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6677-6680: アートの国オランダからの便り 2021年2月25日(木)

更新日:2021年3月1日


No.1927 夜祭_A Night Festival

本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)


No.324, Mind & Body

A few little birds are singing a song right now.

It makes my mind serene.

Do they also have a calm mind?

Maybe so.

When our mind is peaceful, our behavior and attitude would be filled with calm and peace.

Our mind and body are one.

Groningen; 06:21, 2/25/2021


No.325, I’m Like a Tree

I’m like a tree

in that I strive for light

and in that the roots of my existence become wider and denser day by day.

Groningen; 09:55, 2/25/2021

No.326, Open Your Child Eyes

You can see a flood of hidden things

when you open your child eyes.

Just make your eyes pure and open them,

and you can see a lot of invisible and invaluable things for you.

Groningen; 10:47, 2/25/2021


No.327, Breathing & Spirituality

Breathing is a doorway to our deep spirituality.


Continue to breathe deeply, you will find your own spirituality.


Breathing can make the deity corporeal.

Groningen; 16:00, 2/25/2021


No.328, Form & Essence

Any form is revelation of its essence.

Once we know it, we will be amazed by the fact that the world is replete with a variety of essence.

Groningen; 16:08, 2/25/2021


No.329, Sitting & Silence

I sit in silence.

Silence sits not on me but in me.

Groningen; 20:35, 2/25/2021


No.330, Atman & Brahman

The soul is Atman.

The spirit is Brahman.


Atman is the individual soul,

whereas Brahman is the world or cosmic soul.


We can see Atman in Brahman.

We can see Brahman through Atman.

Groningen; 20:54, 2/25/2021


No.331, Going Beyond Time & Divinity

Going beyond time could be a key to meeting a deity.

If so, creative activities that enable us to transcend time might help us meet a divinity.

Groningen; 21:03, 2/25/2021


No.332, Creative Activities as Soul-Making

Any creative activity such as painting, making poems, composing music is a soul-making activity for me.

The more I engage in such an activity, the deeper and purer my soul becomes.

Groningen; 21:10, 2/25/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた6曲

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本日生まれた曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

6677. 今朝方の感動的な夢

6678. 存在に満ち溢れていく充実感と幸福感/掘り出し物


6677. 今朝方の感動的な夢


時刻は午前4時半を迎えた。普段の早朝の最初の日記は天気の話や身辺の話を書くことが多いが、今日は早速今朝方の夢について書き留めておきたい。端的には、今朝方の夢は実に感動的なものだった。


大抵私は、夢の中で学校の先生に反抗的な態度を取ったり、攻撃的な行動に出る。しかし今朝方の夢を見てみると、そうした反抗的·攻撃的な態度の裏には、先生に対する何かしらの尊敬の念があるのだと思わされた。表出する行動と、その裏の本当の気持ちというのは往々にして異なるのかもしれない。


夢の中で私は、小学校5年生の時にお世話になっていた女性の先生(TO先生)と話をしていた。その時の私はもう成人であり、先生もすでに50歳を超えているようだった。


先生は、私が随分と大人になったことを驚いていて、始終笑顔だった。すると先生が、「今からあの時に戻ってみようよ」と述べた。


すると私は、小学校5年生を過ごした教室の中にいた。そこでは当時の友達たちが楽しそうに話をしていたり、中には元気良くはしゃいでいる者もいた。


私は教室全体を眺め、みんなが楽しそうにしていることを嬉しく思った。すると、私に声をかけてくる2人の友人がいた。見ると、1人は確かに同じクラスの男子(YK)であり、もう1人は別のクラスの男子(MS)だった。


何やら2人は、統計ソフトのRの使い方で困っていることがあるようだった。私はそれを使って大学院で研究をしていたこともあり、2人にその使い方を教えることにした。


何が分からないのかを具体的に尋ねてみると、置換関数の使い方が分からないとのことだった。そのテーマはこの前ちょうど誰かに教えていたこともあり、その時にメモをしていたものを見ながら2人教えることにした。


実はRを活用する際に、プログラミングのコードを全て覚えておく必要はなく、インターフェイスから検索ができ、それを見ながら活用していけばいいのである。その点についても言及し、彼らが使い方が分からないと言っていた関数について教えてあげた。


無事に彼らの問題が解決すると、先生がやって来て、今から終わりの会が行われることになった。


先生:「みんな席に着いて!今から終わりの会をするよ!」


先生はそのように大きな声で述べた。生徒みんなが着席すると、先生はどういうわけか、私に質問を投げかけてきた。


私は、あるブロックチェーンの開発に携わっていて、相当に多忙な日々を過ごしていた。多忙だが、とても充実しており、私には一切疲れがなかった。しかし先生は、私があまりにもそのプロジェクトに熱中している様子を少し心配しているようだった。


開発の進捗について先生から尋ねられた時には、「順調です」と笑顔で一言だけ伝えた。すると、瀬戸内海に面した右側の窓から、温かく、そして優しい太陽の光が差してきた。太陽の光が私の右足に当たり始め、その温もりを感じていた。


そこから先生は、生徒みんなに算数のテストの結果を返し始めた。どうやらそのテストは相当に難しかったらしく、平均点はかなり低いようだった。


私の名前が呼ばれ、先生のところに行くと、先生は笑顔で私の答案を返却した。答案を見ると、最後の問題だけ間違えていたようだった。


今回のテストがいかに難しかったとしても、自分としては1問間違えただけでも自分らしくないと思い、幾分不服だった。そのようなことを思っている私に対して、その結果を先生は褒めてくれた。そして、そこから先生と少しやり取りをした。


先生:「洋平はみんなが騒いでいる時に一緒になって大騒ぎして、あっちこっちに首を突っ込んでるのに、なんでこんなにテストの結果がいいわけ?」


私:「僕は荒波の中の深海の静寂であり、台風の中の台風の目ですから」


そのように笑いながら答えた。それに対して教室の友人たちは、私が述べたことの意味をわかっていないようだったが、先生はその意味を理解し、大笑いしていた。そして私も笑った。


そこから時が流れ、再び成人の自分に戻って、50歳を迎えた先生と再度思い出話を始めた。場所は教室とロッカルームが合わさったような不思議な空間だった。


先生:「見た?あれが当時のあなたよ(笑)」


私:「態度も物言いも、今とあまり変わりませんねぇ(笑)」


先生:「そうでしょ~。あっ、そうだ!」


先生はそのように述べると、ロッカルームの方に向かって行った。何やら、先生は5年生の時に私を受け持っていた際の私に関する思い出が70個ほどあるということを述べた。


先生は私のロッカーを開け、70個の思い出を取り出し、嬉しそうに私のところに戻って来た。私はどういうわけがひどく感激し、気がつけば感動の涙を流していた。


先生がまさかそんなにも自分に関して思い出を持っていてくれているとは思わなかったのである。先生は、70個全ての思い出を手渡し、黙ったまま笑顔だった。


そこで夢から覚めた。目覚めると、小鳥たちが鳴き声を上げ始めていた。


ベッドの上の私は夢の感動を引き継いでいて、覚醒してからしばらくも感動の渦の中にいた。


幼少期の全ての体験が今の自分を形作っていて、その頃の種々の思い出が今の自分を根底から支え、活動の大きな源になっていることを改めて知る。フローニンゲン:2021/2/25(木)05:09


6678. 存在に満ち溢れていく充実感と幸福感/掘り出し物


時刻は午前5時を迎えた。辺りは真っ暗だが静寂に包まれていて、そのような環境の中における最大の楽しみが始まった。そう、小鳥たちが闇の静寂さに光を灯すような清澄な鳴き声を上げ始めたのである。


彼らの鳴き声を聞いていると、心身、そして魂が洗われたかのような感覚になる。意識はとても瞑想的であり、特殊な意識状態に誘ってくれるのが彼らの鳴き声なのだ。


ここ2日間は特に暖かく、今日まで最高気温が10度を越す。明日からは、再び最高気温が10度を下回り、最低気温も2度前後になるが、天気は軒並み良い。この数日間は湯たんぽを使っていなかったが、今夜からまた湯たんぽのお世話になるだろう。


満ち満ちてくる充実感と幸福感。その中に自分は毎日いる。


存在圏は溢れんばかりの充実感と幸福感で構成されていて、自己の存在そのものもそれらによって構成されている。1つ1つの細胞、分子や原子、さらには自分を構成する素粒子までもが充実感と幸福感で満たされているかのようなのだ。


充実感と幸福感によって存在が張ち切れ、自己は大きな世界へと還っていくかのような感じ。そんな感じがある。


今日もまた午後に、引っ越しの準備をして行こう。昨日の午後に引っ越しの準備をして感じていたのだが、物を整理すると、それが本当に自分の心に影響を与えていて、何か心が軽くなり、爽快感を得たのである。


物理的世界と心理的世界は密接に繋がっているのだから、それは当たり前といえば当たり前かもしれないが、物を整理し、掃除をするということがもたらす心理効果は大きい。


そこで感じられた清々しさ、そしてここからまた人生を再出発させて行こうという気持ちが自分の中に湧いて来たのか、それが今朝方の夢にも少なからぬ影響を与えていたように思う。


本棚やソファの上に積み重ねられた書物を整理していると、思わぬ書籍と出会うことがある。昨日思わぬ形で出会った書籍は数冊ほどあり、一瞬作業をする手を止めて、パラパラとそれらの書籍に目を通していた。


中でも、宗教と音楽の関係から、グルジェフ、カバラ、インド哲学と音楽理論を架橋した“Nearly All and Almost Everything: The Gurdjieff Work, the Hebrew Kaballah, the Indian Shrutis, and the Musical Tree of Life (2005)”が印象的な本だった。それはちょうど1年前に初読をしていたようだが、このような本を持っていたことをすっかり忘れていた。


その他にもポーランドのワルシャワの書店で購入した、マーカス·ガブリエルの哲学書“Why the World Does not Exist”や、2018年にハーバード大学教育大学院の教授に会いに行った際にボストンの書店で購入した、シュタイナーやグルジェフの本なども見つかった。


昨夜はそれらに少しばかり目を通していると、家の呼び鈴がなり、新たな書籍が届いた。箱の梱包を開けてみると、首を長くして待っていた、ラルフ·ワルド·エマーソンの詩集、フランク·オハラの詩集、そしてつい数日前に注文した世界の宗教がどのように死を扱っているかに関する書籍が届いた。


新居に移ったらそれらの書籍の初読を行いたい。また、荷造りを通じて発見された数々の良書を見て、再読したい本が山ほどあることに対して改めて感謝の念を持った。フローニンゲン:2021/2/25(木)05:24


6679. 自分の愛国心


未だ明けぬ闇の世界に、小鳥たちの清澄な鳴き声が響き渡っている。それは湖面に落ちた木々の葉のように、優しくこの世界にやって来て、そして木の葉が湖面に作る波紋のように、その音は世界を満たしていく。


つい今し方、愛国心というものについて考えていた。とりわけ、国歌斉唱や象徴天皇制について考えを巡らしている自分がいた。


おそらく日本にいなかった時だろうが、以前国歌斉唱に関する問題が日本社会の中で存在していたように記憶している。それは確か愛国心を育むことに関する文脈に連なっているものかと思う。


私は自らの政治思想を語れるほどにこの分野に関する知識はないのだが、思想家の西部邁先生が述べるところの保守派の思想に共感の念を持っている。端的には、世間一般でいうところの右翼·左翼思想とはまた違った政治思想を持っているということがこの1、2年の探究を通じて見えて来ている。


国歌斉唱に関して言えば、まだ私が青年期ぐらいの頃、母と君が代について話をしていたことを覚えている。母の主張としては、「アメリカやフランスのような明るい国歌だったら良かったのに」とのことだったが、私は君が代が持つ何とも言えない抒情性に惹かれるものがあり、今のままの君が代がいいということを述べていたように思う。


そのような記憶が蘇って来た時に、改めて愛国心というものについて考えていた。私は日本という国に対して強い愛国心を持っているが、それは右翼的な意味ではなく、西部邁先生が定義しておられる保守的な意味でである。


欧米での生活が長くなるにつれ、愛国心は増す一方だ。愛国心というものが何を対象にしていて、それがどのように育まれたのかについて改めて考えていた。


矛盾するようだが、自分の夢で再三現われている主題からも分かるように、自分には反国家的な傾向がある。ここで述べている国家とは、目には見えない巨大な権威的産物であり、それに対してはひどく反抗的·攻撃的な態度を示そうとする自分がいることに気づく。


振り返ってみると、旧帝国大学には絶対に進学しないと物心ついた頃に思っており、それも帝国主義的な国家に対する嫌悪感の現れだったのだと思う。それでは一体自分はどのような点で愛国者なのかと考えてみた時に、権威的ではない日本の全体性、あるいは、日本が過去数千年の歴史をかけて生み出して来た共同体的な何かと形容できるようなものに対して敬意と愛の念を持っていることに気づく。


そうであるがゆえに、「愛国教育」という名の教育には強い嫌悪感を示してしまう。ここでもまた、国からの指令により、国が定めた何かを忠実に教師が生徒に教えるという構造が見え隠れしていて、そうした調教的な教育によって真の愛国心が育まれるとは到底思えない。


自分自身の愛国心の根っこは、もっと小さなものであり、もっと生活に密着したものなのだ。幼少期を過ごした街や自然、そしてそこでの友人やその他の大人を含めた人々との触れ合いから自ずと醸成されてきた母国に対する敬愛の念、それが自分にとっての愛国心の核心にある。


小さな共同体の中における自分の生活に密着した直接体験、そこからしか愛国心は芽生えないのではないかと思う。権威的国家が定めたものを上から教え込むことによって、本当に愛国心など育まれるのだろうか。私が子供であれば、それには強く反発するに違いないし、むしろ国を憎むような感情を持つに違いない。


まだ世が明けぬ暗闇の中で、小鳥たちの鳴き声を聞きながら、そのようなことを考えていた。なぜ上記のようなことを突然思い出し、突然綴ったのかよく分からない。言葉にならなかったものに関しては、今から絵と曲の形にして行こうと思う。フローニンゲン:2021/2/25(木)06:08


6680. 創造的な活動としての引っ越し準備


時刻は午後8時を迎えようとしている。今日もまた充実感と幸福感に満ち溢れた1日だった。


今日もまた午後に引っ越しの荷造りを行った。引っ越しの準備をし始めて興味深いのは、引っ越しというものが創造的な活動だということである。


次に何をどのように荷造りしていこうかのアイデアが自然と芽生えてきて、荷造りにも創造性が発揮されるようなのだ。そして荷造りによって部屋が片付いてくると、それによってさらに創造性が刺激される感覚になっている。


引っ越しは、創造的な活動であり、かつ創造性を涵養する活動にもなり得るということが体験を通してわかってきたこともあり、将来また引っ越しをする際にも、荷造りすることを肯定的に捉えられるだろう。


創造性以外の観点として、思っていた以上に引っ越し準備が楽であり、楽しいものであるという感覚がある。というのも、今回の引越しに際して移動させる物の大部分は書籍であり、荷造りの作業はそれを段ボールに詰めていくだけであり、詰めていく過程の中で書物を立ち読みすると新たな発見が次々ともたらされるからである。


実際に今日は、いくつもの書籍から色々と刺激を得ていて、中でも、今から120年近く前に出版されたジョン·ロックの“An Essay Concerning Human Understanding”の古びたハードカバーから色々と汲み取れるものがあった。知識的にはその他の書籍から汲み取ったものの方が多かったのだが、ロックのこの書籍は出版年そのものは1689年であり、知識と叡智の集積とその伝承に対して自ずと畏怖の念を持った。


新居に移ったら、自分の図書館に籠り、手持ちの書籍を全部もう一度読み返そうと思う。知識体系を新たに大きく作り直す時期に差し掛かっているようであり、新居の静けさは図書館の静けさのそれであり、読書はこれまで以上に大いに捗るだろう。それが今から楽しみでしょうがない。


そう言えば、荷造りを始める前の仮眠後に、興味深いビジョンを知覚した。それは白い雪の結晶のような幾何学模様だった。


数日前の朝に、強烈な黄色い光を知覚する体験があったが、今度は白い光で構成された結晶のような幾何学模様だった。引っ越しの準備をし始めたことだけが原因ではないだろうが、新たな自己と新たな人生に向けて、今自分の内面世界では何かが動き始めているようだ。フローニンゲン:2021/2/25(木)20:00

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