, A Colony of Time

Modern finance is always oriented toward the future.

It affects our daily life in that we are unconsciously confined in a colony of time which cannot allow us to stay in the here and now.

We have to liberate ourselves from the colonization and victimization.

Groningen; 16:23, 7/9/2021


No.744, Congratulations

Oh, you found it.

Congratulations!

That’s your true nature.

That is the ground state of your being.

Groningen; 19:45, 7/9/2021


No.745, Virtue and Vice

We have to emancipate vice from its evil nature instead of expelling it.

If that happens, we can find intrinsic virtue within vice.

Groningen; 19:50, 7/9/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7123. 今朝方の夢

7124. ポストヒューマニズム・トランスヒューマニズムの時代における神学の果たす役割

7125. ストーリーを意識した読書/倫理的問題と神学

7126. ポール·ティリッヒの神学より:「神律」と「究極的な関心」

7127. 時間的植民地/内在悪と内在善/成人の幼児化


7123. 今朝方の夢


時刻は午前6時を迎えた。カッコウの鳴き声と別の種類の小鳥の鳴き声が辺りに響き渡っている。優しいそよ風が地上を駆け抜けており、穏やかな朝日が地上に降り注いでいる。


今日もまた新たな1日が始まった。自分の取り組みをゆっくりと前に進めることができている日々。その充実感は計り知れない。


今朝方起床した直後に、ビジョンを知覚していた。そのビジョンの中では、ここ数日間再読をしている書籍のページが次から次にめくられていく姿が知覚された。


試しにその速度が変えられないかと念じてみたところ、それが可能だった。自分が思うままにめくられていくページ。それを眺めていた。


ビジョンとして知覚されていたその書籍の中身は非常に鮮明だった。書かれている英語の文字が何であるかがわかるぐらいに鮮明であった。


このビジョンの前に見ていた夢について思い出す。夢の中で私は、大学時代のゼミの友人2人(TA & YN)と話をしていた。


話の前に、私は別の部屋にいて、片方の友人が突然部屋に入ってきて、少し苦笑いを浮かべながら、「携帯のメッセージを見てないの?」と訪ねてきた。私はそれを見ておらず、何があったのかとすぐさま自分の携帯を開き、メッセージを確認した。


すると、その友人に送ったある請求書の金額が間違えていたようなのだ。少し前に、その友人に3つの工具を貸し出していた。それは自分のものではなく、国かどこかの団体のものであり、私は友人に無料でそれらの工具を貸し出したかったのだが、所有者の国かどこかの団体の意向によって、それを有料で貸し出さなければならなかった。


その時の貸し出し金額が多く請求されていると友人は指摘した。おかしいなと思って請求書を再度確認したところ、友人があることを見逃していることに気づいた。


貸し出したのは3つの工具だが、請求書の書き方がわかりづらくなっており、友人は3つ目の工具を見逃してしまったようだった。その点を友人に指摘すると、友人は納得したようであり、問題は無事に解決した。


次の夢の場面では、私は見慣れない場所にいた。そこは高速道路のサービスエリアのようだった。


私の近くには、小中学校時代の親友の3人(NK & YU & SI)がいた。彼らのうちの1人に車の運転をお願いしており、彼の運転で私たちは日帰り旅行をしているようだった。


このサービスエリアは運転をしている彼のお気に入りの場所とのことだった。特に用事はなかったがサービスエリアの店を覗いてみようと思った時に夢の場面が変わった。


そこからはロッジにいる夢と海岸沿いを歩いている夢を見ていた。ふと思い出すと、最初に見ていた夢の場面こそがロッジにいた場面だったのではないかと思った。そうだったように思う。


ロッジの中で朝風呂を浴びようと思った時に、別棟として建てられている旅館の方に温泉があることに気づき、そちらに向かった。すると、小中高時代の親友(HO)と偶然に出会い、彼と朝風呂を共にしたのを覚えている。


彼とは朝風呂の時間だけではなく、そこから夕方までの行動スケジュールが全て同じであり、思わず笑ってしまった。そのような夢の場面があり、海岸を歩いている夢について改めて思い出してみたが、そこに登場した人物を思い出すことはできない。


ひょっとしたら自分は1人で海岸を歩いていたのかもしれない。その時の感覚は幾分清々しく、心が落ち着いていたように思う。フローニンゲン:2021/7/9(金)06:28


7124. ポストヒューマニズム・トランスヒューマニズムの時代における神学の果たす役割


時刻は午前6時半を迎えた。今、洗濯機が回る音が聞こえてくる。もう少ししたら朝風呂にでも入ろうかと思う。


昨夜、テクノロジーの内在特性に関する関心から波及して、ポストヒューマニズムやトランスヒューマニズムについて関連書籍を色々と調べていた。この分野は現在様々な学問分野から注目されており、非常に新しい分野である。神学もまたこの分野に注目しているようであり、数はまだ少ないが15冊ほど興味深い書籍を見つけた。


この分野に関心を持ったのは、例えば、人間の身体が機械とどれだけ入れ替わったら、それは人間でないと言えるのだろうかという問いが浮かんだからである。腕だけが機械であればそれはまだ人間とみなすことも容易だが、脳以外が全て機械だった場合や、脳だけが機械であとは人間と全く同じ生命体だった場合など、その時に果たしてそれを人間とみなすことができるのだろうかという関心がある。まさにこれは、人間としてのアイデンティティーの問題にも関わってくるのだ。


その他にも、能力を拡張させる「ヒューマンエンハンスメント(human enhancement)」に関する動きが近年散見され、それもまた神学的な問題を多分に孕んでいる。薬を用いたり、体の一部を機会に置き換えることによって能力の拡張を図ることについての倫理的な問題も、神学を通じてアプローチすることができるのではないかと思う。


15冊ほどの書籍の中で、“Cyber Zen: Imagining Authentic Buddhist Identity, Community, and Practices in the Virtual World of Second Life”という書籍は非常に興味深かった。その書籍の中身検索をしていると、思わず笑ってしまった。


そもそもこの書籍は、ラウトリッジ出版という学術書に定評のある3本の指に入る出版社から出版されている。本書はタイトルからして興味深いが、本書の内容は相当に興味深かった。


著者は、「セカンドライフ」というオンラインゲームの中で禅のコミュニティーを形成し、仲間と禅的修行を積む過程をエスノグラフィー的に研究した成果を記述している。用語として、「オンライン覚醒」「デジタルダルマ」「サイバネティックマネジメント」などの言葉が散見され、霊的伝統の言葉とデジタルテクノロジーの言葉が組み合わさるなんとも言えない感覚に対して思わず笑ってしまったのである。


いつか人間の意識がサイバー空間に完全に移行される日がきたら、まさにこうした仮想現実世界でスピリチャルコミュニティーが形成され、同様のコミュニティー運営がなされるのだろうかと考えた。物理世界で悟を開くことを諦め、サイバー空間で悟りを開くことを試み、実際にそこで悟りが開けた場合、神学的にどのようにこの現象を取り扱えばいいのだろうか、という問いなども生まれる。


最古の学問分野の1つである神学がポストヒューマニズムやトランスヒューマニズムの問題を始め、現代の人間と社会を取り巻く諸問題に果たす役割は大きい。その架橋となるような仕事ができればという気持ちを新たにする。


神学とポストヒューマニズムおよびトランスヒューマニズムを組み合わせたこの領域はこれから発展していく学問分野だと思う。マネーに関しても暗号資産の登場により、マネーのあり方が今後大きく変わっていくであろうから、マネー神学もこれから発展していく学問分野のではないかと予想する。


今はまだ注目されていないこれら2つの学問分野に自分なりに貢献していき、社会に対してその探究成果を還元していければと思う。今日の探究活動もまたそこに至る道である。フローニンゲン:2021/7/9(金)06:43


7125. ストーリーを意識した読書/倫理的問題と神学


今日は土曜日だと思っていたら、どうやら金曜日のようだった。朝の世界があまりにも穏やかなので週末を迎えているものだと思っていた。


今朝は晴れたり曇ったりを繰り返す天気である。空にはうっすらとした雲がかかっているが、それは雨雲のような雰囲気を持っておらず、そうした雲が穏やかな雰囲気を生むことに一役買っている。


次回の書籍の一括購入が100冊を超えそうだということに昨日気づいた。今月はあえて書籍を注文しておらず、これまで届けられた書籍の中で最重要と思われるものを繰り返し読む月とした。


その分、次回の一括注文時の量が増えてしまったので、次回は2日に分けて注文しようと思う。場合によっては2日間続けて書籍を注文するのではなく、8月に入ってすぐと、8月の中旬の2回に分けてもいいかもしれない。


いつも書籍の注文の際には、書籍を再吟味することにしている。タイトルや中身を見ながら再吟味することもまた学習となり、それに十分な時間を充てるようにしている。次回の注文には随分と時間を使うであろうから、週末にでも時間を取ってゆっくりと書籍を吟味したい。


昨日から、重要な書籍に関しては目次を手書きし始め、目次を用いてイメージを膨らませ、ストーリーを通じて書籍の内容を理解するようにしている。目次の言葉から喚起されるイメージがあり、それを大切にし、本文を読む前からどのようなことが書かれているかをイメージすることによって、本文の内容も理解しやすくなる。


学術書もまたストーリーで構成されているのだから、ストーリーを活かさない手はない。また、社会を変容させていく際には、社会に内在している物語そのものを変容させていく必要があることを考えると、新たな物語の創出に向けて、日々ストーリーを意識しながら探究を進めていくことは大切に思える。


昨日、火星探索に関するBBCのドキュメンタリー番組を見ていた。宇宙探索においても倫理感が求められることを知る。


最初から帰還できないと分かっている片道切符の惑星探索における人間の命に関する倫理。また、他の惑星で仮に生命を発見した場合に、それを持ち帰ることに関する倫理。そして、地球から菌を他の惑星に持ち込まないようにする倫理など、宇宙探索においてもテクノロジーと倫理が絡む。


今回のコロナウィルスのワクチンに関しても、DNAにどこまで関与していくのかは倫理的な問題であり、これもまた神学上の争点となる。このように考えると、テクノロジーの背後には、そして倫理的な問題の背後には、常に神学的なテーマが存在していることが見えてくる。


そのようなことを考えながら、再び今後の人間社会について考えていた。例えば、人類の意識を全てサイバー空間に移行させ、全ての人間がその空間内で幸せを感じられるようになることが果たして救済論的な意味での真の救済を意味するのだろうか。


また、地球が滅亡しても、サイバー空間が維持できる場所を他の惑星に確保し、その惑星のサーバーを通じて人類がサイバー空間で永遠に生き続けることが果たして救済論的な意味での真の救済を意味するのだろうか。このあたりの問いもまた神学上の救済論(soteriology)が扱うものであるように思えてくる。


今自分はマネー神学とテクノロジー神学という、これから発展を遂げていくであろう重要かつ大きな領域に足を踏み入れたのだと改めて実感する。フローニンゲン:2021/7/9(金)10:20


7126. ポール·ティリッヒの神学より:「神律」と「究極的な関心」


気がつけば正午を過ぎていた。このところは昼に軽食を摂ることなく読書に明け暮れている。


今日の午前中は、ナイジェリアの研究者ニミ·ワリボコのマネー神学に関する書籍を読んでいた。その中で、ドイツの神学者ポール·ティリッヒについて言及があり、ティリッヒの仕事に改めて興味を持った。


ティリッヒは、人間の関係性の破壊的な捻れのことを「悪魔的なもの」と表現した。マネーと人間の関係も、まさに悪魔的な関係の捻れを起こしている。これはテクノロジーと人間の関係にも見られる事柄だ。


ワリボコはティリッヒの三位一体の論理をマネーに適用しているが、このアプローチはテクノロジーと人間の関係性に適用することも可能だと思う。


ティリッヒについて調べていると、4冊ほど興味深い書籍を見つけ、それらを文献購入リストに追加した。ティリッヒの考え方でいくつか注目に値するものがある。1つは、「神律(theonomy)」という概念だ。


それは自律と他律を超えたものとして捉えられており、自己の有限性を自覚しながらにして自己の基底を認識し、そこに働く神的な力に従う状態として定義されている。すなわち、神律とは、他律のように外部から押し付けられたものではなく、さらには自律のように自己の枠組みに閉じこもって孤独に陥ることもなく、自己を完成に導くものとして捉えられている。ティリッヒの神学が目的とするのは、人々をそうした神律に導くことである。


その他にも、ティリッヒは人の存在そのものが大きな問いであると述べており、その点にも注目をしている。存在を存在たらしめる存在の力、そして存在の基底としての超越的存在。それはまさにロイ·バスカーの霊的思想ともつながる。


有限なものに制約された私たちは、無限かつ超越的な存在に対しては、象徴を持って語り、象徴を持って接近していく必要がある。その際に、無限かつ超越的な存在は、絶えず有限なる象徴そのものを超えているという認識を持っておく必要があるだろう。こうした超越的な存在は、信じる信じないにかかわらず、存在それ自体として絶えず自己の内側と世界の中に息づいているものなのだ。


ティリッヒが述べる「究極的な関心」の考え方からすれば、自分にとっての究極的な事柄に日々従事している生き方は、多分に信仰的な生き方なのだろう。こうした究極的な事柄に絶えず支えられ、絶えず導かれる形で人生が進行している。


究極的な関心というテーマは、まさにハーヴァードの神学者かつ発達心理学者でもあったジェームズ·ファウラーへと思想が受け継がれている。ティリッヒもハーヴァードの神学大学院で教鞭を執っていたという事実を知る。


ティリッヒが述べた神学の役割とは、その時代と社会の中で問われている事柄に真摯に答えていくことであるとしており、これはまさに実践的な神学として、様々な領域において山積みとなっている諸問題に対して神学的アプローチを適用する際に大事な考えだと思う。フローニンゲン:2021/7/9(金)12:39


7127. 時間的植民地/内在悪と内在善/成人の幼児化


今週の平日もまた落ち着きと共に終わっていく。日々が探究活動と創作活動の往復の中で過ぎて聞く。


気がつけば、いつも新たな週がやって来て、新たな毎日がやって来る。いつもやって来るのが毎日であることに改めて驚く。


絶え間ない今日という日。自分は未だかつて昨日も明日も経験したことがなく、今日という日しか経験していないことに畏敬の念を抱く。


このことは、ふと夕方に読んでいた書籍の内容と重なる。ファイナンスの世界に蔓延る投機的未来志向が、気がつかないうちに私たちの時間意識を今という時間から将来に絶えず向けさせ、時間的植民地の中に私たちを閉じ込めてしまっているのではないか。そのようなことを考えていた。


本来は今というこの瞬間よりも貴重なものはないはずなのだが、ファイナンスの世界においては、未来から逆算する形で現在価値なる概念によって現在が捉えられる。とても奇妙な時間意識である。


投機的未来志向に立脚したファイナンスの世界の罠と仕組みに気がつかないと、私たちは今という瞬間を生きられなくなる。今を生きる代わりに、将来を取り引きする慣行の中に生かされることになる。それはあまりに愚かなことである。


ファイナンスの果たす役割は確かに大きい。だからこそ自分はマネーの内在的性質に関する探究をしており、現代経済学の問題を解こうとしている。


社会実践的神学者でもあったポール·ティリッヒはかつて、社会悪を理解することは、それを忌避するのではなく、その中に含まれる善を解放させることであると指摘した。ファイナンス、経済学、マネーに内在する悪を直視し、それに光を与えることを通じて、内在善を解放させていくこと。それに向けた探究と実践をこれからも継続していく。


マネーに関する探究に並行して、テクノロジーに関する探究も順調に進んでいる。今日はスティグラーの書籍を読み、フィーンバーグとマークーゼのインタビューを視聴していた。


マネーとテクノロジーの探究を通じて、人間性と文明について考察を深め、同時代の人々と社会の解放につながる実践をしていくこと。それが自分に課せられた大切な役目である。


そういえば先日、成人発達理論が日本で注目されているのは、背後に成人の「幼児化 (kinderization)」の問題があるのかもしれないということを思っていたことを思い出す。思慮深く行動ができず、行動に責任が持てない幼児化の横行。


仮に思慮深く、責任感があれば、このように大量消費行動に出れるはずがない。多くの成人は欲望消費刺激型の資本主義の犠牲者でありながら、同時に加担者でもある。


負の連鎖を断ち切ること。連鎖を生み出している深層的なメカニズムを発見し、そこに関与していくこと。それが大切だ。フローニンゲン:2021/7/9(金)19:39


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