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5518-5520:フローニンゲンからの便り 2020年2月6日(木)


本日の言葉

How near the Truth, yet how far we seek! Like one in water crying, “I thirst.” Hakuin Ekaku

本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5518. 今朝方の夢

5519. 言語と知性:「偏在精神説」と脳の潜在能力

5520. 本日の振り返り

5518. 今朝方の夢

時刻は午前5時半を迎えた。今日も1日が静かに始まりを迎えた。この時間帯の外はまだ暗い。とは言え最近は、日の出時間が随分と早くなった。あと2時間ほどすれば、辺りも明るくなってくるだろう。

今朝方は少々印象に残る夢を見ていた。忘れないうちに早速それを書き留めておきたい。

夢の中で私は、ある知人の女性と一緒に車に乗って最寄り駅に向かっていた。その方は、私のオンラインゼミナールに継続的に参加してくださっている方であり、車中ではゼミナールの内容について話していた。

駅近くまでやってくると、ちょうど踏み切りで捕まった。運転しているのはその方であり、なぜだか私たちは、ここで止まってはならないと思い、踏み切りが降りて来ているところを突っ切って反対側に行こうとした。

私たちが踏み切りを突っ切ったのは、別に急ブレーキをかけて後ろの車に迷惑をかけることを防ぐためとかではなく、もっと社会的な理由があった。私たちが反対側に急いで行かなければ、この世界は間違った方向に進んでいく、そんな思いがあった。ある意味、私たちの行動は、正義心に裏付けられたものだったのである。

踏み切りの警報がなっているにもかかわらず反対側に突っ切った私たちは、踏み切り近くで待機していた警察に止められた。パトカーから1人の警官が降りて来て、私たちの車のナンバーを確認した。そこでも私たちは、警察を振り切って先に進まなければならないと思い、そこからまたアクセルを踏み込んで車を走らせた。

すると、駅のロータリーの脇にあった交番から警官が何名か出て来て、私たちを止めようとしたが、私たちはお構いなしにそのまま逃走した。気がつくと、私たちの車はパトカーになっており、そこからはパトカーを宙に浮かせて、空を飛んで逃げることにした。

1人の警官は相変わらず賢明になって地上を走って車を追いかけていた。その様子を空から眺めながら、私たちはどこかに向かっていた。

上空からの景色をもとにすると、それは広島辺りだった。私たちはパトカーを空高く浮かせ、比較的速い速度で移動していたのだが、地上を走る警官もなかなか体力と根性があり、なんとか私たちを見失わない程度の位置を保ちながら走り続けていた。

これではらちが明かないと思った私は、運転をしている知人に方向を指示して、そちらに向かって飛んでもらうことにした。ヘリコプターのように変形したパトカーの燃料が切れて来たこともあり、どこかで着地して、あとは別の交通手段で逃げようと思ったのである。

すると、眼下に人気の少ない駅を見つけたので、そこに向かうことにした。すると、先ほどまでは誰もいなかった後部座席に知人が現れた。彼は以前にフローニンゲン大学に留学しており、そこで知り合った間柄だった。

駅に到着したが、私たちはそこでパトカーから降りることをせず、引き続き宙に浮いていた。その時にはもうパトカーのような外観をしておらず、私たち3人が宙に浮かんでいるような格好であった。

駅の真横に交番があり、交番の中に入らなければ駅の中に進めないようになっていたので、私たちは仕方なく交番の中に入った。私たちは引き続き宙に浮いていたが、警官たちも特に怪しむような素振りを見せず、下から私たちに気さくに声をかけて来た。

何やら、今何人かの人物を追跡しているとのことであり、それは私たちのことだった。1人の若い男性警官が、交番の上空に浮かんでいる物体を見て欲しいと述べた。

見ると上空に、ダンサーのような何体かの人形が一方向に回転していた。その人形の回転を見て、どちら周りに回転しているかを教えて欲しいと述べられた。私はそれが何を試しているのかを知っていたので、回答するのを遅らせようと思っていたのだが、知人の彼はすぐに回答してしまった。

知人:「時計回りに回っていますね」

警官:「時計回り···ですか。」

その人形が時計回りに回っているように見えるというのは、一般人とは違う脳の働かせ方ができるということと集団平均よりも知能が高いことを示していた。その回答をして欲しくないという回答を彼はしてしまった。

というのも、警官たちは現在逃亡中の人間たちが知能が高いということを知っていたからである。彼の回答によって、警官たちの表情が変わった。

彼らは追加であれこれと私たちに質問をし始めた。先ほどまでどこにいたのか、昨日はどこで何をしていたのか等々である。

私は彼らがそのような質問を始めたので、これはまずいと思い、2人の知人に合図をし、そこから一気に逃げることにした。交番はいくつかの部屋に分かれており、すぐに外に出ることはできず、それらの部屋を通っていく手間があった。

なんとか無事に外に出て、そこから私たちは、またしてもヘリコプターのようなパトカーに乗って空を飛んで移動することになった。すると、男性の知人はどこかに消え、再度女性の知人と2人になり、私たちは引き続き逃亡することにした。

すると突然、私はロシアの海岸沿いにある街にいた。どうやら知人は別の場所に到着し、私はその街に到着したようだった。

海岸沿いには国道が走っていて、堤防の反対側にいくつかのレストランがあった。そのうちの一つのレストランに吸い込まれるようにして中に入ると、そこでレストランのオーナーらしき人物から、あのヘリコプターのような乗り物を売って欲しいとお願いされた。

もう燃料もほとんど残っておらず、さらにはその置き場を悩んでいた私は、オーナーらしき男性の申し出を受けた。するとまたしても、私の体は日本にあって、先ほど一緒に逃亡していた女性の知人と再び一緒に空を飛んでいた。

「ロシアでのあの一件はなんだったのだろうか?」そのようなことが脳裏をかすめていったが、今はまた集中して逃亡する必要があると思い、意識を切り替えた。そこから私たちは、もう別々の方向に向かって逃げることにした。

その方は現在の住まいのある県の方に向かって、私は実家のある山口県に向かって逃亡することにした。そして私は、もう空を飛ぶのではなく、広島のどこかの駅から列車に乗ろうと思った。

気がつくと私は、実家近くの駅にいて、そこから実家に向かうまでの間、誰にも気づかれずに身を隠しながら足早に移動しようと思った。フローニンゲン:2020/2/6(木)06:21

5519. 言語と知性:「偏在精神説」と脳の潜在能力

つい先ほど今朝方の夢について振り返っていた。夢の中で空を飛んでいたことも印象的だったが、突然瞬間移動して、自分がロシアにいたことも印象に残っている。

夢の中の身体、つまりドリームボディとしてのサトルボディは、あのように時空を超えることが可能なのだと改めて思った。それは今から9年前の幽体離脱体験の際に仮説として思っていたことでもあった。

物理的な制約のないサトルボディの性質はやはり興味深い。なにせ空を飛んだり、瞬間移動することが可能なのだから。

そういえば、その他にも断片的であるが夢を見ていたことを思い出した。高校時代のある友人(MK)が、哲学書で展開されているような抽象的な文章を、しかもそれを英文で集中して大量に読むことが言語能力の向上、ひいては知性の発達につながるということを述べていた。夢の中の私は彼の指摘に大いに同意していた。

夢の中の友人は、実際にそれを実行していたようであり、確かに彼の知性が随分と発達していることに私は気付いていた。抽象的な英文を徹底的に読み込んでいった経験のある人に固有の知性が彼の中に宿っていて、話し言葉として話される言葉の色も形も、そうした経験を経ていないと生み出されぬものであった。

そのような場面があったのを覚えている。バイリンガルの脳に関する現代の研究から、彼が述べていることは妥当性があった。

また、言語世界に存在する言語エネルギーは、発達理論が述べるところの階層性を持っていて、抽象的な言語空間であればあるほど高密度なエネルギーがそこに存在していることを知っていたこともあり、そうした高密度なエネルギーに意識を集中させて触れることが知性の涵養につながるというのも納得がいく話であった。

昨日、ディーパック·チョップラの“Quantum Healing: Exploring the Frontiers of Mind/Body Medicine”を読んでいると、哲学者のアンリ·ベルグソンが提唱した「偏在精神説」に行き着いた。これは、「人間は宇宙からのありとあらゆる刺激と情報を受け止めているが、生存のために有益なもの以外は削除して、必要なものだけを知覚している」という説である。

とりわけジョン·エフ·ケネディ大学に留学していた際に体験した諸々の事柄から、脳がそうした機能を持っていることには薄々気付いていた。ベルグソンが宇宙を物理宇宙のことを指していたのかは定かではないが、私たちの脳は物理宇宙や目には見えない情報宇宙から刺激と情報を絶えず受信していて、ベルグソンの言うように、不必要なものは遮断されてしまうのだと思う。

もう少し付け加えるとするならば、社会に適応する過程で私たちの脳は、そもそもある特定の、ないしはある領域の刺激や情報を受け取れなくなってしまっているのだと思われる。言い換えると、私たちの脳は随分と本来持っている力を削ぎ落とされてしまっており、社会的な制約がもしかすると安全弁かつ抑圧装置として働いているのだと思われる。そのようなことを昨日考えていた。フローニンゲン:2020/2/6(木)06:46

5520. 本日の振り返り

時刻はゆっくりと午後の9時を迎えようとしている。今日も1日が充実感と幸福感に包まれていた。

つい先ほど、夕方に届いた郵便物の封筒を開けた。封筒の差出人は保険会社からであり、ようやく保険に無事に加入できたことを知った。ビザ取得のタイミングを先方が誤解しているのか、法律で決められているビザ取得後から4ヶ月よりも遅く私が保険を申請したと思っていたようなのだが、なんとか無事に保険に加入することができた。

どうやら保険のカードがまた後日届くようなので、それを受け取ってから、半年に一度の歯科医の検診の予約をしたい。

今日も読書と創造活動に打ち込む1日だった。ここ最近は、読みたい学術書が次々と見つかり、大学院に所属していた時のことを思い出させる。いや、下手をすると、当時よりも積極的に学術書を読んでいるかもしれない。

ただ1つだけ残念なのは、今は大学機関に所属していないため、当時であれば無料で様々な学術ジャーナルにアクセスし、大量の論文を読むことができたのだが、今はそれができないことである。ただし、例えばオックスフォード大学出版やケンブリッジ大学出版から出版されている選りすぐりの論文集であれば書籍として購入することができるし、それに類する論文集は他の大学の出版社からも出されているので、事足りると言えば事足りる。

今後学術ジャーナルを大量に読む機会は、博士課程に進学した時になるだろうか。その楽しみはもう少し先になりそうである。

旺盛な読書と創造活動によって、自分の内側に情報エネルギーが階層的に構築され、それが自分にフィードバックをもたらし、活動エネルギーの高まりにつながっているように感じる。特にここ最近は、読書を通じて内側の情報エネルギーが密なものになっていることを感じる。これから就寝までもう少し時間があるので、また読書をしていこう。

午後に仮眠を取っていると、今日もまたコーザルの意識状態まで意識が深まっていった。とりわけ最近は意識の状態に関する探究を様々な角度から進めており、仮眠中の体験もまた貴重な体験データになる。

仮眠を取る時には大抵、短い時間の中でコーザルの意識状態に行き着く。グロス-サトル-コーザル、そしてコーザル-サトル-グロスという形で3つの意識状態が往復される。これは夜の睡眠中にも起こることであり、20分から25分ほどの短い仮眠の中にもこれと同じサイクルがあることに注目する。

そして夜に見る夢以上に鮮明なビジョンを知覚したり、特殊な身体感覚を得たりする点には今後も注目したい。後は、それらの体験をどのように省察していくかである。フローニンゲン:2020/2/6(木)21:00

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