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7021-7023: アートの国オランダからの便り 2021年6月8日(水)


No.2344 形而上学的模様_Metaphysical Patterns


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.673, Beyond Relativeness and Absoluteness

My existence is relative.

My existence is absolute.

Everything is both relative and absolute.

It means that everything is beyond relativeness and absoluteness.

Groningen; 07:21, 6/8/2021


No.674, Theological Semiotics of Money

I just suddenly came up with the term of “Theological Semiotics of Money.”

I realized that establishing this field of study is my role.

I plan to apply Pierce’s and Wilber’s semiotics and theological perspectives to money.

Money has not only epistemological hierarchies but also ontological ones.

I’m so thrilled to study these aspects of money.

Groningen; 08:31, 6/8/2021

No.675, Epistemological and Ontological Dimensions of Money

Money can be viewed from an infinite number of epistemological lenses that are qualitatively and hierarchically distinct.

Money also can be omnipresent, which has a numerous number of ontologically different qualities and hierarchies.

The former aspect can be studied from the perspectives of developmental psychology whereas the latter aspect can be studied by the perspectives of Bhaskar’s critical realism.

Groningen; 21:33, 6/8/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7021. 今朝方の夢/探究の焦点

7022. 「マネーの神学的記号論」の創出に向けて

7023. 金融資本主義思想が見させる不可能な夢


7021. 今朝方の夢/探究の焦点


今日も充実した1日になることを予感させる朝。時刻は午前7時に近づこうとしている。小鳥たちが朝の世界を出迎えるかのように鳴き声を上げており、朝の世界はそれに応えるかのように静かに佇んでいる。


早速だが、今朝方の夢を静かに振り返っている。夢の中で私は、日本人の有名なラッパーの方と話をしていた。そのラッパーの方は社会に対する深い洞察を持っていて、博学でもあった。そうしたことから話が合い、今の社会の構造的な問題について話が弾んだ。


今朝方の夢を振り返ってみようと思って勢い良く書き出してみたものの、今朝方の夢で覚えているのはそれぐらいしかない。夢の世界は総じて落ち着いていた。


起床してすぐに、今日もまた自分のライフワークとでも言える探究活動に取り組めることを嬉しく思った。今の探究活動の成果は、もう一度学術機関に戻ってそこで論文としてまとめるか、書籍か何かにしてまとめたい。書籍として出版する際には、それを英語で出版したいと思う。


もう一度学術機関に戻るのは少し先のことになるだろう。それまでは自分で好きなように探究を進めていく。


その一環として、昨日も経済宗教関係の書籍を中心に26冊を一括注文した。その中には新約聖書も含まれており、ここで一度腰を据えて聖書を読んでみることにした。


昨日にふと本棚にあったヒンドゥー教の聖典『バガヴァッド·ギーター』が気になり、それを引っ張り出してパラパラとページをめくっていた。それに加えて、イスラム教の『コーラン』への関心も高まり、書棚からコーランの関連書籍も引っ張り出してきた。


『コーラン』そのものをまだ持っていないこともあり、また近々購入したい。アラビア語が読めれば原著を購入することに越したことはないが、仕方なく英訳されたものを購入することにする。対訳があればそれを購入しよう。


自分の関心テーマに関係する学術書を中心にした読書に合わせて、世界の宗教の聖典もゆっくりと読み進めていこう。それと似たような趣旨で、各宗教を代表するような詩人の詩集も引き続きゆっくりと読み進めていく。


今月と来月は一旦書籍の注文を控え、8月を迎えたらまた一括して大量に書籍を注文しようと思う。8月に購入予定の書籍も既に40冊を超えている。フランスの哲学者バーナード·スティグラーやピエール·ブルデュー、ドイツの哲学者のエリック·フロムやヨルゲン·ハーバマスの書籍の中でまだ読んだことのない本がいくつかあるので、関心テーマに近しいものは全て購入する。その他には経済神学(economic theology)の書籍も合わせると、やはり40冊を超えてくる。


昨夜就寝前に、今の関心はマネーの絶対的·超越的特性と相対的特性を解明していくことであるが、マネーの抽象性をさらに高めると、結局シンボルの絶対的·超越的特性と相対的特性の解明に行き着くのではないかと思った。


もちろん無数のシンボルの中でマネーほどそれら2つの特性を兼ね備えているものはなく、研究の取り掛かりとしては対象はマネーに絞った方が良いが、研究が進めば、人間はなぜある特定のシンボルに対して絶対性·超越性および相対性を見い出してしまうのかというテーマで研究してみたいという思いがふと芽生えた。


記号論関係の書籍も気になりながら読み進めているのはそのためかもしれない。いずれにせよ、ここからはマネーの2つの特性に関する研究を最大の焦点とし、そこから派生的に気の赴くままに幅広く探究を進めていこうと思う。聖書や『バガヴァッド·ギーター』、それに詩集を読み進めていくこともその一環である。フローニンゲン:2021/6/8(火)07:14


7022. 「マネーの神学的記号論」の創出に向けて


先ほど朝風呂に入っているときに、何か啓治的な形で、「マネーの神学的記号論(Theological Semiotics of Money)」という研究領域を自ら生み出してみようと思った。追って調べる必要があるが、このような研究領域はまだ存在していないのではないかと思う。


この言葉が降ってきた背景には、マネーのこの世的性質とあの世的性質に考えを巡らせていたことがある。そこでふと、ソシュールの記号論よりも洗練されたパースの記号論の三角形が脳裏に浮かび、そこからウィルバーの統合的記号論に考えが及んだ。


パースやウィルバーの記号論を用いて、マネーが表す意味としての“signified”は認識論的に、そしてこれは構造的発達心理学の知見を活用して扱うことができ、マネーの存在そのものである“referent”については存在論的に扱うことができるのではないかと思ったのだ。


後者のマネーを存在論的に扱うというのは、マネーがあるというのはどういうことかを扱うことに他ならず、マネーの存在はこの世とあの世の双方に存在しているという点を神学的なアプローチで探究してみたいと思ったのである。


現代社会にきる個人においては、例えばマネーはタンスの中にあるわけではなく、銀行の金庫にもない。そこではデジタル空間上において数字として存在しているだけであり、そこからさらにその数字は様々な存在論的階層を持ちながら、超越的な性質を帯びる。


今これを書いて初めて気づいたが、マネーには認識論的な意味階層があるだけではなく、存在論的な存在階層があるのだ。ぜひとも両者について深く理解したい。


階層的な存在論の探究については、バスカーの思想体系が大いに役立つだろう。また、キリスト教神学や仏教がどのように存在について扱っているのかも改めて調べてみる。


それから、キリスト教神学と仏教に関する記号論の書籍がないかも調査をする。マネーはどのような意味を持つのかという認識論的階層と、マネーはどこにあるのかという存在論的階層の解明を通じて、トランスパーソナル経済学の創出につなげていきたい。


不思議なことに、今は毎日新たな発見事項があるだけではなく、自分の探究の方向性が日々明瞭なものになっている。上記の内容であれば博士課程で取り扱うことに耐えられる研究テーマになるかもしれない。


マネーのあの世的性質(絶対的·超越的性質)とこの世的性質(相対的性質)、そしてマネーを取り巻く認識論的·存在論的階層構造を記号論的に解明していく試み。このテーマに強く突き動かされる自分がいるところをみると、これは自分が世界から与えられた唯一無二のテーマなのかもしれない。


そのようなことを考えながら、ここから神学関係の書籍や聖書を自分なりに読み進めたら、どこかのタイミングで神父を務めておられる知人の方に連絡をして、キリスト教神学について色々と教えを乞いたいと思った。それは自分の探究テーマを深めていくことにつながっていくであろう。


何よりもこの探究の先に生きとし生ける全てのものと地球への寄与が見えていることを嬉しく思う。フローニンゲン:2021/6/8(火)08:26


7023. 金融資本主義思想が見させる不可能な夢


時刻は午後7時半を迎えた。今日も1日を通して穏やかな日であった。気候は清々しく、この時期のフローニンゲンは街全体が輝いている。


今日も探究過程において色々なことを考えていた。現代の金融資本主義思想には、マルクスが指摘したような階級間の不公平さや余剰価値の不公平さの問題があるだけではなく、フランクフルト学派が指摘したような、全てを貨幣価値に置き換えるという公平さの問題もある。後者に関しては、それが公平であることに問題があるという点、言い換えれば公平さの背後にある暴力の問題が重要になる。


今朝方読み進めていた書籍はそうした問題を出発点にして、フロイトやマークーゼの理論を用いて金融資本主義思想の問題点を論じていた。この本を読みながら、金融資本主義思想がもたらす心理的報酬と不満足が複雑に絡み合っていて、金融資本主義に参画する人間たちは報酬を絶えず得ながらにして絶えず不満足であるという状態に置かれ続けている点について考えていた。


報酬を与えられながらにして永続的に不満足であるという仕組みが存在しているがゆえに、現代人はそれから脱却するのが難しいのだろう。


金融資本主義は私たちに無限の富の蓄積を夢想させ、金融資本主義の枠組みにおいてはそれは実現可能なのだが、無限に到達することは不可能であるがゆえに、その夢はいつまで経っても叶えられることはない。


不可能な夢を見せられ続け、不可能な夢を追い求めさせてしまう点に金融資本主義思想の欺瞞性が垣間見られる。そして、そうした欺瞞性から人々の目を巧妙に背けさせる種々の仕組みがある点もまた欺瞞の対象である。


パースの記号論の観点から金融資本主義思想の病を探究する道を探っている。例えば、どのような商品でも良いが、その商品に私たちは絶えず何かしらの欲望を元にして意味や価値を投影し、そこに歪みが発生してしまう。


私たちがどのような意味や価値を商品·財·サービスに投影しがちなのかのパターンを把握し、そうしたパターンを生み出している構造の特定につなげていくことができるのではないかと思う。それに合わせて、金融資本主義思想がどのように欲望を刺激し、対象物への意味の投影を歪めているのかのメカニズムを探究してみよう。


その他に考えていたのは、金融資本主義思想の巧妙な手口として、人々にある商品·財·サービスを購入させる際に、他の別の商品·財·サービスに意識を向けさせる換喩的(metonymic)な働きかけをしてくる点があるということだ。その換喩は実に巧妙であり、私たちの無意識に働きかけてくるような力がある。


そうした力に気づかなければ、私たちは際限なく消費に駆り立てられてしまう。ここでも気づきの意識を持つことの重要性を思う。


これからマネーに関する探究を進めていく際に明らかになったマネーの持つ無意識的な力については惜しみなく様々な方面で知識を共有していこうと思う。明日の探究もそれにつながる道である。フローニンゲン:2021/6/8(火)19:46

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