top of page

6125-6127: アートの国オランダからの便り 2020年8月18日(火)


No.1227 秋の香りの中で_In an Autumn Scent

本日の言葉

Compassion for ourselves gives the power to transform resentment into forgiveness, hate into friendship and fear into respect for all beings. Jack Kornfield

下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(9点:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた10曲

本日生まれた曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

本日生まれた曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

6125. 秋を迎えたフローニンゲンの朝に

6126. 今朝方の夢:悪/社会的現実

6127. 本日の雑多な考え事

6125. 秋を迎えたフローニンゲンの朝に

時刻は午前6時半を迎えた。今朝、起床したときに、寝室の窓から朝焼けを拝むことができた。それを少しばかり眺め、とても平穏な世界が目の前に広がっていることにどこか心が安らいだ。

ここ最近は天気予報が外れてばかりであり、昨夜も結局雨が降らなかった。今日の天気予報も前日から更新されていて、今日は1日を通して随分と雨が降るはずだったのだが、天気予報を見ると、午後3時から1時間ほど小雨が降る程度だという予報が出ている。

雨に関しては予報が外れてばかりだが、気温に関しては概ねいつも正しい。今の気温は14度であり、肌寒さを感じる。

昨日から徐々に外の世界と室内の熱が逃げていくのを実感しており、今朝方起床した時には、夏らしさはすっかりとどこかに行ってしまい、秋の感覚が外の世界と室内に広がっていた。室内の熱が逃げたことにより、涼しさを感じられるのは嬉しいことである。

明後日は雨が降るようなのだが、その日は29度まで気温が上がる。そこからは気温が下がり、最高気温は22度前後、最低気温は13度前後になるようだ。午後から少し雨が降るようなので、今日は昼前に近所のスーパーに買い物に出かけ、必要なものを購入しておきたい。

孔子の「里仁為美(りじんいび)」という言葉。これは、仁に留まることが美をなすことであるという意味だ。言い換えれば、愛をなすことに住み着いていれば、美をなすことができるということを意味している。逆に、美をなすことに住み着いていれば、愛をなすことができるということも言えないだろうか。

ソクラテスは「哲学とは魂の世話である」と述べている。哲学は自分の魂と他者の魂の世話に資するべきものなのだ。ここのところは哲学者の書籍を読んでばかりである。

今日はテオドール·アドルノの“Lectures on Negative Dialectics”を読む。これは随分と昔に購入していた書籍だが、まだほとんど目を通したことがない。中身を開くと、少しだけ書き込みをしている程度であり、実質上、今回が初読だと思っていいかもしれない。

ソクラテスの言葉を思い出しながら、こうして日記を綴ることもまた、自分にとっては魂の世話なのだと思う。自分の言葉を綴ることは、魂に養分を与えることなのだ。それを日々実感する。

真正な霊性に基づく実践とは、決して自分に降りかかる苦から逃れるために行うものではなく、苦を生み出す問題の構造そのものに働きかけていくことなのだと思う。霊性とは、基底価値に関わるものであり、その存在者の固有性でもある。また、霊性は内在価値や外在価値に関わるものでもある。

そうした観点からすると、霊性の重要性が浮き彫りになってくる。霊性を解放し、それを涵養していく実践。今日もまた自らにそうした実践を課し、集合規模での霊性の解放と涵養の実現に向けて今日の取り組みを前に進めていこう。フローニンゲン:2020/8/18(火)06:58

6126. 今朝方の夢:悪/社会的現実

時刻は午前7時を迎えようとしている。遠くの空に飛行機雲が浮かんでいるのが見える。

まだ朝日は照っておらず、今日は少し雲があるので、穏やかな朝日がこれから降り注ぐことになるだろうか。

今朝方は無意識の世界が落ち着いていたようであり、あまり記憶に残る夢を見ていない。起床した瞬間には、確かに何かしらの夢を見ていたという実感があったのだが、その内容についてはほとんど覚えていない状況だった。

かろうじて少しばかり記憶に残っているのは、小学校6年生の時にお世話になっていた先生か、高校の倫理の先生が夢の中に出て来ていたことぐらいだろうか。先生と教室で何かについて話をしていた。それは特に真面目な話でもなく、お互いに笑顔を交えて話をしていたように思う。

フロイトの洞察として、人間の意識の中には悪が所与として内在しているというものがある。自分の中に悪性が全くないと言える人はほぼほぼ皆無なのではないかと私も思う一方で、現代はこの悪性を強化するような仕組みが出来上がっていることを危惧する。

善性や美性を育んでいくような仕組みが不在であることを憂うが、それが不在なのであれば、不在の不在化を行っていくべきであるという方向性が見えてくる。悪があるということは、その対極の善性や美性もすでに不在として存在していて、あとはそれを顕現させるだけなのだ。

哲学者のジョン·サールは、私たちの社会は、個々人の志向性には還元できない集合的な志向性(collective intentionality)によって構築されていると考えている。例えばある対象を「車」として認識するには、その対象が持つ生の現実性(crude reality)とは別の社会的次元において、車としての機能を与えるプロセスが必要となる。

そのプロセスをサールは、"X counts as Y in C”(Xは文脈CにおいてYであると見なす)という志向性の機能だとしている。例えば、この硬貨=Xは、日本=Cにおいて100円=Yだと見なされる、というように。このように社会的な次元で構築される、生の現実性には還元できない現実性を、サールは社会的現実(social reality)と名づけている。

サールのこの考え方とロイ·バスカーの批判的実在論の考え方を組み合わせて考えてみると、サールが述べている志向性の機能というのは、バスカーでいう“the real”の領域にあるメカニズムのことを指すと捉えていいだろうか。

また、サールが述べる社会的現実は、それを私たちが日常経験することになる点において、“the empirical”の領域であり、同時に経験の1つ上の次元にある出来事の束を司っていることから、それは“the actual”の領域でもあると解釈して良いだろうか。このあたりはまた考えを整理したい。フローニンゲン:2020/8/18(火)07:14

6127. 本日の雑多な考え事

時刻は午後7時半を迎えようとしている。つい先ほど夕食を摂り終え、再び書斎に戻って来た。今、穏やかな夕日がフローニンゲン上空に浮かんでいる。

今日は午後3時半頃に激しい雨が降った。それはほんのいっときのことであったが、雨が降ったことによって、より一層涼しくなったように思う。

今日は本当に秋を感じさせてくれる1日だった。短い夏が終わり、もう秋に入ったことを実感する。

ヤスパースが指摘するように、対話は健全な批判精神を養ってくれることにつながりうる。今月と来月には対話を行う機会がいくつもあり、それらの対話の1つ1つがお互いにとっての健全な批判精神を養うことにつながればと思う。

批判精神の観点で言えば、今日はパウロ·フレーレの書籍を読み返した。書籍の中で、社会の変容の基礎に、人間を物質ではなく主体としてみなすことの大切さが書かれており、その点について改めて考えていた。

変革を志向した現代の諸々の実践は、どうも人がモノ化される傾向が依然として強いように思えてならない。実証的な経済学も許育学も、そこでは個人が単なる統計的な数値に還元されてしまっている様子が見える。

今日はその他にも、アドルノの書籍“Lectures on Negative Dialectics"の再読が終わった。アドルノは、否定する余地がなく、議論する価値のない性質として「陽性(positivity)」という言葉を使っており、一方で否定する余地があり、議論する価値のある性質として「陰性(negativity)」という言葉を当てていた。

そして、思考そのものが陰性であるということについても言及があった。さらには、弁証法的な思考プロセスは陰性に他ならないとも述べていた。それらを読んでいると、やはり先日まで読み進めていたロイ·バスカーの思想ともつながりがあることが見えてくる。

アドルノが述べるように、思考そのものが陰性を持った活動であり、思考することはある対象に対して陰性をもたらすことを考えてみると、思考するというのは、バスカーでいうところの「不在の不在化」に他ならないことが見えてくる。

今日はその他にも雑多なことを考えていた。自発的な善意の行為はそれはそれで素晴らしいが、同時に畏怖心を引き起こすような存在、あるいは聖なる存在に見られているという意識から善行をなすというのも大切なはずだということについても考えていた。

現代社会は、畏怖心を引き起こす存在や聖なる存在が不在、あるいは認識的な不在状態に追い込まれてしまっており、人々は自身の霊性をもとに善行をなすことが難しくなってしまっているのかもしれない。

畏怖心をもたらす存在や聖なる存在の復権は、アウラの復権に等しい。「アウラ」という言葉を提唱したヴァルター·ベンヤミンの書籍を近々購入しよう。

今日は現代貨幣論や貿易戦争に関する書籍を探しており、15冊ほど購入文献リストに加えた。それらは全て経済学に関するものだ。

上述したテーマ以外にも、環境経済学(ecological economics)の書籍が数冊あり、それらの経学書の購入は、来月の初旬にしようかと思う。日本への一時帰国の時期を考え、全ての書籍を受け取ってから日本に戻ることにしたい。フローニンゲン:2020/8/18(火)19:37

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page