top of page

5464-5465:フローニンゲンからの便り 2020年1月18日(土)


本日の言葉

Just stop your wandering. Look penetratingly into your original nature, and, concentrating your spiritual energy, sit in meditation, and break through. Bassui Tokusho

本日生まれた8曲

本日生まれた曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

本日生まれた曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

タイトル一覧

5464. 観音菩薩の現れ

5465. 仮眠中の体験:感覚の産物としての曲

5464. 観音菩薩の現れ

深い眠りから目覚め、今日もまた新たな1日が始まった。目覚めた直後、先ほどまで見ていた夢について振り返っていると、ふと観音菩薩のイメージが脳内に現れた。

「音を観る」菩薩。この菩薩の名前から、観音菩薩は何か今の自分にとってとても大きな意味を持つ存在のように思われた。

少し調べてみると、観音菩薩は観自在菩薩とも言われているようであり、実は昨日偶然ながら、「自由自在に観る」ということについてオンラインゼミナール用の音声ファイルの中で話している自分がいた。その背景には、私たち現代人が狭い認識の枠組みの中で、いかに不自由にこの世界を見ているかという問題意識があったように思う。

不自由に物事を見て、そこから得られる認識や感覚によってまた不自由に自己を縛る。現代人はそうした罠に陥って、自己の可能性を閉ざしながら極度に窮屈に生きているのではないだろうか、という問題意識が自分の中にある。そうした問題意識の延長線上に昨日の音声ファイルがあった。

先ほど現れた観音菩薩(観自在菩薩)のイメージは、それと関係がないようには全く思えない。自己及びこの世界を自由自在に観ること。それが囚われからの解放をもたらすのかもしれない。

ひょっとすると、囚われから解放されなければ、自己と世界を自由自在に観ることはできないのかもしれないが、少なくとも少しずつ視点を生み出す枠組みを揺らすこと、そして取れる視点の幅と深さを拡張させていくことは、自由自在に自己と世界を観ることを通じての自己解放につながっていくだろう。

観音菩薩の名前に、「音」が含まれていることは何かの偶然だろうか。音を観ること。音を自由自在に観ながらにして、音を自由自在に生み出していくこと。

観音菩薩の本誓は、「大慈大悲」つまり、一切衆生の苦を取り除き、楽を与える広大無辺の慈悲とのことである。ここ最近目覚めた新たな方向性及び活動の内容とひどく合致するものがある。

時刻は午前6時半を迎えようとしている。昨日はオンラインゼミナールの金曜日クラスの最終回があった。明日は日曜日クラスの最終回だ。明日にて、オンラインゼミナールも終わりを迎える。

今日は音声ファイルの作成をすることは控え、その分旺盛な読書をしたい。ドイツから届いたいくつかの書籍を今日中に一読しておきたいと思う。二読目、三読目と回を重ねていくことごとに書物の内容理解を深めていこう。それらは全て人間の意識と治癒に関するものである。

読書と合わせて、もちろんながら今日も旺盛に作曲実践に取り掛かる。昨日は諸々の取り組みがあったので、6曲しか作れなかったが、それはそれでいい。今日はより時間を取って、詩のような、俳句のような短い曲をゆっくりと作っていく。そういえば、「ダ·ヴィンチ/ラファエロ音列」と命名した音列はまだ完成しておらず、これについてもそろそろ完成させておきたい。フローニンゲン:2020/1/18(土)06:26

5465. 仮眠中の体験:感覚の産物としての曲

時刻は午後8時を迎えようとしている。先ほどから小雨が振り始めた。パラパラと冷たい雨が天から降り注いでいる。

そういえば、午前中にも突然あられが降り始め、窓の縁を飛び跳ねていた姿を思い出した。それはまるで生き物のようにパチパチと飛び跳ねており、しばらく好奇心の目で眺めていた。

午後に仮眠中、第三の眼あたりに光を知覚する体験をした。いつも仮眠中はアイピローを眼の上に乗せており、外側の世界の光を知覚することはない。

だが、こうした脳内から発せられる光の場合、それは目蓋の裏に強烈に感じられる。そうした光を知覚し、同時に身体もエネルギー体と化して、しばらく浮遊感を感じていた。そのような体験が午後にあった。

午前中に作曲実践をしている時にふと、自分は日々感覚を音にしていく実践を行っていることに改めて気づいた。何か特定の知的主題を曲にしようとしているのでは決してなく、いつもそれはその瞬間の感覚の産物なのである。

その瞬間の自分は縁起の産物であり、そうした自分の存在を媒介する形で生み出されたものが曲なのである。今後も自分のその瞬間の感覚を曲という形にしていこう。そしてこれからはより一層、感覚を音にするだけではなく、音を色に変えていこう。まさに、音符を使って線を描き、そこに音色を乗せて、文字通り絵を描いているイメージで作曲を行っていく。

その他にも今日はいくつか雑多なことを考えていた。一つには、人々はいつの時代にも、わざわざ苦を生み出すような発想や行動をし過ぎなのではないかということだ。それに加えて、わざわざ自分を縛るような発想や行動をし過ぎであり、わざわざ自己の可能性を閉ざすような発想や行動をし過ぎなのだと思う。

そう思わせる事柄をよく目の当たりにする。そうした発想を生む意識の回路がそこにあり、そうした行動を取る身体的な回路がそこにある。後者に関していえば、それは脳と密接に関係している。

そのように考えてみると、やはり意識と脳というのは、その使い方次第によって、私たちの潜在能力を引き出すことにもつながれば、逆にそれを抑圧·制限することにもつながる。そして大抵の現代人は、後者の形で意識と脳を活用している。

治癒と変容、さらには小さな自我からの囚われからの解放、潜在能力の発揮等々、自分の関心テーマの背後には、やはり意識と脳の活用方法が横たわっている。意識と脳の特性とそれらが生み出す諸々の現象について引き続き探究をしていこう。それらには継続して強い関心がある。フローニンゲン:2020/1/18(土)20:02

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page