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6503-6505: アートの国オランダからの便り 2020年12月26日(土)


No.1667 夜空の向こう_Beyond the Night Sky

本日の言葉

Success is reached only after overcoming great obstacles. Chin Kung


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本日生まれた5曲

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タイトル一覧

6503. 今日の映画鑑賞より

6504. 今朝方の夢

6505. 夜と天上/子供の世界と大人の世界


6503. 今日の映画鑑賞より


時刻は午後8時を迎えた。今、クリスマスを祝う爆竹の音が聞こえてきた。今この瞬間にはそうした祝いの音がありながらも、今日は総じて静かな1日だった。日本と異なり、オランダにおいては、クリスマスは家族と過ごす時間であることも静けさの理由なのかもしれない。


今日も色々と映画を鑑賞し、その合間合間に作曲実践を進めていった。今夜はこれからバルトークに関する書籍を読んでいこうと思う。それは大した分量はないため、今日中に初読が終わるだろう。そうすれば、明日はまた別の書籍を読み進めていこうと思う。


ここ最近は本当に毎日映画漬けであり、映像作品から得られるものがあまりに多いため、これから少しずつそれらを咀嚼していく必要がある。今日は南北朝鮮をテーマとした韓国映画『工作 黒金星と呼ばれた男(2018)』が印象に残っている。


その他には、デンマークの映画『未来を生きる君たちへ(2011)』や、多大な苦労を経て才能を開花させた女流作家の物語『放浪記(1962)』も印象的だ。ドキュメンタリーに関して言えば、何と言っても実際に起きた事件「パリ人肉事件(1981)」の犯人である佐川一政氏のインタビューを基にした『カニバ パリ人肉事件38年目の真実(2017)』という作品が印象に残っている。


一般的な着眼点とは異なる視点で佐川氏の言動を眺めた時、性的衝動と創造衝動というのはどこか近しい、あるいは根元として同じものがあるように思えてきた。事件そのものは殺害した女性の人肉を食らうという残虐なものなのだが、その残虐性はさほど私にインパクトを与えず、それよりもむしろ、佐川氏が人肉を食らう体験を基にして描いた漫画作品と、その創造プロセスに意識が向かっていた。


上述の映画作品やドキュメンタリーについてはまたどこかで言及することがあるかもしれない。現在、公開しない形で1つ1つの映画作品について気づきや発見を書き留めており、それらをもとに改めて文章を執筆するか、多くの人と映画について多様な観点から語り合うような場を作っていきたいと思っている。


その実現がいつになるか分からないが、映画からまさかこれほどまでに多くのことを得られるとは思っておらず、しかも1人で映画を見ておしまいにするのではなく、多くの人と同じ作品について語り合うことの学びの豊かに気づかされている。この点については、まさに先日の「一瞬一生の会」の中で『怒れる十二人の男(1957)』を取り上げたときに実感した。


明日もまた、映画鑑賞と創作活動に励んでいこう。2020年をそのような形で締めくくっていけることをとても嬉しく思う。フローニンゲン2020/12/25(金)20:16


6504. 今朝方の夢


時刻は午前7時を迎えた。クリスマスから一夜が明けた。


昨夜は少しばかり爆竹音が聞こえてが、総じて慎ましい形でクリスマスが祝われていたように思う。大晦日の年越しも、昨夜のような形で静かに祝われることを期待する。


昨日は、バルトークに関する書籍の初読を終えた。バルトークが自己を滅するぐらいに民族音楽を採集し、その奥深くへと沈潜していくことを通じて己の内側から民族音楽的精神が体現された音楽を生み出していったのと同じ原理で、自分もまた過去の偉大な作曲家の曲を絶え間なく写譜し、彼らの音楽の奥深くへと沈潜していくことを通じて己の音楽が滲み出すのを待つ。それは気の遠くなるような量と時間が必要かもしれないが、それでも、いやそれだからこそ、その試みに着手しようと思う。


今朝方は少しばかり印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、現在の実家の自室の中にいた。


時刻は朝方であり、まだ夜が開ける前の時間帯に目が覚め、起床して扉を開けると、自分の部屋に愛犬が寝ていたことに気づいた。ちょうど愛犬も目を覚ましたようであり、少し尻尾を振りながらこちらの方を見上げ、部屋からゆっくりと出て行った。


愛犬はリビングの方に向かって歩いていき、私もそちらの方に向かって行った。そのような夢を見た後に、今度は次の夢の中にいた。


どうやら私は、映画の世界の中にいるようだった。夢の中の映画の世界の中にいるというのは不思議な感覚であった。


私は映画の世界の中にいる自覚があった。私は特に何かの役を演じているわけではなく、映画の主人公の話を聞くことを行っていた。その主人公は訳あって殺人を犯し、彼の人生話を聞いていた。


殺人への共感ではなく、彼の人生そのものへの共感の念が自分の内側から湧き上がってきた。話を聞けば聞くほどに、彼のことが他人では思えなくなり、彼の内側の世界を通して世界を生きている感覚があったのである。


夢の中の映画の世界の中の彼の内側の世界の中、という階層構造がそこにあり、自分は随分と深い階層構造にまで降りて行ったものだと思った。今この瞬間もどこかまだ夢の感覚がある。


今日もまた旺盛に映画鑑賞と創作活動を進めていこうと思う。とにかく今の自分にできることは映画を見ることと創作をすることである。それらを通じてこの世界とつながり、この世界に関与していく。2021年はその方向性をより強固なものにしていく年になるだろう。フローニンゲン2020/12/26(土)07:03


6505. 夜と天上/子供の世界と大人の世界


——昼は地上のものを示して天上のものを隠す。夜は天上のものを示して地上のものを隠す——三浦梅園


時刻は午後8時を迎えた。今小雨が降っている。


クリスマスから一夜明けた今日はとても静かだった。明日もまだクリスマスの余韻が残っているだろうし、明日は日曜日であるから明日も静けさを味わうことができるかもしれない。


穏やかさと闇が辺りを包んでいる。三浦梅園が述べるように、闇というのは天上世界を示すために不可欠なものなのだろう。光の差し込む時間の少ないこの時期は、天上世界を知覚するのにうってつけのように思われてくる。


北欧に近いこの街が経験する冬は長く、闇の時間帯が長いからこそ見えてくる天上世界がある。自分にできることはそれをしかと見届け、その世界と触れることによって知覚された感覚を絵や音楽にしていくことである。


「憧れ」という言葉には、「童」という子供を指す漢字が含まれていることに夕方気づいた。それはふとした気づきだった。


子供のように純粋な心を持ち続けることの大切さ。それが憧れの根幹にあり、憧れは想像力と創造力の源泉でもある。そうであるがゆえにおそらく、憧れは成長·発達の源泉なのだろう。


子供心ということで言えば、今日の昼に見ていた成瀬巳喜男監督の『秋立ちぬ(1960)』という作品が素晴らしかった。二日連続で成瀬監督の作品を見ている。


この作品を見ながら、子供の世界と大人の世界は、ユクルキュルが述べる「環世界」のように時間の流れが違うことがわかる。そして時間の流れだけではなく、知覚されることもそれらの世界では異なるはずだ。


自分が小さかった頃の時間感覚や知覚体験をふとしたときに思い出すことが多い。その瞬間、自分は当時の時間感覚の中にいて、そこでの知覚体験を再体験することができる。これもまた不思議な体験だ。成瀬監督のその他の作品も興味深いものが多いので、それらをリストに加え、今後それらをゆっくりと見ていきたいと思う。


今日の午後に仮眠を取っている最中に、猫が現れるビジョンを見ていた。白が基調で少し茶色がかった毛並みの猫がこちらを見てじっとしていた。しばらくすると、その猫はゆっくりと動き出してどこかに消えてしまった。


その他にも、午前中に見ていた複数の映画の世界が混じり合って蠢いているような世界を知覚していた。映画鑑賞を積極的にするようになってから、ビジョンの性質もまた変化しているように思う。フローニンゲン2020/12/26(土)20:13

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