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5929-5930: アートの国オランダからの便り 2020年6月25日(木)


No.787 切望のクオリア_Qualia of Yearning

本日の言葉

If we are carried away by pros and cons, successes and failures, gains and losses, flattery and disgrace, we will not take care of our daily life. Dainin Katagiri

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本日生まれた13曲

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タイトル一覧

5929. 大学入試と時間を止める術に関する夢

5930. 実践美学の始まり

5929. 大学入試と時間を止める術に関する夢

時刻は午前5時半を迎えようとしている。今朝の起床は午前4時半過ぎであり、その時にちょうど朝焼けを拝むことができた。

寝室の窓から遠くの空を眺めた時、地平線上に朝焼けが見えた。その美しさをぼんやりと眺めていた。

美しいものは精神を弛緩させ、そこにぼんやりとたたずませてくれる。そのようなことを思った。

今日のフローニンゲンは、最高気温が28度、最低気温が16度とのことだ。今朝方は少し肌寒く、起床した時にはそうした冷たさがあった。明日も今日と同じぐらいに気温が上がるようだが、明後日以降は再び最高気温が20度前後、最低気温が10度前後になる。

平穏な気持ちで満たされている自分が今ここにいる。そして、充実感と幸福感が洋々と広がっている感じがする。

平穏さと洋々さ。それが自分を表すのにふさわしい言葉であり、よくよくそれらの言葉を眺めてみれば、自分の名前の二文字が含まれている。

名前通りのあり方を体現している自分がここにいる。名前を通じて生きている自分がここにいる。

平穏さが洋々と限りなく広がっていく自己として生きること。今日もそうした生き方をする1日になる。

今朝方の夢。夢の中で私は、中国のどこかの街にいた。そこはまだ発展中の都市であり、高い建物はそれほどなく、むしろ露店が集まっているような場所だった。

私は露店を眺めながら歩いていた。すると、小中高と付き合いのある親友(SI)と遭遇した。彼は元々理系なのだが、どういうわけか九州大学の法学部を受験したいとのことだった。

私は彼の受験相談に乗っていて、勉強法について話をしていた。彼の受験相談に乗るのはいいものの、最近の自分の成績は波があり、それが気がかりであった。

するとそこで、高校時代の英語の先生が目の前に現れた。その先生はとても小柄なのだが、教え方が上手く、それでいてとても優しい性格を持っていた。

先生は笑顔で私に話しかけて来て、話の中で、最近の自分の成績が揺れていることが職員室で話題に上がっているとのことだった。私が目指している大学に入るためには、学校で1番であっても難しいのだが、最近は2番になることが増えていた。

学内の試験は全く重視していない自分にとってはそれはどうでもいいことなのだが、最近は全国模試でも成績が揺れていることは確かに気になる点ではあった。先生はどういうわけか、私を含めて上位3人の成績を平均し、1つのチームとしてはとても良い成績で安定していると述べた。

現行の受験制度においてはチームとして受験できるわけではないので、その考え方には意味がないと私は先生に伝えた。露店の電気が灯り始めた様子を見たところで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私は時間を止める術を使うことができた。その術理をどこで習得したのかはわからない。気がつけばその能力を使うことができた。

小中高時代の女性友達と最近知り合ったある女性の方が、時間を止める術について色々と質問して来た。その能力を発揮するためには、まず第三の眼を開く必要があることを伝えた。

すると2人は首を傾げていたので、高度な知覚能力に関する話から始めようと思い、まずは人間誰しもが持つ表象能力について話し始めた。具体的な事物を思い浮かべる表象能力を、色々と具体例を上げながら説明すると、2人はその点については理解できたようだった。

そこから高次元の認識能力について話を始めようとしたところで夢から覚めた。フローニンゲン:2020/6/25(木)05:46

5930. 実践美学の始まり

時刻はゆっくりと午後7時を迎えた。つい今し方夕食を摂り終えた。

今日は1日を通して気温が高く、最高気温は30度近くになった。フローニンゲンは湿度が高くないこともあり、そうした気温でも清々しさを感じる。

午後に買い物に出かけた時、近所の運河で水遊びをしている人たちの姿を見かけた。運河の水は決して綺麗ではないのだが、彼らが遊ぶ姿はとても楽しげであった。ようやく水の中に入れるほどの季節になったのだと知る。

今日もまた種々雑多なことを考えていた。未知なる自己が出現することへの憧れと、未だかつて現象したことのない美への憧れは似ているのではないか。

自分は創作活動に従事しながらにして、未知なる自己を開こうとしていることに気づかされる。未知なる自己への茫漠とした憧憬の念と、まだ見ぬ美の姿への憧憬の念はとても近しい。

今日は午前中に、ここ数年間協働させていただいているあるベンチャーキャピタルさんとのオンラインミーティングがあった。その中で私の方から、美の探究と実践の双方が大切であるということを述べた。

それを受けて私自身が、今日という1日の中にどのような美しさがあったのだろうか?何に美しさを感じたのだろうか?そして、自分はどのような美しい行いをしたのだろうか?ということを考えていた。さらには、今日という日において自分は美しいあり方ができていたのだろうかと自問していた。

これらの問いは、今の自分にとってとても大切なように思える。それらの問いに対して答えが窮するというのは、学習捨象であり、実践捨象だったのだ。それは結局、成長捨象·発達捨象とでも呼べるものである。

美にまつわる種々の問いを日々投げかけていき、美的感覚と美的判断力を養っていこう。それを継続していくことを通じて、逞ましい美の実践者になっていこう。

そもそも、そうした問いを投げかけることそのものが美の実践でもある。なぜなら、それらの問いのおかげで日常のあり方や見方が変わるのだから。また、それによって世界との関わり方が変わるのだから。

「なぜ生命は存在するのか?」「なぜ人間や社会は発達していくのか?」など、真の領域を起点にしていては扱えない事柄がたくさんある。真には触れられないものがあるということ。その認識を絶えず持ちながら、善や美の領域の探究と実践を進めていこう。

実践的な倫理学と実践的な美学、それに霊性学を日々の探究の根幹に据えていく。そうしたことを思わせてくれる非常に充実した1日だった。こうした充実感の背後には、常に美の光が放射している。フローニンゲン:2020/6/25(木)19:32

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