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6652-6654: アートの国オランダからの便り 2021年2月18日(木)


No.1900 夜のリアリティ_Night Reality

本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)


No.269, A Birds’ Song

Little cute birds are singing a sweet song right now.

Their singing invites me to the meditative world,

which is very peaceful and serene.

Their song is a soul tranquilizer to me.

Groningen; 08:22, 2/18/2021


No.270, The Corrupt and Distorted Society

This society is totally corrupt and distorted.

It constantly generates a ton of unenlightened people whose absurdity spreads out in the society.

Our degenerate society represses and exploits millions of innocent people, which reinforces the corruption and distortion of the society.

Groningen; 10:45, 2/18/2021


No.271, Your Poems

Make your own poems from your heart.

Nothing is worried about them

They will definitely reach someone’s heart.

Groningen; 11:11, 2/18/2021


No.272, Haiku as Spiritual Art

Haiku captures my interest very much probably because I’m Japanese.

Haiku is spiritual art to grasp and appreciate a treasure in each ephemeral moment.

Haiku opens and nourishes my spirituality.

Sure, I’ll learn and write Haiku.

Groningen; 16:13, 2/18/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた6曲

本日生まれた曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

本日生まれた曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

6652. 犠牲となる善良な凡夫

6653. 今朝方の夢

6654. 神学校への進学について/霊的芸術としての俳句


6652. 犠牲となる善良な凡夫


時刻は午前7時を迎えた。今、小鳥たちが清澄な鳴き声を上げている。実は起床直後から小鳥たちの美しい鳴き声が聞こえていて、朝から癒されていた。


彼らの鳴き声の感じを見ると、彼らも春の訪れの足音を聞いているようなのだ。実際に、ここ数日から暖かくなり、小鳥たちが活発に活動し始めたことを感じる。


今の気温は8度であり、日中は11度近くまで気温が上がる。今日は夕方に雨が降るようだが、明日からは軒並み晴れである。晴れかつ気温が上がってきており、春の世界がやってくるのも間も無くだろう。


昨夜に音声ファイルを作った後に、ぼんやりと雑多なことを考えていた。そこでふと、数年前に日本に一時帰国した際に宿泊したホテルで、久しぶりにテレビのスイッチを入れてみた時の記憶が蘇ってきた。


特に見たい番組があるわけではなく、ここ10年以上テレビを見ていないので、好奇心から何気なくテレビのスイッチを入れた時に画面に現れたのは、何かのテレビCMだった。そこで私は突然、目眩のようなものを感じ、意識が突然変性したのを覚えている。


それはまるで幻覚剤か何かを摂取したかのような意識状態であり、後々になって、日本のテレビCM——テレビ自体も含む——が含むブルーライトの量は他国のものよりも多く、規制がほとんどされていないことを知った。あの幻覚的な目眩体験は、おそらくそうした事情によるところが大きいのだと思う。


毎日テレビを長時間見ている人の健康、とりわけ精神的·知的健康が気になるところである。それまでずっとテレビを見ていなかったがゆえに、久しぶりにテレビをつけた時にそうした感覚になったこともあるだろうが、テレビを見る一般の人たちが物理的に幻覚的な意識にさせられる状態に飼い慣らされていること、そしてコンテンツ次元でも低俗なものに飼い慣らされてしまっていることに危惧する。


いつも犠牲になるのは善良の市民なのだ。いつも犠牲になり、搾取されるのは善良な凡夫なのである。


それと似たような問題が、コロナウィルスのワクチンに関しても見られる。世界各国でワクチンの供給がはじまりつつある状況にあるが、今回のワクチンは本来であれば実験と検証を数年かけて作るものを1年ほどで作ったものであり、そのリスクについて議論がなされている。


ただしリスクに関する議論も一般人の多くには知らされていない状態であり、一部の情報感度の高い人間しか知ることができないような情報になってしまっていることを危惧する。


以前医療関係の知人の話を聞いた時、とにかくワクチンは摂取するなと言われた。それは諸々の理由による。


今回は、本来ワクチンの供給によって莫大な利益を得たいであろうはずの製造元の製薬会社の元重役たちが、開発されたワクチンの危険性についてリークをしており、物議を醸している。人体への害、とりわけ今回は開発を急いだこともあり、長期間にわたって人体に及ぼすリスクが考慮されておらず、相当に危険なワクチンが世に出回ることに待ったをかけようとした勇敢な告発について昨夜は考えを巡らせていた。


ここでもまた犠牲になるのは、構築された虚構の物語の外側の世界を見ることのできない善良なる凡夫なのだ。フローニンゲン:2021/2/18(木)07:19


6653. 今朝方の夢


時刻は午前7時半に近づきつつある。先ほど改めて、自分が日頃感じている憤りについて考えていた。端的に述べるとその憤りは、虚構の物語に気づけない善良な凡夫を搾取し、貶める時代精神と社会構造に対してである。


そこには誰か特定の悪者がいるわけではなく、それはまるで巨大な幽霊のように存在している。その存在も多数に渡り、発生要因も存在同士も複雑に絡み合っていて、その亡霊を乗り越えるのは相当に難しい問題だ。


インテグラル理論や成人発達理論はそもそも、目覚めを促すためのものであり、凡夫が覚者になっていくことを後押しする理論体系である。自分がそれらの理論を専門にして活動しているのは、凡夫に目覚めをもたらすためであることについて改めて考えていた。


夢。今朝方はいくつか印象に残る夢を見ていた。


夢の中で私は、東京八重洲にある立派なオフィスビルの会議室にいた。そこは以前協働していた会社のオフィスであり、会議室には数名の協働者の方がいた。


協働プロジェクトを通じて開発中のあるサービスについてそこで話し合いをしており、先方の部長からこちらに提案があった。その提案内容を見ると、こちら側にかかる作業負担が大きく、それでいてそのサービスにどのような意義があるのか少し疑問だったので、私はその提案をうまく断った。


先方の部長はその提案を魅力的なものだと思っていたようであり、まさか自分が断るとは思っていなかったようなので、私が断った時には驚いた表情を浮かべていた。そこで夢の場面が変わった。


次の夢の場面では、私はオランダの港町にいた。その街の港に近い場所に建てられらた赤レンガのマンションの屋上に私はいた。


なぜ自分が屋上にいたのかを目を閉じて振り返ろうとすると、まぶたの裏に先ほどまでの光景が蘇ってきた。私は先ほどまでマンションのどこかの階の部屋にいて、そこで大学時代のゼミの友人(TA)と彼の知人である中年男性と話をしていた。


友人は私が水に少しばかりこだわっていることを知っていて、だったら水の試飲ゲームをしてみようと述べた。具体的には、ある硬水とそうでないものを飲み当てるものとのことであり、さすがにそれは簡単だろうと私は述べた。


そこで友人は、ゲームに負けたら鷹の人形を買うことを私に約束させた。その人形はすでに準備されていて、可愛らしい姿をしていた。


ゲームに負けてそれを買うことになっても、その人形は机かどこかに飾っておくことができると思った。いざゲームを始めようとなった時に、友人の知人の方が、試しに飲んでもらう硬水を、このマンションの全員に日常的に飲んでもらいたいと述べた。


どうやったらそれが可能になるのかと言うと、マンションの水道管を工事し、臭気をなくすための物質を水道管に入れていくことが必要だと述べた。それでは実際に水道管がどうなっているのかを屋上に見に行ってみようということになった。


水道管そのものは屋上に上がる手前の場所に張り巡らされていて、そこを見学するために屋上まで上がってきたのだということが、まぶたの裏側に映るビジョンによって思い出されたのである。


目を開けてみると、大学時代の友人も彼の知人もそこにはおらず、その代わりに見知らぬ人たちが数人いた。1人の見知らぬ若い女性が私の方をじっと見つめていた。


私はそれに気づき、その女性を一瞥すると、直感的にその女性は将来の自分の妻だと思った。その女性はとても優しそうな顔をしていて、心も綺麗であることが感じられた。


しかし私はその女性やその他の人たちに取り合うことをせず、屋上の地べたに座り、地上の景色を1人で眺めていた。そこは雲より上の世界であり、雨雲でさえもが美しく見えた。


地上は灰色の雨雲で覆われているが、屋上は晴れ渡っていた。そこから港の方を眺めると、湾に浮かぶレンガ造りの家々が美しく見えた。


しばらく景色を眺めた後、私は屋上から下の階に戻ろうと思った。すると、どういうわけか、私の目の前に1羽の赤ちゃんペンギンが現れ、私に懐いてきたのである。


ペンギンのくちばしが少し尖っていたので、それに注意する必要があったが、ペンギンはこちらに危害を加えることなく、しばらくその赤ちゃんペンギンと戯れ合っていた。するとそこで夢の場面が変わった。


最後の夢において、私はトイレの中にいた。そのトイレにはシャワーがいくつか取り付けられていて、私は今からシャワーを浴びようとしていた。先ほどまでよく汗を掻く運動をしていたこともあり、次の授業の前にシャワーを浴びてさっぱりしたかったのである。


いざシャワーを浴びようとすると、シャワーはトイレの個室に取り付けられていることもあって、場所がとても狭く感じた。なんとかシャワーを浴び始めると、小中高時代の親友(SI)が、私がその個室を使っているにもかかわらず、鍵を強引に開けて中に入ってこようとした。私は彼にそれをやめさせ、もう少し待ってもらうことにした。


すると彼は別の個室を使ってシャワーを使い始めたようだった。そこから素早くシャワーを浴びようとすると、鍵をかけていたはずの扉がいつの間にか開いていて、もう一度扉を閉めて鍵をかけることにした。


気がつくと、次の授業が始まりそうであり、次の授業はおそらく国語であることが思い出され、先生はもう教室にいるような予感がした。今朝方はそのような夢を見ていた。


夢の中で現れたペンギンがとても印象的なため、今から少しそのシンボルが意味するものについてドリームディクショナリーを紐解いてみようと思う。フローニンゲン:2021/2/18(木)07:57


6654. 神学校への進学について/霊的芸術としての俳句


時刻は午後7時半を迎えようとしている。天気予報のように、少し前から雨が降り始め、今も小雨が降っている。


ここ最近は本当に暖かくなってきた。もちろん、気温としてはまだ低いかもしれないが、以前が氷点下の世界だっただけに、体感温度として暖かく感じられる。


事実、ヒーターをつける必要などもうなくなっており、湯たんぽを使う必要させもうないように思えてくる。例年であれば、逆にまだまだ湯たんぽを使い続けている時期なのだが、今年はほんの一瞬例年以上に寒くなり、そこからは例年に比べて暖かい状態に戻ったように感じる。明日からは晴れるようなので、午後には日光浴を楽しもう。

昨日に引き続き、神学校への進学について考えていた。現在注目している詩人たちは、必ずと言っていいほど何かしらの宗教を信仰しており、彼らの作品を通じて宗教観が見えてくる。そうしたこともあり、世界の諸宗教の思想についてより深く学びたいという思いが高まってきている。


とりわけ、諸宗教がどのような形で今という時を認識しているのか、そして死をどのように取り扱っているのかに関心があり、それらのトピックに関する詩を意識的に読んでいる自分がいる。


神学校に進学すれば、それぞれの宗教の専門家や教授と、彼らが専門にする宗教における詩について意見交換ができるのではないかという期待がある。比較宗教学的な観点で詩集を読み、そこに人間性や霊性に関する洞察を汲み取っていく。そして最も重要な動機としては、宗教的な学びを自分の創作活動につなげていくということがある。


詩作、絵画の創作、そして作曲などの創作活動と宗教的な探究を絡めることができたらどれほど楽しいだろうかと想像してしまう。


昨日の日記にも書き留めていたように、今すぐに神学校に進学するのではなく、その選択肢については引き続き頭の片隅に入れておき、今は自分にできる範囲で上述の試みをオランダの地で進めていこうと思う。


午後にふと、霊的芸術(spiritual art)としての俳句に関心を持った。ここ最近詩集を購入する際に、俳句も購入しようかと検討していたのだが、それらはまだ購入予定のリストに入れたままであり、新居に引越しを完了したら、いくつか英語で書かれた俳句集を購入しようと思う。


すでにいくつか興味深い俳句集を見つけている。宗教的な観点で言えば、やはり仏教·道教的な観点で俳句を探究していくことに関心があり、興味深い俳句集としては、ユダヤ教の思想をもとにした俳句集を見つけた。


2021年を迎えて早々に新たな実践探究テーマが見つかったことをとても嬉しく思う。フローニンゲン:2021/2/18(木)19:36

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