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6555-6556: アートの国オランダからの便り 2021年1月13日(水)


No.1742 夢の世界_The World of a Dream

本日の言葉

Our speech can be ordinary. But if we are thinking in the ordinary way, that leads to tears. Ajahn Chah


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本日生まれた7曲

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タイトル一覧

6555. 今朝方の印象的な夢

6556. 「共生共在」の自己/2つの脱魂運動


6555. 今朝方の印象的な夢


時刻は午前5時半を迎えた。先ほどまで小雨が降っていたが、今はそれが止んでいる。だが、少し風が強い印象だ。


昨夜は就寝前に、突然激しい吹雪が吹いた。それはほんのわずかの時間であったが、一瞬にして地面が白くなったが、しばらくするとすぐに雪は溶けた。今週はもう何日か雪が降るという予報が出ている。


今朝方は1つ印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、センター試験を受験していた。どうやら再度日本の大学に通うことを検討しているようであり、センター試験を受験する必要があった。


ただし、再受験に関しても母校に入学しようと思っていて、母校はセンター試験を重視せず、二次試験を重視しているため、センター試験の点数をそれほど気にする必要はなかった。しかし、足切りがあることは確かであり、センター試験の結果が良いに越したことはないので、センター試験の対策もそれなりに行った。


センター試験の勉強をしながら改めて、どのような思想や姿勢で学術研究をするのかという考えをもとに二次試験の問題を策問し、それに基づいて自ら学生を選別しない大学はいかがなものかと思っていた。標準化されたセンター試験に依存した選別をするというのは、標準化された学生を招くことに繋がり、大学の価値に関する疑問とそれで大学教育が成り立つのかという疑問がある。


その点で言えば、国立大学に関して東工大と京大理学部はどちらもセンター試験を単なる足切りにしか使わず、二次試験だけで選別するという方式を採用しているため最も共感の念を持ち、東大と一橋大も二次試験の占める割合が圧倒的に高いため、センター試験という馬鹿げた試験に頼ることなく、自らの思想に基づいて学生を選別することを行っている点において共感の念を持つ。


そのようなことを考えながら、退屈なセンター対策をしていると、自宅に1通の郵便が届いた。見るとそれは、センター試験の結果だった。


早速封を開けてみると、結果は昔大学に合格した時とほぼ同じ得点率だった。理科(化学)は満点だったが、なぜか100点から99点に圧縮換算されていた。その他に満点だったのは数学IAであり、数学IIBだけいくつか間違いがあったが、その他の科目は軒並み1問間違うだけだった。


センター試験の結果は大して重要ではないため、これから二次試験の対策を始めようと思ったところで、そもそも二次試験の対策そのものもくだらないと思った。端的には、今参加している大学入試というゲームそのものが取るに足らないものだと思ったのである。


そのようなことを思っていると、母親が私に声を掛けてきて、センター試験で無事に点数を取れていることを喜んでいた。母にはセンター試験はどうでもいいということを何度も説明していたのだが、それでも親としてセンター試験で点数が取れたことは嬉しいようだった。


そこでふと、「そう言えば化学で満点が取れたのは、中学3年生の時の理科の先生のおかげかもしれない」という言葉が漏れた。高校の化学の先生ではなく、なぜ中学3年生の時に担任を務めていた理科の先生のおかげだと思ったのかは定かではないが、直感的にそのようなことを思っている自分がいた。


そこから二次試験の対策をしようと机に着くと、なぜか二次試験は公認会計士の筆記試験となり、これから会計士試験の二次対策をする必要があった。そのとき、日本の大学入試や各種資格試験だけではなく、世界のありとあらゆる試験の類がくだらないものに思え、「頼むから試験はもうやめてくれ」と言葉を発したところで夢から覚めた。実際には、今朝方はその他にもダンジョンの中を冒険するような夢も見ていたように思う。フローニンゲン:2021/1/13(水)06:14


6556. 「共生共在」の自己/2つの脱魂運動


時刻は午後7時半を迎え、なんとも言えない静けさの中で1日が終わりに向かっている。


今朝方は小雨が降っていたが、それもすぐに止み、午後は太陽の姿を拝むことができたので日光浴を楽しんだ。フローニンゲンの街は現在ロックダウン中であり、それが終わるのは来週の火曜日だ。


世界に開かれ、世界と共に生き、世界と共に在るということ、すなわち「共生共在」の自己について考えていた。そこから、一なるものが多に転じる場としての阿頼耶識に着目をしていた。


ここ最近はこの意識場に着目している。この場から言語的なもの、絵画的なもの、音楽的なもの、およそ全ての事柄が湧出してくるからである。そしてそれが生起する先に一者があり、その一者が多に転じる特性について考えを巡らせていた。


過去の偉大な詩人の詩集を読むことによって、一者から言語的創造物を生み出す感覚のようなものが伝わってくる。過去の偉大な画家からは絵画的な何かを一者から降ろしてくる感覚が伝わり、そして過去の偉大な作曲家からは音楽的な何かを一者から降ろしてくる感覚が伝わってくる。


その感覚と実際に一者から多を降ろしてくる方法を学ぶこと。それが無限の創作の鍵となる。


日々の探究活動と創作活動は往々にして、超越に向かう脱魂運動を伴うが、その影には常に、根源的無意識世界に向かう脱魂運動もあることを見逃してはならない。両極の一致が描く線の上を日々歩いている感覚があり、この感覚を大切にしていく。どちらか片方の極に足を滑らせたとき、意識の、いや存在の破局が待っているように思う。


言語哲学者の井筒俊彦先生はかつて、「普通の人間が、自分の意識の正常な組織を破壊するという大きな危険に身を晒したくない限り、絶対に見てはならないものが2つある。1つは我々が生きている現実より上の世界であり、もう1つは下の世界である」という意味のことを述べていた。まさにその通りである。


常人が決して覗いてはならない、触れてはならない意識場が存在していて、それは上と下の両方に存在している。ここからの探究と実践の歩みは慎重になっていこう。


緩やかな前進。太陽が朝に上り、夕方にそれが沈むような自然な進行。天体運動と調和する形で日々の生活を形作っていく。そのような形で今年一年が進行していくことになるだろう。フローニンゲン:2021/1/13(水)19:48

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