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6412-6413: アートの国オランダからの便り 2020年11月18日(水)


No.1562 愉悦的な踊り_A Joyful Dance

本日の言葉

When one is fundamentally oneself, assimilated to Nature as it is, then there is no fracture between me and the other, and this harmonic whole does not pause even for an instant. Dainin Katagiri


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本日生まれた7曲

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タイトル一覧

6412. 今日の計画/今朝方の夢

6413.本日の振り返り/『みなさん、さようなら(2012)』を見て


6412. 今日の計画/今朝方の夢


今朝は午前4時過ぎに起床し、今、時刻は午前5時に近づいてきている。ちょうど先ほどから1羽の小鳥が鳴き声を上げ始めた。その小さな鳴き声が、今、外の静かな闇の世界に響き渡っている。


闇の世界にも響くものがあるのだ。この世界がいくら闇に包まれていようとも、ある響きは光として闇の世界を照らしていく。そうしたことを教えてくれる。


幸いにも、今日は晴天に恵まれるとのことでとても嬉しい。ここ数日間は雨が断続的に降るような日々であり、久しぶりに太陽の姿を拝むことができる。朝は少し曇っているようだが、仮に朝日が出てきたら、しっかりとその姿を見届けよう。


今日は午前中のどこかで時間を作り、インテグラル理論に関する音声ファイルを作成していく。予定では9個ほどの音声ファイルを作り、インテグラル理論の動画コンテンツのスクリプトのレビューをし、今夜に協働者の方に連絡をしようと思う。


その他にも、今日は発達測定に関するレビューの仕事もある。そちらは夕方に取り掛かろうと思う。


これらの仕事に並行する形で、今日もまた旺盛に映像作品を見ていく。昨日見た作品からは大いに学びが得られ、今日もまたどのような学びが得られるのか今から楽しみだ。


小鳥の鳴き声が止み、濃い静寂さに世界が包まれた。そんな中、今朝方の夢について振り返っている。


夢の中で私は、東京のような雰囲気を発している日本の街を歩いていた。時刻は午前中であり、昼に近いというよりも朝日が昇る時間帯に近かった。


これから通勤や通学が激しくなる街をしばらく歩いていると、小中高時代の友人(SN)に遭遇した。私は自分がどこに向かっているのかよくわからず、そもそも行きたい場所などなかったので、彼がどの駅に向かっているのか尋ね、とりあえず東京駅にでも行こうかと思った。


するとどうやら、ここは関西のようだと判明し、そうであれば京都駅に行こうかと思って駅構内に入ることにした。その瞬間、私の体はビュッフェ形式のレストランの中にあった。


ちょうどこれから客で混む時間帯のようであり、その前に昼食を済ませておこうと思った。私はヴィーガンのため、野菜を中心に取っていき、スープのコーナーでふと立ち止まり、そこに塩サバの切り身が置かれていることに気づいた。普段は魚も食べないのだが、そのサバの切り身は美味しそうに思え、それを取ろうと思ったところ、やはり気が変わって、サバを食べることをやめた。


一度野菜を自分のテーブルに置いて、その後、もう少し野菜類を取っておこうと思って再び料理のところに向かった。すると、普段は食べないスイーツに目が行き、ナッツと豆腐でできた健康そうなスイーツを少々いただくことにして、それを小皿に取った。


すると気がつけば、もう制限時間2時間の終わりに差し掛かっていることに気づいた。私は11:24に入店をしたので、13:24までに会計を済ませる必要があった。その時間を1分でも超えると、延長料金が発生するらしかった。


結局スイーツはレジに向かって歩きながら食べることにし、途中で昼間からビールか何かの酒を飲んでいるビジネスマンに声を掛けられ、「あなたもどう?」と絡まれたが、その男性を振り払う形でレジに向かった。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン2020/11/18(水)05:07


6413.本日の振り返り/『みなさん、さようなら(2012)』を見て


時刻は午後7時半を迎えた。今日は本当に素晴らしい天気だった。


雲ひとつない快晴が続く午後、街の中心部に出かけていき、とても清々しい気持ちになった。それは春や秋の清々しさとは別種の感覚を引き起こし、冬の午後ならではの爽快感があった。


明日は午前中から午後にかけて小雨が降るようだが、また明後日は晴れのようなので、その際には今日と同じように太陽の光を浴びたい。ここからますます太陽の光が貴重な時期になってくる。


今日は午前中と午後にかけて、この秋にアントレプレナーファクトリーさんとの協働で作成したインテグラル理論に関するコンテンツの原稿のレビューと、補足的な音声ファイルを作成していた。音声ファイルに関しては、想定していたよりも多くの時間を話すことになったが、結果としてより多くの情報を届けられるという点においてそれは良かったように思う。


レビューに関してはもう少しばかり見ておきたい箇所があるのと、おそらく最後にもう一度後日原稿のレビューをした方が良さそうだと思った。今夜中に先方にメールをしておこう。


今日はその他にも、発達測定に関するレビュー業務も行っていた。そちらは午前中に完了し、レビュー結果については後ほどメールをしておく。


今日は買い物に出かけることによって外の空気を吸い、そして仕事も充実していた。それに加えて、今朝は午前4時に起床していたこともあり、映画も5本ほど見ることができた。買い物に出かけた時間、そして仕事に充てていた時間を考えると、5本の映画を見れたことは喜ばしく、何よりもそれら1つ1つの映画から考えさせられることが多くあったことは嬉しいことであった。


つい先ほど見終えた『みなさん、さようなら(2012)』という邦画は、小学校を卒業した主人公が「一生、団地の中だけで生きていく」と宣言してその通りに生きていく姿を描き、彼がどのように成長していくのかを描いている物語である。


自分自身が幼少期から青年期にかけて、社宅という団地で長らく生活をしていたこともあり、物語の設定は興味深く、また当時の団地生活を懐かしく思った。団地の中だけで生活が完結するというのは一見信じがたいように思えるかもしれないが——物語上の団地には商店街や公園などがあるため、正直なところ極端に狭い生活空間とは言えないかもしれない——、実際のところは、私たちの生活空間というのは思っている以上に狭く、団地から一歩も外に出ないのとさほど変わらないのではないかと思った。


それくらいに私たちは、実際には狭い世界で生きている。また、「同じ団地で暮らしていても、1人1人の世界や体験は違う」ということを意図する主人公の発言は、その通りだと思う。仮に同じ空間で生きていたとしても、体験される事柄は全く違い、生活世界がいかに狭かったとしても、内面の世界を深めていくことは可能なのだ。そのようなことを思いながらこの映画の鑑賞を楽しんでいた。


明日と明後日にも仕事があるが、本日と同じく積極的に映画を見ていき、週末にはさらに集中的に映画を見ていきたいと思う。フローニンゲン2020/11/18(水)19:49

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