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7108-7111: アートの国オランダからの便り 2021年7月5日(火)


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No.2447 龍の道_A Path of a Dragon


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.732, Time and Death

How can we experience time and death?

Perhaps, we cannot do.

Time and death might be phenomena that we never experience.

Groningen; 07:24, 7/5/2021


No.733, Money and Technology

Money and technology are like air and water.

They are omnipresent in our life.

As Plato pointed out, they are pharmakon in that they can be remedy and poison for us.

Groningen; 07:28, 7/5/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7108. 今朝方の夢の断片/感謝の念/読書におけるイメージ理解

7109. 創造とネゲントロピー、そして差延

7110. バーナード・スティグラーへの深い共感の念/画一化する社会における原初的ナルシシズムの喪失

7111.「象徴的貧困」の時代に/生政治の横行とモジュール化された社会


7108. 今朝方の夢の断片/感謝の念/読書におけるイメージ理解


時刻は午前7時を迎えた。今朝は少し霧がかかっていて、とても肌寒い。7月を迎えたが、室内ではまだ冬の格好をしている。昼ぐらいからようやく半袖になれる日がちらほらあるが、日中でも長袖を着ていないと寒い日もかなりある。今日はそういう日のようだ。


今朝方はそれほど印象に残る夢を見ていなかったように思う。夢の中では日本語を話していて、日本語が聞こえてきていた。今朝方の夢には英語は一切介入していなかった。


見慣れない場所で、見知らぬ女性と話をしていたのを覚えている。その雰囲気は楽しげであった。それ以外にも、大学時代のゼミの友人が現れ、彼と話をしていたように思う。ひょっとしたら、友人は複数いたかもしれない。今朝方は総じて夢の世界が落ち着いていた。


昨日、滞在許可証の延長申請に必要な書類の記入が全て終わった。あとは商工会議所に事業の登録資料を依頼すればいい。それは今日の夕方にしようと思う。


お世話になっている会計士のロブがすぐに財務書類を作ってくれ、色々と助言をしてくれたことにとても感謝している。今、1つだけ提出資料について質問をしていて、その返答を受けて、全ての書類を近所のコピー屋で印刷し、移民局に郵送しようと思う。それは早ければ今週中か、遅くとも来週の頭には可能であるように思う。


申請手続きの準備をしながら、色々な人の助けによって今の自分がオランダにいられることを思い、感謝の念が湧いてきた。この感謝の念を日々の自分の取り組みに体現させていこう。


今日も引き続き、マネー神学とテクノロジー哲学に関する書籍を読み進めていく。フィリップ·グッドチャイルドのマネー神学に関する1冊の基本書の音読が終わりそうであり、バーナード·スティグラーのテクノロジー哲学に関する1冊の基本書の音読も終わりそうだ。そこからはグッドチャイルドとスティグラーの他の書籍に取り掛かる。


基本書を何度も繰り返し読み込んでいくことの大切さを思う。GRE試験の受験に向けて、難解かつ膨大な英単語を暗記する必要があったのだが、その時に分厚い単語帳を何度も繰り返していたことを思い出す。その単語帳は今でも記念に持っていて、ボロボロに使い込まれている姿を見ると、どこか勲章のように思える。


単語帳に繰り返し触れることによって単語を覚えていったのと同じく、今の自分の関心に合致する書籍は何度も繰り返し読んでいこう。そういえば、単語を暗記する際には概念的な意味内容を押さえるだけではなく、その際に意味をイメージとして捉えていたことを思い出す。言葉には固有のイメージがあるのだ。


この学習法は日々の読書にも応用可能なのではないかと思う。今読み進めているマネー神学やテクノロジー哲学には、聞き慣れない概念や理論が数多く出てくるが、それらをできるだけイメージとして理解していきたいと思う。


言葉を言葉として理解しようとするのではなく、言葉は意味とイメージがセットになったものであり、とりわけそのイメージを共有できるかどうかが意味理解の鍵なのだから、読書の最中にはイメージを膨らませていくことを絶えず意識していこう。そうすれば、概念の理解が進み、書籍の理解が進むだろう。フローニンゲン:2021/7/5(月)07:20

7109. 創造とネゲントロピー、そして差延


時刻は午後2時半を迎えた。早朝に降っていた小雨はすでに止み、今は地上に明るさがもたらされている。


早朝から今に至るまで、グッドチャイルドとスティグラーの書籍を行き来し続けている。スティグラーの書籍を読みながら、人間の生み出す創造物はいずれも、エントロピーの拡散に対抗するためのもの、スティグラーの言葉を借りるならば、ネゲントロピー的なものだということが見えてくる。


創造とはネゲントロピー的な営みだったのだ。そして、それは差異化の源泉である差延を生み出すものでもある。


自己は絶えず差延を生み出し続けており、自己同一性から絶えずズレる形で存在している。瞬間瞬間に生み出され続けているズレが形となって現れたものが創作物なのではないかと思えてくる。


午前中に3曲ほど音楽を作っていたが、それらはまさに曲を作っている最中の自分の差延の現れなのだ。このようなことを考えてみると、創作活動は差延を意図的に生み出す営みであるとも思えてくるし、あるいは無意識的に生み出され続けている差延を捕まえながらにして形にしていく営みであるとも思えてくる。


いずれにせよ、創作という行為を通じて、自己は創作前とは別の存在となる。差延は自己同一性からの微細な逸脱であり、その逸脱を通じて自己は新たな存在となる。


先ほど仮眠を取っていると、不思議なビジョンを知覚した。1つは、海の底が知覚され、そこに漂う生き物を眺めていたものである。海底の砂は柔らかそうであり、その砂の上に何か生命体が動いていたのを覚えている。


もう1つは、隣人のサハルの家の前を通った時に、サハルに本を預かってもらっていたことを思い出し、彼の名前を呼んで本を受け取ろうとしていたものである。サハルが玄関口に姿を現したところでビジョンが消えていった。こうしたビジョンもまた差延の具現化なのかもしれない。


スティグラーの書籍を読んでいると、現実の問題を直視しながら新たな概念を生み出し、その問題を指摘しながら解決への道筋を考察していく哲学者は、ある種の社会実践的なアーティストのように思えてくる。本当の哲学者というのは、単に概念を生み出すのではなく、同時代の現象の問題や構造をクリアにする概念を提示し、問題や構造の治癒と変容に向けた方向性を示す人間のことを言うのだろう。


ここからまた読書を続けていく。今朝方に書き留めたように、良書を何度も繰り返し読み込んでいくことに加えて、直感·イメージ的に、すなわち悟性的に読んでいく姿勢と、論理的に、すなわち理性的に読んでいく姿勢の双方を持って書物に向き合う。


読書の際には、それを感覚·イメージ的に捉えていく側面も忘れてはならない。それがなければ、書物から得られた知識を体現させた形で実践に活用することができないのだ。フローニンゲン:2021/7/5(月)14:38


7110. バーナード・スティグラーへの深い共感の念/

画一化する社会における原初的ナルシシズムの喪失


時刻は午後4時半を迎えた。今は晴れ間が広がり、先ほど近所のスーパーに買い物に出かけた時にも清々しい天気だった。


買い物から自宅に戻ってきた時にふと、ひょっとしたら今の自分は、いつか大きな実をならせるための長きにわたる修養の時期に入っているのではないかと思った。現在日々行っている集中的な読書はおそらくそのためなのだろう。


何かが外側に流れ出すまで、徹底的に読書をおこなっていこうとする自分の姿が見える。今は無理をして論文や書籍を書く必要はないのかもしれない。博士論文を書くという可能性が見えてきているが、それは小さな実りを意味するか、小さな収穫を通じて新たな実りへ向けた準備をすることを意味しているのかもしれない。


買い物に出かける前、そして買い物から戻ってきた後も引き続きスティグラーの書籍を読んでいた。スティグラーという哲学者はやはり大変興味深い。自分の実存に深く響く存在である。


スティグラーは高校中退後、19歳で父親となり、その後貧困と戦いながらジャズバーの経営を始めた。しかし、当時の首相の緊縮政策と警察のいやがらせによって銀行の貸し付けが停止してしまい、店が破綻しかけたことにより、銀行強盗を行う。だがすぐに逮捕され、監獄に送り込まれたのだが、そこで啓示を受けて哲学の道を歩み始めたという異色さを持つ。


その異色さに妙な関心と共感を持つ。スティグラーもまた啓示を受ける体質を持った人物だったのだろう。


5年間の監獄生活の中でスティグラーは、フッサールの思想の影響を受けて、現象学的なアプローチによる意識の鍛錬を行い、それと並行して哲学的な書物を読みながら思索を深めていった。


監獄での生活はスティグラーにとって、日常的な生活をエポケーすることを意味しており、それによって現実世界に対する特殊な眼が開かれたという側面が見て取れる。この数年間の自分もスティグラーが送ったのと似たような状況の中で生活を形作っており、それがスティグラーへの深い共感の念として現れているのかもしれない。


そのようなことを思いながら、人間を画一化する社会への危機意識が改めてやって来た。個人がますます画一化されていくことによって、固有性が喪失されている時代に私たちは生きている。


フロイトは、個人の固有性の源に原初的ナルシシズムを見出し、それは自己の尊厳に関わるものとして肯定的な意味を与えていた。そして何よりも重要なのは、原初的ナルシシズムというものが、他者の尊厳を認め、他者を尊重するための不可欠な前提条件として存在しているということである。


自らの固有性に自覚的になり、それを尊重して初めて他者への尊重の念が開かれていくはずなのだが、その回路が画一化によって断たれてしまっているのだ。現代社会に蔓延る種々の分断とそれがもたらす悲劇の根幹には、現代社会がもたらす集合的な画一化による原初的ナルシシズムの喪失があるのではないか。そのようなことを思わずにはいられない。フローニンゲン:2021/7/5(月)16:49


7111.「象徴的貧困」の時代に/生政治の横行とモジュール化された社会


小鳥たちが夕涼みをしながら美しい鳴き声を上げている。そしてそれに癒されている自己がここにいる。


癒し。この世界に深い癒しがもたらされる時はやって来るのだろうかという危機意識。本来癒しをもたらすはずのものが、逆に毒として機能している転倒的状況を頻繁に目にする現代。


先ほど買い物から帰ってくる最中に、通りかかった家に住む青年が外に出てスマホを片手にタバコを吸っていた。彼の動作から、彼はテキストメッセージを打っていたように思う。


私は基本的に、ショートメッセージサービス(SMS)を使わない。それを使わないのは、スティグラーが述べる「象徴的貧困」に対する小さな抵抗なのかもしれないと思う。


SMSでやり取りされる言語的象徴行為の貧困さに我慢がならず、SMSに触れれば触れるだけ、自らの言語的象徴機能が貧困になり、自らの言語的象徴世界そのものが貧困になってしまうことを危険視しているようなのだ。言語的象徴機能は、間接的·直接的に自分の絵画創作や作曲実践にも影響を与えているであろうから、なお一層のこと言語的象徴機能が劣化することを避け、逆に言語的象徴世界を豊かなものにしていく実践に励んでいきたいという思いがある。


現代人の生の様式が定式化されていることへの危惧も上記の話と似ている。ミシェル·フーコーは、人々の生の様式を生み出すことを「生政治」と呼んだが、現代においては企業におけるマーケティングやマスメディアの行動が生政治に深く加担している。


こうした生政治の横行によって、社会はますますモジュール化されていく。そうした社会のあり方に抵抗感を示し、定式化された特定の行動に誘う鋳型に押し流されるのを生理的に拒絶している自己がいる。


自己の固有性をなんとかして守ろうとする魂の叫びが聞こえてくるかのようだ。どうも自分には、現代人の多くがそうした叫びを発していないように思えてならない。彼らはもはや固有性を完全に喪失してしまい、魂を無くしてしまったのだろうか。


現在注目している思想家は、いずれも真の思想家たる性質を持っている。単に概念や理論を提示するのではなく、提示する概念や理論が、人々の行動が持つベクトルのおかしさを指摘し、彼らの行動に新たなベクトルを与えるものでなければならない。


そうした新たなベクトルの提示まで射程に入れた思想家たちの書物をとにかく集中的に読み進めていく。自分にできることは小さく少ないかもしれないが、いつか実りの季節を迎えた時に、なんとか社会に貢献できるような実を届けたい。フローニンゲン:2021/7/5(月)17:04

 
 
 

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