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7116-7119: アートの国オランダからの便り 2021年7月7日(木)



No.2451 夜光の湧出_A Noctilucent Surge


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.737, The Source of the Novelty of My Existence

A serious of new ideas and senses come to me faster than light.

They constantly emerge from somewhere inside or above myself.

The place is the source of the novelty of my existence.

Groningen; 07:53, 7/7/2021


No.738, Transconstruction

The cycle between deconstruction and reconstruction continues to repeat.

All of a sudden, the cycle generates transconstruction.

Groningen; 21:57, 7/7/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7116. 今朝方の夢

7117. テクノロジーに関するフランスとドイツの思想的伝統を汲みながら

7118. ワクチンの1回目の接種を終えて

7119. 真正の夢/テクノロジー神学について


7116. 今朝方の夢


時刻は午前7時半に近づこうとしている。今朝は空に少し雲が浮かんでいるが、朝日の姿を拝むことができている。昼過ぎから雨が降るとのことだが、今日はワクチンの接種のために昼過ぎに出かける必要がある。雨に備えに折り畳み傘を持って出かけよう。


今朝方の夢を少しばかり振り返っている。夢の中で私は、見慣れない場所にいた。そこは欧米のどこかの国の、今は誰も住んでいない広大な敷地だった。


その敷地内にはいくつか立派な家が立っているのだが、形をそのままに残しながら、今となってはもう誰も住んでいない。一時期は多くの家族がそこに住み、活気があったことを思わせるが、今はさびれた雰囲気を発している。


私はどうやらこの場所に逃げて来たようだった。一緒に逃げ来ていたのは数名の外国人である。彼らは全員英語を話し、彼らとのコミュニケーションは全て英語だった。


私たちがなぜこの土地に逃げ来たかというと、楽園と思っていた以前の居住地を追放されたからである。そこには異なる思想を持つ別の住人グループがあり、彼らが私たちを追い出したのだ。


私たちのグループの1人には、宇宙の起源に関する変わった発想を持つ男性がいて、彼の説明を聞いていると、どこかその宇宙起源説には矛盾があるように思え、その説に怒りの感情を持った人たちが別のグループにいたようだった。


彼は私に説明をし終えると、自分で話をしたことによってその説のおかしさに気づいたのか、突然説が間違っていたことを認め、説を幾分修正した。修正後の説であれば比較的納得できると私は思い、彼が早く自らの説のおかしさに気づいてくれれば良かったのにと思った。


すると突然、嫌な気配を感じた。どうやら別の住人グループの人たちが私たちを追ってこの土地に侵入したようであり、私たちを殺しにやって来たことがわかったのである。


すぐさま私たちはある大きな家の中に入り、身を潜めることにした。私たちの手元には銃撃戦に備えて、自動機関銃とグレネードランチャーなどがあった。


しばらく静けさが続き、私たちのグループの1人が様子を見に行くことにした。すると、そこから数名の人も様子を見に外に出て行き、私も外に出ることにした。


しばらく慎重に辺りを調べたが、敵らしき人影は見えなかった。そう思った瞬間に、こちらのグループのメンバーの1人が敵を見つけ、射撃をした。どうやらその銃弾が敵に当たったようであり、また静けさがやって来た。


私たちはとりあえず再度身を潜めることにし、近くにあった大型劇場に入った。劇場の中は真っ暗であり、各人が思い思いに劇場の観客席の中に隠れた。私は劇場全体を見下ろせる最上段の影に隠れた。


すると、なんとそこに偶然にも敵が姿を現した。彼はアフリカ系アメリカ人の青年であり、手にはサイレンサーのような銃を持っていた。


私は殺されると思い、すぐに身をかがめた。すると、彼は私の方にゆっくり近づいて来て、銃口を私に向けながら微笑んだ。それが一瞬の隙となり、手に持っていた銃で彼を撃とうとしたら、別のメンバーが彼を撃った。


一発目の銃弾は彼の額を貫き、それで即死かと思ったら、そうではなく、その状態であれば私にまだ最後の攻撃を加えてくる可能性があったことを察した狙撃手が、さらに数発立て続けに彼に銃弾を浴びせ、彼は倒れた。


私は無事に助かり、そこからまた別の追っ手がやって来ることが考えられたので、私たちはすぐさま劇場を後にした。劇場を後にし、私たちは敷地内を走り、どこか別の隠れ家はないかと探した。


確かに隠れやすそうな家はたくさんあったが、すぐに敵がやって来るであろうと思った私たちは、もっと遠くへ逃げることにした。すると、巨大な飛空艇が目の前に現れ、私たちはそれに乗ってこの土地から脱出しようと思った。


すでに動き始めている飛空挺に各々が飛び乗ろうとした時に、ちょうど追っ手がやって来て、私たちが飛空挺に乗るのを狙撃しながら防ごうとした。だが幸いにもなんとか全員が無事に飛空挺に乗ることができたところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2021/7/7(水)07:47


7117. テクノロジーに関するフランスとドイツの思想的伝統を汲みながら


時刻は午前11時を迎えた。穏やかな午前中の世界が広がっていて、午後から雨が降る様子が今のところ感じられない。


あと1時間ほどしたら自宅を出発し、ワクチンを接種しに出かけようと思う。天気がもって欲しいと思うが、天気が崩れた時のために折り畳み傘を忘れずに持参しようと思う。


引っ越しをして3ヶ月ほどが経つが、まだ近所の駅を使ったことがなく、今日はその駅を使って中央駅まで電車に乗り、そこから乗り換えをしてワクチン会場に向かう。このところは街の外に出かけていなかったので良い気分転換になるだろう。


フローニンゲンでは、気がつけば店の中でマスクをしている人が見かけられなくなり、どうやらマスクの解除の伝達が政府からあったようだ。果たして電車の中はどういう状況なのか今日確認してみようと思う。その様子を見て、来週か再来週にでも南オランダにあるモンドリアン美術館に足を運んでみようかと思う。


午前中にバーナード·スティグラーの書籍を読みながら、スティグラーはハイデガーのテクノロジー哲学からもちろん影響を受けているが、ジャック·エリュールやギルバート·シモンドンから大きな影響を受けている。もちろんデリダを含めたフランスの現代思想からもスティグラーは影響を受けており、彼のテクノロジー哲学にはフランス思想の伝統が脈々と流れていることがわかる。


一方、もう1人注目しているテクノロジー哲学者としてアメリカのアンドリュー·フィーンバーグがいるが、彼はハイデガーやマークーゼ、そしてフランクフルト学派のテクノロジー哲学に影響を受けており、ドイツの哲学思想の伝統を受け継いでいるように思える。


今、2人のテクノロジー哲学を探究することを通じて、フランスとドイツのテクノロジー思想が自分の中に静かに流れ込んでこようとしているのを感じる。来月の書籍の一括注文の際に、スティグラーとフィーンバーグの書籍で今手元にないものは全て購入しようと思う。それほどまでにこの2人の思想家から汲み取るものは多いと思っている。


穏やかな太陽の光とそよ風。それに包まれた午前中の世界。


魚の周りに絶えず取り巻いている水のように、私たちの周りに絶えず取り巻いているマネーとテクノロジーについて思いを巡らせる。魚は水を認識していないのかもしれないが、私たちは知性を働かせればマネーとテクノロジーを対象化できる。マネーとテクノロジーによる負の制約から解放されるための鍵は、この対象化にあるように思う。


水が汚れていればそれを清らかなものにする必要があり、水の流れが滞っていれば水の流れを良くしていくことが求められるが、それらを行うためには兎にも角にも知性の力によってそれを対象化する必要がある。そうした対象化を促すための関与をしていく。


マネーとテクノロジーに関する既存の物語の変容に向けて、新たな大きな物語を提示していく。物語は物語によって治癒される。


既存の物語の中に含まれる病理的な権力構造や、不公平さや人間性の堕落をもたらす構造を明るみに出し、その治癒に向けた物語の創出に向けた探究を続けていく。フローニンゲン:2021/7/7(水)11:32


7118. ワクチンの1回目の接種を終えて


時刻は午後3時半を迎えようとしている。今日は昼過ぎに近くの街に出かけて行き、そこでコロナのワクチンの接種を受けた。


自宅を出て近くの駅に到着した時、不思議な知覚現象に襲われた。というよりも、不思議な知覚世界の中に自分はいたように思う。


物理的現実世界が何かとても生々しく、それでいて生き生きとしているように知覚されたのである。何がこのような知覚世界に自分を誘ったのか考えてみた時に、そういえばこの9ヶ月間ほど列車に乗ることはなく、フローニンゲンの街から一切外には出ずにずっと集中的な読書をして来たことと関係しているのかもしれないと思った。


一応数日おきに近所のスーパーに買い物に出かけているが、昨年の10月に日本に一時帰国して以来、フローニンゲンから一切外に出ずに自宅に籠もって探究生活を送っていたことと深く関係しているように思えたのである。列車に乗るものも9カ月振りであったから、とても新鮮であった。


コロナのワクチン会場に指定されていたのは、“Hoogezand”という小さな街のスポーツ施設だった。最寄駅に到着すると、そこには閑静な住宅街が広がっていて、ワクチンの接種会場までずっと閑静な住宅街が続いていた。


スマホの地図を見ながら会場に向かっていると、あることに気づいた。通りの名前が全て過去の偉大な作曲家たちの名前だったのだ。


道のりは単純であり、ショパン通りを真っ直ぐ進み、シューベルト通りを曲がってしばらく歩くと会場に辿り着いた。道中、地図でその他にどのような作曲家の名前が付されているかを確認したところ、その他には、バッハ通り、ハイドン通り、モーツァルト通り、ベートーヴェン通り、ヴェルディ通り、ワーグナー通り、ブラームス通り、ストラウス通りがあった。


改めて列挙してみると、確かに主要な作曲家の名前が付されていることがわかり、妙に親近感の湧く住宅地であった。一軒一軒の家にこだわりがあり、それぞれの家が個性を持っていたことも印象的である。


家は1階建てか2階建てであり、それぞれの家の間には十分な間隔がありながらも、住宅地全体が1つのコミュニティーのように思え、とても好印象を与えた。仮に自分の敬愛するシベリウスやグリーグが通りの名前に付されていたら、いつか通りの交差するところに家を持ちたいと思ったほどである。


フローニンゲン州の中にもこのような街があることを知り、嬉しく思った。主要都市の郊外にはこうした落ち着きのある住宅地が広がっていることを改めて知る。


会場に到着すると、次から次に人がやって来たが、混雑することはなく、予約していた時間よりも早くワクチンを接種することができた。会場に到着したのは予約時間の30分前だったが、係員の誰も予約時間については気にしていないようであり、事前に記入した質問用紙を担当の係員に見せると、すぐにワクチン接種の個室ブースに案内された。


今回接種したのはファイザーのワクチンである。ワクチンを接種して15分ほどは安静にしている必要があるらしく、ワクチンの接種を受けた人々は大きな待合室に通され、そこで15分ほど思い思いに過ごして会場を後にして行った。


予定よりも早くワクチンを接種することができたので、自宅にも早く戻って来ることができた。幸いにも雨が降り始める前に自宅に到着することができ、これから夕食までの時間を再び読書に充てていこうと思う。フローニンゲン:2021/7/7(水)15:42


7119. 真正の夢/テクノロジー神学について


時刻は午後7時半を迎えた。天気予報の通り、夕方に激しい雨が一時的に降った。その雨は風情があり、激しい雨が降っている間、それをぼんやりと眺めていた。その雨は何とも言えない魅力を持っていた。


他者や社会が構築した幻想的な虚構の夢の世界で生かされているゆえに、自己の固有性が体現されたビジョン的な夢を抱くことが困難になっている時代なのではないか。そのようなことを夕方に思った。


スティグラーが述べている夢を見ることの重要性について理解を深めていくことによって、現代において真正の夢を見ることの困難さの要因と、いかにすれば真正の夢を見ることができるのかが見えて来るかもしれない。


社会から夢が消えて行っている。夢さえも画一的なものになってしまう恐怖。大多数の人が画一化された1つの夢を見て、夢の帰結に向かって無意識的に猛進している姿は狂気そのものである。


夕食前にテクノロジー神学について色々と調べていると、以前に見つけた学術書以外にもいくつか興味深い論文を見つけることができた。この領域は主要なものではないが、確かに存在していることを知って嬉しく思う。


まだまだ開拓の余地があり、同時にこれからのテクノロジーの発展を考えていくと、テクノロジー神学というのは重要な役割を今後担っていく学術領域なのではないかと思う。この領域に関する現在出版されている学術書は全て購入し、入手できる論文も全て読み込んでいこうと思う。


今日の午後にコロナウィルスのワクチンを接種するために隣町に出かけている際に、グッドチャイルドのマネー神学に関する書籍を持参していた。駅のプラットホームや列車の中でそれを読み進める中で、いくつか考えが進んだ。


グッドチャイルドが示すように、マネーに付帯している信用が神学的アプローチの対象になるということを考えると、テクノロジーに付帯している信用も同様に神学的にアプローチすることができるかもしれない。


マネーに付帯している信用とテクノロジーに付帯している信用の共通点と相違点をまず明らかにし、そこから神学的アプローチの可能性を模索してみよう。このように、グッドチャイルドがマネーに対して神学的アプローチを採用した観点について、それをテクノロジーに置き換えてみた時にどのような考察ができるのかを考えていく。


グッドチャイルドの書籍を精読していくと、神学的観点の特徴が徐々にではあるが明らかになってきており、それをテクノロジーに適用する道を今後も探っていく。


テクノロジーの示す対象物は広く、単純にPCやスマホを含めたITデバイスから、広義においては交通システムや金融システムなどもテクノロジーである。テクノロジーの射程を広く取りながらも、同時にテクノロジーに含まれるものの分類もおこなっていく。


ゆっくりではあるが、日々マネー神学とテクノロジー神学に関する探究が進んでいることを嬉しく思う。探究の成果が実を結ぶのはもっとずっと後でいい。だが必ずや社会によって有益な実を結ぶようにしたい。フローニンゲン:2021/7/7(水)19:42

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