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5882-5883: アートの国オランダからの便り 2020年6月5日(金)


No.590 澄み渡る心_A Limpid Mind

本日の言葉

Investigate your mind and build your Buddha nature that never stops nor moves, neither is, nor ends. Hui-Neng

下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(9点:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた11曲

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タイトル一覧

5882. オルガン演奏のフリをする夢

5883. 感謝の念・謙虚さ・利他性

5882. オルガン演奏のフリをする夢

時刻は午前6時を迎えた。今、平穏な朝の世界が広がっている。

小鳥たちの鳴き声が聞こえ、空には雲が多いが、朝日が出てこようとしている。どうやら午前中の途中あたりから雨が降り始め、それは夕方まで降り続けるようだ。雨の様子を見て近所のスーパーに行くかどうかの判断をしたい。

昨日、日本から前野先生の書籍が届けられた。早速先生の書籍に目を通すと、成人発達理論につながるような事柄が数多く書かれており、大変面白く感じた。

夕食を摂り終えてひと段落してからもまた書籍を読み進め、昨日の段階で最初に取り掛かり始めた書籍の初読が終わりそうになっている。それは今日中に読み終えることができるだろう。

残り7冊も、初読はあっという間に終わりそうだ。前野先生の研究から得られることや考えさせられることは多く、8月末の対談までにご著書を何回か繰り返し読もうと思う。

昨日の朝にふと、とにかく驕ることなく謙虚に生きていこうと改めて思った。他者や幸運に対する感謝の念を忘れずに、日々を生きていく。そして利他的に日々の活動を遂行していくこと。

そうしたことを大切にして毎日を生きていこう。そのようなことを再度確認し、今日からの活動は、より一層そうした思いを反映したものにする。

それでは今朝方の夢を振り返り、その後、本日の創作活動に入っていきたい。夢の中で私は、コンサートホールの壇上にいた。厳密には、壇上の隅の幕の後ろにいた。

そこにはオルガンが置かれていて、私はバッハの曲をアレンジして作った自分の曲を演奏していた。より正確には、演奏をしているフリをしていて、音は自ずからオルガンから流れていた。

私の横には、フローニンゲン大学に以前留学していた大学生の知人がいて、彼と小声で談笑しながら演奏のフリをしていた。コンサートホールにどれだけ観客がいるのかは定かではなかったが、ホールは満杯になっており、みんな静かに演奏に耳を傾けていた。

順調に曲が進行していると、曲の真ん中あたりで、壇上のさらに奥からピアニストの友人が姿を見せた。彼女の方を見ると、小さな女の子の手を引いて、こちらに向かってきていた。

2人の格好から察すると、これから壇上の真ん中に出て挨拶をし、ピアノの演奏をするようだった。ピアニストの友人は、私がオルガンを引いている姿を見て驚いており、それが演奏しているフリだと気づいていないようだった。

彼女は、隣にいた知人に声をかけ、2人が話をしているのを聞きながら、引き続き私はオルガン演奏のフリをしていた。そこで夢の場面が変わった。

実際には、この夢の前に別の夢を見ていたことを覚えている。本当はそちらの方が印象に残っていると思っていたのだが、起床してすぐに内容を忘れてしまった。

感覚的に、どこかのビルの屋上にあるフットサルコートにいて、そこでフットサルか何かをしていたように思う。何か思い出すことがあれば、それらをまた書き留めておきたい。フローニンゲン:2020/6/5(金)06:18

5883. 感謝の念・謙虚さ・利他性

時刻は午後7時を迎えた。ちょうど先ほど夕食を摂り終え、今再び書斎の机に戻ってきた。

今日は断続的に雨が降る1日であったが、幸いにも今は晴れており、明日は晴れとのことである。遠くの空には沈みゆく夕日が見える。

今日も絶えず感謝の念を持ちながら、謙虚な気持ちを絶えず持って1日を過ごしていた。世界の大きさに比べたら、自己の存在は本当に小さなものである。世界の一部として、自分にできる利他的な取り組みにこれからも従事していこうという思いを持ちながら今日の取り組みに従事していたように思う。

感謝の念、謙虚さ、そして利他性。おそらくそれらを自分はまだ完全に体現できていないのだろう。そうだからこそ、今のこのようにしてそれらの大切さについて言及しているのだ。

これからも毎日それらの大切さに思いを馳せ、ゆっくりとでいいのでそれらを体現した生き方をしていこう。自分に与えられた恩恵としての良縁と運に加え、感謝の念、謙虚さ、そして利他性は自らの内でゆっくりと育んでいこう。

スピノザの死後出版されたエチカ、そして没後評価されたゴッホの絵。彼らの創作物が、作り手の死後にその価値と意義を見出されたことについて今日も考えを巡らせていた。

肉体としてのこの私が朽ち果てた後にも依然として存在し続ける自己の創造物の影響力。その影響力は、関係性のネットワークの中に張り巡らされており、作り手の死後に消滅するどころか、それは関係性のネットワークの中で育まれることさえある。

それは不滅であり、それでいて成熟する余地が残されていること。それについて考えていた。

今日も創作活動に励む1日だった。絵を描いていると、色や形に現在の心の中のパターンを見出すことができる。もちろんそれに加えて、技術的なパターンを見出すこともできる。

端的には、自分の絵には、今の自分の心が生み出す色や形の特性が表れていて、同時にそれらを表現する技術的な特性も見て取ることができるのだ。今後内側の感覚が変化し、技術も高まれば、描き出される絵も自ずから表情を変えていくだろう。それは多分に未知であるが、どのような絵が今後生み出されるか今からとても楽しみだ。

本日も、作曲の理論書や楽譜を片手に作曲実践に励んでいた。譜例や楽譜から、作曲家が込めたメッセージを読み解く日々が続く。

メッセージの読解とそれとの対話。そして、彼らのメッセージに応答する形で自分の内側から特定の感覚が浮かび上がり、それを音の形にしていく日々が続いている。そうした形はもはや「音の言葉」とでも呼べるものであり、やはり私は、音を通じて自分自身を綴っているようなのだ。

現象として立ち現れるその瞬間の自己を音の言葉を通じて綴ること。明日もまたそうしたことを行う1日としたい。そしてそれを今後もずっと続けていく。フローニンゲン:2020/6/5(金)19:28

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