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6194-6197: アートの国オランダからの便り 2020年9月4日(金)


No.1334 朝の世界の落ち着き_Relaxation of the Morning

本日の言葉

Thus breathing becomes a vehicle of spiritual experience, the mediator between body and mind. Philip Kapleau

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本日生まれた9曲

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タイトル一覧

6194. ヴァーチャル美術館/内的対話と内的感覚の変容

6195. 今朝方の夢

6196. 幸福な1日/連続する夢の世界

6197. ティモシー·モートンの「対象志向性存在論」の探究

6194. ヴァーチャル美術館/内的対話と内的感覚の変容

時刻は午前5時半を迎えた。今日も満月が見える。辺りはまだ真っ暗だが、そのおかげもあってか満月がより一層輝いて見える。

今この瞬間はとても肌寒いが、今日は19度まで気温が上がるらしい。今日の午前中に少し小雨が降るようだが、それはすぐに止み、午後には雨は降らないという予報が出ている。

ちょうど今日は、半年に一度の歯科検診の日であり、午後3時からの予約なので、雨が降っていない時間帯に行けそうで何よりだ。歯医者での検診を終えたら、その足でオーガニックコーヒー豆を買いに専門店に行き、そこからABN AMRO銀行に向かう。銀行ではモバイルアプリに関する問題の解決を依頼する。

その帰りにオーガニック食品店に立ち寄って帰ってこようかと思う。歯医者から見ると、ちょうどフローニンゲンの街の中心部を時計回りに行って帰ってくるようなイメージだ。それは程よい散歩になるだろう。

一昨日に、6Gの時代になったら、自分の作品をもとにしたヴァーチャル美術館を作り、それを家の中で楽しみたいというようなことを日記に書いていたように思う。そういえば、以前ズヴォレの美術館を訪れたときに、いつか寄付か何かを通じて美術館を作りたいなと考えていたことを思い出した。

物理的な美術館を作ることができなかったとしても、ヴァーチャルの美術館なら近い将来比較的簡単に実現可能かもしれない。そのようなことを小さく夢見る自分がいる。

昨日、アーノルド·ショーンバーグが執筆した作曲理論書を参考にして学習をしていたときに、作曲家としてというよりも、音楽理論家としてのショーンバーグに敬意を表した。その理論書の密度はとても濃く、本当に多くのことを得ている実感がある。

もちろん、今はそのほとんどを理解することができていないのだが、それらを1つ1つ理解していったら、きっと今とはまた違う次元で作曲ができるようになっているのだと思う。それを思うと、高揚した気分になる。

現在、作曲理論や音楽理論に関する書籍が手元に随分と増えた。核にしていく文献と補助的に使う文献に分かれるだろうが、とりあえず手持ちの書籍に書かれている内容は全て理解し、それらの知識を体現させる形で実際の作曲に適用できるようになっていきたいと思う。

芸術作品の鑑賞や創作活動を通じて、内的対話と内的感覚の双方を変容させていくことについても考えていた。個人の治癒と変容において重要なことは、内的対話と内的感覚の双方が質的に変化することである。

芸術作品の鑑賞や創作活動を通じて、そうした変化が自分の中で起きているのを実感する。あとはこの変化を焦らず、しかし絶え間なく経験していくことを意識していこう。フローニンゲン:2020/9/4(金)06:03

6195. 今朝方の夢

時刻は午前6時を迎えた。空がようやくダークブルーに変わり始めた。まだ辺りはほぼ真っ暗であり、静けさに満ちている。

今のこの環境も素晴らしいが、さらに落ち着いた場所がフローニンゲンの中にあることをこの4年間の生活を通じて知ったので、引っ越しについては引き続き念頭に置いておく。願わくば、この間見つけた物件のようなものが引き続き出てくることである。いざ自分が引っ越しを決断したときに、きっと何かのご縁で素敵な家と出会うことができるような気がする。

それでは今朝方の夢について振り返り、今日も創作活動と読書に励んでいこう。夢の中で私は、ヨーロッパと日本が混じったような雰囲気を持つ街の高校にいた。その学校の造りはとてもモダンだった。

その学校は、母方の叔父が卒業した学校らしく、私はその学校を見学しに来ているようだった。学校の敷地に入り、体育館に入ったとき、そこに全校生徒が集まっていて、何かイベントを行っていた。どうやら今日は、卒業生の叔父がやって来ることを記念して、叔父に対するサプライズイベントがそこで行われているようだった。

すると突然、拍手が湧き起こり、体育館の入り口を見ると、叔父が颯爽と現れた。叔父の顔には笑顔が浮かんでいて、何かスターのような雰囲気を発しながら体育館のステージ上に向かって行った。

すると一瞬にして場面が変わり、私は叔父と共に体育館ではなく、学校のどこか小さな部屋の中にいた。そこは職員室の隣の部屋のようだった。すると、叔父が高校3年生のときにお世話になっていたらしい担任の先生が部屋に入ってきた。叔父と先生は懐かしい昔話をそこから始め、2人はとても楽しそうだった。

先生の話によると、叔父は目立った存在だったらしく、その学校は私服を許可していたので、叔父の私服はお洒落だったようだ。最後に先生は、叔父が卒業間際に学校を休んで好きなことをしていたことに関して懐かしく話をしてくれた。

私は2人がそこからもさらに話をしたいだろうと思ったので、その部屋をそっと抜け出した。中庭に出てみると、そこはとても美しかった。よく手入れがされていて、これが高校の庭園かと思わず唸ってしまうぐらいに立派だった。

中庭を抜けようとしていると、遠くの方で女子学生たちが自分の噂をしていることに気づいた。どうやら自分の知性と面白さについて話をしているらしく、意外と好評価であることがわかった。すると、私の後ろから自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。

振り返ると、そこには小中学校時代の女性友達(AU)がいた。彼女の雰囲気がガラリと変わっていて、彼女の容姿は欧米人のように見えた。その変化については特に言及せず、彼女とそこで軽く立ち話でもしようと思っていると、彼女の方からこれから学校カフェに行こうと持ちかけられた。

何やら、ボルダリング好きの別の女性友達(SA)と一緒にこれからボルダリングに行くらしく、私もどうかと誘われ、その友人が用事を終えるまでカフェで時間を潰そうとのことだった。ちょうど私もボルダリングジムに行こうか迷っていたところだったで、ぜひ一緒に行こうということになった。

カフェに行く前にトイレに行っておこうと思ったので、トイレに立ち寄ると、急にトイレが混み始め、小便をする便器の前に列ができ始めた。そこでなぜか男子生徒たちが小便を掛け合い始め、私もそれに巻き込まれ、自分にも誰かの小便が飛び散ってきた。

見ると、そこで悪ふざけをしていたのは、大抵私の高校時代の友達たちだった。それほど被害を受けることなく無事にトイレから出ると、すでにもう1人の女性友達もやって来たようだった。そこからは3人でジムに向かうことにした。

次の列車がやってくるまでに時間がなかったので、駅まで自転車で行こうということになった。どういうわけか、私は自分の自転車が近くになかったので、2人には先に駅に向かってもらうことにした。最悪、現地で落ち合おうということを伝えた。

そこでまた場面が変わり、私の体はもうボルダリングジムにあった。結局自転車を探すことに随分と時間を使ってしまったので、ボルダリングを楽しむ時間があまりなかった。時刻はもう夜になっていたのだ。

私は、自分ではそれほどボルダリングをすることをせず、他の人たちがボルダリングするのをよく眺めていた。中でも、大学のボルダリング部に所属している人たちの様子を眺めていた。

彼らは一風変わった形でボルダリングの練習をしていた。具体的には、新体操のような要素を取り入れ、芸術性のある身体動作でボルダリングの課題に挑戦していたのである。そのようなボルダリングの仕方もあるのかと私は感心しながら眺めていた。

すると、ボルダリングが得意な1人の女性友達の方が、本日最後の挑戦をすることになった。その前に、小中学校時代の男性の友人がその課題にトライしたらしかったが、最後の難所に向かってジャンプしても全然届かないようだった。

しかし、彼女はその難所にもう手が掛けられるような状態になっていたので、最後の挑戦は見ものだと思った。私は彼女の勇姿を見守ろうと思った。するとそこで夢の場面が変わった。

最後の夢の場面では、先ほどの学校がある国の税関担当の外国人オフィサー3人と話をしていた。私が彼らと話をしていたのは、小さな個室のような場所だった。

チーフオフィサーのような人が私に色々と質問を投げかけきて、あとの2人は見張り役なのか、全く何も喋らなかった。チーフオフィサーに資産状況を伝えると、彼は笑みを浮かべ、もっと資産があるだろうと述べた。

自分は正しく申請したのだが、そのオフィサーはネットで自分に関する情報をあれこれ調べたと言う。しかし、その情報はおそらく、今自分が持っている資産の将来価値に関するものであり、現在価値ではないと伝えた。

すると、比較的納得したような表情を浮かべ、私に書類を差し出し、私がそれにサインをすることによって、無事にその取り調べのようなものが終わった。フローニンゲン:2020/9/4(金)06:46

6196. 幸福な1日/連続する夢の世界

時刻は午後7時半を迎えた。今、空は曇っていて夕日を拝むことができない。だが、昼前から夕方にかけて良い天気であった。

予定通りに午後3時に歯科医に足を運び、半年に一度の定期検診を受けた。今回も虫歯はなかったが、今回はクリーニングが必要とのことだったので、来週にまた歯科医に行く。私としては半年に一度クリーニングしてもらった方が有り難く、前回はクリーニングが不要だったことがむしろ残念だったぐらいだ。

歯科医を訪れた後、行きつけのオーガニックコーヒー専門店に立ち寄り、2種類のコーヒー豆を購入した。その際に、いつもお世話になっている店員の女性に、スタンプカードを失くしたことを伝えた。そこではより具体的に、7月末のアテネ旅行の際に財布を盗まれたことを伝えた。

この話をしたことによって、その店員の女性が共感と同情をしてくれたようであり、新しいスタンプカードだけではなく、スタンプを2倍押してくれた。私はその優しさに心を打たれ、感謝の言葉を述べて店を出た。

とても気分よく店を出た後に向かったのは、ABN AMRO銀行だった。iPad Proを通じてモバイルバンキングアプリを使いたいと思っていたのだが、初期設定がうまくできずに困っていた。

パソコンで用いるオンラインバンキング用の端末とiPadのデバイスをケーブルで接続し、カードを読み込ませて初期設定をしようとしても、カードがうまく読み込めなかったのである。その問題を解決しに、銀行に向かい、すぐに担当の人が対応してくれた。その方は中年の女性であり、とても親切な対応をしてくれた。

結論から言えば、初期設定の時にケーブルを繋ぐ必要はなく、カードを端末に読み込ませることができるそうであり、そうしなければ設定ができないとのことだった。いつもケーブルを使ってパソコンに接続していたので、まさか私はそのような使い方があるとは思ってもいなかった。

ケーブルをつながずして端末にカードが読み込まれた瞬間に、私は思わず「Oh, my God!」と叫んでしまった。するとその女性の店員は満面の笑みを浮かべて、「あなたは(テクノロジーに弱い)大学教授ですか?(笑)」と述べ、それに対しても笑ってしまった。

その女性の中で、大学教授はテクノロジーに弱いと思っていることがおかしかった——おそらくその女性は、テクノロジーについていけていない大学教授を想像していたのだろう——。問題が無事に解決し、帰り際にオーガニックスーパーに立ち寄って、幸福な気持ちと共に自宅に到着した。今日はそのような午後を過ごしていた。

時間を巻き戻して昼前のことを思い出してみる。今すぐに引っ越すわけではないのにもかかわらず、少しばかりフローニンゲンの物件を改めて確認すると、先日にいいなと思っていた物件が早々と賃貸されたことを知った。

その物件は本当に良い物件だと思っていたので、薄々そうなるとは想像していたが、思っていたよりも早く借り手が見つかった印象だ。今後も自分の条件に合致するような似たような物件が必ず出てくるかと思うので、その時の出会いを楽しみにしたい。

単に緑が近くにあるだけではなく、テラスのある家も良さそうだし、今は中心部から西のところに住んでいるが、北のところに住むのも良さそうだと思った。静けさの中で生活し、内側の静けさの中により深く入っていこう。

昼食後に仮眠を取っている最中に、ビジョンを知覚した。そこでは朝の夢の続きを見ていたようだった。

一度見た夢の世界がまだその続きを持っていて、それを引き継ぐ形で仮眠中にビジョンを知覚したことはとても興味深い。ひょっとすると、1つ1つの夢は独立しているように見えていながらも、どこかで連続しているのではないかと思った。

まさに私たちの人生の1日1日が独立しているようでいて、1つの人生という観点から見ればそれは連続しているのと同じである。夢から覚めた後の世界、つまり覚醒後の世界もまた絶えず夢性を内包していることを考えてみれば、夢の世界は絶えず私たちと共にあるように思える。フローニンゲン:2020/9/4(金)19:52

6197. ティモシー·モートンの「対象志向性存在論」の探究

時刻は午後8時に近づきつつある。いよいよ明日は、ハーグから友人がフローニンゲンにやってくる日だ。待ち合わせは正午過ぎにフローニンゲン駅にしており、そこからForum Groningenを見学して、オーガニックレストランに向かおうかと思う。

そこはレストランと言うよりもカフェのようなこじんまりとした大きさなのだが、落ち着いた雰囲気のように思える。本日の午後に歯科医に行った後に銀行に向かう途中に下見がてら再度店の様子を確認してきた。

先日アテネで送金に関して助けてもらった時以来にゆっくりと話すことが今から楽しみである。対面で会うのは1年振りぐらいかと思う。

今日は午前中に2冊の書籍を読み終え、午後に街の中心部での用事を済ませて自宅に戻ってきてから哲学者のティモシー·モートンの“Hyperobjects: Philosophy and Ecology after the End of the World”という書籍を読み始めた。これが予想以上に面白く、まだ半分ほどしか読んでいないのだが、すでに多くの新たな洞察をもたらしてくれた。

モートンが提唱するいくつかの概念については、今後追って書き留めていきたいと思うが、モートンの指摘として印象に残っているものの1つとして、「私たちの認知などというものは虫の白昼夢程度のものである」というものがある。私たちが認知できる世界などほんのわずかであって、極めて限定的であるということを再度肝に銘じる。

そもそも本書のタイトルにある“Hyperobjects”というのは、日本語に無理やり訳すとなると、「超対象(ハイパーオブジェクト)」とでもなるだろうか。モートンはその特徴をいくつか挙げているが、1つにはそれが「粘着性(viscosity)」を持つという性質がある。

粘着性というとわかりにくいが、イメージは、私たちがプールに入った時、プールの水が絶えず私たちを取り巻いていて離さないようなイメージだ。その他の性質としては、意識の性質でお馴染みの「非局所性(nonlocality)」を持つということであり、暫定的に変動が伴い、尚且つ階層構造を持つと言うことなどが挙げられる。

具体的な事物で言えば、モートンが本書で取り上げている「地球温暖化」という現象が挙げられるだろう。地球温暖化は物質次元でも精神次元でもまさにこの世界に遍く存在しており、私たちを絶えず捕らえている。

また、特定の場所を持たないし、まるで生き物かのように変動していて、その影響や要因は複雑な階層構造を持っている。地球温暖化以外にも、金融市場、それから資本主義といった思想もまた超対象の1つの例かと思われる。また、「社会」や「世界」という言葉もまた超対象の一種だろう。

先日まではロイ·バスカーの「批判的実在論(critial realism)」を深く探究していたが、今度はモートンの「対象志向性存在論(Object-Oriented-Ontology)」を深く探究していこうと思う。バスカーも「不在の不在化(absenting absence)」という概念によって、不可視のものを可視化する思想的枠組みを提唱し、それを社会変革に適用していったが、モートンも同じく、対象志向性存在論を提唱し、不可視のものを可視化する形で、地球温暖化やその他の社会の複雑な問題の解決に向かっていこうとする点が共通しており、そこに大きく共感する。

2人とも認識論を強調するのではなく、存在論を強調している点もまた興味深いところである。フローニンゲン:2020/9/4(金)20:13

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